三月合宿 飯豊主稜線縦走

三月合宿として飯豊の主稜線縦走に挑み、見事完遂した。積雪期の飯豊縦走は非常に厳しかったが、ワンゲルという部活の上限レベルへの挑戦だったからこそ、Lとしての1つの締めくくりとして、またメンバー5人の成長の場として、この上なくふさわしい合宿となった。

記:西田賢(2022年4月5日)

快晴の飯豊本山!!

山域:飯豊
行程:西俣尾根〜北股岳〜飯豊本山〜松ノ木尾根
日程:2022年3月20日〜3月23日(3泊4日)
山行形態:積雪期縦走
メンバー:
3年  L西田 W須藤
2年  H船引
1年  E鴨田 F川中


◎はじめに

 執行の1年間、部として個人として、より高いレベルの登山を求めてきた。クライミング、初冬五竜、年越し聖など、部としてはアルパイン的な方向へと動いてきたように思うが、結局自分の求める難しさというのはそこには無かった。人の立ち入らない、立ち入れない、厳しい山を求めるのがLの本質なのだ。Lが全力で突っ込んでギリギリ死なずに帰って来られるのはどこか?夏に足を踏み入れて以来、派手さこそないが泰然たる風格に魅かれてきた飯豊、積雪期に牙をむくその厳しさにぶつかっていくのが良かろう。「飯豊主稜線縦走」という響きはLにはこの上なく相応しいように思えた。

 さて、積雪期の飯豊の厳しさはまずは気象条件にある。3月合宿を行う3月中旬は厳冬期からは若干外れるものの、荒れればたちまち厳冬期に逆戻りする。その飯豊の厳冬期は、日高、劔などと並んで日本屈指の過酷さを持つと言っても過言ではない。「エベレストより冬の飯豊の方が難しいよ。高度順応が無いだけでね...」、本当かウソかそんな話もあるほどだ。また、支尾根の険しさも計画にあたっての障壁になる。主稜線からのびる数々の尾根は、いずれも容易には通してくれない上に記録が乏しい。結局主稜線を歩き切るのが一番難易度が低く、つまり一度入ったら容易には抜け出せないのである。本計画も歩きで、かつ特例的にMax12pまで伸ばしてようやく成立させることができた。

幸いにも早稲田大学山岳部が20183月に本ルートを完遂しており、詳細な情報提供にも協力くださったため、読みや危険個所などはある程度正確に把握しておくことができた。しかし、天候の厳しさと危険個所の処理など、こと飯豊に関して想定しきれる範疇にないことは覚悟の上で、現地でその都度自分の技量で対処しきるしかないのだ。そんな中にあって参加しない同学年には心底失望したが、結果的にこの精鋭5人で挑めたことが完遂の大きな要因だったと確信している。 


事前準備、天候判断

 まずは徹底した装備の軽量化を行った。山中にとどまる時間が長くなるほど、荷物に体力を吸われるほど、天候にやられ致命的なミスを犯すリスクが増すからである。動けるときに動けるだけ素早く動くことを基本に、計画自体も23日+行動予備2日に抑え込んだ。詳しい装備計画は別紙を見てくれればよいが、共装、個装、食糧計画に至るまですべて1から見直し無駄を一切排除するよう徹底した。竹竿の作成など含めEの鴨田には負担をかけたがしっかりLの要望に応えてくれた。ありがとう。結果、すべてパッキングした状態で皆20㎏以内、L装関係を持つLでも23㎏程度に抑え込むことができた。

 天候判断については、直前1週間の予報が毎日のように変動し気を揉んでいたが、総じて巨大な日本海低気圧が1819日に直撃し、20日は低気圧の勢力下で強い冬型、21日以降はどの程度低気圧の影響が残るか、といった具合だった。飯豊は標高が低いため気温が高く容易に雨やみぞれになり得、実際19日までは西俣尾根上は雨の予報であった。風は北股岳で1920日が風速20m前半の予報(Windy)だったが、北股岳以北の北飯豊は局地的に非常に風が強まるため、実際にどれだけの体感風速になるかは正直想像がつかなかった。飯豊主稜線上を歩く以上Lは風速3,40mの暴風雪はある程度覚悟していたので、最終的には19日までの雨だけ避け、20日に西俣尾根限界上の風に耐えて頼母木小屋まで駆け込み、21日-23日のうち2日で主稜線を歩き切ることを決定した。

合宿期間中の天気図。冬の飯豊は非常に弱い


◎行動記録

319():アプローチ日

23時頃~未明、梅花皮荘での前夜泊中は氷雨と風が続いた、気温は0度前後

東京=(電車)=19:20那須塩原=()=11:00梅花皮荘▲0

 

 直前で共装を見直し、特にテントを45天に変更したこともあり、12時ごろにL船引鴨田で集まってエキチェと共装回収をやり直した。一旦帰宅して荷物を最終確認したりしているうちにあっという間に出発時刻になってしまう。

 須藤以外は渋谷集合にしたが、3連休のみどりの窓口は激混みで一本乗り遅れる。宇都宮線の車中、修論の提出等でバタついていた船引が描いていた地図が余りにクソ雑なので思わず笑ってしまった。船引なので許す。19時半前に那須塩原駅に着きLの父親の車に乗り込む。今回はLの父親が梅花皮荘まで車を出してくれたおかげで、時間もお金も疲労も大幅に軽減できた。感謝。那須塩原から梅花皮荘までは車で3時間半ほど、ちょうど23時ごろに到着する。

 除雪は梅花皮荘先まで問題なくされているが、冷たい雨が降っているので別館の軒下をこっそり借りてオカンする。荷物整理をしていると船引が毛下の下を忘れたと発覚したのだが、Lが原から借りてきた予備毛下を与えて事なきを得た。これは船引でもダメ。明日は545分出発としてシュラフに潜るが、シビアな挑戦の前夜に苛まれるこの緊張感は、何度味わっても慣れない。未明、雨はいつの間にか雪に変わっていた。

 

320()1日目、飯豊の天候の猛威を味わった日

梅花皮荘~大曲:高曇り状態で小雪風弱、大曲~森林限界:風雪(1020)視界あり、森林限界~頼母木小屋:暴風雪(40m程度)完全ホワイトアウト

▲0梅花皮荘6:00-6:15西俣尾根取付-7:02大曲-(7:05-7:13タルミ)-(7:45-7:52 727P手前ワカン装着)-(8:14-8:21 820m地点タルミ)-8:51西俣の峰-(9:22 1089P)-(9:40-9:55枯松峰手前の沢筋1100m地点タルミ)-10:10枯松峰-10:40大ドミ10:53-(11:21-11:34 1420m地点アイゼン換装)-12:42頼母木山-12:58頼母木山頂に復帰-13:35頼母木小屋▲1

 

朝起きると雪に変わっておりひとまず安心。Lは新しく買ったハードシェルに袖を通して気合を入れる。そしてメンバーを集めて少し話をする。Lとの約束は「怪我をしないこと」「萎えないこと」「死なないこと」の3つ、行動不能が直ちに命に関わる飯豊で全員が無事に下山するための約束である。

少し遅れたが、とりあえず大曲まで注意して登るよう言ってトップ船引で出発。取付〜大曲までは細尾根を警戒していたが、雪がしっかり付き安定していたため難しくない。50m登った所の岩場も大した事なく、側斜面の雪が落ちて藪がしっかり出ていたので藪をつかんで這い上がる。雪庇も西俣の峰までは出ていない。ただし、雪の状態が悪ければ松ノ木尾根末端と同じ厄介さだろう。

西俣尾根取り付き
岩場を左巻きして藪を掴んで這い上がる

 読み通りで大曲に着くと、急に風が強まり雪と共に打ち付けてくるようになった。やはり西俣尾根~頼母木~北股岳の区間は日本海からの風が直撃するのだ。まだ行動には問題ないが、限界上は当然強風が予想された。大曲から西俣の峰の区間は特に危険個所等はないが、新雪層のラッセルになる。登り斜面なので平気でひざ~ひざ上までのラッセルになる上、新雪層も軽いパウダーではなく固めに締まった重い雪質である。早々に5人でラッセルトップを回すことにし、また727P手前でワカンを装着する。ちょっと大変だが、逆に言えばラッセルを回すだけなので読みを大きく巻いて西俣の峰を通過。

大曲
ラッセルで西俣の峰通過。左手に雪庇出現

西俣の峰からは、確かに東側にずっと雪庇が出ている。特に1089P手前付近からは樹林のすぐ脇にクラックが大きく口を開け、そこから数〜10メートル規模の雪庇が発達しているという状況が続いた。クラックの処理は、若干西側をトラバースする感じで樹林を縫っていけば進めばそこまで脅威ではない。そこらへんは船引が上手にルート取りしてくれた。のだが、隊のトレースの左、ちょうど樹林の境界線上を歩いていたLは途中見事にクラックを踏み抜いてはまった。境界線上でも危険。ザックと脇が引っかかって止まったが、胸まですっぽりはまって足は宙ぶらりん、おぉ怖ぁ。そんなわけで晒し首状態になったLだが、船引は大丈夫ですかと助けに来るわけでもなく、迷わずポケットからカメラを取り出しおった。お前そういうとこだぞ。クラックの側壁にワカンを蹴りこんで脱出し、今度はしっかり樹林の中を歩く。

1089P手前からクラックと雪庇を撮影

クラックから脱出したL
枯松峰手前、1100mで尾根が広がるところでは、雪庇を警戒して尾根西側に大きく回り込んでいたため沢筋にぶつかった。素直に尾根の真中心をいけば沢筋の処理自体不要かもしれないが、今回はそのまま、ちょうど1100m等高線に沿うように横断し北にのびる尾根に乗り換えることで (GPSトラック参照)問題なく通過できた。

 小屋まで一気に抜けるため大ドミで行動食を詰め込む。まだ視界はあり、風雪も支障ない程度だが、稜線は雲に包まれていた。須藤は股関節が痛いらしい。1400mの森林限界付近でアイゼンに換装、限界上は風に飛ばされて完全にクラストしている。ここから上は低潅木がわずかに顔を出している程度で、雪庇等危険箇所はないが広尾根のため、視界がないと登りでもルート取りが難しい。まずは換装地点からトラバース気味に1つ右(西側)の尾根に乗り換え、あとは角度を頼りに頼母木山頂を目指す。トップは船引に任せる。

換装後、既に視界は2,30m程度しか無いので、できる限り見える範囲で竹竿を打っておく。1500mの登りあたりからは風も強まり(体感で年越しの前聖〜奥聖の区間くらい)、体が煽られる。1600m過ぎからは視界が完全に消え、尾根はおろか自分の足元さえ見えなくなる。風は耐風姿勢を取りながらでないと前進(漸進)できないほどで、瞬間的に風が強まる時にはLの耐風姿勢が剥がされそうなほどの風圧を受ける。正確にはわからないがLの体感では風速40m、瞬間風速ではそれ以上、あと10m強ければLも耐えきれないだろうなという印象。誰かが吹き飛ばされるか、心が折れるかしたら限界下まで戻るつもりだったが、流石はこの4人、誰もパニクってはいないので、小屋まで粘る。

                            限界上1500mくらい。風もまだまだ弱い   


ニセ頼母木(1680mピョコ)で現在地をロストしたので、一度GPSで確認して180度で頼母木山頂まで。山頂標から300度で小屋を目指すが、浅く切りすぎて間違い尾根に入る。トラバースでの復帰は事態を悪化させるだけなので、素直に山頂標まで戻る。L300度で切り直し、鴨田たちに残った竹竿を打ってもらいながら、3歩進んではコンパスとGPSを確かめて慎重に進む。方向感覚はおろか、平衡感覚さえ奪われ、次に足を出す先が上りか下りかあるいは崖かさえ分からないので、生きた心地がしない。なんとか小屋の位置に着くも姿が見えないので、まさか埋まったか?と思ったが、鴨田が見つけてくれた。森林限界線から頼母木小屋まで2時間もの激闘であった。

頼母木小屋は、2階冬季入口が西向きで埋没なし。一刻も早く中に入ろうと気が急いたのが良くなかった。L2階入り口の解錠作業中、梯子に発達したエビの尻尾を誤って掴み、そのままパキッと割れて3mほど落下。両足から着地できたものの鈍い嫌な音と共に左足に衝撃が走り、Lはその場から動けなくなってしまった。解錠を須藤に頼み、ショック症状で震えるL1年会が介護してくれた。少し落ち着いて触ってみた感じ、アキレス腱かその付近の筋の部分断裂だろうという自己診断になったのだが、実は見事に脛骨の足首部分を骨折していたのである。あらまぁ。

明日は、今日と同じ程度荒れる予報だったのでとりあえず停滞とし、Lは状態の様子見に専念することにする。サイトだの1階入り口の除雪だの、動けないLに代わりよく働いてくれた。サイトはキムチバター鍋、エグい1日を生き延びてようやく皆落ち着けた様子だった。

頼母木小屋南向きの冬季入口
ようやく1日目が終わった


321()2日目、停滞日

風雪時々暴風雪、終日ホワイトアウト

1頼母木小屋▲2

 

 9時ごろ起床し、朝サイトと水作りを一気に片付ける。昼頃、Lは痛み止めとテーピングで歩行練習に出る。荷物を削った今回、川中のテーピングと須藤の痛み止めにはとても助けられた。Lの状態は、平地と下りなら踵をつっかえ棒のようにしてヨチヨチ歩けるのだが、左足爪先の方に力がかけられないので、ちょっとした上りさえ登れない。登れなすぎて絶望した。一方、川中がふと踏み抜いた先が、全層でズレて出来たらしき巨大な横穴になったらしく、船引たちは古代遺跡と名付けられたその横穴の発掘調査をして遊んでいた。頼母木小屋内は2階の一部分だけ船引のdocomoがかろうじて電波が入っていたが、なぜか古代遺跡内の方が入りやすかったらしい。

古代遺跡発掘調査中
歩行練習中のL。この一歩が登れない!
神に救いを求める川中

鴨田とサンダルエアホッケーを始める川中

 夕サイトはビーフシチューをここで消費。美味い。明日は西俣尾根で下山の可能性が濃厚だが、Lはどうしても合宿続行を諦めきれないので、頼母木山頂まで歩いてみてLが行けると踏んだ場合には強行する可能性も伝えておいた。骨が砕けようと腱が切れようと完遂できるならそれでいい、なんて冗談半分に言っていたが、まことに見事なフラグだった。

 

322()3日目、再びの猛威のち晴天の本山に立った日

頼母木小屋〜北俣岳:高曇り状態で風雪も弱い、北俣岳〜梅花皮小屋:風雪強まり視界無くなる、梅花皮小屋〜御手洗の池:強風雪(2030m程度)完全ホワイトアウト、御手洗の池〜本山小屋:強風だが視界は回復し快晴へ

▲2頼母木小屋6:18-6:40頼母木山6:43-7:05地神北峰-7:20地神山-7:46扇の地神8:00-8:19門内小屋-8:24門内岳-(8:37 1880P)-9:14北股岳9:17-9:37梅花皮小屋10:06-10:34梅花皮岳-11:18烏帽子岳-(12:00 1850P)-(12:45-12:55 御手洗の池タルミ)-(13:01 1856P)-(13:20 1820P)-(13:46-13:56天狗の庭タルミ)-(14:37 1979P)-14:55御西小屋15:10-15:21御西岳-(16:04駒形山)-16:24飯豊山16:29-16:45本山小屋▲3

 

 6時発の予定だったが、小屋の片付けや戸締まりで少し遅れる。Lは足首をテーピング固定+痛み止めの上で、荷物はほぼ全て分配してもらう。空は高曇りで視界は十分、風も穏やか。途中、一昨日の竹竿がエビの尻尾で雪だるまと化して佇んでいた。Lの足はナインオクロックで歩けば上りも予想以上に耐えてくれそうだが、もう行動予備日が無い以上、読みよりも遅れるならば進むことはできない。とりあえず門内まででどのくらいのペースで歩けるか判断する。

雪だるま化した竹竿
頼母木山頂と巨大エビの尻尾


主稜線上は難しい箇所もなく、視界もあるのでサクサク進む。風で飛ばされるせいか、所々地面が見える程度の積雪でクラストしているのでラッセルも無し。扇の地神で北股岳日帰りソロの男性に追い抜かれたが、飯豊の強者ところてんさんだったことが後に判明した。また扇の地神までで読み105分を85分に巻いていることから、このまま本ルートを強行することを決めた。そうと決まれば前進するのみ。

夏登る予定だった胎内尾根

門内岳の前後は山形県側に雪庇が出ている。門内小屋は2階冬季入口が西向きで、埋没はないが凍結していた(解錠できるかは試してないので不明)。北股岳に近づくと風雪が強まり視界も無くなってきて嫌な予感がする。北股岳の下りはアイスバーンに所々新雪が乗っかっており、新雪に体重を預けるのは危険。情報通り急ではあるが、正常にアイピケ歩行が出来ればそこまで危険ではないはず。ただ、Lは左足のフラットフッティングが出来ず、踵の2本爪に体重を預けるしかないので、この急斜面アイスバーンは非常に怖かった。かなり時間がかかったが、なんとか梅花皮小屋まで下ってタルみ、風雪と視界がいよいよ怪しくなってきたので目出ゴーグル、オバテハンガロンに換装。梅花皮小屋は2階冬季入口が北向きで埋没や目立った凍結なし。

門内小屋西向きの2階冬季入口は凍結している
北股岳山頂。天気がだいぶ怪しくなってきた
梅花皮小屋北向きの2階冬季入口

梅花皮岳への登り途中から完全ホワイトアウトに呑まれる。死地再び。しかも一昨日と違って、梅花皮岳からはアップダウンを繰り返し角度が頻繁に変わるため、尾根感覚、平衡感覚が利かないこのホワイトアウトではRFが非常に難しい。梅花皮岳から先のコルへの下りで早速稜線を見失う。船引と鴨田は北側のテラス状の地形まで落ち、復帰しようとするもトラバース気味に進んだため、いつまでも稜線に戻れずかなり混乱した。L須藤川中は少し後方におり、そのまま登り返して復帰を試みたが、途中川中が先行してLの視界から消えかけた時は焦った。怒鳴り声も風に消されるし、笛も凍結して音が出ないし、ふと立ち止まって振り返ってくれたから良かったものの、こういう状況では絶対に離れないよう言っておくべきだった。なんとか復帰し烏帽子岳を通過した時には45分近く経っていた。

烏帽子岳の次のピョコから一気に下るが、この下りが最難関で、数歩歩いてはコンパスとGPSを確かめをここでも繰り返した。また、烏帽子岳付近から1850P付近までは山形県側に雪庇が発達していたようで、1850Pへの下りで西側に寄りすぎ、トラバースして今度は東側に寄りすぎたのだが、目の前にクラックが出たと報告が来た時にはヒヤッとした。

1850P先のピョコを越え、次のピョコに乗るところで、夏道は山形県側を通っているのだが、ピョコから大きな雪庇が出ている上に大クラックが出ていたので、船引の提案通りピョコを繋ぐようにルート取りする。このRF区間の船引の尾根感は非常に鋭く、とても頼りになった。このピョコは何とか越え終わったが、1856Pのピョコを越えるルート取りで再び詰まったので、タルミを取って一旦落ち着くことにする。

梅花皮小屋を出てから烏帽子岳1つ越えるのに、すでに3時間弱もかかっていた。この視界の中でのRFが続くとなると、今日中に本山小屋に着くのは不可能だ。どうしたものかと焦っていると、願いが届いたように目の前のガスが薄まった。たった数十mの視界だが、目先の尾根がうっすらとでも見えれば十分だ。視界の回復を心底祈りながら出発すると、どんどん視界が晴れてくるではないか。ついには青空が顔を出す。晴れればこっちのもの、目の前の稜線を歩くだけである。

1820Pを過ぎたあたりから、山形県側に十数m規模の雪庇が発達しているように見えた。広尾根なので稜線上に付いている雪が全て雪庇ということはないだろうが、左に少しでも寄ると踏み抜きがあるし、何より怖いので新潟県側をずっとトラバースするように歩いた。稜線をひたすら歩くだけなのだが、RFの緊張感から解放されたのもあって、御西小屋がとにかく遠く感じる。

1820P付近から前方左手に大規模な雪庇が出ているように見える

2時間かけてようやく御西小屋に着いた時には見事に快晴で、大日岳、飯豊本山、今日歩いてきた北股岳たちの大パノラマである。ただし風はかなり強い。御西小屋は屋根のてっぺんが顔を出しているだけの完全埋没。御西小屋-大日岳間の稜線は、遠くから観察する限りでは、新潟県側に数mの雪庇が出ており、おそらく風でクラストしていることも考えると、直下の急斜面含めて突破の難易度は高いだろうと思われた。

御西小屋から撮った大日岳

大日岳バックに4人
御西小屋からは難しい箇所なく、ただただ広い稜線を歩くばかり。Lは痛む足を引き摺りながらついていくが、本山の山頂は皆が譲ってくれたので一番乗り。今日も今日とて死地を乗り越え、晴天の中で本山を踏むことができるとは、これ以上のご褒美は無い。風は依然強いので、一通り写真を撮ったら本山小屋を目指す。本山小屋は2階冬季入り口が東向きで、吹き溜まって埋没していたので、掘り出して開ける。
本山までもう少し!!

Lが本山一番乗り
本山到達!
ダイグラ尾根。このナイフリッジがずっと下界まで続く

荷物をぶち込みシュラフに潜るが、小屋内も恐ろしく寒い。船引鴨田川中は外で見事なアーベントロートを撮ってきた。サイトは使い切っているのでひもじいがジフィーズ。本山小屋はaudocomoはかろうじて入るが、ラインの文面が送れる程度。下りが遅くなるLとしては、明日の下山が一番ネックだと踏んでいたので、原に途中連絡を入れ、念の為下山連絡リミットに間に合わない可能性もあると伝えておいた。今日は行動終了が遅かったので、水作りなどを済ませると就寝がすっかり遅くなってしまった。明日は下山だけとはいえ、核心2箇所、長い行動時間、読めないLの足の状態、Lとしても隊としても過酷な最終日になるだろう。

本山小屋。反対側(東側)の冬季入口は吹き溜まり
アーベントロート


322()4日目、過酷な縦走を完遂し切った日

本山〜タカツコ沢:風は特に無く晴れ、タカツコ沢〜いいでの湯:曇り

▲3本山小屋6:05-(6:47-7:00御秘所の岩場通過)-(7:02-7:11御秘所タルミ)-7:37草履塚-7:55切合小屋8:08-(8:33種蒔山)-(9:09 1719P)-9:51三国小屋10:08-(RFミスで18分ロス)-(10:48松ノ木尾根下降点)-(11:35-11:45 1260mベロタルミ)-(12:04 1130m左折点)-(12:35-12:43 980mベロタルミ)-(12:52 942P)-14:15タカツコ沢渡渉14:40-(14:40-14:55タルミ)-(15:28御沢登山口)-16:42川入バス停-(途中合計45分止まる)-19:50いいでの湯

 

 湯を沸かしてジフィーズをかき込む。夜中も恐ろしく寒くLは何度も目が覚めてしまった。川中はほとんど眠れていないらしい。小屋を片付けて外に出ると快晴のモルゲンに出迎えられ、今日は視界に悩まされずに済むとまずは一安心。集合写真を撮って出発するが、本山小屋からの下りはそれなりに斜度のあるクラスト斜面で、Lはいきなり緊張感を強いられる。

モルゲンと川中
モルゲンと変なポーズのみんな

下山ルートを一望

慎重に下った先の御秘所の岩場は、区間は短いが確かに細い。鎖自体は出ていて、先頭の船引が手がかりと足場の氷を落としてくれたので一人ずつ慎重に通過すれば問題なかった。御秘所から草履塚への上りは上部がかなり急で、蹴り込んでステップが作れたから良かったものの、クラスト時の下りだとダガーポジションで下りられるかどうかというところだった。草履塚からの下りは広尾根で視界不良時RF箇所だが、切合小屋まで一直線なので角度を切れば問題ないだろう。

岩場通過前
岩場通過中
岩場通過後
草履塚手前の急登

切合小屋は入口の向きは確認し忘れた(おそらく南向き)が、埋没や目立った凍結は無かった。切合小屋の次のピークは夏道に行かず、素直にピークを踏んで種蒔山に向かう。種蒔山〜三国小屋の区間が今日の第二核心だが、確かに10m規模の大雪庇が山形県側にずっと出ている。処理自体は単純で、思い切り新潟県側にトラバースし木立を縫うように進めば良いのだが、気の抜けないトラバースが続くので疲れる。モフ雪が8割くらいだったから通過できたが、この区間が全面的にクラストしていたら通過は結構リスキーだと思う。1719Pと三国小屋のちょうど中間点にある小ピョコは、三国小屋側が雪庇になっている上、10mほどの垂直壁になっていたが、右巻き(新潟県側巻き)して回避できた。

切合小屋の入口は右手(南向き)?

雪庇区間
新潟県側を延々とトラバース
ルート上に発達した雪庇と雪壁

三国小屋は冬季入り口が南向きで埋没や凍結はないのだが、小屋のすぐ脇(福島県側)に大クラックが口を開けていた。ここだけでなく、疣岩山にのびる尾根の福島県側には雪庇が出ている。これを警戒して新潟県側に寄って歩いたため、三国小屋出発直後の左折すべき点で260度方向の間違い尾根に入ってしまい18分ロス。左折点まで戻って恐る恐る身を乗り出すと、案の定本ルートは雪庇と雪壁を乗り越えていかなければならなかった。船引が雪庇の小さな箇所から下り始めるが、5mほどの雪壁上部の斜度がキツいので念の為ダガーで下りてもらう。この時船引はサッサと雪庇を乗り越えていったが、発達具合の分からない雪庇から身を乗り出す場合、いつ雪庇ごと落ちるか分からないのだから、上からきちんと確保しておくべきだったと思う。

三国小屋冬季入口
左折点で雪庇を越えて下りるところ

そのすぐ隣はズタズタ

松ノ木尾根下降点も同様に小雪庇を乗り越えて雪壁を下り、ようやく本格的に松ノ木尾根を下り始める。今日の高温で表層は重くなり、アイゼンが団子になる上、表層ごと滑り落ちるのでトラバース気味だと地味に怖い。1250mベロの尾根が細まってくるあたりからは左右の斜面の雪が全層であちこち落ちている。特に1130mの左折点からは尾根が非常に細く、北側斜面の雪が尾根すぐ脇から雪崩れ落ちており、かといって滑るので南側をトラバース気味に歩くこともできず、尾根真中心を一歩ずつ確かめながら慎重に歩くしかない。Lも船引も、今日一神経を削られた。

松ノ木尾根下降中
地図読みを欠かさない鴨田

笑顔を絶やさない川中

1130m左折点通過直後。状態が非常に悪い
また、左折点あたりから須藤のペースが一気に落ちる。左膝が痛むらしく、数歩歩いては止まる。発破をかけるが、流石にこのままではまずいと思うレベルで遅れ出す。松ノ木尾根の末端100mほどは雪解けでさらに状態が悪く、一部空身で通した箇所もあった。落ち続けるペースに苛立ちながら、なんとかタカツコ沢まで下り切る。タカツコ沢には渡りやすいブリッジは既になく、渡渉を決める。沢床までの雪壁を空身で下ろし、そのまま一人ずつ渡渉。幅や水深は大したことなかったが、鴨田がこけてドボンした。きっとLの気持ちを和ませるために一芝居打ってくれたのだろう。いい奴だ。

松ノ木尾根下部。雪が切れて一部空身通過も

渡渉点で沢床に下りるところ。空身で下ろす
荷物受け渡し中
鴨田選手、間も無くドボンです!!

渡渉しきったところでタルミ兼ワカン換装。ここからはいいでの湯までひたすら平地を歩くのみなのだが、須藤は変わらず亀の歩みである。16時半過ぎに川入集落に着くが、入るはずのdocomoが入らない。これはまずい。日没前のいいでの湯着は既に絶望的で、川入で下山連絡を入れられないとリミットを過ぎることになるのだが、どうしても電波を取れないのでリミットオーバー覚悟で歩き出す。Lは須藤とザックを交換し、船引鴨田川中には電波を探しながら歩いてもらう。川入集落からの道路は、除雪は入っているがようだが10cmほど積雪している。17時半を過ぎても電波が取れないので、無線をしばらく飛ばしてみるが応答無し。普段無線など使わないので相場が分からないが、アマ無線頼りだとこんなものなのかなぁ。無線も諦め、ヘッデンをつけてひたすら歩く。いいでの湯までの車道にはデブリが複数出ており、いずれも規模は大きくないのでトラバースで滑落する心配はないが、側斜面には今にも崩れそうな雪塊が溜まっていたりするので気が抜けない。

川入集落直前にデブリ
人気も電波もない川入集落
車道にもデブリ多数

いいでの湯の手前3kmくらいの所でようやくaudocomoが入り、急いで原に下山連絡を入れる。下山連絡リミットを1時間弱過ぎていた。心配をかけて申し訳ないです。いいでの湯にジャンタクを呼び、また歩く。いいでの湯にようやく着いたのは20時前、実に14時間近い行動だった。ようやく緊張と重圧から解放され、4人と固く握手を交わす。喜多方駅まで父親に車で迎えに来てもらって黒磯のL宅まで帰る。無理を押して車を出してくれたので本当に感謝。1時過ぎに家に着き、風呂に入って反省会をした後も、完遂の興奮からか皆4時過ぎまで起きていた。修了式のある船引は2時間だけ寝て東京に出発、他の3人も昼過ぎに鈍行で帰っていった。これにて怒涛の3月合宿終了。

 

下山連絡。もう動きたくない〜〜〜
いいでの湯でゴール!お疲れ様!

◎まとめ

総計33.1p(1日目=8.1p2日目=0p3日目=10.94日目=14.2p)

 かつてないほど大変な合宿だった。Lはそれなりに修羅場を潜ってきたつもりだが、勝手に怪我して勝手にハードルを跳ね上げたことを差し引いても、群抜いてタフ。ワンゲルの歴史の中でもこのレベルの冬山登山はほぼないだろうし、今後もそう簡単には実施できないだろう。割と自信を持ってそう言い切れる。荒れる飯豊は想定していたが、実際身に受けると一層凄まじく、行動3日間通して緊張感を強いられる場面が常に連続する中、飯豊主稜線縦走を完遂できたのは、隊のLLであり、メンバーがこの4人だったからだ。そのくらいは誇って良かろう。Lについて来てくれて、Lを引っ張っていってくれて、ありがとう。

 


 






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