秋企画 赤城山

参加者   OB3年会 今本   4年会 LsWsH曽根   3年会 sEsF島   1年会 WH酒井 EW永田 FW山本

2022年9月9日(金曜日) 曇時々雨

東京=(電車)=前橋駅=(タクシー)=赤城神社

覚満淵の遊歩道が木道の修繕工事のため今週から通行止めになっていたので、延期に伴う行動可能時間短縮も考慮してER2で入山することにした。また、土曜日の明け方まで局地的に雷を伴った激しい雨が予想されたため、何もなく退避できない黒桧山登山口ではなく万一の場合でもトイレ等の建物内に逃げ込める赤城神社で前夜泊することにした。高崎線が最大15分程度遅れていたが、遅刻者はいなくて一安心。ところが装備の不備が多発し、永田がF共装の法蓮草を小松菜と間違えてしまい、また酒井が薮眼鏡、島が地図とザックカバーを忘れた。酒井の薮眼鏡はLの予備を貸して島の地図はL装の予備を渡し、法蓮草は小松菜でそのまま代用、ザックカバーに関しては明日に入ると雨は止む予報であり、また今回の薮は大半が薄いことに加えて本人もなくて大丈夫と言うので問題なしとした。前橋駅からのタクシーは当初できれば使いたかったジャンボタクシーが車両ではなく限られた乗務できる運転士の恐らくシフトの問題で出発判断後では遅くて予約が取れなかったので、普通のタクシー2台に分かれていくことにし、先発組の1年会3人は22:15集合、後発組の上級生3人は0:25集合とした。夜なのでタクシーが少い可能性を考慮して念のためタクシーは事前に予約したが、実際にはさすが県庁所在地と言う感じで終電到着直後まで空車乗り場にはタクシーがいた。今後出す人は先発組程度の時間帯ならタクシーの予約は必要ないだろう、ただし終電の時間帯は長距離利用した場合タクシーの返却回送がかなり遅い時間帯になるので、運転士に配慮して予約でいいだろう。先発隊は建物の庇の下に寝る場所を見つけ、トイレで水汲み可能なことを報告してくれた後、日付が変わる前くらいに就寝したようだ。終電利用の今本さんと島が到着したところで後発隊も出発。途中山道に入ってから所々雨が強く天気への懸念が出るが、赤城神社到着時点では雨が弱く荷物もあまり濡れなくて済んだ。意外と遠くて所要時間50分で料金は迎車込み12300円だったが、後発隊のタクシーは最初奥に進み過ぎて北側に離れた大きめの駐車場の方に入り込んでしまい、そこから手前に引き返したせいで距離が嵩んだので先発隊より若干高かった模様。大変ありがたいことに山本がわざわざ時間を見計らって駐車場まで迎えに来てくれた。駐車場にはこの時間になっても起きている人がそこそこおり、雰囲気的に登山客ではなく車中泊のドライブ勢らしい。建物の庇はしっかり張り出しており雨は全く問題なく、地面もコンクリートで硬いが新しくて平らで清潔なので前夜泊にしてはなかなか快適な方だ。一人だけ駅で水を汲んでいなかった今本さんはここで汲んでいた。寝る準備をしていたところ肝試しっぽい中国人の集団が横を通り過ぎた。また、時折車が通るほか遠くの山中から暴走族っぽいバイクの爆走音も聞こえてくるのであまり秘境っぽくはなかった。就寝時点で2時前になっていた。


2022年9月10日(土曜日) 霧時々雨後曇時々晴

赤城神社=(徒歩)=黒桧山登山口6:08~(6:30酒井の靴回収6:34)~(6:51たるみ7:19)~7:50駒ヶ岳分岐7:55~7:58黒桧山8:02~8:07展望地(8:55にトップ出発後、一旦呼び戻す)9:10~9:43爺黒桧山9:45~元小黒桧山9:48~(9:49たるみ10:11)~10:37[1460]10:47~11:11([1280])11:27~12:21([1110])12:37~(12:56靴紐12:57)~(13:04靴紐13:06)~(13:32靴紐13:34)~13:38小出屋峠15:08~15:38四阿

みんな5時頃に起床。睡眠環境は良かったが短かったので眠い。薄い霧がかかっており時折雨が降る渋い天気で、事前の予報より天候の回復が遅いようだ。車中泊っぽい人たちはもういなかった。ザックの体積の小ささのせいか、早めに準備していた山本を除く1年会のパッキングが遅いので、Lと今本さんはその間に神社に参拝する。神社の正面は南側で、表に出てみたところ前夜泊していた場所は正面から見て右側の売り場っぽい建物の裏側だった。体操は酒井。出発時雨は止んでいた。登山口までは適当に歩くことにしたが、下級生はよく方向を見ておらずみんな湖岸の方へ進もうとしていた。気を取り直して車道を歩き、5分少々で登山口に到着してそのまま登り始める。今本さんのザックの胸ベルトが破損していることが発覚したが、大きな問題ないとのこと。寝不足のせいで登りは頭が重くてきつい。昨晩のタクシーではあまり短時間睡眠に強い今本さんに合わせてずっとおしゃべりすべきでなかったと思った。

所々にピンクテープはあるが、下草が薄くて道を外れてしまったところで酒井の登山靴が岩と岩の間に挟まれ、少し難航したが今本さんが取り出すことに成功した。通常通りの50分ピッチで行くと2ピッチ目が短くなりそうだったので、調整のため早めだが1600からの急な登りの直前でたるみ。早くも1年会に地図読みを練習させたいという今本さんが先ほど途中で出した問題の解説にかなりの時間をかけたが、寝不足のLはその間ずっとウトウトしたところ割と回復したので丁度助かった。登っている間は時々雲に隙間ができるが基本的には雲に覆われているという感じの天気だったが、丁度駒ヶ岳分岐に着くところで普通に雨が降り出してしまったので停まってゴアマを取り出す。予報では明け方に雨が止んだ後は曇後晴の回復基調なのにこうなってしまいがっくり。ただ、交通利便性が高いおかげかパッとしない天気の割に道区間は人が少なくない。黒桧山は赤城山最高峰だがあいにくの天気で何も見えないので、少し停まって他の登山者に写真を撮ってもらったところで早めの出発。展望地はそこから北へ少し下ったところにある岩っぽい場所で、ここで薮装準備のためたるみ。ここでも今本さんが1年会に時間をかけてとても丁寧に薮トップ等の役割を解説する。最初のピッチはトップ酒井・永田・山本、中継島で、今本さんはとりあえず下級生の補佐としたが、実際は山行を通してトップではなく中継と本隊の間を行き来していた。方針会議では当初島が中継も加わらないといけないことを忘れていた。今本さんの2年くらい前に賞味期限が切れた粉末で作った運動飲料が黄色になっていた。島にあげた予備地図は(本地図に手書きしたのをスキャンしたものであるため)画質が低くて見づらいとのことで、今本さんの地図を借りていた。また、永田の薮軍手忘れが発覚して山本の予備を借りていた。展望地の先端は露岩になっており、トップはその右側に回り込んで薮入りするが、いきなり下級生全員が角度の全然違う北東の尾根を下り始めてしまい、みんな向こうに進みだしたのを見て一瞬自分のコンパスが壊れたかと思ったと言う、中継の後ろにいた今本さんが出発しようとした時に間違いに気付いて呼び戻すが、1年会トップは最初何がまずいのかよくわからず理解するまでに説明の時間がかかったうえ、まあまあ下ってしまっていたので戻ってくるまで少し時間がかかった。どうやらトップも中継も全員コンパスをしっかり見ていなかったという完全に基礎の問題だったようだ。霧で先の方の尾根が見えない状況でもあるので、初トップの永田・山本はよくわかっていなくておかしくないが、薮合宿経験者の酒井と3年会の島はもう少ししっかり見てほしかった。今本さんが改めて注意するように説明した後、今度こそ出発して薮入り。薮は樹林帯の下に膝丈程度の笹と言う感じで、まあ進みやすい。最初は尾根が不明瞭なのでとにかく角度を切るしかなく、また斜度が急であることに加えて笹が濡れて滑りやすいので歩きにくい。ただ、展望地にいたときは時折雨が降ったが幸い薮入り後は雨に降られなかった。上の方は明るいので、雲頂は山のすぐ上にそれより上は晴れているのだろう。尾根不明瞭のままなのに急にトップや中継が急に遠くなって今回も1人だけになってしまった本隊が置いて行かれそうになったと思ったら、左の踏み跡に出たのでそれでトップが速くなったようだった。そこまで明瞭ではないが、所々木の幹に黄色いテープが巻かれている。今後ここに来る人は薮入りの最初から踏み跡を探すのが良いだろう。薮が薄いことに加えてLしかいない本隊が速いので、この山行は全体を通して割と本隊からトップまで詰まり気味になる。下りきった辺りにはいくつか露岩があり、1箇所稜線上の細い露岩を超える時に山本が踏み外して横へ2mほど下に転落してヒヤッとしたが幸い無事だった。爺黒桧山では一応集合写真だけ撮って通過。おしゃべりで盛り上がり元小黒桧山ではL以外誰も気づかずにみんなそのまま行き過ぎてOR1の方へ進んでしまったので、元小黒桧山のピョコから下りたところにある本ルートの尾根との分岐地点まで呼び戻してたるみ。尾根が左に明瞭に曲がっているので、ここは見落とさずに気付いてほしかった。雨は止んだとはいえ相変わらず雲に覆われて視界がないため下級生は行く気がなかったのでOR1の小黒桧山はカット。稜線の左側少し下に手前側からトラバースしながら斜めに上がって来るピンクテープ付きの明瞭な仕事道があった。下級生が不慣れで方針会議に時間がかかり長たるみとなる。ここからはトップ島・永田・山本、中継酒井で出発するが間もなく左側からはっきりとした踏み跡が合流した。先ほどの小黒桧山方面への踏み跡よりもはるかに明瞭で、登山道と言ってよいほどのものなのでびっくりした。おそらく先程の仕事道がたるんだ地点の少し先で尾根を横切って来たのだろう。しばらく先で踏み跡が一旦尾根の右側へ外れるところがあったが、それは小ピョコを巻いていただけでそこを過ぎると再び稜線に合流した。そのような踏み跡を外れる場所でも、笹薮は膝下程度しかないため道山行並みにガンガン飛ばす。ピンでは1460としていた宿泊可能地は実際にはそれより少し手前の1470くらいにあった。樹林帯下で暗めだが落ち着いた下草の低い笹原だ。そこを少し過ぎて1460辺りに着いたところで、読みよりかなり速く進んだためもう先ほどの方針会議を行った区間の終わりに到達したので、短めの方針会議たるみ。前のピッチが短かったので分担はそのまま。引き続き快調に進むが、踏み跡は1290から右側の尾根に外れており、トップは気付かずにそのまま踏み跡について行き予備地図に書き込んでいなかった間違い尾根に引き込まれそうになる。踏み跡は恐らく下の林道に行くのであろう。まだ時間が短くてまた下り基調なので個人的にはあまり疲労もないところだが、ここで島が先ほどの方針会議たるみで食べられなかった行動食を食べたくて今本さんもロングピッチは反対でトップが道間違いする以上しっかり方針を再整理した方がいいと言うので早めのたるみ。次のトップは島・酒井・山本、中継は永田。やっと踏み跡がなくなったと思いきや、程なくして今度は稜線の左側から踏み跡が合流してきたが、あまり明瞭ではないので先ほどの元小黒桧山からの踏み跡とは違って道とは言えないだろう。笹は所々再び高くなり腰丈程度あるが、濃くはないので隊の進みは速い。天気は良くなってきており時折太陽が雲に透けてうっすらと見えるようになってきたが、赤城山は相変わらず曇っており見えない。1201の辺りからは尾根が広く不明瞭になり、地形は平坦で特徴がなく現在地がよくわからなくなるのでとにかくひたすら角度を切って進む。恐らく左側の林道や変電所を結んでいると思われる薄い踏み跡は、外れたりしばらくするとまたやってきたりの繰り返しで、同じ踏み跡ではないかもしれないしあてにならないので、角度が違いそうなときは気にせず進む。しばらく進んだところで斜面が急になり始めその先は鹿除けの柵が設置されていた谷になっていたので、このまま進むのはおかしいとなりRFしたところ、左側に平な尾根が続いており先には送電線の鉄塔も見えるので無事にそこは1124を過ぎたところだと気付けた。ここで角度を切りなおして進み始めるが、相変わらず平坦で疲れていなくて調子いい時であってもロングピッチに反対する声があることからたるみ。なお、どうやら誤解されているかもしれないが、Lはただひたすらロングピッチが好きなわけではなく、ピッチの長さは50分にこだわり過ぎず片側ではなく両方向にメリハリを付けたい方針なのでそうやっているだけであり、逆にきつい区間はむしろこまめにたるみを取る方なのだが。ここからはトップ島・酒井・永田、中継山本。たるみ地点の笹は低かったのだが、出発して間もなく林道を横断すると一気に笹が高くなる。もし林道を進めばかなり楽できるが変電所の敷地内で関係者以外立入禁止なので、緊急時ではない以上頑張って薮を進む。林道からは最初普通の一列で進んでいたが、背丈程度あるだけでなく普通に濃くて進みづらいのでまもなくラッセルに切り替え。笹は太くないが割とバラバラの方向に傾いているので漕ぎづらい。
トップのシフトには下級生だけではなく今本さんとLも加わる。視界が悪く地形も平坦なためトップが植生に流されると角度外れやすく、後ろの人たちが進むべき方向を伝えたり笹の上にかすかに見える丘を見つけることも重要である。無事道迷いせずに1093の丘を見つけて登りきると再び腰丈程度の笹に戻り、予定通りの市境の尾根に出て最後は尾根の左側から下りて車道に出た。山道の割に車が少くない。車道を少し上って小出屋峠の変電所敷地の入口でたるみ。ここからはER3を少し下って水汲みするのだが、どこから再薮入りするかでザックをどこに置くべきかという問題があり、四阿には送電線の巡視路と思われる踏み跡が通っている情報があったので、それを見つけることができれば少し先を下った尾根を再び先ほどのような高い笹薮のラッセルで直登するよりも楽なのでできれば見つけたいという事で、まずは一番怪しそうな峠のすぐそばの鉄塔へ繋がる林道を偵察することにする。L・酒井・永田の3人が空身で向かう。数分で鉄塔に到達するとその先に踏み跡が続いていた。これがもし四阿まで続いていれば楽に行けるし、もしその先で進む方向が違っていても少なくともある程度の距離は稼げるので、水汲み後はここを進むことに決めて戻る。そう決めたので、ザックはここに置いて水汲みに向かう。みんなくたびれたのかなかなかゆっくりだ。地図上の沢線と交差する場所に向かったのだが、沢筋の斜面が急で下りられそうな場所がなかなか見つからず、最終的には橋を渡った先少し進んだところで右に下りたが少し手間取った。変電所建設時に上流に溜池が造られていたので、念のため浄水器を使うが大雪山の時のようにやはりなかなか時間がかかる。やっと水を汲み終わって小出屋峠に戻る途中、何と水の流れる音が聞こえたので確認してみると、1010の辺りの切り通しになっている部分のすぐ上で小川が交差していた。行きは車の音とかで気付かなかったのであろうが、ここで汲めば片道15分もかけず片道5分で済み、且つ浄水器も要らないので大幅に時間短縮できるので、次回以降出す人はここを使ってください。小出屋峠に戻ったところもう15時頃で、電波は入っていないので天気図は取れておらずWの1年会の事も考えると天気図は外せないうえ、下級生がラッセルで一気に消耗してしまったことから、読み自体は少し延びたラッセルのところ以外割と縮められたがその他たるみの時の説明・方針会議や水汲みで色々時間がかかってしまったところが残念な所だが、今日は四阿止まりとして明日はどうするか後で調子を見て考えることにする。先ほど決めた方針の通りまずは鉄塔まで短い林道を進み、そこからそれっぽい方向へ進む踏み跡を辿るが、次第にトラバース方向に変化した踏み跡は不明瞭になり消滅してしまう。仕方ないので何人か余力がある隊員に普通にRFしてもらうが、もし車道から四阿へ直登した場合の濃薮は避けて距離をある程度稼げたので、まあ悪くはなかった。薮は濃くはないが背丈は高めという感じ。RFの途中とても小さな川も横切った。これは恐らく先ほどの車道で新たに見つけた水場の沢の上流であろう。四阿の位置は事前に衛星写真から正確に特定できており、尾根と頭上の送電線の交点近くという比較的わかりやすい位置であったことから、RFはそこまで手間取らず無事今本さんが四阿を発見した。Net記録にあった四阿を通る踏み跡はその2015年時点よりかなり不明瞭で、直前に左側から合流してきた。もしかしたら実際は鉄塔からの踏み跡とはまた別に正解の入口があったのかもしれない。四阿は完全に放置されており、中には風に飛ばされた草がたまり、端にはシカの糞も点在し、机や椅子の木材は表層が剥がれてきているが、さほど古くなく造りもしっかりしているのでまだまだ致命的な破損が発生する心配は無用だ。なぜこの過去にも登山道や観光施設が整備されたこともない場所にこんな立派な四阿が造られてさほど日が経たないうちに放棄されたのかは謎だが、とにかくこれは間違いなく過去一豪華な薮中泊となった。下級生が割と疲弊しているのでこれはかなり助かった。サイトマスターは酒井。気象通報まで時間がないので全員Wが振られている1年会には急いで準備してもらい、上級生は1年会が天気図を描いている間に調理することになる。調理や食事はベンチに座って机の上でできるので薮にしては本当にとても贅沢だ。ここでSoftbankを使っている今本さんが天気図を入手できたので、sWを兼任するLは天気図を描く必要がなくなった。酒井が取り出したコッヘルが破損し、蓋が凹んでいたほか取手が外れてザックの中に消えていた(後で見つかった)が、持つ人が頑張れば問題ない。夕食の調理で大問題が発生したのは汁物の「鶏肉と野菜の味噌鍋」に入れる鶏肉で、Fの山本が指定していた生のもも肉を開けると完全に腐った悪臭を放っており、すぐに数匹の大きな蠅がどこからともなくやって来るほどであった。これはさすがに食べられないという事で、気象通報が終わったところで1年会にも状況を説明して鶏肉は廃棄が決定。因みにLはF表提示後に生肉への懸念を持っており言ってもいたがなぜか結局変わらずこうなったことについて、後で聞いた所sFの島が過去に実際6月くらいの沢で鶏もも肉を使った山行があったから問題ないとしたとのこと。しかし、常識的に考えて冬道とかでもないなら気温的に生肉放置はまずいと十分想像可能なことので、今回の失敗を踏まえて今後はこのようなことがもうないようにしてほしい。沢の方はよくそれで問題なかったなと思った(補足:審議で福家曰くそれは保冷剤を使っていたとのことなので、今後はそうすることをはっきりさせた上なら)。また、この鶏肉をサイマスに持ち帰らせるのはかわいそうなのでここで埋めることにしたが、動物が臭いで寄ってくる恐れがあるということで明日出発前に埋めてそれまではビニール袋に密閉して入れておくことになった。とりあえず汁物から鶏肉が消えても筋肉の事を考えて夕方はそのまま蛋白質を抜けないという事で、明日朝のカルボナーラに使う予定だったベーコンを回して朝食を肉なしにすることになった。この後もみんな疲労のせいか間違いが連発し、朝使うはずだった法蓮草代替の小松菜を誤って使ってしまったので、野菜の量を調整するために葱及び酒井が丸々1振られていたところ小分けのしか売られていなかったので分量に余裕を持って買ってきた結果多すぎた白菜の余りを明日朝に回すことになったほか、本来は味噌鍋の予定なのに味噌を入れ忘れて味の調整まで終わらせてしまったので結局入れなかった。ただ、問題は多かったが最終的に仕上がった汁物の味はまあまあだった。
夕食後には全体で1年会の天気図の講評会。ここでも今本さんが積極的に1年会に指導。3人に共通するのは、練習回数がまだまだ足りないことであった。酒井は鉛筆ばかり使っていたせいでやや見にくくてまだ不慣れで若干不自然な感じ。ただ、致命的な矛盾はなさそう。永田は真ん中の方の高気圧や低気圧周りからの等圧線を端の方の情報がない所までずっと平行な感じで描いており、地上天気図のそれよりは高層天気図の等高度線のようなのでさすがにおかしすぎる。一方、山本は等圧線をカクカクさせたり2hPa単位の場合に使う破線を書いていなかったりと基礎的な知識不足が目立った。疲れていておなかも一杯と言う人が多かったので夜は短めに切り上げて20時頃に就寝。ベンチと机の上の空間を駆使して床の上にあるシカの糞も椅子の上に溜まっていた大量の草で覆って解決したところ、6人全員がギリギリ四阿の中に収まった。因みに、周辺は斜度的にテント泊やオカンは無理すればできないことはなくても傾いていることによるリスクを考えると無茶であるので、もしこれ以上人数が多ければもう四阿の水平な床と傾いている地面との間の隙間を活用するしかなさそうだ。


2022年9月11日(日曜日) 晴一時曇

四阿5:42~5:54(小出屋山直下の鉄塔)6:14~小出屋山6:15~6:37[1143C]6:52~7:26[1257.5P]7:36~7:50廃道広場8:11~[1165C]8:54~(8:56たるみ9:21)~9:42([1230P])9:55~(空身)~10:02田沢奥山10:26~(空身)~10:32([1230P])10:51~家の串越え10:52~11:39林道切通12:09~12:22郡界尾根登山口12:35=(タクシー)=12:51大滝13:12=(タクシー)=追付橋バス停13:20=(タクシー)=13:28小中駅

3時半に起床係永田の掛け声で起きる。四阿はとても快適で薮中泊にしてはかなりよく眠れた。朝食のカルボナーラは酒井が持ってきた白菜の余りが多すぎて全部コッヘルに入りきらず、余りをどうするかが問題になり、捨てるのは勿体ないが茶飯に入れるのはまずいので嫌だと言う議論の対立が続いていたところ、島が昨晩入れ忘れて使われなかった味噌を思い出して白菜味噌汁を作る妙案を思いついてくれたので、茶飯の代わりにそれを作ることになった。同じく昨日入れ忘れていた葱も丁度いいという事で味噌汁に入れることになった。残りの白菜を切るのにまあまあ時間がかかりカルボナーラがかなり先にできてしまったので、味噌汁を待たずに先にカルボナーラを食べさせる。遅れて完成した白菜葱味噌汁はホッカホカの味噌味がとてもおいしくて良かった。茶飯がなくなったことで糖分摂取量が少ない問題が発生したが、ここで丁度今本さんがテントを撤収しなくて済む分余裕が生じた時間を活かして差し入れのホットカルピスを作ってくださったので、少食でもう要らないという島以外は全員それで美味しく解決できた。今日の方針について話し合うが、下級生の状況を聞くと四阿のおかげで普段のテント泊より割とぐっすり眠れたので疲労は大分取れたがまだ微妙とのこと。このまま引き返してER3で下りるのはさすがに短すぎる一方、林道切通まで薮を通り抜けてER4や本ルートから下りるのはピッチ数が長くて時間的にも体力的にも少し怪しそう、しかしこの先あまり目立った場所もないので途中何でもないような場所まで進んで引き返すのは渋すぎてつまらない、ということで少し難しい所であった。この先の本ルートは目立った場所が全然ない所だがMaxの手前では唯一の名前付きピークである小出屋山はすぐ近くにありピストンでも四阿から1p程度であり、そこまでくらいなら引き返しても渋すぎないだろうといことで、とりあえずそこまで進んで隊の様子を見てそこからER3に引き返すか林道切通に進むかを判断することにした。テントの撤収がないから準備時間には余裕があったのに、1年会は相変わらず小さなザックのせいでパッキングに手間取り時間がかかり少し遅れた。物流の混乱により小さなザックしか入手できなかったことに関しては非がない1年会もかわいそうだし、隊全体にも影響がある状況が割と常態化しているので、物流状況が改善されて大きなザックを入手できるようになったら部費から補助を出して部全体で1年会の大きめなザックへの集団買い替えをやってほしいと思った。出発前に1年会は忘れずに鶏肉を埋めていた。天気は少し上の方で朝霧が発生して曇っている感じ。体操は山本。昨日小出屋峠のピッチが実際にはほぼラッセルでほとんどRFしなかったので、その時と同じトップ島・酒井・永田、中継山本だがとりあえずしばらくは一列で踏み跡を辿る。踏み跡には何と埋まりかけの割と新しめの階段があった。四阿と踏み跡の階段と何の目的でここまで手をかけて整備してなぜすぐに放棄されたのか謎はさらに深まる。周りの薮は背丈程度あるので踏み跡のおかげで割と楽できたが、その踏み跡もしばらくしたところで斜面を斜めに上がりながら消えてしまった。最後に埋まりかけの階段がある地点の周りで少し探してみたが、見つからなくてそこから先の踏み跡は完全に薮化しているようなので仕方なくラッセルで直登する。しばらくすると小出屋山直下の鉄塔に出た。直前に右側から明瞭な明らかに別方向から上がって来た踏み跡が合流してきたので、恐らく今はこちらの踏み跡しか巡視路として使っておらず先ほどの四阿の踏み跡は使われなくなったということだろう。小出屋山の直下に林道があるので、今使われている巡視路はそこから上ってきている可能性が考えられる。鉄塔の足元は斜度があるが開けているのでここでたるみ。厳密には小出屋山山頂はもう少し先ではあるが、ここまでの所要時間を小出屋山までの読みと見比べると想定の半分未満と大幅に縮めているペースなので、隊員の調子は良くなったという事でこのまま林道切通まで進むことを決める。昨日薮でコンパスを落としたが宿泊地で対処していなかったという山本が非常パックの予備コンパスを取り出すのに時間がかかるので、それを待ってからトップ・中継はそのままで出発。ここからは腰丈程度の笹だが、すぐに不明瞭だが踏み跡が見つかるのでそれを進む。小出屋山には何もなく、全然山頂っぽくなくただのゆるいピョコと言う感じだった。間違い尾根は多いが、笹は次第に薄くまた膝丈程度まで低くなり、正解の市境尾根には薄い踏み跡が続いているのでトップが経験少ない人ばかりでも難なくサクサク進む。今日も相変わらず本隊や中継は割とトップのすぐ後ろまで迫ってしまう。ここまでしか方針会議していなかったので、読みより大幅に縮まったことで早くなったが1143Cでたるみ。平らな場所はあまり広くないが、笹は足元程度しかなく快適だ。この辺りで空が青くなって来て、これ以降この日はずっと晴れていた。ここからはトップ酒井・永田・山本、中継島。やはり不慣れなので方針会議は時間がかかる。薮は膝下程度の低めの状態が続きサクサク進むが、トップが1240Pに着いたところで1257(.5)Pに着きましたと言うので上級生でしっかり指摘する。気持ちが先走って早とちりしてしまったのだろうが、地図はしっかり読むことが重要だ。1257.5P手前の1180Cも平らで宿泊可能。1257.5Pへの登りは斜度がそこそこあり薮が薄すぎて掴む場所が少ないのできつく、1年会が苦しそうだったので1257.5Pで急遽たるみを追加。1257.5Pは芋ピークだが、ここでは今日唯一間違い尾根への踏み跡が北側に通じていた。北側からの尾根とこの先の正解尾根への踏み跡は小出屋山からここまでの踏み跡より明瞭だ。恐らく山仕事の人たちは北から東の方へ入ってきているのだろう。ここまでのピッチが短かったのでトップはそのままで出発。踏み跡はかなり明瞭になり、もう道と言ってもおかしくないレベルだ。一応疑いの目は持つがこの踏み跡はずっと正解尾根に伸びるおかげで、1年会トップにとってもRFは全く難しくない。1140ベロから右側の廃道広場への尾根に下りる所は地形図的にはいいRF箇所に見えたが、そこもこの踏み跡のせいで全然練習にならなかった。下草の低い気持ちいい樹林帯歩きが続くなかで廃道広場直前の下りは開けたところもありとても気持ちよく、今本さんはピクニックとしては80点だがトレとしては5点の山行だと言う。

また読みより大幅に縮めて廃道広場に到着。方針会議がここまでだったので短いピッチになったがたるみ。廃道広場は本格的な広場と言う感じで、数十m程度の広さの場所が茶色っぽい小石で敷き詰められ下草は殆どなく、平らになっており人の手によってよく整備されている感じで気持ち良い。これはもしかしたら林業用のヘリポートかもしれない。ここまで進んできた西側以外には北側と東側に踏み跡が続いている。次のピッチはトップ島・永田・山本、中継酒井。角度的にそれらしい東側の踏み跡から入るが、少し進むとトラバース気味で尾根の右側から少し下り始めた。これはおかしいとなったのでトップには踏み跡から尾根まで散開してRFしてもらう。その結果、この踏み跡はこのまま谷に下りそうで違うという事で尾根に上がった。谷の方は林業用の水色プラスチックテープが木の幹にぐるぐる巻きつけられていたので、先ほどの踏み跡は林業用の作業道だったのだろう。なお、今本さん曰く枝打ちされていないことから人の手はさほど入っていないだろうとのこと。尾根に上がってみると別の踏み跡があったので、恐らくさっきの廃道広場で最初北の方へ向かっていた踏み跡は実はこちらの尾根に繋がっていたのだろう。再び道と言ってもおかしくないような明瞭な踏み跡上をサクサク進む。1166Pの辺りは過去資料では薮が濃いとなっていたが、今では鹿の食害がひどくなったのであろうか、他の場所と変わらず膝下程度の薄い笹であり他の場所より進みにくくはなかった。途中踏み跡がピョコの手前で分岐して最初間違い尾根に進むかと思ったらピョコを過ぎたところで合流し、何と実は巻道だったという場所もあった。1165Cでたるむつもりだったがトップが気付かずに通り過ぎてしまったので次のピョコまで進んでからたるみ。ここで今後の方針の話しなり、大幅に縮めたことに寄り時間に余裕が出てきたのでOR2の田沢奥山は行く前提になり、肝腎の林道切通から先に関しては本ルートに下りて大滝を観光したい人とER4を下りて根利牧場を見てそこからタクシーで帰りたい人が両方いるので、林道区間は道sL/L権者が1人で大丈夫なことを活かして島がER4分離隊結成かという展開にもなったが、結局は家の串越えか田沢奥山辺りまで進み時間の目途がわかってから電波が繋がったところでタクシーをどのように取れるか確認しながら最終的に決めることになった。なお、その比較において費用面の話が上がる中で島が3年会でありながら学割の存在を知らなかったことが発覚。意外と周知が徹底されていないようであることがわかったので、今後新歓で入った1年会にははっきり説明すべきだと思った。ここからはトップ島・酒井・山本、中継永田。引き続き道のような明瞭な踏み跡を進む。1220Pの辺りは尾根が広く踏み跡は左側斜面のトラバース気味だった。樹木が切り払われて背丈程度のススキなどの細高い草がびっしり生えているところもあり、薄の群落を通り過ぎると左側が開けていい景色だった。家の串越え手前のOR2と分岐するピョコでたるみ。この辺りは下草が皆無であった。電波は入らなかった。ここにザックを置いて空身でTWV初トレースの田沢奥山に向かう。一列でトップは往復とも山本。こちらも下草は皆無とは言え踏み跡明瞭で、分岐地点のピョコには田沢奥山へ向かう側の木に黄テープが巻かれていた。田沢奥山は灌木に覆われた芋ピークで、山頂の周りを少し探したが電波は酒井が辛うじて断続的に僅かに入るだけで基本繋がらなかった。Net記録にあった雨量計も場所がわからなかった(後で調べたところ、北東側の尾根へ少し下ったところにあるようだ)。ここでLがイカ揚げスナックを差し入れ、それをみんな食べ終わったところで写真撮影。木の幹に小さい金属製の赤い山名標が巻き付けられていた。山名標には1972.11と書かれていた。よく破損せずに今まで残ったものだ。先ほどのピョコに戻ってからも引き続き方針を相談した結果、本ルートは郡界尾根登山口まで普通の車が入れることを活かし、途中今本さんが電波繋がるか試してタクシーを予約できたら全員郡界尾根登山口から途中大滝にも寄りながらタクシーで小中駅に出ることになった。林道切通までこのピッチで抜けることに決め、薮中最後のトップは島・酒井・永田、中継山本。酒井がピョコに薮軍手を忘れたので本隊のLが出発時に回収した。ここから先も下草は皆無で踏み跡明瞭なのでRFは全く問題にならない。地形図に載っている、昭和半ば頃まで使われていたらしい家の串越えの古い峠道は完全に消滅していた。いくつかあるピョコの上り下りの傾斜はやや急な感じ。所々今本さんが電波繋がる見晴らしが効くコルでしばらく立ち止まりタクシー会社に電話をかけ少しづつ条件の打診を行ったところ、12:45でタクシーが取れたので郡界尾根登山口から小中駅に下りることが決定した。途中左側の谷に木や下草を刈り払って土を平に整地しただけの割と粗末な作りの林道があった。林道切通では小中新地林道の切り通し部分の少し手前で踏み跡が左手の先ほどもあった粗末な造りの林道に出て薮抜け。今本さんがトップの前に出て薮抜け写真を撮影してくださった。粗末な林道に抜けたすぐ先の稜線上に罠にかかった鹿がいて、こちらの存在を見て怒っている。
暴れて逃げ出そうとしているが足が罠で固定されているので徒労である。立派な角が生えているので、もし罠が外れて逃げ出せたら熊スプレーを持っていないと危なそうだ。タクシーまで時間があるので、ここで薮装解除も兼ねて長たるみ。小中新地林道を左に10mほど進んだところで北から流れてくる沢があり、水場として使える。L・酒井・永田はこの沢で体を冷やす。ここから郡界尾根登山口まで少し下り、そこでタクシーを待つ。郡界尾根登山口から先は舗装されていた。なお、郡界尾根登山口は今では公式には「袈裟丸山登山口」としてしか案内されていないようなので、今回タクシーの予約時は問題なかったが今後出す人は後者を使う方がより安全かもしれない。2台のタクシーがやってきたらすぐに乗り込む。舗装路だが石が沢山ゴロゴロして何回か底を擦っていたので、車アプローチはあまりお勧めできない感じ。途中大滝に寄って観光。遊歩道途中にはけさかけ橋という峡谷両側の標高差が階段設置により処理された傾斜付きの見事な赤い吊り橋があった。そこを超えた先にはいくつかの展望場があり、峡谷対岸の巨大な滝の壮観な眺めを楽しめた。


タクシーの待機料金が10分1000円というぼったくりなので、見終わったら急いで戻る。大滝から先は道路状況がマシになるがすれ違いは少し苦労する感じで、バスが平日のみ1日1本しかない追付橋辺りから人家が見られるようになり、小中駅への脇道でもなぜか底を擦って小中駅に到着。運賃は迎車・途中待機込みで1台13000円だった。列車の到着まで30分以上あるので、Lと1年会は駅の反対側に見える渡良瀬川の吊り橋まで往復した。完全に晴れ渡り日差しが強く、照り返しがあるホーム上は勿論一部が荷物も入れるとギリギリ全員入れるくらいの待合室の中も暑い。直前に通り過ぎた反対方向の列車から何と今では珍しい切符売りの方が下りて来たので、それで無人駅なのに乗車前に切符を購入。切符売りと一緒に桐生行きに乗り込む。ツアー客が多く、団体貸切車が増結されているのに一般客車にもまあまあツアー客がいる。桐生までは所要時間48分、運賃740円。ウトウトしながら渡良瀬川沿岸の長閑な景色を眺める。桐生駅ではまずみんなJRで帰るか東武で帰るかを決め、JRで帰る人は後で桐生駅に戻って来るので荷物を置いて下界装を取り出す。永田が前橋からで買ってしまった帰りの学割切符を桐生からに変更したかったが、新たに学割証がないと変更できないとのことだった。急な変更に対応できるよう学割証は期限が切れない程度に財布にためておくのがよいだろう。Lはその間に売店で桐生のお土産を購入できた。東武の新桐生駅から帰宅するため桐生駅には戻ってこない今本さんとLはザックを背負ったまま、みんなで入浴と打ち上げに向かう。風呂は駅の南側にある銭湯「上の湯」に入った。1人400円と言う良心的な値段だったが石鹸がなかった。今後ここに来る人は石鹸持参推奨。続いて近くにある地元の饂飩チェーン「みやじま庵」錦町店で打ち上げ。Lは「豚汁饂飩」を頼んだところ、実際に出てきたのは饂飩入りの豚汁ではなく豚肉を使ったただの肉汁饂飩で拍子抜けした。ここで注文待ちの間に反省会も済ませ、食べ終わったところでJR組と別れた。東武組2人は新桐生駅まで歩くが、間に渡良瀬川もあり少し距離があった。ここで急がないので後発の普通列車利用のLは明日の仕事に向けて早く帰りたいので先発の特急列車に課金した今本さんと別れ、結局最後は割とバラバラになって帰途についた。なお、最後に移動中の要注意点を一つ言っておくと、途中東武小泉線の東小泉駅の乗り換えは時間が殆どなく、Lは東小泉行きの扉が開いたところで居眠りから起きて列車から下りたところ、ホームの反対側に停まっていた列車は行先を確認する間もなく発車ベルが鳴って扉が閉まり、館林行きはそのまま走り去ってしまい30分ほど待つ羽目になった。時刻表を調べると乗り換え時間は何と今まで見たこともない「0」分で、実際には東小泉止まりの扉が開いてから館林行きの扉が閉まるまでたったの10秒もなかったと思う(列車の遅れはなかったにもかかわらずだ)。Lはここに来るのが初めてで知らなかったが住宅地の中の小さな駅でホームは1つ線路は2本しかなかったので、実際は乗り換える場合はどの線路に停まっている列車か(知っている人なら)間違えるはずがない(実際地元客はみんな東小泉止まりの列車が到着してすぐにササっとホーム反対側の列車に乗り換えていた、なおワンマン列車だったので列車側での乗り換え案内放送はなし)ということでそのような乗り換え時間が全然ないダイヤが組まれていたのだろう。今回はこのことを知らなかったことに加え、居眠りしていたので少しだけではあるが出遅れたのも痛かったので、今後この辺りの山域に来る人が東小泉駅で乗り換える場合は乗り遅れやすいのでこの2点には要注意だ(今回は帰路だったので大きな問題はなかったが、往路の場合は遅刻しかねないので特に気を付けるべきだ)。


まとめ

薮は全体的に薄い所が多く斜度も緩かったので、上級生にとっては楽々薮漕ぎ、下級生にとってはいいRF練習になった。特に初心者にとっては割と優しい薮なので、あまり薮嫌いの人が増えないように今後たまにはここみたいな場所もぜひ積極的に活用してほしい。

0 件のコメント:

コメントを投稿