前説は後日。
3 L立峻 大橋 廣長 2 FW大西 EH中村 1 川原 深山
8/3(日) 快晴
出発前から問題が発生する。8/2にGPS(GarminのeTrex J30)と専用の地形図ソフトを購入したのだが、僕の手持ちのパソコンでは何故かGPSに地形図が読み込まれない。大学のパソコンで試してみてもやはり駄目だったので大学から徒歩20分のところに住んでいる大橋の家のパソコンを使わせてもらうことにする。20分とはいえ合宿装備を背負って炎天下の東京を歩くのは地獄だった。30分かけて辿りついた大橋の家のパソコンでも地形図は読み込めなかった。仕方なく茂木に連絡して地形図の入ったGPSを新宿駅まで持ってきてもらうことになった。茂木並びに道藪隊の皆様には大変申し訳なく思った。同時に、乗鞍隊が出発できたのは道藪隊の皆様のおかげである。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。
色々とごたごたしたため集合時間にL自らが遅刻。見送りには水野さんと(アニメを観ていたところ無理やり呼び出された)茂木が来てくれていた。茂木とGPSを交換。水野さんはFにタンパク質が足りないのを気にかけて塩飴とアミノバイタルを差し入れてくださった。ありがとうございます。
中央特快は東京ドームで試合があったらしくすし詰め。立川でようやく座れた。その後は特に問題なく奈良井駅に着く。Eの中村は僕が所望したダクトテープの代わりにアイロンがないと圧着できないリペアシートを持って来ていた。あと何やら分厚い教科書も持って来ていたが、強者中村の無駄ボッカについては何も言えないLであった。駅の内外に分かれて就寝。オカン組は夜半に降った雨でシュラフを濡らす。
8/4(月) 曇り後雨
予報に反して雨で萎える。1分間スピーチは川原。初めは観光名所になっている宿場風の街並みの中を歩く。街並みをぬけて林道に入ると間もなく登山口。日が出るまで暫く待機する。隊員はもっと寝られたのにと不満気。ゆっくり歩かせればよかった。
鳥居峠まで道は歩きやすいが、如何せんザックが重く初っ端から果てる。行く末が不安でならない。鳥居峠は豊富に水が流れていて、奈良井のトイレで汲ませたLはまたも非難の視線を集める。またここでLが水野さんの差し入れと赤布200を中央特快に置いてきたことが発覚する。水野さん本当に申し訳ありません・・・。赤布は今日の爺テンで割いて増やすことにする。
峠のてっぺんから藪原側へ100m行くと造成中の林道があり、林道の法面の上から登山道が続いている。峠の周辺はかなり藪が濃そうだったため、道が付いていたのは嬉しい誤算だった。恐らく送電線の巡視路だろう。「地籍調査」と書かれた赤テープ類を頻繁に見かけた。途中地形図にない林道が暫く東側に並走していた。いつしか道は踏み跡程度になり藪に消えていくものの、既に植生はせいぜい腰までの笹になっていたため今まで通りサクサク進める。8月初旬とは思えない冷ややかな空気に絶え間なく吹きぬける涼風、低い笹薮と僕が経験した中では最も清々しい藪漕ぎだった。p1313までは平坦かつ明瞭な地形でワントップ。p1313辺りから高遠山手前コルに降りる辺りはなかなかのRFポイント。2年会2人にRFさせる。が、左に折れるべき地点を通り過ぎてp1176への尾根を直進してしまう。3年会でも地図を読んでいたにはいたが、GPSの操作を熟知していなかったLのミスリード(とGPSの存在による慢心)からコースアウトを見抜けなかった。
コルから高遠山までも藪は薄く微妙な踏み跡がある。高遠山は展望のない丸っこい山頂でイモい。高遠山からは踏み跡なし。北へ行くほど徐々に藪は高く、人工物は少なくなる。それほどRFの難しい箇所はない。ただしP1762 からの下りだけは少々気を使う。概して高遠山以北は藪としての面白みに欠けあまり印象がない。
P1508の先のコルで休憩した後のこと。Lと廣長は本体に少し遅れて歩いていたのだが、歩けど歩けど本体に追いつかない。本体を呼んでみると遥か後ろのほうから声が返ってきた。どうやら本体誘導の大橋が地図読みを誤り、1年会二人を伴ってトップとは違う方向へ落ちていったようだ。直前のたるみで現在地を確認していたはずなのだが・・・。また途中Lの靴紐が解け、本体に断ってから靴紐を結び直している間に本体に置いてきぼりにされるという一幕があった。川原の足が攣ったことに慌ててLのことは忘れてしまったのだそうだ。川原は多少足を攣った影響が残っているようなので優先的に水を抜くことにした。
そうこうしている内に一同だんだん疲れが溜まってくる。特に1年会が果てていて、トップに本気でラッセルさせると着いていけないこともあった。稜線を横切る2本の送電線のうち手前の方に巡視路がついていてサイト適地だったため、所期の目標には達していないが行動を打ち切ることにした。
サイマスは大西。傾いた送電塔下を避けて一段高い巡視路上に張る。早速調理を始めてもらおうとしたところで重大なことが発覚。ヘッドの1つがL装であることを忘れていたLがヘッドを持ってきていなかった。爺テンで話し合った結果、ヘッド1つでサイトをすることにし、緊急連絡先の水野さんにその旨を連絡する。下級生には本当に申し訳なく思った。
宛らお通夜の爺テンに更なる悲報が舞い込む。深山の股関節が痛むという。効果があるか分からないがとりあえず湿布を貼っておくよう指示して爺テンで今後の対応を検討する。仮に下山しなければならない場合、今日来た道を戻るのは相当に骨が折れる。もし背負い搬出などということになったら更に不調者が出てしまうかもしれない。一方審議を通してはいないがサイト地から明らかに東の橋戸沢に続いている巡視路がある。しかし橋戸沢林道の旧ER1は偵察山行で危険と判断し、ERから外した曰くつきのルート。そんなものを本当の非常時に使うのはどうなのか?悩んだ挙句、明朝水汲み兼偵察隊を出し、偵察山行で引き返した地点まで無事に通過できることが確かめられたら巡視路を使うことにする。今は深山が明日までに回復することを祈るしかない。完全に沈黙した爺テンとは対照的に、若テンは深山も交えて楽しそうにしていたのは救いだった。
下山後どこから再入山するかについても話し合った。大橋と廣長は境峠、Lは野麦峠を主張した。本音としては大橋と廣長は野麦峠、Lはそもそも再入山せずに帰りたかった。合宿の意義に照らせば境峠から入山すべきなのは明らかだろうが、誰にもそんなモチベーションはないように思われる。下級生の意見を聞いたところ、川原はどちらでもよい、中村は境峠、大西は野麦峠だった。それを聞いて大橋と廣長も野麦峠を認めてくれたようだった。大西が改良したタコライスは去年Lが開発したプロトタイプより旨かった。
8/5(火) 曇り後晴れ
調理に時間がかかることを見越して三五とする。朝食はカップヌードルリフィルwithソーセージ。従来のインスタントラーメンに比べコッヘルを汚さず手間も省ける革命的なメニューのはずだったが、どうにもしょっぱくて不評だった。水が無制限に得られるサイト場でならまだ目はあるかもしれない。食後深山にテントの外で少し足踏みしてもらう。昨日よりも更に悪化したということで下山決定。水野さんに下山する旨を伝え、明るくなるのを待ってからLと1年会をのぞく4名にサブ装で偵察兼水汲みに行ってもらった。1年会はその間トランプをしたり大橋が置いていった蒟蒻畑を食べたりしていた。Lは寝ていた。
3時間くらいで偵察隊は帰ってきた。巡視路、林道は通行可能、渡渉地点も偵察山行時より減水していて問題ないとのこと。ただ大橋が途中沢床まで5mほど滑落して掠り傷を負ったそうだ。偵察隊を休ませた後テントをたたんで出発。パッキングにLが手間取っているうちに深山の荷物は上級生に分配されていた。詳細は知らないがそんなには抜かなかったようだ。
送電塔の少し先から橋戸沢へ巡視路を下る。急な上かなり荒れていて歩きづらいがなかなかペースは速い。あっという間に林道についてたるみ。林道は跡形もなくなっている。このたるみ前でLと廣長は変な虫に腕を噛まれ跡が紫色になってしまった。帰りたい。
出発してしばらく行っても道は相変わらず踏み跡程度。時々出てくるコンクリートの塊だけがかつてここに林道があったことを示している。何度か川を渡るところもあるが水が少ないため問題なし。偵察で引き返したところも楽に通れた。後は何の変哲もない林道を奈良井に向けて延々と歩く。深山は多少足を引きずっているようにも見えるが遅れることなく歩いていた。調子を聞いてみるとかなり辛いようなのだが、それが全く顔に表れておらず大した精神力だと思った。
途中3度たるみをとって奈良井に着く。天気はいいが平日だからか閑散としている。Lはヘッドを調達するために松本へ。駅から徒歩5分のパルコに入っている好日山荘で無事ヘッドを買い、後はマックでソフトツイストを食べたり松屋で牛飯を食べたりして次の電車まで時間を潰した。因みに松本の松屋はまだプレミアム化されておらず値段据え置きだった。
帰りの電車内で16時ごろ大橋から電話がかかってくる(廣長の携帯を借りていた)。16:45に予約していたはずのタクシーがすでに来ているという。電話をかけたとき:45の部分が聞き取られなかったのだろう。16:30に奈良井に電車が着くとすぐさまタクシーに飛び乗って野麦峠へ向かった。奈良井組も不要になった物をまとめて郵便局から送り返したりツナマヨスパゲッティを作って食べたり駅の向かいの蕎麦屋さんにスイカを頂いたりと充実した時間を送っていたようだ。ところで廣長は何故か右腕が一目でそれと分かるほど全体に膨れており、行動には支障がないものの不安がっていた。腫れは原因不明のままとうとう合宿が終わるまで引かなかったが、行動に支障がないのでLは閑却していた。
野麦峠までは確か1時間ほど。普通タクシー2台で併せて25000円弱だった(ジャンタクはどこも出払っていた)。野麦峠は駐車場、よく分からない資料館、おたすけ小屋があるばかりで割りと閑散としている。お誂え向きの東屋でテントを張ることにする。
夕食はワンゲル肉ミネストローネ。ドライトマトを入れるタイミングが少々遅かったらしく塩辛酸っぱかったが美味しかった。近年ワンゲル肉のレベルが上がってきている気がする。Fの大西はよほど会心の出来だったようで「これでミネストローネは極めた」とのこと。
サイトをしていたところおたすけ小屋の方に、最近このあたりは子連れの熊が出るから注意するようにと言われた。東屋周辺の石がみな掘り返されているのはこの熊の仕業なのだそうな。怖えぇ。そもそもこの東屋で寝るべきなのかという点から議論になったが、結局終夜ラジオをつけ、食料の類をトイレの中に隠して東屋で寝ることになった。それでもまだ不安がっている人はいて少々心が痛んだ。熊の恐怖に無頓着なLはオカン。夜半に爺テンを揺すってやろうかとも考えたが鋸で反撃されそうなのでやめておいた。
8/6(水) 曇り
朝食はスパゲッティアラビアータ。誤ってスパゲッティを多く送り返してしまったため予定よりも少なかったがちょうどいいぐらいだった。出発前Lの乾電池パックが見当たらず捜索するも結局行方不明。E装の単三で間に合わせることにする。川原3発、他4発にして出発。
出だしから背丈程度の笹でやや濃い。赤布類は多い。戸蔵まで登りっぱなしで特にRFもなく、ほどほどのスピードで登っていく。急なところはラッセルも取り入れる。戸蔵は小さい木のプレートがあるばかりでぱっとしない。戸蔵からの下りは3年会1人を交互にトップに出し、もう1人を中継兼本体誘導にする。2年会のトップは概ね問題ないが、難しい地形になるとトップの間で情報を回すばかりでなかなか先に進まなくなるのが気になった。まあこれはあまり落ちて消耗しないようにとLがトップに指示したのも原因かもしれない。読みより遅れているわけでもなかったので、その場では特に注意することなくのんびりRFしてもらった。
植生は野麦峠からずっと背丈程度の笹でまあまあの濃さ。どこを通っても同じような濃さのため、本当はもっと薄いところがあるのではないかなどとそわそわせずに歩けるのはよい。MAXを越えて赤布打ちから解放された後はLもトップに加わった。
行動中は今日中にp2154先のコルまで行こう!と話し合っていたが、1年会のペースが落ちてきたためp2066先のコルで行動を終えることとする。
今日の夕食はカレー。コンビーフを増量したとあって旨い。今日のドライトマトは然るべきタイミングに投入したようで昨日よりは全体と調和していた。明日は2年会だけでトップをしてもらうことにして就寝。
8/7(木) 曇り
朝飯は鮭茶漬け。コッヘルを汚さないため、α米の袋の中に素と水煮を入れて作る趣向。α米が一部戻っていなくて硬かったが、それ以外は上々の出来だった。これからも是非採用すべき。Lが出遅れたため4:45出発のところ15分遅れる。今朝は1分間スピーチをやったことのない大西に話してもらった。如才なくまとめていた。流石2年会。
今日は1年会0発、2年会3発、3年会2発とする。分配し終わった後でもう1発満ポリが発見されてしまったため、貧乏性のLは大橋に3発目を持ってもらった。寛大な心で3発目は捨てさせてやるべきだったか。
出だしは相変わらず背丈の笹でまずまず濃い。p2154先のコルあたりは踝丈の笹でとても爽やか。前方の遥か高いところに岩の散らばったハイマツのピークが見える。実はこれは高天原ではなく、p2527の台地である。暫くいくと笹は再び背丈程度になり、潅木が混じり始め、潅木だらけになり、いつしか潅木はハイマツに変わって、気づいたら背丈を越えるハイマツの中を漕いでいる。ゲロゲロに濃い。ぜんぜん這ってないので本当はただの松なんじゃないかとさえ思われる。ここも2年会にトップをしてもらったが、勝手にトップに出ていた廣長の進みが速く、本体は概ね廣長の後を追っていた。ハイマツなら前に人が歩いていようといまいと漕ぐ労力は変わらないだろうと思いトップは本体の後ろに放置してリカバーさせた。実はハイマツは人の後ろを歩くほうが遥かに楽なことが後で分かった。ここで2年会2人はかなり消耗したようだ。中村と大西が珍しく疲れているところが見られた。大橋先生もさぞ満足したことだろう。P2527周辺だけは岩が露出していてハイマツが薄く、別天地のようになっていた。折から南面の雲も晴れ、鎌ヶ峰や御岳、乗鞍高原が見渡せる。みな思い思いにポーズを決めて写真に納まる。とても気持ちのいいところなので名前をつけようということになったが乗鞍隊はネーミングセンスのある面子には恵まれなかったようだ。廣長曰く「やっと高天ヶ原がいい感じに見えてきた」ヶ原。
台地を過ぎるとすぐまた這ってないハイマツゾーンに突入する。今度は2年会を先頭に数珠繋ぎで行く。前の者が踏んだハイマツを踏み、掴んだハイマツを掴みながら行けば後続は割と楽に行けるが、速度はさっぱり上がらない。2ピッチ漕いで、先ほどの台地がまだ目と鼻の先に見える。地形図を見ると稜線右側の崖の縁を行けばいいように思えるが、実際には縁のギリギリまで濃さは変わらないし崖は結構急なのであまり近づくわけにも行かない。それでも台地から3ピッチ、4ピッチとこいでいると徐々にハイマツは低くなり、やがて膝ぐらいの高さになる。そうして高天原に辿りつく訳だが、帰宅してから確認したところこの付近は「自然保護のため立ち入り禁止」となっていたため、どのような場所だったかの記述は控える。
高天原から1ピッチで剣ヶ峰到着&藪抜け(?)。一番乗りは大西だった。人まみれの山頂での藪抜けはちょっと恥ずかしかった。1泊2日の行程ではあるが、標高差1300mの藪を漕いで3000m峰に抜けるということでなかなか達成感はある。秋企画としても悪くないだろう。高天原周辺の立ち入り禁止区域を通らざるを得ないのが気になるが。廣長のカルピスを飲みながらここでも1時間ほど休憩。
下りは川原にトップをしてもらう。出発前は気弱なことを言っていたが歩き始めると恐ろしく早い。雨は肩の小屋で降り止んだ。肩の小屋からは林道経由で畳平まで行く。その途中でまさかの雷鳴。今日こそ長時間行動で十石山避難小屋まで歩くつもりだったのだが、悪天時の限界上行動はよろしくないと言うことで今日は畳平までとする。雷鳴そのものは30分ぐらいで遠ざかっていったものの、十石山避難小屋まで今日中に歩くのは時間的になかなかシビアであること、天気予報が「夜は雷伴った強い雨」だったことから畳平サイトは動かなかった。
ところがパトロールの方にお話を伺ったところ、畳平はサイト禁止とのこと。話し合いの結果、畳平からバスに載って下山することに。ここに乗鞍隊の夏合宿は幕を閉じた。
まとめ
夏合宿というよりお楽しみ秋企画の様相だった。平年通りの夏合宿らしい夏合宿を期待していた向きには物足りなかったかも知れない。しかし僕は皆のモチベーションが低いのにむざむざ境峠から再入山するよりはましだったと思っている。1年会2年会に例年の藪合宿ほど経験を積ませてやれなかった事だけが心残りである。
不毛に長引いた審議に付き合ってくれた執行とOB、GPSを授けてくれた道藪隊、そしてこんなLについてきてくれた6人の精鋭に、心からの感謝を。
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