3:K藤(CL)、A比奈(sFsH)
2:T中(sL)、K納(E)、S井(W)、N田(F)、M尾、M下(H)
1:I塚、K本、K谷、T仲
4/21(金)曇り
駒場=(電車)=奥多摩駅
18:40分頃に学生会館に一年生とN田以外の2年会で集合し、水汲みや地図を書き、装備チェックをしていると三つ峠の隊が19時20分頃には出発し、その後遅れて19時50分頃に駒場を出発した。電車は去年ほど混んでおらず何事もなく22:16分に奥多摩駅に到着。CLのK藤さんは30分前の電車で先に奥多摩駅に着いていた。その後N田と合流したが、A比奈さんが23:30分頃に着くと連絡があったので先に就寝。
4/22(土)曇り→晴れ
奥多摩駅6:05=(バス)=6:33峰谷橋―7:20峰谷(靴履き替え、体操)―8:30峰谷登山口(た るみ10分)―(地図読みたるみ10分)―10:25鷹ノ巣山避難小屋(たるみ10分)―11:35高丸山(たるみ10分)―12:15千本ツツジー12:40七ツ石(たるみ10分)―13:02ブナ坂―13:36奥多摩小屋跡―(たるみ10分)―14:41雲取山頂(たるみ20分)―15:18雲取山荘
5時15分起床。奥多摩駅の明かりや鳥の声で皆あまり眠れなかったようだ。奥多摩駅のコインロッカーのある当たりは明かりもなく寝やすそうだったので、今度からはそっちで寝てもいいかもしれない。6時5分発の鴨沢行きのバスに乗る。これまためちゃくちゃ混んでおり何とか乗ることができたが、後ろの人が下りるたびに通路に立っていたK納がザックとともに降りなければならなかった。6時33分に峰谷橋到着。6時40分に出発し7時20分峰谷到着。ここで靴の履き替えやザックの背負い方を教える。ここから峰谷登山口まで歩いたがかなり遠くロングピッチを切っているとすぐに気づかれてしまった。登山口からの登り道は急で、特にアスファルトに大きな跡が残るくらい大量の汗をかいていたI塚のことを心配していると、案の定I塚がバテタので荷物を抜いて少し休憩をとる。その後1300mの等高線が緩んだか所でたるみ兼地図読みを行う。M尾とK納は一発正解していたが、その後間違えてsLが標高を言ってしまうミス。ほんとに間抜けでした。鷹ノ巣山避難小屋に着くと、その直前で無視した湧水が出ていた小さいパイプが水場であったことを知った。ここで水をくむ予定だったが曇っていたこともあり水を皆飲んでいなかったのでそのまま進む。11:30頃になってようやく北のほうの空が晴れてきたので一安心。高丸山山頂ではsLがカルピスソーダを差し入れ。この頃から徐々に暖かくなってきた。次の千本ツツジまで向かうピッチではK納がトップをしていたが間違えて巻道にそれるミスをしてしまったがすぐに気づき、隊の後ろ半分は少し登山道を戻って復帰、前半分はそのまま直登して復帰した。千本ツツジに着くとsLやN田は去年もこの道を通ったなあと感傷に浸っていた。その後の七ツ石までの急登ではN田が若干バテかけていたが何とか登頂。A比奈さんからのリボンナポリンの差し入れと、気持ちのいい眺めと温かさの中で日向ぼっこをしていると、唐突にM尾が「今日ってどこまで行くんだっけ?」という問題発言。草。七ツ石で全体写真を撮った。とてもいいピークだった。ブナ坂ではS井のピン報告忘れ。ブナ坂を過ぎたピョコでA比奈さんからの地図読み。微妙なピョコだっ
たので、油断していたsLは間違えた。M下とS井は正解。M尾とN田は2回目、K納は3回目で正解。そのまま進むとトラロープで囲われた奥多摩小屋跡に到着したが、S井のピン報告忘れ。そこから少し急な登りだったが道自体はとても歩きやすく、気づいたら雲取山に到着していた。K納からコーラの差し入れ。雲取山荘までの道は少々急だったので皆明日この道を登るのを嫌がっていた。夕サイトは外サイトでハヤシライスだったがとても寒く、K納が半袖で終始寒がっていた(後に分かったがK納は防寒着を一切持っていなかった、いったいどんな気持ちで「防寒具着てきな」の忠告を聞いていたのだろうか)。ハヤシライス茶飯はsL的にはましな味だったが、M下やK納がめちゃくちゃまずいと言っていた。一年会は、K谷以外は意外といけると言って飲んでいた。驚きである。その後7テンにみんなで集まって宴会をした。A比奈さんからフランクフルト、K納からたこ焼き器、K藤さんから裂きイカとミニラーメンととても豪華な宴会だった。20時30分就寝。
4/23(日)晴れ→曇り
5:13雲取山荘―5:35雲取山(たるみ10分)―(靴直し7分)―6:12小雲取―6:20権衛ノ頭―(たるみ10分)―(たるみ10分)―7:57唐松林道出合(たるみ10分)―8:45富田新道入口―9:47八丁橋―10:15鍾乳洞―10:38東日原
3:30分起床。45天に寝ていたsLはとても快適でよく眠れたが、一緒のテントに寝ていたK谷は寒くて眠れなかったそう。朝サイトを作る途中、M尾の声がデカすぎでひと悶着あったらしい。また、sLの軍手が臭かったのでM下に「軍手腐っちゃったわ」と冗談っぽく言ったつもりだったのだが、M下に「みんなのために捨てて!」と一蹴。こんなに怒られると思っていなかったので反省した。朝サイトの関西風のお雑煮は味噌味でとてもおいしかった。4:50分に体操をし、5:00に雲取山荘から日の出を眺め5:13分に雲取山荘出発。急な登りだったが皆スイスイ登って行った。雲取山頂をsLは素通りする予定だった、多くの人にたるみを要求されたので雲取でたるんだ。雲取を出発した直後、I塚の履いていた福本さんの靴のソールがはがれてしまい、I塚の靴にフィットする靴を探したところK藤さんの登山靴が選ばれた。K藤さんはガムテープでぐるぐる巻きに応急措置を受けた登山靴を履くことになった。去年のS井が彷彿させられる。権衛ノ頭を少し過ぎた角度が南に変わる瞬間で地図読み。ここでは2年会は全員正解。そしてN田が雲取山荘の水汲み場にポリタンクを置いてきたことが判明。K納の差し入れで残っていたカルピスがN田の飲みポリとなった。世の中は不平等だ。その後、去年道迷いをしたところも視界がよく迷うことなく通過。落ち葉が多かったが一年会も転ぶことも少なく難なく通過。再び角度が切り替わったところで地図読み。ここは簡単だと思っていたが意外と間違えていた。M尾とN田は正解。K納は自分ではわかっていたが、何度もA比奈さんに聞き直されたせいで間違えたらしい。M下とS井はグレー。その後すぐにK納が外付けしていた7天フライが落下。すぐに止まるかと思いきや谷のほうへと落ちていき見えなくなってしまった。川に落ちてしまうのではと思い気が気でなかったが、とりあえずは登山道に沿って降りていくことにした。すると40m程降りたところでフライが発見され、K納が回収し、その後はK藤さんが持ってくれた。唐松林道出合を過ぎたところに道が崩れたところがあったが、難なく通過。富田新道入口に8:45に着いた時に東日原のバスを確認したところ11:00と13:45だったためそこからの林道で皆を急かしまくった。しかし、一時間くらいしたところでsLが見ていたのは平日のダイヤルで日曜日は12:06分にバスであることが判明。隠そうと思ったが後ろにいた2年会にすぐにばれた。前を歩いている人たちには伝えずに30分くらいはK納考案の「20秒5文字しりとり」をして紛らわしていたが、鍾乳洞に着いた当たりで前を歩く人たちにも急ぐ必要がないことを報告。K藤さんにはLあげないと言われた。1時間半暇な時間ができたので、付近の神社に行ったり、昼寝をして時間を潰しているといつの間にかバスが来た。奥多摩に着いてからは去年と同じ温泉に行こうとしたが現在は日帰り入浴を休業しており、もえぎの湯へといった。その道中で川辺医院という病院があり、やぶ医者なのでは?という話題で盛り上がった。三河屋という蕎麦屋で打ち上げをして解散。
総評
一日目の最初はガスっていてどうなることかと思ったが午後には晴れていき七ツ石と雲取を最高の状態で踏むことができてよかった。一日目は比較的大変な行程だと思うが、一年会は最後まで歩ききっており、強さを感じた。
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