新人錬成 金峯瑞牆

新人錬成金峰瑞牆FB
メンバー:3年会cL高橋、島田、2年会sL今本、HW佐久間、E曽根田、F豊島、1年会浦中、黒瀬、橋口、森合


526()
駒場=小淵沢駅=毛木平▲0

 小淵沢駅には22:35に到着した。先に出発していた高橋さんと橋口、そして授業が伸びたため遅れて特急アプローチをした豊島を除いたメンツは電車内で合流していた。駅改札前で荷物点検や体調を確認した後コースの最終決定をした。本ルートは小規模ながら渡渉する箇所がいくつかあり、簡素な丸太橋で川を渡る場面も出てくる。大雨時は増水によるここらの危険を考えてER入山他も視野に入れていた。だが、昨日からの雨は未だ降りしきり明朝までの尾を引くも、何にしろ小雨程度のままだろうという佐久間の判断から三年会、sLで話し合い、ひとまず本ルートを取り、渡渉が困難とわかった時点で引き返し毛木平から林道、バスを繋ぎER1で再入山することを決めた。橋口はエキチェ時にベニヤと地図一式を忘れたとの報告があったので、この場で予備地図を渡した。ベニヤはまな板で代用するらしい。予約していた通り22:50にタクシーに乗り一路毛木平を目指す。道中コンビニに寄らせてもらったためsLは唐揚げ棒を購入した。その後1時間ほど閑散とした夜道を走る。延々と伸びる山道の揺れに酔いを覚えた隊員は少なくなかった。毛木平が近くにつれ、電波が強まり弱まり振動しながら減衰し、一部の会社(au,docomo)では圏外となった。ただsoftbankは到着後も4本立ちが持続できたため末端としての役目は十分に果たしているだろう。
 ようやく毛木平に到着し目に入ったのは、車灯に照らされる東屋とその中央に張られた大きな黄テントだった。外は小雨ながらも潸々と降りつもり小屋一体を濡らしている。オカンする余地はない。先客に申し訳無さを感じつつも、僅に空いたスペースを縫い仕方なくテントを取り囲むようにギンマを敷き陣を張った。出来る限り迷惑にならないように頭灯や声に注意しながら、トイレ小屋にて水を汲み各々明日への支度を整えた。日を跨いで半時も経つ頃、訥々と流れる樋より雨音を枕にシュラフへ潜った。


527() 曇
4:36毛木平▲0-(たるみ10×2)-7:05ナメ滝-(たるみ15,10)-9:05水源地標-(たるみ10)-9:44甲武信西分岐9:46-9:57甲武信ヶ岳10:05-10:15甲武信西分岐10:22-(たるみ10)-11:35富士見-(たるみ19)-12:42両門ノ頭-(たるみ10)-13:42東梓-(たるみ11,10×2,小休止7)-17:44国師ヶ岳17:50-17:58分岐-18:20大弛峠▲1

 明る朝、各員4時頃に起き出支度を進めていると不意にテントの中からうるさいぞと声がかかる。謝り直ぐに声のトーンを落としたものの、暫くすれば今度はテントの中から大きな話し声が筒抜に漏れてきた。モヤモヤしたものを感じつつも、その後特に問題も無く体操を終え毛木平を後にした。いつしか雨足は弱まり空は霧雨然として辺りを包んでいる。単調で面白みのない登山道をひた歩く。開始ピッチのトップを飾る佐久間は朝らしく飛ばす事なく隊の歩を抑えてくれていた。直に天候は好転し春霞の合間合間より薄青が覗き始める。この山行も今日明日ともに晴天が続く予報である。
 2p目も終わろうとする頃、橋口とトップ曽根田の間が度々開くようになる。列後尾から見える光景は酷く断片的で判断がつきにくく、速度には特に問題ないように思える上、道も歩き易くは無かったため、ただ難所を越えるのに時間差が生じているのだろうか、と独り早合点していた。だが、次のたるみで曽根田から橋口が消耗しかかっていると聞いた。これからの長丁場を考え、体力の温存を図る為、ひとまず橋口くんのシュラフを島田さんへ移した。たるみ中に話す限りで新人の森合も含めてまだそれほど疲労した様子は見られなかったので、取りあえずこれで様子を見る。ナメ滝までは千曲川こそ渡らないものの零細な渡渉地点が幾たびもある。ナメ滝はピンの地点に至るまで何度かこれかも、と思われる小滝が見られたが、結局本物は平板岩を水が這うように流れる、一目でそれとわかる判然な代物であった。滝脇の山道沿いには立て看板も確認できる。今までも道が狭く元々二人分ほどの幅が確保できなかったが、水源地標までは取り分けすれ違い、追い抜きが多くサクサクと進むことが難しかった。殊、東屋に黄テントを張った初老の3人組のグループとは、歩く速度はほぼ同一ながらたるみのタイミングが絶妙にズレていたせいで、最後甲武信ヶ岳帰りに遭遇するまで優に4、5回は擦れ違ったようだ。
 水源地標を通過した時点で既に僅ながら体感的にも多少ペースが落ちて行ってるように思われた。ナメ滝直後に橋口のE装を曽根田、下界装を佐久間に振り分け軽量化を計ったものの、この頃には橋口の消耗も顕になっている。体力が減少していくにつれ加速度的に隊の速度は落ちて行くので、この時点で以降の本ルート各地点のリミットを1.2倍余裕0分で計算した。結局これは守られたが、後から思えばリスクを回避するためにさらに辛めにリミットを設定するべきだっただろう。元々の計画から1日あたりのピッチ数が長めであるため、全行程が1.1倍、1.2倍となるとその分到着の遅れも大きくなる。Maxの富士見を超えた後速度が落ちてしまえば進退ともに困難となり日没以前に小屋に着くのさえ危殆に瀕するため、橋口には申し訳ないが甲武信西分岐では長たるみを取って自身の体力の回復を優先してもらい、その間に希望者でOR1の甲武信ヶ岳をピストンで討つことにした。橋口と残るデポ組には既に去年討ったからという理由で、高橋さん、曽根田の両人が立候補してくれた。甲武信ヶ岳までの道は残雪が溶け土と混ざり酷く滑りやすい。歩きながら次第に雲の晴れ間が膨れて行き頂での眺望の良さを思わせた。ほぼ小走りで到着した山頂では果たして頭上、天頂こそひとひらの雲さえないものの、分厚い雲が周囲をドーナツ状に取り囲んでいるため見晴らしは満足できたものとはならなかった。去年と同じくまた状況的イモピークに終わってしまった。それでも、稀に雲間より見える遠景の山々は緑青色濃く涼けさを誘う。なんとか流動する雲の薄くなった瞬間を狙い写真を撮って分岐へと戻った。デポ組みと合流して一行は先へ進む。
 富士見のピンは富士どころか周囲の山々さえ見せる気の無い地点に刺さっており、少し移動した場所でようやく木々の合間から見えん事はないと言う程度である。この辺りからsLは極度の頭痛と眠気に襲われ始めた。10分もすれば直立を持続する事すらままならないぐらい朦朧となり、とても進行できる状況では無かったため、富士見と両門ノ頭の丁度真ん中手前ほどに一箇所だけ眺望の良い岩場があったので、そこで昼寝兼長たるみとした。そうして眠気は消え、頭痛も佐久間から貰った解熱鎮痛剤で治まったため先へ進む。これ以降、国師ヶ岳少し手前までは殊更に景色が単調で、区間も長いだけ飽きる事は必至だった。それと対照的に、周りから入る情報が減少の一途を辿るのに反比例して曽根田や佐久間のボルテージは上がっていった。はじめ根岸ニキというワードで一頻り盛り上りを見せた後、甲武信ニキ、国師ニキと訳わからない単語へ派生しては楽しんでいた。一年会や三年会も加わり、国師ニキは俗称で正式名称は国師ヶニキとかいうよくわからないツッコミをしたりしてこの辛く面白みのない区間を乗り切っていた。東梓~国師ヶニキ間中腹の時点で16:00までにテン場に着く事はほぼ不可能だろうという見込みであり、天図たるみか天図デポは避けられない様子だったが、豊島、佐久間のスマホに同時に電波が入ることでその必要は無くなった。豊島は斜面の方が電波は入りやすいことの説明を展開していたが、煩雑なため同意が得られず、結局とにかく入りやすいという結論で風呂敷を畳んでいた。
 時既に15時を回り、傾いた陽は山陰に暮れて晴空青々なるも暖ならず、気温の下降に重なるように次第に残雪が山道に目立つようになる。初めは山道脇に控えめに固まっていたそれが、じきに路の端に、中心に移り変わり、厚さを増してゆく。木曜日に各小屋に電話で聞いた限りではどこも国師山頂直下に残雪あるも、アイゼンは不要で歩行に支障はないとの答えだったため、これを恃みに道を進む。しかしその期待を裏切るように雪は路一面を覆い出し雪渓と呼ぶ他無くなった。深さは膝程もあり山道非山道の区別さえ判然としない場面も度々現れる。RFのためトップの曽根田に加え豊島を前に出す事で対応する。雪は後列なら踏み跡が固められ、それをなぞる事で踏み抜きを抑えながら体力は温存できるものの、前列でそれは通用しない。山道脇の藪は雪量が少なく手掛りも多かったため、曽根田、豊島は橋口を藪に雪にその都度楽な側へ通す事で対応していた。藪は区間を通して濃くないものの漕ぐことは避けられなかった。橋口を後ろへ下げてしまう事も考えたが、トップ二人体制で一人を補助できる体制は崩さない方が良い思われたので、実行には移さなかった。普段なら直登を避ける事で斜角を抑えている山道だったのだろうが、雪が半ば薄氷と化したこの道では平行移動に近いそれすらも難しく、出張った岩を足がかりにしてかなり急な角度での進み方をする他なかった。ピンとしては東梓から国師まで一区間で纏められているものの、雪渓が出始めてからの進行速度は格段に低下した。体感的にはおそらく読み1.71.8倍でも可笑しくないだろうと思う。雪に足を取られて体力の消耗が早まり、橋口も既に限界に近付きつつあったため、小休止を取りその間橋口のサンダルを曽根田、コーゲキ、ナイフ等小物を豊島に移してわずかにでも軽量化をはかる。雪渓が現れるまでは、17時までに千丈分岐に到着すればOR2を討つと決めていたし、総員その流れで合ったと思う。それも決して時間的に不可能は無かったが、殊ここに至ってはORを切るのは前提の上、日没までの小屋入りすら危踏まれる事態に追い込まれていた。他の隊員も確然と疲労を蓄積し既に13pを超えんとする中、漸く国師の肩に乗り、そして漸く国師ヶ岳山頂に到着したのは1744分の事だった。
 去年北半分180°の視界を欲しいままにできた同地は厚い雲に覆われて眺望無く、拓けた頭上は半ば落ち掛けの仄暗い日が雲越しの空をより深い群青へと変えつつあるのがまざまざと見て取れた。国師の先は下りの読み40分、日没までは1時間も猶予無く、これまでのペースでは確実に到着しない。小屋に聞く限りでは西から国師ピストンした登山客も先と同様の事を口にしていたらしいので、この下りも恐らく登山道は雪で覆われているだろうと思われた。勾配は登りより全体的に穏やかであるも、雪道の下りと成れば楽観視は出来ない。ただ、山頂でのたるみ中橋口に聞く限りは体力の限界で登りはペースが落ちるものの、下りに使う筋肉はそれほど疲労を感じないと言う。今まで記録も確かに下り道で速度は読み1倍を超えておらずそれの裏付けとなっている。雲が出ている分日没まででも夕闇は体感以上に急速に降りてくるだろうと思われたため、全員が水、携帯食を摂り息が整った時点で出発した。結局雪はこれまで通りあるものの、斜角が緩やかである事、また登山道が元々道脇よりかなり落ち窪んでいたため藪は冠雪しておらず、其れを通過する事で雪は大きな減速要因にならずに済んだ。分岐までで読み0.8倍、既に雪も消えかけるに至って漸く安堵感を得た。大弛峠までの道半分は延々と階段が続いた。これまでの心配を余所に階段が雪で埋まっているようなことはなく、久方ぶりの快速の中読み0.7倍で小屋へと行き着いた。
 小屋では大柄闊達なおじさんが受付で幕営の手続きを進めてくれた。その後夜の帳降るテン場でヘッデンの灯りを頼りにテントを建てた。幸い幕営客は他に一人しか居らず、テントを張り連絡を取り合うのに支障は出無かった。若天でサイトを進める楽しそうな声(主に曽根田の)が響いてくる傍、爺天では佐久間が貸して呉れた闇ヘット、闇缶を囲んで暖をとりながらsLと3年会で明日の方針を話し合っていた。計画時点でER2を使う可能性は元から考えず、全員で本ルートを進む、一部本ルート一部下山、全員下山の三択があった。これまでのピッチ数と読みの対応を照らし合わせる限り、全員で本ルートを進む場合下りは基本1.1倍で限界上はすれ違いのため1.2倍と見込まれたが、登り(大弛峠~金峰山)に付いては小屋情報では金峰東側も国師ヶ岳直前と同じくらい雪が積もっている事、また一晩で体力が回復したとしても2,3p以降は今日後半のタイムとなりえると言う事で1.61.7倍ほどで計算し、瑞牆を切れば終バスには間に合うだろうという結論に至った。下山するにしても大弛峠は冬季封鎖が解けるのは6月からで、タクシーに乗って最寄り塩山に至るには3時間ほど車道を歩かねばならない。末端とはいえ、その行程からもし1年会分離下山者が居れば2年会以上を二人付ける事にした。その後、一人づつ一年会を呼び出し、明日のルート説明や隊の迷惑は考えなくて良いと説明した後、各自進むか帰るかを決定してもらった。
 しかして橋口、森合が分離下山、浦中、黒瀬が本ルート行きとなった。その後サイトを終え、若天に集まり爺天で決めた方針を伝え、2,3年会の下山組を決めた。sLcLを除外した場合に皆金峰瑞牆を討つ気合いは有ったが、結局3年会という事で島田さん、本隊にsL/L権者は多い方が良いと言う事と若干体調を崩してしまったという事で豊島の両人がそれに当たってくれた。その後有志を募り爺天で宴会する予定だったが、時既に21時も半を周り明日3時起きを考えると誰しも気力が萎えてしまったためそのまま就寝した。ただ後で聞く限り黒瀬はやる気だったらしい。外は凍えるほどに冷たくなりテントさえ出るのが憚られる状態だったが、何を思ってか佐久間は極寒の中にオカンを敢行していた。暖を取っていた闇缶も片付け、急速に冷え込むテント内でシュラフに包まる。ただただ、長い、途方もなく長い一日だったという思いが頭の中に渦巻いたまま眠りに落ちた。


528() 晴れ
4:37大弛峠▲1-5:01朝日峠-5:29朝日岳5:39-6:28金峰山7:05-(小休憩2)-7:30金峰西分岐-(たるみ10)-8:29大日岩-8:56大日小屋9:11-9:20鷹見岩分岐-9:33鷹見岩9:42-9:49鷹見岩分岐9:51-10:16富士見平小屋10:54-11:11天鳥川-(たるみ10)-12:19瑞牆山12:38-13:25天鳥川13:30-13:50富士見平小屋14:17-14:41瑞牆山荘

 sLが目覚めると既に起床時刻の3時を15分ほど過ぎていた。昨晩と同じく朝サイトの声を漏れ聞ながらモソモソと動きカス缶で火を炊き暖をとる。食事が出来るまでシュラフを片付ける他する事も無く、三人並んで火の前でぼんやりとしている。分配も終わり佐久間が爺天内に入って来たが、声に覇気は無く昨日から更ににやつれて見えた。分離下山を考えているとまで言い切るところを見るに昨晩の寒さで体力が殆ど回復していない様だ。それでも食事を摂り終える頃には徐々にテンションが平生のそれに戻って行き、本ルートを踏破する事を決めたらしい。
 本隊と分離下山組は同時に出発した。金峰山までの道は行程の半分ほどは尾根上を行かずピークを巻く様に進む。国師ヶ岳手前と大きく違うのは、道山側に雪が積もり谷側へと流れて溶け凍り、道の半分近くが氷に覆われているところだろうか。雪の質も一晩を経てより硬く滑りやすく変化したため歩きづらさは若干増した気がする。ただ、傾斜では格段にこちらの方が楽であるためそれほどの労苦は感じなかった。金峰山頂直下では全面が雪に覆われていたが、程なくして全て同色の岩に取って代わられ、以降のルートで雪は見受けられなかった。山頂は絶景と形容できる位相変わらず満足度の高い光景が広がっている。空には雲一つ見られず積み上げられた白岩が遺憾無くその色彩を放っていた。山頂は四方を雲海に囲われ晴天の下に孤立している。下界の見晴らしはさして望めないものの、他では味わうことのできない独特な旅情を感じさせた。尾根道だけは雲に隠れることなくまっすぐと大日岩まで繋がっており、少し間を置いた向こうに瑞牆の奇岩が聳え立っている。去年と同じ場所で記念写真を撮り、各人持参した差し入れを出し合い、長たるみの後出発した。時刻にして7:00。このまま行けばOR3OR4を経由して15:20、あわよくば14:20瑞牆山荘のバスに乗れそうである。去年は金峰からの稜線歩き中スレ違いに大きく時間を取られていたため、まだ登山客の少ない時間に下り切ることも合わせて目標を読み0.70.8倍として出発した。
 稜線歩きも半ばを過ぎた頃から団体の登山客が見え始めスレ違いが急増した。約20人連れの去年よりはマシであるものの断続的にくる登山客の為数分間一歩だに動けなかったこともあった。待ち時間の無駄を減らす為、1年会を2,3年会の間に挟み3人組2つ分として独立に移動することが曽根田の提案で出されたが、二組の距離が開いてしまう事を高橋さんに指摘され結局61組のまま移動することとなった。幸いにも去年にくらべ道を譲ってくれる登山客の方が多く快速で限界上の稜線を下る。そのまま大日岩を通過し大日小屋前の広場でたるみをとった。大日小屋付近は鎖場が多く、すれ違いにかなり時間を取られてもおかしくはなかったが、ちょうど登山客が登り下り共に空いていた頃合いもあって楽に通過できた。時間的にも問題はなかった為、去年は行かずじまいとなってしまった鷹見岩へ進路を切った。
 鷹見岩までの道中は両側から藪が大きく道へせり出しており、あたかもトンネルを抜けている様な心持ちがした。傾斜角は想像以上、隊の進行が速かったのもあるが、わずか10分にして疲れを感じる往路であった。鷹見岩には鎖を伝って登る。鎖を登り切った瞬間、これまで鬱屈としていた視界は一挙に開ける。主観として瑞牆以上に景勝優れた大眺望がそこにはあった。巨岩直下から遥か向こうまで綿々と敷き詰められる山域、視線を上げるに連れ横一帯の景色が青く霞みがかり、目通りの高さでは一切紺中に没す。寸分おかずに現れる、間隙なく一列に引かれた白雲が濃青をリセットし、その上には冠雪した北アの山嶺が背景の様に据えられる。好天の中でそれを一挙に楽しめただけで今までの労苦が報われる気がする。写真を撮った後、風通しの良い巨岩の上で図らずも長たるみをしてしまった。このたるみ中佐久間は頭、心臓に痛みを訴え始め、瑞牆ピストンを遠慮すると言う。外から見ても体調は頗る不良に見える為、佐久間のデポは確定として鷹見岩からの復路で不調者デポにつける人員を相談した。一年会二人は共に瑞牆を討つ気力は十分にある為、デポ要因はそれ以外の3人の中から1人選ぶ。ORのピストンにはCLが付いて行かなければならないと言うことでsL、曽根田の2択となり、L共装の扱いやOR中の行動記録をつける為から一旦曽根田がデポ要員と成った。その後、CLORに行くのは慣例であること、甲武信ヶ岳ピストンの時点で既に従っていないことが挙がり、また曽根田の瑞牆への志向も強く体力も十分に残っていた為、結局高橋さんにデポをお願いすることとなった。往復読み0.80.9倍ぐらいで帰って来れば楽にバスに乗れると言うことで二年会、一年会二人ずつで富士見平小屋を後にし最後のORへと進んだ。
 天鳥川への下りは泥が岩にこびり付き、迂闊に踏もうとすると簡単に足を滑らせた。曽根田のスピード管理もあり瑞牆への登りは安定して好調なペースを維持していた。追い抜き、すれ違いで足を止めることが想像されたので、それを補う程度に少し辛いぐらいの速さで進み、すれ違いの度に短時間の休みを挟む方針で向かったが、思った以上に他の登山客の方は道を譲って呉れ小休憩の代わりとなる場面はそう訪れはしなかった。瑞牆山頂へ到着し長たるみする。頂上岩場に登ると目線にしてわずか下に見える奇岩は相変わらず妙なインパクトがある。一年会も満足してくれた様で来て良かったと思う。瑞牆から今まで歩いた稜線を振り返り金峰山までを一望する。そうして振り返るとあの奇岩の上にいつの間にやら人が攀じ登っていた。混雑する山頂標識付近で何とか写真を撮り撤収する。気がつけば奇岩の上は二人に増えていた。登りを優先する山でのマナーのおかげで瑞牆往路は譲られることが多かったのだろうと思っていたが下りも負けず劣らず道を譲られることが多かった。曽根田はスピードを出して降ってれば誰だって自然と避けてしまうからだろうと予想していた。登りと違い下りはルートが見通せない為、下り道の選択肢がいくつもある瑞牆復路では、RFなしで進路を決めると一歩毎の落差が大きい外れ道に当たる事もあった。今回は二年会が2人と言う事もありRFは行えなかったので、曽根田がまず進んでみて下から見てより良いルートを発見したらそっち側に一年会を通す、という流れで進んだ、がやはりもう一人くらいは欲しいところだろう。
 富士見平小屋に到着すると高橋さん、佐久間は木陰で横になっていた。佐久間はしばらく寝た事もあって体調は大分回復した様だった。サブ装を解除し少し長めにたるみを取った後帰りしに益富ラジウム温泉に寄る話が上がった。既に15:20のバスは確実に乗れるので、そのバスで途中下車しその一時間後のバスで韮崎へ向かうと決まった。高橋さんの記憶では小屋の中に温泉の割引券が置かれているらしかったが、確認してみるとサービスは終了してしまっていたらしい。その後佐久間をトップにして最後のピッチを行く。スピードは体感的に対して出ている気はしなかったが、結局0.6倍で到着してしまった。直前のバスが14:20発なので長たるみの時間など節約を重ねて行けば決して乗れないことはないだろう。
 バス停にて下山連絡、反省会を終え40分間バスを待つ。バスは少し早めに到着し、発車までの間温泉客向けに50円分の割引券を配っていた。隊員は同時に結局10円だけ安くなるバスの温泉での下車後再搭乗可能チケットを購入した。そのまま出発して増富温泉まで向かう。僻地ながらも思った以上にしっかりとした造りだった。源泉掛け流しだから仕方ないのだが、全体的にお湯がぬるい。欲を言えば42°Cくらいの熱めの風呂があるとなおさら嬉しかった。3,40分で入り終え、その後韮崎駅に向かい打ち上げ場所を決めた。主な選択肢はバーミヤン、ココス、くら寿司ぐらいしか無かったが一年会を介したsLの強い要望でくら寿司に決まった。結局高橋さんが奮起し1年会二人分をご馳走することになった。そうして二日間の長旅は、去年と同じ20時韮崎発の電車に乗り一路帰途に着くことで終わりを見せた。

まとめ
 今回は12日山行としてトップクラスに辛いものとなった。辛さの内訳としては移動距離の長さも当然有るが、それ以上にピッチ数が伸びたことでザックを背負っている時間が増加して体力の消耗が夥しいものとなったこと、また冠雪など山道の状態が一層それを助長させたことなどが筆頭となるだろう。その要因としては体力不足、またその一年会の体力の見積もり不足(初日1,2p目時点で最も一年会の体力を把握しているトップと情報を密に共有しておくべきだった)、またリミット計算の厳格さ(加速度的に隊の速度が落ちて行く為Maxを過ぎた後、進退共に困難な状況に陥る)、登山道状況の把握などが上がるか。ただ、登山道の状況に関しては今でも出来る限り最新の情報は入手していた様に思われる。従って、まずは上に挙げた点に加えて計画段階で余裕のある一日9,10p程度に留めて置くことが肝要だと思われる。下山後の反省点では何時もの様にサイトの手際の悪さを挙げている人が多かったが、これも日頃から気をつけて行きたい。
 この山行は参加者10人中完遂したのが6人、全てのORまで踏破したのがわずか3人と異例の事態となった。去年の例があるとは言え、以降これに準じた再現企画を出す際は以上に挙げた点に対策を講じるのは免れないだろう。


個評
一年会
浦中参加してくれてありがとう!登山経験は少ないながら体力は全然問題無かった!

黒瀬参加してくれてありがとう!体力も知識も十分だと思います!ゆるめのキャラで楽しかったです。

橋口参加してくれてありがとう!今回は特別辛い山行だったからそんな気負わずに頑張ってこ!トレやっとけば大丈夫!

森合参加してくれてありがとう!一泊以上の山は初めてらしいけど十分付いて来れてた!また山行行けるの楽しみにしてます!

二年会
佐久間…HWお疲れ様でした!曽根田と並んで積極的に他の人に話し振って行くスタイルは敬服します。隊の賑やかし役として継続して下さい。無謀なオカンは控えましょう。

曽根田…Eお疲れ様でした!おそらく発言数は隊の中でぶっちぎりトップでしょう。部中でもトップになれるよう更に賑やかしに励んで下さい。要所要所で気を遣ってくれて助かりました。

豊島…Fお疲れ様でした!今回も隊の空気を安定させてくれて助かりました。アミノバイタル美味かったです。継続して8000リツイート取れるよう高橋さん目指して頑張って下さい。

三年会
高橋…CLお疲れ様でした!今回は特に判断に迷う機会が多かったので助かりました。今回はデポお願いすることが多くてすみませんでした。またCLお願いする事になるかも知れないのでその時もよろしければお願いします。

島田参加して下さりありがとうございました!参加時点よりピッチが伸びたり実際には更にきつくなったりと色々すみませんでした。また温泉山行計画するんで来て下さい!

sL

今本今回は計画段階での初歩的なミスがあったものの、運営に関わる程の要因はもっと深い所にあった。それは今から見ても個人で気付けたことでは無いと思われるので、せめて以降の計画にそれを反映させることで教訓を生かして行きたい。


以下写真コーナー











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