夏合宿北アルプス東稜線隊:その2



(1日目〜5日目は、その1へ)

8/11(日) 6日目

9.7km / 8.5p [山と高原地図9.5p]
5種池山荘3:30(10)4:55岩小屋沢岳5:005:34新越乗越山荘6:016:41鳴沢岳6:517:40赤沢岳7:58(10)9:51スバリ岳10:1511:00針ノ木岳11:1511:55針ノ木小屋6
【特記事項】
・熊出没に注意。
2494次コル(2500m付近)に崩落あり。
・スバリ岳及び針ノ木岳近辺は落石に注意。
・針ノ木小屋テント場はハズレの場所が多いので早めに到着したい
【記録】
           針ノ木小屋のテント場を確保するため23半で準備。テント場確保のためなら分離隊も厭わない旨を伝えて出発。この合宿初めての、ちゃんとした日の出前行動。ヘッドランプ2個持ちのM田にトップを任せたらペースが速すぎて後ろが置いていかれた。ここだけヤマレコのログとってなくて悲しい。

爺ヶ岳と朝焼け

岩小屋沢岳という「ワンゲルの活動紹介」みたいな名前のピークからは立山が間近に望める。途中熊のフンが複数箇所に落ちていた。このあたりでは毎年熊の出没が多いらしい。

劔立山

新越山荘で水汲み。値段は種池・冷池と同じ200/L。同時にテント場確保のための分離隊をK原とM田で結成する。テントを全部2人で持つので荷物は重いが、頑張って11:00針ノ木小屋到着を目標に進んでもらう(どうせもっと巻くんだろうなあ)。鳴沢岳直前は岩っぽい。このあたりが立山連峰に再接近する場所なので、西側の眺めは素晴らしい。

赤沢岳へ

赤沢岳まで登ると黒部湖が眼下に見えるようになる。ここまで来るとスバリ岳の超絶嫌な登り返しが視界に入ってくる。鞍部付近に長野県側が大きく切れ落ちた痩せ尾根があるので通行注意。とはいえ普通に歩いていれば落ちることはないはず。スバリ岳の登り返しはザレの急登で、超しんどい。あと暑い。この合宿で1,2を争うキツさ。やっとのことで山頂に到着して、大高さんからご褒美カルピスが振る舞われた。たるみ中に高妻がキジペを落とし、おむすびころりんよろしく登山道を転がっていった。

針ノ木岳のとんでもない登り

針ノ木も100mほど登り返すが、なぜか鞍部付近で「ほーや」が聞こえる。登り始めるとなんと分離隊に出会った。テントを設営してここまでサブ装で引き返してくれたらしい。荷物を持つためらしいが、上級生は意地を張り2人を無視して猛然と進んでいく。荷物を持ちたい2人が上級生を追いかける。カオス。実質ピークハント状態で、M下までもめっちゃ頑張っている。1着はF谷だったらしい、さすが。K妻は「足が震えている」(M田談)らしいが明らかにトップのM田のペースが速すぎるからな気がする。1年会と元分離隊はゆっくり進んであとを追う。山頂に到着して写真撮影。N村とM下がM下の荷物の取り合いをしていた。割と激しく取り合いをしていてちょっと怖い。

針ノ木岳山頂

針ノ木からの下りはザレの急斜面で落石に注意しながら進む。テント場は結構上の方まで存在していて、小屋へのアクセスが面倒そう。なんなら落石が直撃しそうな場所に1張張られていて心配になる。我々のテントは小屋に一番近いところに張られていて、分離隊には感謝しかない。やはり爆速で小屋まで進んだらしい。トイレは有料と無料の2つがあって、A地は有料の方を平然と無料で使っていた。え?無料トイレ「槍見」の方は小窓から槍ヶ岳が見える。午後は余った餅を食べたり「行動食九十九」をしたりして荷物を減らすことに専念する。夕方ヤマテンをみたら、台風直撃の和賀の天気とは対照的に、明日の雨が晴れに変わっていた。これで7日連続の晴れ(????)。合宿って雨がデフォルトじゃないのか。もしかして合宿はまだ始まっていないのだろうか。宴会ではF谷ほか数名が煮干しにマシュマロを刺すという奇行を披露していた。怖すぎる。
蛮行

 

8/12(月) 7日目

5.8km / 8.0p [山と高原地図6.7p]
7針ノ木小屋5:056:06蓮華岳6:48(23)8:12北葛乗越8:229:20北葛岳9:4210:22七倉乗越〜(10)11:35七倉岳〜11:45船窪小屋12:5513:07船窪小屋テント場▲8
【特記事項】
・蓮華の大下り下部は岩場下りになるので落石に注意。
・七倉乗越の七倉岳側は急な岩場で、梯子とロープあり。
【記録】
35で準備したが、トイレ関係で5:05出発。蓮華岳までは序盤の急登を乗り越えればあとは緩やか。振り返れば針ノ木岳とマヤクボ沢のカールが見える。

針ノ木岳とマヤクボ沢のカール。眼下に針ノ木小屋

若一王子神社の奥宮を通過するとすぐに山頂。大町を見下ろす絶景。北を見れば白馬、南を見れば槍が聳える。去年南アから送られてきた集合写真に憧れて撮ってみたが、軍隊みたいになった。景色が良いのでピン写真を全員分撮る。リアクション数で人気投票みたいになってしまってあまりよくない(最下位はT谷の「落とされ写真」)。

撮り直し版

40分もたるんで蓮華の大下りへ。蓮華から烏帽子までの間は北ア主稜線の中でもマイナールートなので急に静かになる。序盤はザレの坂だが、ちょうど半分あたりから岩場の下りになる。去年鎖の掛け替えをしたらしいが、位置が微妙に使いづらい。ここでも2500m地点で2隊に分離し、渋滞を回避する。細かい落石が多くて少し面倒。

蓮華の大下り。裏銀座が見えてきた

北葛乗越は北アルプスの主稜線でありながら2200m台という驚異の低さ。槍ヶ岳との単純標高差は約1000m。北葛乗越から北葛岳への登り返しはスバリを思い出させるしんどさ。マイナールートな分、刈り払いも多少いい加減で、脇から薮がちょっかいを出してくる。もうこのあたりまで来ると、槍まで縦走すると伝えても驚かない登山者が多くなってしまった。目の前のピークが偽ピークかどうかの賭けに敗れたF谷は、山頂でのフルーツ缶(O高さん提供)をもらえなかった。残念。北葛岳からは懐かしの七倉岳が見えた。

七倉乗越付近。それなりに険しい

七倉乗越付近はだいぶ急で、特に七倉岳側は短いが不帰レベルの急な岩場である。炎天下、無限に続くかに思われた偽ピークと痩せ尾根をいくつも越え、ようやく七倉岳にたどり着く。T谷やK原など船窪デポ不参加組は「?」だが、隊の過半数は「ただいま!」の感情である。デポと同じ構図で集合写真を撮り、船窪小屋へ下る。

七倉岳。つかれた。

消毒済み雨水は小屋泊者用のため提供できないが、消毒してない雨水なら「秘密で」1L100円で分けてくれるらしいのでありがたくもらうことにする。山岳パトロールの人がここにもいた。
とりあえず一旦テント場に下って設営してからデポ回収に回ることにする。ところがテント場はあまりにも遠い。標高差にして100m弱を下らなければならず、体感的には無限に長い道のりだった。これもう一回登り返すの?やっとのことで到着するもテント場が狭すぎて一見張れないかと思われた。が、どうにか3張ねじ込む。10張張れるかどうかくらいの狭さ。一斗缶の数だけデポ回収組を作り、再び登り返す。本当に小屋が遠すぎる。N村は一斗缶解体をこの山行で一番(?)楽しみにしていたらしい。切る担当と潰す担当に分かれて作業をし、多すぎる中身をザックに入れてまたテント場に下る。とりあえずテントの周りにぶちまけて整理する。一斗缶の残骸は、「A地に持たせればいいじゃん」。もうすぐ分離のA地はゴミ担当か。再びF表を見直して食材を分配。そういえば2013年のFBにはここのトイレは「この世の地獄」と書かれていたが、全く同感だった。もう使いたくない。

F再分配

明日不動南沢方面に進もうにも隊が異常なほどに疲弊しているので、一旦停滞して回復することにした。荷物は散らかったまま放置されていたが、さすがに熊とかに荒らされそうなので仕方なくザックに収める。崩壊して使えなくなったという水場も見に行ってみたが、普通に水が出ているので整備すれば使えそうな気がしないでもなかった。M田が不動南沢方面の情報を他の登山者から仕入れてきたのでそれを聞く。まあ前情報通り色々崩落しているらしいが、事故があった不動付近は刈り払いされて通りやすくなったらしいのであまり深刻な印象は受けなかった。夜はLとK西がオカンした。めっちゃ虫に刺された。
 
 

8/13(火) 8日目

4.0km / 分離隊2.6p [山と高原地図5.0p]
7船窪小屋テント場(本隊終日停滞)8
(水汲み分離隊)船窪小屋テント場6:246:43船窪乗越〜7:23船窪沢出合8:339:24船窪乗越9:3410:05船窪小屋テント場
【特記事項】
・船窪乗越から針ノ木谷に降りる道はトラバース部分が藪っぽい。
・船窪小屋の水がない場合は針ノ木谷または船窪沢で汲める。
【記録】
本隊は停滞だが、船窪小屋はここ最近雨が降っていないという理由で水を分けてくれないらしいので、分離隊(L、M田、A地、K妻)を出して水汲みをする。船窪乗越から針ノ木谷に下りる道はマイナールートで、序盤のトラバース路はそれなりに藪に覆われていて、足場も狭い。何度か軽く滑り落ちながら進む。尾根上に乗ると突然歩きやすくなり、快調に沢まで下れた。小屋の人の話によると、「船窪沢の水は汲めるが、針ノ木谷本流の水はわからない」とのことだった。「わからない」とは?って感じだが、汲みやすいので本流でも汲むことにする。とりあえず全員水浴び。空は曇り始めて普通に寒いので、みんな程々のところまでで終わりにする。昨日臭いを指摘されたM田は念入りに水浴びをしていた。A地は独特な水の浴び方をしていて謎。

船窪沢出合。本流の倒木は平均台

出発しようとすると針ノ木谷遡行者が2パーティー訪れて、片方は普通にルートミスをしていた。登り返しがしんどいのでトップにはゆっくり行ってもらう。K妻が下界の誘惑(カツ丼)に負けそうになっていたが、2p目でテント場到着。水の再分配は後回しにして、小屋にカレーを食べに行く。明らかにレトルトだがとても美味しい。T谷はアルファ米を追いご飯のつもりで持って行ったが、これが幸いしてカレーにありつけていた。腕相撲大会(T谷強すぎ)を開催し、テント場に戻る。

船窪のナイフリッジ遠望。

不動方面から続々と登山者が到着し、そのうちの1パーティーに話を聞く。曰く、「人間が通れる状態ではない」とのこと。特に南沢乗越付近の崩壊が著しく、足を置く場所が数センチずれれば確実に谷底に吸い込まれるという。実際に滑落痕があったらしい。南沢乗越の下流には裏銀座登山口の濁沢があり、7/31に今年2度目の土石流により橋が流失しているのだが、おそらくこの時に崩落が進行したのではないか、と推察。不動や南沢の山頂付近の崩落は多くの人が藪を漕いで回避しているらしいが、南沢乗越付近の藪は薄すぎて手がかりになり得ないとのこと。個人で軽量装備で行くならまだしも、ここを12人パーティー合宿装備で通過するのは不可能と判断した。
この時点で残されたルートは①ORで針ノ木谷におり、読売新道から赤牛経由で雲ノ平、②船窪新道で七倉山荘に下り、車道を歩いて高瀬ダムから烏帽子に登り返す、の2択。①案だと南沢出合付近の河原、奥黒部ヒュッテ、赤牛岳付近の二重稜線で計3泊、赤地(16日までに下りる必要がある)分離隊は10p近く行動し全体では行動予備日2日消化。②案なら高瀬ダム付近と烏帽子小屋の計2泊で予備日は1日で済み、分離隊を出す必要もない。しばらく今後の天気予報と睨めっこした結果、明日午前中は程度はどうあれ雨が降りそうで、沢歩きが必須な①案を取るなら、比較的マシな明後日出発するしかない(=予備日3日消化)。食料的には(昼サイトで1日分消費しているので)予備日4日分しか猶予がないから、ここで残り1日まで減らしてしまうと完遂がだいぶ危うい…。
したがって明日は行動予備日の消費を最小に抑えるため、全員で七倉登山口まで降りてA地を分離し、明後日高瀬ダムから烏帽子に登る方針にした。夕方から雨が降り出し、重い地響きを何度も聞いた。雷かと思ったがおそらく落石の音だということで意見が一致した。テント場の上方には崩落地があって、そこから崩落が進んでいると思われた。これでは船窪〜南沢の稜線の崩落も仕方ないな、なんて思いながら就寝。
 

8/14(水) 9日目

9.6km / 7.2p [山と高原地図6.9p]
8船窪小屋テント場4:204:41船窪小屋〜5:17天狗の庭5:276:17鼻突八丁6:27(10)8:08唐沢のぞき〜(10)9:41七倉山荘12:30(10)14:20高瀬ダム▲9
【特記事項】
・船窪新道は雨天時滑りやすい。
・高瀬ダムは湯俣方面のトンネル入口に幕営スペースあり(駅カン的なグレーゾーンにつき自己責任で)
【記録】
多すぎる荷物を意地で押し込み、2日間お世話になったテント場に別れを告げる。N村とK原はもはや入り切ってない感じ。行動開始時は小雨。ようやく合宿が始まったかーなどと冗談を飛ばす。デポ山行の時には絶景を拝むことができた天狗の庭も、この天気では何も見せてくれない。鼻突八丁の急坂を下っていると雨が止んだので、雨具を脱ぎ始める人もちらほら。結局合宿15日間で行動中に雨が降ったのはここだけで、2時間程度小雨が降っただけだった。ここの急坂は本当に凶悪で、滑って転倒する人多数。F谷が転倒して手から出血(ヘルボ動員)、M下は手に青あざ。その他負傷者複数。木の根が飛び出ているので、雨が降ると全体的にヌメヌメした道になってしまうようだ。最後の1pはせっかくなのでトップをA地にやってもらう。60分くらいを無理やり1pにしようと考えていたが、赤地がだいぶゆっくり進むのでそれなりに伸びてしまった。

一時下山。

七倉山荘駐車場の隅で荷物を展開し、A地に持って帰ってもらうサイマスごみ等を渡す。A地のザックはサイマスごみでいっぱいになってしまった。かわいそう。せっかく温泉があるのでみんなで入りに行くが、F谷とM田は入らないらしい(上高地までのモチベ的な意味で)。ありがたいことに館内には充電スペースがあって、我々の大量の電子機器が蛸足配線に群がることになった。山荘のオーナーっぽい人に宿泊場所を尋ねられたが、ルールガン無視サイトをするとは言えないので、七倉のテント場を利用するという大嘘をついておく。烏帽子小屋も最近雨が降ってなくて雨水の利用制限が12Lに制限されているらしいので、翌々日の野口五郎小屋までの飲みポリも汲んでいく。12発しかポリがないので飲み水は少しシビア。
七倉山荘の前でA地お別れ写真を撮って、11人で再出発。このゲートをくぐるのはデポを含めればもう3回目。高瀬ダムまでの道は相変わらず暗いトンネルから始まる。重い人は35kgを超えるザックを背負ってひたすら車道を歩く。車道歩きあるあるだが隊列は崩壊し、各自で高瀬ダムを目指す。東電関係者の車やタクシーに何度も追い抜かれてやる気喪失。最後の無限つづら折りを詰めて高瀬ダム到着。サライ。雨のはずだが意外と耐えている。

高瀬ダム(翌朝)

先についた人たちはタクシーの運ちゃんからテントを張る場所をアドバイスされたらしい。湯俣登山口へ向かうトンネルの入り口の脇にちょっとした広場があって、この時期はダムの管理者(東電の関係者?)はあまりそこを通らないとのこと。確かに3張余裕で張れそうなので使わせてもらう。夕方は雷雨になった。サイト中はテント内がサウナになって地獄。明日登るブナ立尾根の殺意溢れる等高線を見て見ぬふりしつつ就寝。

 

8/15(木) 10日目

6.7km / 9.0p [山と高原地図8.4p]
9高瀬ダム5:355:55濁沢〜6:02裏銀座登山口6:076:30十一番6:377:00十番7:077:22権太落とし(九番)7:37八番7:427:58七番8:058:38中休み(六番)8:45(7)9:50小屋ノ沢三角点(四番)10:00(7*3)11:50烏帽子小屋12:4012:55ニセ烏帽子〜13:18烏帽子岳14:0014:22ニセ烏帽子〜14:34烏帽子小屋10
【特記事項】
・濁沢の橋はよく流出する(2024年度既に3回流出)ので、ブナ立尾根をルートに取る場合は竹村新道も予備ルートとして取るのが良い
【記録】
高瀬ダムからまだ重いザックを背負ってリスタートを切る。Fの解放で3kgぐらい減った人もいるが、まだ一番軽い人でも25kg程度ある。恐ろしい合宿だ。濁沢のキャンプ場は、デポに来た時よりも明らかに地面が高い。7/31の土石流で土手が決壊し埋め尽くされてしまったようだ。デポ山行のときTT写真を撮影した土手はもう消滅していた。土砂の量は凄まじく、よくある工事関係の「立入禁止」看板の「止」まで埋まっていた。

土石流の爪痕

地面はまだ水を多く含んでいて、足の置き場所を間違えると足首〜脛の下の方まで埋まる。特にO高さんとF谷はかなりずぶずぶいっていた(荷物が多いからだろうか)。なるべく固まっていそうなところを選びつつ濁沢の丸太橋に到着。デポ山行の時より流路が10mくらい烏帽子岳側に移動している。橋は細くて、明らかに洪水に耐えられる作りではない(特大フラグ)。

まるで流砂

ブナ立尾根は日本三大急登に数えられるほどの傾斜なので、ショートピッチを切りつつ登っていくことにする。登山口から小屋まで12番〜0番の番号が振られているから、この番号札のあるところで7分たるみにする。我々のペースでは各番号の間隔は2030分ほどだった。12番から11番までの間は、鉄階段が無限に続く。もはや山ではなく階段を登りに来ている感覚である。11番以降は割と普通の登山道に戻る。傾斜は急ではあるが、九十九折で登っていくのであまり辛くはない。9番の権太落としでは、権太が果たしてどこから落とされたのか議論になっていた。途中笠ヶ岳から来たパーティーとすれ違う。ルートの組み方が自由自在なのは北アのいいところだ。3番〜2番あたりで小雨が一瞬パラついたので雨具を着るように指示したが、すぐ止んで蒸し風呂登山みたいな状態になった。このあたりまで上がってくると電波を拾える。西稜線隊の集合写真に写る人数が少なすぎるという話が出たが、東稜線隊が体力・体調による離脱者を出していないのは、1年会が強いからという理由に尽きるだろう。みんな、えらい。小屋が近づくとみんなで「烏帽子」コールをしながら登る。当然恥ずかしいからか全員やっているわけではなさそう。
烏帽子小屋に着くと西側の展望が一気に開けて気分爽快。なんと船窪小屋でお会いした山岳パトロールの方がここにもいらして、アミノバイタルを分けて下さった。ありがたすぎる。味の素とグルになって宣伝しているらしい。我々のことは覚えていないかに思われたが、M田を見ると「君は特徴的だから覚えてるよ」草。小屋で受付をしてひとまずテントを設営する。テント場は野口五郎方面に3分ほど進んだところにある。整地された小さな区画が段々になって並んでいて、広いスペースはあまりない。少し下がったところに頑張って3張ねじ込んだが45天は石に少し被ってしまった。
烏帽子ピストン(希望者は南沢ピストン)のためsub装に切り替えて出発。上空は晴れているが、標高2600mより上はガスがかかりがち。ニセ烏帽子までくるとガスが一瞬晴れて、烏帽子岳の岩峰が現れた。奇異な山容が目を引く。山頂の手前は岩場をトラバースするところがあって、足を置ける幅は登山靴の幅とほぼ同じくらい狭い。山頂は狭いので集合写真は少し苦労したが、一応M田が異様に目立つ「帽子岳」の写真が撮れた。O高さんは岩を登って本当の山頂に立っていた。南沢岳ピストンをしたい人がいないか聞くと、O高さん・K原・M田の3人が集まったので(Lは疲れたのでリタイア)、この3人で分離隊を結成して先に出発してもらう。本隊はしばらくたるんだあと、寒くなってきたので小屋に戻った。

烏帽子岳。奇妙な山容。

本隊がそろそろサイトを始めようかとか言っているときに分離隊が帰ってきた。めっちゃ巻いたらしい、さすが。サイトをしていると大粒の雨が降り出し、雷鳴。周囲は木々に囲まれているのでまあ大丈夫かと思っていると、突如付近に落雷して轟音が響いたので、サイトを放棄して全員小屋まで走る。だいぶ長い間降り続いており、N村やK妻は濡れて寒がっている。さすがに小屋の中なので外よりは暖かいがゴアマを分配して体温低下を防ぐ。小屋の自炊スペースを最大限活用して待機する。小屋の食堂を覗くと、奥にあるテレビで台風情報を報道している。進路はだいぶ東に外れ、北アはあまり影響がなさそうだ。するとどこからか電話がかかってきて、小屋の方が「濁沢の橋が流されました」とアナウンスする。鮮やかな伏線回収。この程度の雨で流されてしまうとは驚きだ。橋流失を知らせる看板がまるで用意されていたかのごとくスッと出てきた。そこに労力をかけるくらいならちゃんとした橋を架けなさいよ。

どんぶらこ

しばらくして雨雲が去ったのでテントに戻ってサイト続行。幸いテントは若干浸水した程度で目立った被害はなかった。小屋の方の話によると、テント場は避雷針があるから落雷の心配はないとのこと。さっきはその避雷針に落雷したらしい。設営時に知っていればこの無駄足は避けられたと思うと、反省案件。夜も時々小雨がぱらつく天気だった。発雷確率が低そうなので、予定通り安心して雲ノ平に停滞することにする。就寝前Lは雲ノ平の予約を忘れていたことに気づき、大急ぎで済ませた。


(続きはその3へ)

0 件のコメント:

コメントを投稿