新歓合宿 雲取山2隊

4/24~25で、新歓合宿定番の雲取山に行ってきました。2隊は少し楽な行程にしたところ、新人は程よいハードさを味わい、上級生は山を楽しめる素晴らしい山行となりました。

晴れの雲取

記:大坪
参加者
3年:CL池田、春木、船引
2年:大高、sL大坪、E加藤、F谷、WH吉田
1年:中島、古谷、松田、道下、山本、渡部
総員14名

4/22(金)


東京=(電車)=奥多摩駅▲0


18:50部室前集合で、2年会数名で1隊と合同で1年会の装備を確認してから出発。あろうことかsLはこれに15分遅刻したが、優秀な1・2年会のおかげで事なきを得た。1・2隊共に金曜夕飯と土曜朝飯は現地のコンビニで買うでも良いと伝えていたが、電車に乗ってから奥多摩駅周辺のコンビニの営業時間がすでに終わっていることが発覚し、途中の駅で、僅かな乗り換え時間の間で買い出しせざるを得なくなった。こんな感じで駒場組のアプローチはドタバタであった。奥多摩駅には22:15に着き、23:00頃にはほぼ全員就寝した。終電組はこれより後に到着したが、総勢30名弱で観光案内所前広場でオカンしている様子は壮観であったに違いない。

三十総オカン社会

4/23(土) 晴れときどき高曇→曇りときどき晴れ

▲0=(バス)=鴨沢 7:04〜7:36 (テーピング対応 )7:39〜7:57 たるみ 8:07〜8:57たるみ 9:07〜9:56 たるみ 10:07〜10:45 七ツ石小屋 10:55〜11:26 七ツ石山11:52〜(12:30へリポート)〜12:38 1813ピーク前分岐 12:48〜13:34-13:46 雲取山 14:15〜14:50 ▲1


5:15起床、5:50撤収。1隊は既に奥多摩駅を出発しておりいなくなっていた。燕がたくさん鳴いているな、と思いながらパッキングし、6:05発のバスに乗り込む。途中、隣のCLのザックが何回か倒れてきた。鴨沢に着き、パウを溶かし登山靴に履き替え体操をして出発…と思いきや、中島の登山靴のソールが両足とも派手に剥がれてしまう。貸出不要装備の状態や適性を確認してくるよう周知しておくべきだったかもしれない。テーピングでぐるぐる巻きにしたところ意外と耐えるということでこのまま入山することにする。輪になって体操し、軽く自己紹介した後気を取り直して出発した。トップは吉田を含む2年会で五十音順で回した。


歩き始めて30分ほどで、中島の登山靴のテーピングを巻き直す。巻き方を工夫したところ、この日はなんとかなってしまった。曇り予報だったが基本晴れ無風で暑い。中島、渡部は若干辛そうにしていたが、それでも読みを巻いた安定したペースで進んだ。途中、臭いということで中島のネギを加藤に移した。加藤はネギをザックに外付けして満足げ。

加藤

七ツ石小屋では少し長めにたるみをとり、カルピス用の水を汲んだり差し入れを出したりする。谷はここで1年会にトイレを奢ったらしい。小屋を出発し、七ツ石山に向かう道と巻道との分岐でトップが巻道に向かったため引き返させる。トップの道間違えは本企画でここだけだった。七ツ石山に向かう辺りから曇りがちになり、涼しくなり始めた。ピークまではちょっとした急登。七ツ石山ではCLからピルクルの差し入れがあり、ありがたく頂く。七に因んだポーズで写真を撮り、長たるみをとった後雲取を目指す。

七ツ石山


七ツ石山まではずっと登りだったので、ここで初の下りとなる。基本的に緩やかで広い尾根が続き、広い視界で気持ちの良い歩きだった。途中で出てくる有名なダンシングツリーの前では上級生数名が思い思いのダンシングポーズを披露した。奥多摩小屋跡は記録通り小屋の痕跡は全く無かった。広大なヘリポートを通過し1813p前分岐でたるみを取ったが、ここでsLはこのピッチの間フライをポカリで浸水させていたことに気づく。ポリタンの蓋がちゃんと閉まっていなかったようだ。45天居住者には申し訳ない…。フライを袋から出し、雨蓋と本体の間に挟んで乾かしながら進む。

船引さん

sL


小雲取前分岐から小雲取山までは急登。CLは途中で拾った気を杖にしながら登っており、仙人のようであった。小雲取を過ぎ、少し下りたあたりでピークハントをかけると、6人いた1年会の多くが走り始めた。とても心強い。一位は船引さんで、13:34着。流石です。sLが13:46に追いつくと、避難小屋近くの岩場で皆休んでいた。ここで大高が七ツ石小屋で汲んだポリでカルピスを作り皆に振る舞ってくれた。山頂で飲むカルピスは美味い。写真を撮れそうな場所を問うとどうやら別であるらしい。岩場に山頂標が無いことに気づいたsLは、「晴れているうちに写真を撮ろう」と皆を急かしつつ、早足で先行して山頂標に向かった。すると後ろから足音が聞こえ、振り向くと船引さんがすぐそこまで迫っていた。他の追随を許さないsLはそこから全力で走り始めたところ追いつかれることなく山頂標に辿り着くことができた。

仙人?

山頂では晴れ間に巡り合うことができ、良い集合写真を撮ってもらえた。人徳の賜物ではなく、ある人が悪天を一手に引き受けてくれているお蔭である。ここでも長めにたるんだ後、雲取山荘に向かう。雲取山を挟んで北側斜面は、管轄の違いからか日の当たり方の違いからか南側斜面とずいぶん植生が違うように感じられた。途中で電波が入ったため12時の天気図を取得した。南側斜面に全くなかった残雪は北側斜面にはコース内外にところどころあったものの凍結はしておらず、軽アイゼンは不要であった。雲取山山頂から山荘までの読みは20分であったがこれは辛い読みだったようで、ペースダウンは無かったが35分かかった。テン場代を徴収し払っている間空いている場所を探してもらったが近くは空いておらず、山荘からかなり離れた場所に幕営することとなった。16:00サイト開始で並行してWの吉田とsWの春木さんには天図をかいてもらう。春木さんによると「過去一エグかった」らしく、両者ともに苦戦の跡が窺えた。今回のサイトではコッヘル特大と大でそれぞれ汁と飯9人分を作ったがどちらもキャパ限界でかなり渋い。また割り振られた小缶にカス缶が紛れ込んでいたりしたこともあり分配出来はかなり遅くなってしまった。


なんとかできあがった食事をかきこみながら(松田のブキは誰の貸し出し装備かわからなかったが、コッヘル中くらいの大きさがあった)、明日の天気をscwで見てみる。午前は曇りでもちそうだが正午あたりから雨雲がかかる予報。この予報によって大血川方面に本ルートをとりピッチ数を少しでも増やそうと目論んでいたsLは袋叩きに遭い、ER下山への方針変更を余儀なくされた。テント割り振りは、7天を女子テンとし、6天に4人、45天に3人ずつ入った。宴会を皆でやろうと思っていたのだが、サイトの片付けや朝サイト準備に手間取った結果時刻は19:00近くになり、睡眠時間確保のため宴会は各テントとした。さらに、宴会用のカス缶をsLが持ってき忘れたことに加え夕サイト時の小缶のトラブルもあり、朝サイトの燃料を十分に確保するためには火を使わないほうが良いということになり、各テント内でポテチなどをつまみながら雑談するささやかな宴会となった。それでもどのテントも1時間ほどは宴会をしたようである。


4/24(日)ガス(小雨?)

▲1 5:15〜6:05 芋ノ木ドッケ巻道 6:15〜7:05 たるみ 7:15〜7:32 (靴の処理) 7:34〜8:05 たるみ 8:15〜8:39 霧藻ヶ峰 8:39〜8:48 地蔵峠 8:48〜9:05 靴処理込みたるみ 9:20〜10:10 三峰神社


3半5で4時半撤収。道下は小麦を食べすぎると気持ち悪くなると事前に申告を受けており、道下のみ朝ご飯を自前で用意してもらい(後日F精算)、14人分を13人で分配するという措置をとることになっていたためそうした※。終わらないと言いつつも撤収は概ね4時半に終わり、体操も5時以前に終わったのだが、トイレの時間をとり全員が揃うのを待ってから出発としたところ、山荘が遠かったためテン場を出たのは結局5:15となってしまった。

ガス

天気は終始ガスで、時折頭上から水が滴った。CLからこれは雨ではないのかと言われたが、枝に付着した水滴が落ちているのだと説明した。また、霧に樹木が霞む様子を見てガスにも趣があると思ったが、ガスをポジティブに捉えようとしているだけだと批判されてしまい悲しみを感じた。芋ノ木ドッケを巻き、霧藻ヶ峰に向かう途中で中島のソールがズレた。時間はたっぷりあるからということで古いテーピングの上から新しいものを重ねて巻きつけ固定する。ソールが剥がれても行動を続行する姿はレベルは違えどある先輩を彷彿とさせるものがあり、実際その先輩の名前が会話に出てきた。前白岩の肩〜霧藻ヶ峰の区間には鎖場があったが、鎖がなくても通過は可能なくらいである。霧藻ヶ峰からの区間には特筆すべき難所などもなく、隊の後ろの方では如何に早く帰れるかが検討され始めていた。最後のピッチの前のたるみでも抜かりなく、中島の靴にsLの個装のテーピングを巻きつけ、無事三峯神社に到達することができた。神社から西武秩父駅までバスに乗り、祭の湯で入浴、反省会、打ち上げ。3年会の方々は奢り代が部費から出ると分かってから俄然奢りモチベが湧いたようであり、禍根を残さず山行を終えることができた。



総評: 土日共に曇り雨予報であったが、山中では雨に降られることもなく晴れの雲取を打つことができて良かった。また1年会は全員ついてくることができたため、十分及第であった。




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