薮トレ 幻湿原

参加者

OB3年会 田嶋 西山 根岸

OB1年会 CL浦中

3年会 sLsF曽根 sW西田 sH西村 sE原

2年会 W池田 E塩野 WH島 F春木

1年会 川辺 後藤 田村



2021年6月11日(金曜日)

東京=(車)=巻機山荘

巻機山荘はOB山行(約10人)で使われたため感染症対策の定員12人の関係で1年会2人のみ中に泊めて残りは野宿または車中泊、また車は巻機山荘ではなく威守松山登山口の駐車場(満車の場合は桜坂駐車場)に停めることになった。車は本郷と駒場から1台づつ出した。sLは本郷車に乗り、小屋の鍵を受け取るために雲天に寄って23時過ぎに威守松山登山口の駐車場に到着した。駒場車はその数分後に到着した。駐車場は4台程度泊められる広さで、この時他の車は停まっていなかった。巻機山荘には後藤、田村が泊まり、2階をOB山行用に空けて2人は1階の奥で布団を使わずにシュラフを使って寝た。幻沢までの分の水3Lは水質の関係で一応事前に汲むことを推奨したが、田嶋さんは巻機山荘で汲んでいた。sLは小屋の前で野宿し、その他の人たちは車中泊または駐車場で野宿した。西村と原は蚊がひどいという理由で小屋前の野宿を嫌っていたが、sLは虫除けを使ったところあまり問題にならなかった。


2021年6月12日(土曜日) 晴時々曇

巻機山荘4:07~4:35堰堤4:57~(5:52たるみ6:10)~(7:00たるみ7:13)~7:59(ナナカマド台地の入口附近)8:13~9:07(1450附近の幻沢・アイゼン装着)9:25~(10:00たるみ・水汲み10:40)~(11:02アイゼン取外11:10)~11:31幻湿原12:07~(13:22たるみ13:55)~15:02(1780附近)15:15~15:23(1809P南コル附近、坂田池の西側)15:47~(空身)~16:44柄沢山17:00~(空身)~17:38(1809P南コル附近)

時間の余裕を持つために堰堤までの林道は日の出前行動にして4:00に巻機山荘の前で集合にした。体操の掛け声は塩野。林道区間のトップは島だが、巻機山荘の駐車場を出ると早速増水時のみ使うことになっている左のER1に進もうとしてしまう。通常時はこちらを使うことになっている本ルートに入るも深沢を渡った先で今度は右の林道に曲がらずに巻機山の登山口の方に数十m進んでしまう(その間、他の上級生は気付いても黙ってついていた)。桜坂第4駐車場の横を進み、その先はコーンのようなもので車が進入できなくなっており、状態はあまりよくないが一応舗装されている堰堤の工事用と思われる林道を進む。堰堤で薮装着用後に自己紹介する。今回はOB3年会が参加している上に去年2年会の入部時期が遅れたために上級生でも面識がない組み合わせがすくなくない。堰堤の下の深沢渡渉は靴に水が入らない程度の水位であったが、沢に下りる斜面がガレですこし歩きにくかった。薮の1ピッチ目はトップ根岸さん・西田・原、中継西村、本隊誘導田嶋さん。尾根への取り付きは最初だけ左に向かう踏跡があるがすぐに灌木が茂った急斜面になってすこし手間取る。尾根に上がると斜面は取り付きより緩くなり、薮も薄くて進みやすいが本隊は遅いままで、しばらくして田嶋さんが吐いてしまった。本人曰く元々吐きやすい体質で吐いて楽になったとのことであるが、ここで田嶋さんをセカンドに下げて本隊誘導は西山さんに交代。最初のたるみで薮眼鏡がゴーグル型で曇りやすい塩野、川辺にそれぞれ曽根、島の予備を貸す。2ピッチ目はトップ西山さん・西田・西村の西3人組、中継原、本隊誘導根岸さん。1つ目の大きな露岩を直登し、6:30頃に塩野が遅くなったのでセカンドに置き、2つ目の大きな露岩は左巻きしたが、ここで田嶋さんとsLがそれぞれ直径数十cmの落石を切れている左側に落としてしまった。その後は尾根が広くなり不明瞭なところもある。3ピッチ目はトップ西田・西村・原、中継根岸さん、本隊誘導西山さん。ナナカマド台地の入口辺りで笹が一気に高く濃くなってくる。次のピッチをRFに充てるため最初の偽沢に到達した時点でこのピッチは短くなるがたるみにした。1日目でRFが最も重要な4ピッチ目は3年会の要請を受けてトップの3人は西田・西村・原の3年会3人のままにした。中継は西山さん、本隊誘導は根岸さん。トップは100度(最終的には120度)で散開するが左の西村が迷い気味で、本隊は一部に雪渓が残る別の偽沢を超えるがそれでも左側に寄っている気がした。中央の原がマップケースを落としてしまい、一旦西山さんの後ろに下がるがマップケースは本隊が拾った。中々手掛かりが見つからなかったが、最終的に右側にいた西田が木に登ってさらに右の方に右前から斜めに入ってくる幻沢と思われる広めの雪渓を見つけた。結果的に散開の角度が浅すぎた模様。みんな雪渓の角度が60度と浅い点が少し気になっていたが、行ってみるとしっかりした雪渓でこれは幻沢だろうということになった。傾斜がきついので雪渓に出たところで軽アイゼンを着用する。初めての軽アイゼン使用でつけ方がわからない人も多かったので時間がかかった。池田が軽アイゼンを忘れたので浦中さんのものを借り、アイゼンなしの浦中さんは薮鋸で太めの枝を切り出してピッケルの代わりにしていた。

非冬勢は雪渓歩きに不慣れなので西山さんを一番後ろにしたところ、自然に中継根岸さん、本隊誘導田嶋さんになったが、中継は本隊より少ししか前に出ていなかったので実質中継がいなくなっただけのような感じだった。少し先に進むと次第に雪渓の角度が深くなったので安心した。経験がない1・2年会も雪渓登りは悪くなかった。トップの西村は雪渓を前足と後足まとめて踏み抜いて下の沢に1mほど落ちてびしょ濡れになったとのこと。ご苦労様です。どうやら今回の残雪は雪渓が完全に溶けかけだったとのことであるTWV2019より少し多いくらいだろう。しばらくすると雪渓に覆われていないところが次第に増加して沢が露出しているところに水が流れるようになり、水量が多くなってたるめそうなところでたるみと同時に水汲み。ここで満発(1人4.5L+上級生は共ポリ1発)になった。3年会のバケツリレーで水汲みしたが、汲む数が多くて時間がかかった。その間に浦中さんが先を偵察していた。直登の薮は濃くて沢の先にはまだ雪渓区間があるという偵察結果を受けて引き続き幻沢を上る。6ピッチ目はトップ根岸さん・西村・原、中継西田、本隊誘導田嶋さん。しばらく上ると雪渓が途絶えたので軽アイゼンを取り外す。ここも時間がかかった。そこからはしばらく普通に沢を上るが、沢が露出しているところでは所々靴が浸水しない足場が少なくて少し苦戦する。しばらくするともう1回短い雪渓が先端が少し二手に分かれるような感じで出たが、その先は雪渓の右側の終端から幻湿原までラッセルで笹薮を直登した。トップは3年会とOB3年会で回すように任せた。ここのラッセルは傾斜がそこまできつくなく、速度はあまり悪くなかった。幻湿原は南端で少し草が露出しているくらいで大半が広々とした雪原で、晴れていたので気持ちよかった。

湿原を見たい人は薮が濃くなるのは仕方ないが月末に来るのが無難であろう。OBは雪合戦していた。ここでは結構な数の差し入れがあった。西田は何とサイダー4Lを歩荷してみんなに差し入れた。幻湿原を出発しようとして台地の端まで進んだところで塩野が薮眼鏡忘れに気づいて浦中さんと空身で取りに戻る。この先の幻湿原から1809Pまでの笹壁の急登が鬼門であった。トップは引き続き3年会とOB3年会に任せ、方針は少しだけ上まで続く残雪の終端まで登った後、薮に入ってからは極力灌木を避けてなるべく笹薮を進み、灌木地帯に当たったらなるべく傾斜が緩そうな右に巻くというもので、sLが方針を聞いてトップに確認したときは威守松尾根ルートになるとのことだったが、ルートは結果的に1809P南側のコル(の厳密には少し1809P寄りにある草原)までの直線に近く、どちらかというとルートF寄りの感じになった。その場では聞いていなくて、またsLはきつくて方角を確認する余裕がなかったので知らなかったが、あとでトップが途中で右巻きから直登に切り替えていたと判明した。これについてトップの3年会は後で切り替えた時点で1回下りるべきだったと言っていた。笹の太さは直径1cmなくてそこまで太くなかったが、濃くて足元は滑りやすい笹ばかりで、傾斜がかなり急で土が露出する部分も滑りやすく、また上の方の笹をつかむ両手でかなり自重を支えるため特に腕力や握力が足りない人は辛い体勢となりかなりきつく、隊は下級生を中心にかなり遅くなり、時折滑って1、2m程落ちる人がいる。しばらく進むと傾斜が特に急なところでのトラバースでまず田嶋さんが、そして田嶋さんの横で塩野がそれぞれ滑って何回も登ろうとしてはまた滑り、自力で進めなくなった。余力がある浦中さんと西田が救援に向かったが水を抜いても2人は進めなかったので、それ以外の人たちは先に進んで後ろで(人員構成上薮区間で分離隊を結成できなかったので他の人たちと声が届く範囲で)浦中さんと西田が小刻みに1.5往復して自分たちのザックと2人のザックを運び、2人を空身で登らせることになった。少ししてから西山さんも救援に加わった。それ以外の人たちはしばらく進んだところで傾斜が緩いところがあったのでそこでたるみ、後ろの人たちの到着を待つ。この間に西村と原がトップとして他の人たちより先に登ることにして行かせた。本隊は後ろの人たちが全員追いついてしばらく休むのを待ってから出発した。西村と原が抜けたので本隊のラッセルトップは根岸さんと浦中さんの2人で回す。ここからは田嶋さんと塩野もザックを背負ったが、2人には西山さんと西田をつけて一番後ろにして、本隊から遅れたら後ろで4人で登るようにした。4人は一旦本隊から遅れたがしばらくして本隊が止まっていたところで追いついた。威守松尾根の根本に入って笹が胸丈辺りまで低くなり、斜面が緩くなったところで西村が待っていてそこで1回たるむ。原は偵察行っており、本隊はたるんだのちにもう少し先に進んで原と合流して1809P南コルの少し北よりの坂田池の西側で泊まることにした。稜線は広くて1809Pにかけて草原になっており気持ちいい。坂田池も風情があって美しい。サイトマスターは池田。疲弊している人もいることからORをどうするか考えたが、浦中さんが空身で行きたい人だけなら問題なく柄沢山は中々行く機会がないと勧めてきたので、休みたい田嶋さん・塩野・島の3人をデポして6テンを先に立てて中に入ってもらい、残りの12人でORに行った。Wの池田は携帯で天気図を録音するように設定していた。基本的に東側の方が灌木が少なくて薄く、笹は腰から胸丈くらいで濃くはない。道迷いの心配はないので2年会にトップを任せて1列で進む。空身なのになぜか往復とも時間がかかる。1809P南コルにいたときは晴れていたのに柄沢山に向かう途中で曇ってしまった。柄沢山の山頂は平らで、三角点は見つけられなかった。ガスで視界がなくて残念。差し入れを食べ、記念撮影してテン場にもどるが、しばらくするとガスが抜けていた。途中、川辺が稜線の反対側の方で手を振っている人を見たと言って停まるが、他の人たちが見ても見えなくてこれは幽霊ではないかという話になった。sLはこんな山奥に幽霊が出ることがあるかと言ったところ、西村は冬山で来る人はいるから滑落死した人が手を振って助けを求めている様子かもしれないと言った。その後川辺はこれを言ったことについて申し訳なさそうな様子で、あれはただ木が揺れていただけかもしれないと言う。テン場に戻るとすぐにテントを立てて中サイト。テントは7テン2つがOBテンと3年テン、45テンのうち1つが女子テン、もう1つの45テンと6テンが1年・2年男子共用になった。


料理はポトフで、sLは玉葱を中で切りかけたところ目が辛くて行動不能になったので外に逃げて切ることになり少し苦労したが、完成して食べてみるとあっさりした塩味がよかった。Fの春木が用意したふりかけのおかげでご飯もいつもよりおいしかった。3年テンは茶飯担当だったが、sL茶飯を作るときにキジ打ちのために外に出て、そのまま他のテントへの運搬係になったため他の3年に茶飯つくりを任せていたが、分配が終わった瞬間に砂糖の入れ忘れが発覚し、結局2つの45テンの人たちは後から砂糖を入れ、砂糖がないわけではないがなくても平気ということで3年会は自主的に砂糖なしになった。これだけでは終わらずに、sLがテントに戻ると何と自分の茶飯がなかった。他の3年会に聞いたところ数の確認を忘れていたとのこと。しかしこれはブキをわかりやすいところに出さずに端の方に置いたままであったsLにも非があるので、仕方なくsLは茶飯なしになった。宴会の開催は各テントの自由にしたが、やったのはOBテン(6テンの下級生も参加)のみで、他の人たちは差し入れを他のテントの人たちにも配る形になった。就寝は20時過ぎ。 


2021年6月13日(日曜日) 晴一時雨

(1809P南コル附近)4:37~1809P 4:40~(5:44たるみ6:03)~(7:09たるみ7:27)~8:36(1340ベロ)9:09~10:02(1310ピョコ)10:27~12:37威守松山13:02~(この間に本郷車に乗る7人を分離して先に進ませる)~(14:03たるみ14:09)~(北に下りる道の分岐)14:17~(威守松山登山口)14:43(~(巻機山荘に用がある人のみ)~14:46巻機山荘)

起床は3・4半で睡眠時間は7時間程しか取れなかった。起床係後藤の声が小さい。朝はトマトペンネで、短時間で簡単に作りやすいので便利。肉が少ない気がすると思いながら食べ終わり、片付け始めたところでテントの端の方から未開封のスライスベーコン3袋が出てきた。サイマスゴミは缶が潰されていなくて無関係のゴミが混入していたため体積が大きく池田がザックに入れるのが大変だったので、それを頑張って持っていただく報酬と考えて池田にあげた。景色がよかったので4時の撤収後に時間が余った何人かは散歩していた。1年の共装回収漏れが何個かあった。みんな戻ったところで体操、掛け声は島。2日目は薮初回者なのにいきなりで申し訳ないが2年会もトップ・中継・本隊誘導をやっていただく。最初のピッチはトップ西田・塩野(補佐原)・島(補佐西山さん)、中継西村、本隊誘導春木(補佐根岸さん)。因みに最初は前日不調で本隊にしかいなかった田嶋さんをトップに出そうとしたが行けないとのことで、その後のピッチではトップ補佐や中継補佐を打診したこともあったがいずれも固辞されたため田嶋さんはsLとCL浦中さん以外のN権者以上で唯一2日間通して本隊にしかいなかった。威守松尾根は最初少し不明瞭で意外とRFが必要なので一旦1809Pに登ってから下りることにした。トップが270度で切って進むと程なくして正解尾根を見つける。薮は標高を下げるにつれて高さ・灌木の割合ともに高くなる。2ピッチ目はトップ西田・西村・池田(補佐根岸さん)、中継原、本隊誘導島(補佐田嶋さん)。このピッチで池田がマップケースを落としてしまう。とりあえずは補佐の根岸さんが見せてその次のピッチからは浦中さんが貸した。薮は引き続き高くなり1600あたりで視界が利かなくなった。2日目でRFが最も重要な3ピッチ目はトップ原・西村・春木(補佐西山さん)、中継西田、本隊誘導塩野(補佐根岸さん)。尾根が不明瞭になったところで散開し、中央の西村が290度で切って直進する。左の原が早い段階で落ちたが間違い尾根を探すためにそのままトラバースし、1480辺りから尾根が3つに分かれるところでは左の原と右の春木2人ともに間違い尾根を発見した(それぞれ260度と310度)。春木は間違い尾根を探している間に本隊に追いつかれてしまい頑張って前に戻っていった。その後は中継西田があちこち動いていたみたいで本隊誘導とトップ・中継の連絡がうまくいかない。1380辺りから左側に伸びる間違い尾根は見つからないうちに西山さんと西村が前方に1340ベロを見つけたため、本隊は二重稜線もあまり気にせずにひたすら角度を切って進み1340ベロでたるみにした。ここまでは尾根が不明瞭で間違い尾根が多く地図読みが利かないという点ではRF難所であるが、切るべき角度はずっと変わらないためトップが植生に流されずにしっかり直進できれば大した難所ではないだろう。1340ベロからは大したRFがないので2年会全員にトップ・中継・本隊誘導のいずれかをやってもらう。今回の山行では全体的に方針会議の時間が長くてたるみがかなり長かったが、ここでは2年会が不慣れなこともあり、写真撮影などもないのにたるみが33分になってしまった。4ピッチ目はトップ池田(補佐西田)・塩野(補佐原)・春木(補佐西村)、中継島(補佐根岸さん)、本隊誘導西山さん。不慣れな2年会は進むのが遅く、出発直後はトップ・中継ともに本隊から近すぎて本体とトップで直接やり取りができてしまう。さほど経たないうちにトップが全員右に落ちてしまう。春木はすぐに復帰して池田は本隊が通過しているところに復帰したが、塩野はかなり右に落ちてしかも補佐の原が置いて行ってしまい、自力で稜線に戻るのが難しそうだったので浦中さんが救援に向かった。原には塩野と浦中さんを待ってもらった。池田は復帰後も薮を漕ぐ速さが上がらずにしばらく本隊を抜けなかった。1340ベロと1310ピョコの間のコルの辺りから威守松山まで所々に踏み跡があって途中に十字が彫られた標石が何個か設置されていたが、灌木が踏み跡の上を覆っているところが多く隊の速さはあまり上がらない。かなり遅れていた塩野はコルを過ぎる辺りでやっと本隊を抜いた。1310ピョコでたるみにして次のピッチで威守松山に抜けることにする。薮最後の5ピッチ目はトップ西山さん・塩野(補佐西村)・島(補佐原)、中継春木(補佐西田)、本隊誘導池田(補佐田嶋さん)。このピッチでは2年会中心のトップ・中継それぞれしっかり後方との距離が空けることができた。稜線の右側が切れているところがあり、そこでは本隊は左寄りを進む。11時過ぎに大粒の雨が降り出し、最後が雨薮になってしまう。前のピッチから本隊が遅くなってきていたが、どうやら田嶋さんが遅い模様。本隊誘導池田が不慣れで何回か尾根を外すのもあった。結果的に130分ピッチになったうえ威守松山ではトップを23分待たせてしまった。雨は1時間ほどでやんだがしばらくガスで視界がない。威守松山で薮抜けして薮装解除。原のマップケースが破損していた。写真撮影してトップ塩野で登山道を下りるが、急な下りが断続的に続く。急斜面の道は滑りやすく、所々にロープがあるが先ほどとは一変して登山道わきの薮が薄いので掴むところも多くないので普通に歩きにくい。田嶋さんは急坂では尻をつく体勢になりかなり遅い。田嶋さんの荷物を少し抜いても状況は改善されなかったのと、レンタカーの返却時間が危ういので、片方の車に乗る人で分離隊を結成して先に下山させることにした。田嶋さんは練馬高野台駅下車のため後に残るのは駒場車になるが、往路で本郷車に乗っていたsLは本隊に残るため復路はsLと池田を交換することにして、威守松山出発から約50分後に本郷車に乗る7人を分離した。分離隊の臨時Lは原に任せた。ここから西山さんが田嶋さんのザックを持って田嶋さんを空身にしていた。駒場車に乗る残りの8人は引き続きゆっくり下りる。次のたるみはOBの要請を受けて早めに切り上げる。次のピッチのトップは春木。分岐から先は地形図に載っていない道だが、地形図に載っている直進側の道よりも明瞭である。ここから先の急坂は九十九折れが多いので尾根上の急坂よりは歩きやすい。平地に下りると樹林帯から出て地形図では水田となっている平坦な耕作放棄地を進むが、この時は完全に晴れていて暑かった。飲用沢を細い丸太が4本並べられた橋で渡ると登山口に出る。車は威守松山の登山口に置いてあったので巻機山荘に用がない人はそこに留まり、巻機山荘に用がある人たちは走って巻機山荘に向かう。浦中さんが2階を確認して1年会が荷物を取って用を済ませるのを待って鍵をかけ、車に戻って荷物を整理してすぐに出発。小屋に泊まったOBから現役への差し入れのお菓子があったので、後で車内で美味しくいただいた。なお数的に本郷車は1個も持って行かなかった模様。雲天に寄って鍵を返却し、金城の里で入浴した。田嶋さんは下山後も歩くのが遅いが、怪我ではなくただの筋肉痛とのこと。レンタカーを間に合わせるために反省会はLINEのノートにコメントを投稿し、打ち上げはなしで食事は三芳PAのファミリーマートで購入して車内で食べる形になって急いで東京に戻り、最終的には閉店8分前にレンタカー屋に着いた。


まとめ

様々な地形や薮があったので下級生にとっても、RF難所があったので上級生にとっても良い練習になった。一部想定以上にきついところがあり不調者も出て疲弊したが、この時期にしては天候が恵まれた中で完遂できてよかった。

3 件のコメント:

  1. 巻機山荘では2階を私達にゆずっていただき、大変お世話になりました。結局私達は10名ではなく、直前に8名になりましたので、きちんと伝えていれば1年会の3人が全員巻機山荘1階に泊まれたのではないかと感じ、申し訳なく思っております。田中清文(TWV 1980年卒)

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  2. ちなみにささいなことですが、上記の日付の6月12日(金)は6月11日(金)の、6月13日(土)は6月12日(土)の間違いかと思います。田中清文(TWV 1980年卒)

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  3. 田中様
    確かに本文の日付が誤っていましたので修正いたしました。ご指摘ありがとうございました。

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