夏合宿薮隊 南ア深南部

夏合宿薮隊 南ア深南部 FB

2年ぶりの夏合宿薮隊は南ア深南部へと向かい、紆余曲折あったものの無事入山時の計画を完遂することができた。長期合宿の経験を積み、隊員の練度を向上させ来年へとつなげる上で、満足のいく合宿となった。


記:福家将斗

◎参加者

4 三田 3 塩野、長藤、春木、L福家 2 F朝比奈、(F)H大坪、W鴨田、E川辺

1 加納、加茂、酒井


8/14(日) 曇りたまにガス

東京=(電車)=水窪駅=(タクシー)=ゲート前駐車場 17:25~17:56 戸中山林道ゲート~(10)~(ヘッデン装着5分)~19:20 日陰沢(水汲み) 19:32~19:48黒法師岳登山口▲1

 合宿の始まりは波乱に満ちていた。2年会が次々にコロナに倒れ、その復帰を待つため入山日を大幅に遅らせた。後遺症が重く毎日夕方になると熱を出していた川中を連れて行くことは断念せざるを得なかった。2年会の重要なツッコミ役であり、Eとして合宿のために色々な仕事をしてもらっていただけに本当に惜しい。

 また参加者の予定が調整可能な範囲で行程を調整した結果、当初より泊数を減らしER1で入山することになってしまった。アプローチも大幅に変更され水窪(“みざくぼ”と読むらしい)側からになったため、青春18きっぷで全員向かうことになった。長藤が諸々の調整をしてくれて本当に助かった。

 当日、鴨田が忘れ物をして新幹線で合流することになったり、塩野が餅を忘れて途中の乗り換え時間で買いに行ったりはしたものの致命的なミスなく水窪駅に到着し、目の前で待っていたマイクロバスに乗る。しかしここからが大変だった。前日の台風の影響で水窪ダム以降の林道が激しく荒れていた。大きな倒木や一抱え程ある落石が行く手を阻み、いちいちバスから降りて薮ノコなどで除去しなければならず、何事もなければ35分で着くところを1時間30分程かけることになった。とはいえこの人数でなければ早々にバスを諦めて何時間も歩くことになっていたことを鑑みれば、この程度で済んで良かったと言える。

 戸中山林道は歩きやすいが、落石が多く車が通るのは難しい。台風の影響なのか沢筋は殆ど水が出ていて、汲もうと思った時に汲める。微妙に登り基調なのが煩わしい。川辺が道中で白神での某氏の秘蔵エピソードを披露してくれて隊は一日中その話題で持ちきりだったが、睡眠時間を出来るだけ長く確保するために少々急かして進み、ギリギリまでヘッデンを出さず、たるみも控えめに進んだ。水汲みは黒法師岳登山口直前の日陰沢で行った。林道脇が滝になっており水量は豊富。足場は少々悪い。サイト分と翌日の飲みポリ分を汲ませて更に進む。

 黒法師岳登山口を少し過ぎた平坦地でザックを下ろし、この日の幕営地とした。最初のサイマスは鴨田。この林道には全体的にヒルがいるらしく、噛まれた人間がちらほらいた。7天はどちらも十数匹テント内に侵入され、三田さんはキジぺで包んで外に出して火葬していたらしい。3天に入ったLは同居人の川辺と互いにチェックして完全に防ぎ切った(乳首がヒルかと思って一瞬焦った)ので安心して眠れたが、7天勢はヒルに怯えながらシュラフの入り口を閉めて寝たようだ。3天に振ってくれた鴨田に感謝。


8/15(月)晴れ→曇り・ガス

▲1黒法師岳登山口 05:05〜05:52 1420m地点 06:02~06:10 ヤレヤレ平~06:45 1790m地点 06:55~07:15 等高尾根分岐~(空身)~07:43 黒法師岳 07:48~(空身)~08:15 等高尾根分岐 08:22~09:15 1600m地点 09:25~09:43 ヤレヤレ平~10:35 黒法師岳登山口 10:55~11:00 水場 11:18~11:22 不動岳登山口~11:40 1170m地点(塩野処置,たるみ) 12:10~12:50 1424p 13:00~13:55 1700m地点 14:05~14:34 1863p~15:30 鎌薙の頭~16:32 鹿ノ平▲2(下線部サブ装)

 3半5で出発。1分間スピーチは朝比奈で、社会人になっても部活の仲間と定期的に会いたいという話。サブ装にして片方の7天に荷物を集めるのに少し時間がかかった。黒法師岳までは急登だが道は明瞭で登り下り共に道陣形で進む。サブ装だからか読みよりも大幅に縮み、相対的に荷物が重くて静かにバテるLを尻目にあっさり黒法師岳に着いた。しかしガスに覆われ展望はゼロで、一応集合写真を撮ったがすぐに引き返した。

 あとは来た道を引き返すだけだと思ったが、等高尾根分岐からの下りは踏み跡が錯綜しており、トップの川辺で大きく道を外し、落石の巣に入ってしまった。道に復帰するために各自バラバラにトラバースしていたため、人の頭ぐらいの大きさの落石が起きてしまって大変危なかった。フォールラインに人を立たせないよう指導できていなくて反省。その後も度々道を外してタイムロスしつつも、無事テントに戻る。

 ここまでで1000m上げて下げてきたので既に隊には疲労感が漂っていたが、まだ1000m上げないといけない。隊を急かしてテントを撤収させ、本ザックに戻して水場に向かわせる。

 今日のサイト予定地である鹿ノ平には東側に水場があるが、登り切ったあと日の入りまでに水汲みに行く余裕が無い可能性があったので残り4pの行動分とサイト分を汲ませる。長藤が睡眠不足でその場で寝始めている…。水汲みのついでに急登で汗をかいた体を清められてLは満足した。汲んだ位置よりも進んだ所に正規の水場があって黒いホースから水が出ていたが、水量はそこまで無かった。

 不動岳登山口は予備地図の位置よりもさらに進んだ場所にあり、初めは先ほどを超える急登。かつての林業の名残で倒木が多く、平坦地が少なくたるめる場所が無い。1170m地点付近でショートカットしようとした塩野がザレた急斜面に入ってしまい、数m滑り落ちて木に引っかかって止まった。Lのいた位置からは塩野の姿が見えず、滑り落ちる音だけが聞こえて心臓が止まるかと思った。滑り落ちた際に腕と額を擦りむいていたため、隊をたるませて処置する。実質的な初日からLポリを使うことになり、残量を気にしながら絆創膏を貼った。

 隊の速度は遅い。やはり累積標高差3000mはキツかったか…。塩野からは今更のように「頭おかしい計画」と言われLは傷ついた。大坪がいつもの様に死に始め、隊が大坪を境に二つに分かれていく。翌日以降の天気があまり良く無いことがわかっていたため、この日は是が非でも天図を取らなければいけなかった。読みよりも遅い速度になっていたため、1700m地点で弛んだ際にWの鴨田と三田さんを分離隊にして先に進ませた。本隊はトボトボ歩く大坪に合わせ、先に行った2人の3倍の時間をかけて進んだ。

鹿ノ平

 鹿ノ平は事前情報通り開けた笹原で木はまばらに生えている。ラジオに空電が入っていたのでサイマスを朝比奈にして木の近くの平坦地を探した。テントを立てようとすると丁度雨が降り始め、次第に雨脚が強くなっていった。サイトを始めて少し経った頃に雷雨が接近し、1km西側に雷が落ちた。注意が行き届いていなかったからか、絶妙にテントが安全地帯より遠く、テントの外に出て雷雨をやり過ごすことに…。鴨田にはその間ラジオを付けっぱなしにして空電を聞いてもらう。各自木の周囲でうずくまって耐える。ゴアマを着ていても全身びしょ濡れになって寒いが、長藤達は信じられないことにそのまま野晒しで寝ていたらしい。20分ほど耐えて雷が落ちてこないため、とりあえず再びテントに戻る。テントの中に足を入れるとなぜか靴下がびしょ濡れになり、特大コッヘルがひっくり返って中の汁がぶちまけられ、テント内に池を作っていたことが発覚。靴下からにんじんの匂いが漂いLは萎えた。とはいえ塩野が吸水速乾タオルを池の除去のために出してくれたのでテント内の状況は白毛門の沼天よりはマシになり、中断された飯炊きも春木のおかげでいつもと変わらぬ味だった。この日以降、Lと三田さんのスリングで物干し竿を作るのが定番になった。サイト後には疲労を癒すため軽く宴会した。春木の梅酒が美味しかった。


8/16(火)曇り時々雨

▲2鹿ノ平 05:05~05:35 分岐~06:05 アケ河内源流水場 06:13~07:40 1799p 07:52~08:42 六呂場山 08:52〜09:30 六呂場峠~09:50 1670m地点 10:05~10:20 矢筈山分岐~10:32 1762p~11:00 1745mピョコ 11:10~11:40 1814p~12:05 1890m地点 12:20~12:45 1995p~13:35 1901c 14:25~14:33 水場 14:54~15:10 1901c▲3(下線部サブ装)

 いつも通り3半5だが、今日からは薮陣形で進むので方針会議をやらせる。1分間スピーチは加茂が前日の荒行について話していた。

 まずは今日の行動分の水を確保するために鹿ノ平北西の水場(ヤマレコではアケ河内源流水場)に向かう。念の為三田さんをトップに出した。前日に様子を遠くから見てわかっていたことだが、かなり急な斜面で足元は笹か土。これが前日の雨で濡れて滑りやすい。先行させたトップから1年会を通すのは厳しいと報告が来たため、ある程度稜線から水場に下ったところで長藤と共に1年会と本ザックをデポし、残りで水場へと降りる。長藤はブロッコリーを腐らせザックが異臭を放っていた。水場の水量は前日の雨のためか非常に豊富で汲みやすい。ここまでで大分想定より時間がかかっていた。足場が悪いので慎重に戻り、本ザックに戻したあと斜めに登って稜線に復帰させ、トップは復帰次第伸ばして先を急ぐ。隊の疲労もあまり無かったので1799pまでロングピッチを切った。

 コルまでの下りはまたも足場が悪い。尾根が少し広くトップの春木と朝比奈がまとめて西側の斜面に落ちていった。落ちた先の稜線は細尾根になっていて復帰に難儀している。朝比奈はある程度すぐに復帰してトップに戻ったが春木が中々戻らず、本隊を先に進ませてLと三田さんで回収した。六呂場山はガスっていたが、晴れていても展望は無さそう。例の看板しか見所は無い。

「耳目は欺かない
判断が欺くのだ」

 六呂場山からの下りは尾根が少し不明瞭で角度を切って進む。非常に急。倒木が煩わしくザレていて、落石を時折誰かが起こしてしまい、危ない。加納はここまで全くバテた様子を見せなかったが、高所恐怖症気味なようで少し時間がかかりがち。三田さんとLでフォローしつつ本隊を追いかける。六呂場峠は到底本隊がサイトできるスペースは無く、1~2人用テントが精一杯だろう。水場が北側にあるらしい(twv2016)。

 矢筈山分岐から1814pまでは平坦な稜線歩き。歩きやすい。1814p前は少し二重稜線になっている。1814pから先は細尾根で足場が悪く、朝比奈が膝を痛めたようで速度が急速に落ちた。それでも13時半頃には1901cに着いた。今度は雷が落ちても安全な場所にテントを立て、朝比奈を待機させて隊をデポ缶回収に向かう三田さんをLとした7人と、水汲みに向かうL含む4人に分けた。1901c北西の水場は足場が安定していて水量もそこそこ。この日も体を清められてLは満足した。南側の崩壊地ギリギリでdocomoの電波も拾えて翌日以降の天気も確認できた。

1901c

 デポ缶回収班を待つ間、朝比奈に容態を聞くとどうやらこのまま完遂まで歩き通すことは難しそう。途中で分離下山するとなると、1日で分離隊が戻ってこられるのは1901cから西に降りるER3しか無い。戻ってきた三田さんとも相談し、一晩回復を待ってみて、翌朝無理そうであれば下山することにしてサイトを始めた。

 この日もサイト中に雨が降り始め、雷の音も遠くから聞こえたが今度は気にせず宴会をして寝た。


8/17(水)雨→曇り時々晴れ→雨

▲3 1901c 06:12~(10)~07:45 中又山~(10)~09:10 奥布山 09:19~10:20 奈良代林道チェーンゲート 10:45~11:05奈良代山登山口~11:25奥布山~(5)~12:30中又山~(5)~13:30 1901c▲4(全区間サブ装)

 目が覚めると猛烈な雨がテントを叩いていた。中ノ尾根山まで進むにしても下山するにしても豪雨の中パッキングする程ではなかったので、雨が弱まるのを待っていつもより撤収を遅らせて準備を整えると、やはり朝比奈の膝は回復していない様だった。悩んだ結果この日にLと鴨田で朝比奈を奈良代林道チェーンゲートまで下ろし、そこから水窪ダムまで自力で歩いてもらってタクシーで水窪駅まで連れていってもらうことにした。電波が弱く電話は難しかったので例のごとく崩壊地ギリギリに寄って緊急連絡先の原さん、遭対の西田さんの両方にタクシーの手配をお願いし、朝比奈のザックをLと鴨田で交代して背負って下山を始めた。

 朝比奈の膝はかなり悪いようで勾配が下り基調になると途端に遅くなってしまう。ゆっくりと下っていると、合宿開始からここまでで一番の晴れ間が見え始めた。この日に中ノ尾根山まで進めていたらと思うと悔しい。遥か遠くに静岡湾が見える。

 少人数で歩いているからか、1ヶ月前のデポ山行より明らかに鹿に遭遇する頻度が高く、大声を出すと何頭も走り出して面白い。シヤウヅ山の東側の平坦地はガスが無いとまさに鹿の楽園といった雰囲気でワンゲルが普段行く薮とは全く雰囲気が異なる。一般人が「薮」と聞いて好意的に想像する感じの風景だ。4時間ほどかけて朝比奈をゲートまで連れてゆき、途中連絡の伝言を頼んで別れを告げた。

 翌日の天気が悪く予定していたピッチ数もそこそこあったので、サイト地に戻ったあと黒山北のコルまで3p進もうと考えてLと鴨田は全力で引き返した。先を行く鴨田が走り出し、全くLに容赦してくれないのでLは足を引っ張らないようついていく他なかった。雨上がりだからか虫が多くて立ち止まると死ぬほど煩わしいので、碌に弛まずに進む。

 しかし、2人で息も絶え絶えになりながらテントに辿り着き、準備をするように促すと、テントの中から微妙な顔をした三田さんが現れ、残りの隊員の総意として今日はもう動きたくなく、動く必要性も薄いという旨を伝えられた。結局この日はこのまま1901cで停滞ということになった。Lと鴨田は明日の隊の為を思って爆走してきたことも相まって隊との温度差を感じて切なかった。

 この日の宴会は荷を減らしたい上級生の思惑が重なって豪勢なものとなり、Lのウイスキーや春木の梅酒が大坪の手によって大量に消費された。


8/18(木)豪雨→曇り

▲4 1901c 05:15~06:00 2050m地点 06:10~06:23 黒沢山~06:45 2075p 06:55~08:10 黒山 08:25~(10)~10:22 ヒコウキ平~10:55 2214p 11:05~11:20 中ノ尾根山コル~11:50 中ノ尾根山 12:56~13:31 水場 13:54~(5)~14:38 中ノ尾根山▲5(下線部サブ装)

 今日も起きると外は雨だった。停滞組がscwのスクショ動画を撮っていてくれたおかげで昼過ぎには止むと分かっていたが、やはり気が重い。1分間スピーチは加納が再発見の重要性について話していた。

 35半で出発する。黒沢山の取り付きは急な笹で、例の如く笹と泥で滑る。トップは直登したがっているようで隊がだんだん北側にずれ、特に急な斜面を登ることになってしまった。Lが隊から少し離れてなだらかな部分を先に登っていると、後ろから追いついてきた加納が突然ザックを下ろした。体調が悪いのかと思ってLが声をかけようとすると、そのまま猛然と下りていく。Lが呆気にとられている間に本隊に合流し、遅れていた酒井のザックを持って再び登っていく。この時のLの驚きは間違いなく合宿を通して一番のものだった。途中の斜面で引き返したせいで無駄に体力を使っていたり、マップケースを落として後で引き返して探すことになったりはしたが、上級生が指示していなければそこまで手が回らないのは当然であり、その行動力には舌を巻くほかない。

 黒沢山の肩に登った頃から次第に雨脚が強くなっていた。隊をいつも通り弛ませると体が冷えて体力が奪われることを懸念して、ここからはロングピッチかつ短く弛んでゆっくり進み続けることにする。また途中で加納が激しく転倒した。痛みですぐには動けないようで、立ち上がると加納は問題ないと言い張るが、その後明らかに動きが悪くなる。また大坪も腰が痛いと言い出した。その上塩野は転んだ際にザックの腰ベルトのパックルが破損したらしい。塩野はとりあえず大丈夫なようだったので先に進ませる。

 間の悪いことに黒山に近づくにつれ雷雲が西側から接近してくる。一旦隊を止めてフライを被って凌ぐことを何度も考えたが、ここで止まっても雨は昼過ぎまで止まず、雷雲がいつ過ぎ去るかもわからず、ジリ貧になるのが一番怖い。結局は木に近づきすぎないよう指示して進ませ続けた。合宿を通じ、この区間が一番キツかっただろう。

 黒山北側では猛烈な雨とガスでトップの声が伝わらず、また疲労からか中継の長藤とトップの春木が伸びられず陣形が乱れ、西側に散開していたトップの大坪と一時連絡が取れなくなり大変焦る。三田さんが大坪に合流しLが中継して回収したが危うい場面だった。その後も何度目かわからない細尾根のアップダウンをこなし、2214pを越えた頃、雨が止んだことに気づいた。雲が薄くなり雨で冷え切った体に陽が当たると、それだけで隊に歓声が上がる。晴れ間が見える瞬間もあって隊の士気が一気に回復する。大坪の腰の痛みは心因性だったようで晴れた瞬間に痛みは無くなったらしい。そのまま中ノ尾根山に着き、準備を整えてから水汲みへと出発した。

中ノ尾根山

 この日の水汲みは過去に情報が無い谷筋で、赤布を打ちつつ慎重に進む。背丈笹の急な斜面を下っていくが中々沢の音が聞こえない。引き返せなくなることを懸念して、着いてきた酒井をその場に待機させる。しかしそこから30~40m程下るとガレ場になり、沢の音が一気に耳に入ってきた。笹に遮られて聞こえなかったようだ。ガレ場を落石に注意しながら下ると水場に着いた。水量は中々で普段も安定していそう。水浴びもして役得を味わいつつ、引き返す。登りはラッセル陣形になり少し辛いがワンゲルなら十分使える水場だろう。

 厳しい区間を無事越えて、翌日は晴れ予報となっていたため隊の雰囲気は明るい。中ノ尾根山はdocomoもauも2本入るので、この日は昨日同様春木が見つけてきた某資料を肴に宴会して寝た。


8/19(金)晴れ

▲5 中ノ尾根山 05:05~05:36 ドーム(2251p)~05:50 三又山~06:15 2160m地点 06:30~07:20 2181p 07:30~08:00 鶏冠山南峰 08:12~09:25 鶏冠山北峰 09:50~10:50 2100m地点 11:05~11:55 分岐 12:05~12:09 池口岳南峰 12:23~12:27 分岐 12:33~13:05 池口岳北峰 13:20~13:35 加加森分岐~13:50 水場 14:13~14:41 池口鹿ノ平▲6

 3半5起床。朝はもち茶漬け。1分間スピーチは大坪が休息の大切さを語っていた。コノヤロウ…。

 今日は合宿中唯一の天気を全く心配しなくて良い日である。中ノ尾根山からの下りは尾根が広く不明瞭なため、トップは散開し角度を切って進むこととする。2251p手前で尾根が狭くなったためそれ以降は一列。三又山は正解尾根、間違い尾根ともに明瞭。そこから先は藪も下草程度の平坦な稜線歩きであり、もはやハイキング。ピッチからはいよいよ核心部の鶏冠山に向かう登りとなるため、トップ三田さん、セカンド鴨田の道陣形で進むこととする。

 南峰からの下りは始めザレていて不明瞭。少し地図よりも東寄りに降りてゆき、最後に西側にトラバースして中間のピョコに取り付く。ピョコ上は非常に細くハイマツを握りしめて安全を確保しつつ進む。ピョコからの下りは岩稜に土がついていて少し厄介。一箇所残置ロープが出ていたが、十数人が連続して全体重を預けるには信用できなかったのでスリングを出して手がかりにし、殿のLが回収した。ピョコ下のコルからは普段通りの急登。

 無事核心を越えて鶏冠山北峰でしっかりたるみ、鶏冠山北峰から先は再び藪陣形に戻す。ここで塩野の腰ベルトがご臨終を迎えたことを伝えられたので、隊を止めて応急処置をする。三田さんが持っていたロープスリングと余分に持ってきていたカラビナを駆使してガルダーヒッチを軸になんとか処置したが、以降何度も調整することになる。北峰からの下りは尾根が広かったため、初トップの加茂と補佐鴨田が右の沢状地形を確認しに行き、真ん中長藤、左の間違え尾根確認を川辺で散開したが、まもなくカモカモコンビが沢を確認しつつ笹ノ平に至る尾根に乗ったので、中継と本隊はそちらに続いた。笹ノ平は開けていて気持ちの良い素晴らしいサイト適地。本来はここでサイトする計画だったが、最終日に午前中で下山するために、計画を巻いて池口鹿ノ平まで行くこととする。

笹ノ平

 笹ノ平を過ぎると細尾根の急登。南アは本当に急登ばかりである。池口岳南峰手前でたるみとしてザックをデポし、空身でピークハントしつつ南峰に向かう。1位鴨田、2位三田さん。もはや名実ともに鴨田がTWV最強になったと言って良いだろう。南峰では三田さんの差し入れをいただきつつ、写真撮影。ふてぶてしいつぼーの写真が印象的である。戻ってザックを回収し、茶臼小屋のテン場の予約をして先を急ぐ。

 池口岳北峰から先は暑さもあり、隊のスピードが落ちる。Lは三田さんに余った水をかけてもらって暑さをしのいだ。酒井は暑さでバテていたが帽子をかぶったら改善したとのこと。池口鹿ノ平南西の水場は標識があった。最初は数人の水汲み隊を編成して水汲みをしようと考えていたが、トップが偵察しにいったところ水場まで片道1分とのことだったので、各々水汲みに行くこととする。冷たい水が暑さで火照った体に沁み渡る。いつも通りLは水浴びし、鴨田と加納もこれに続いたが、加納は全身に水を浴びて凍えていた。池口鹿ノ平まではごく近く、踏み跡も明瞭のためトップを加茂にして一列で進む。明らかなサイト適地に着いたのに、加茂はさらに登って先へ進もうとするので、引き留めて適当な場所でテントを張ることにした。

池口鹿ノ平

 池口鹿ノ平は今合宿でも最高のテン場だった。手頃な広さの平坦地であり、下草が程よく生えていて背に当たるごろつきもない。ロープを張って物干し竿とし、連日の雨で濡れた装備を乾かしつつみな思い思いに時を過ごす。長藤が初日の林道で汲んだ水をそのまま使わずに持っていたらアンモニア臭がしだしたとぼやいていたが自業自得としか思えない。この日のサイマスは加茂を任命したが、テントの割り振りの際、iPhone派とAndroid派で分けることを提案。上手くいくわけがないと思っていたが、な、なんと人数・構成ともにちょうどよく配分された。最初はiPhoneテン、Androidテン、と呼んでいたが、いつの間にか、誰が言い出したのか(1年会だった気がする)、iPhoneテンを「アフォテン」、Androidテンを「ドロテン」と呼ぶようになった。すっかりみんな気に入ってしまい、以後定着した。

 雲が次第に出てきていたので寒がりのLは当然テント内でサイトするつもりだったが、1年会を始めとする大勢に押し切られて外サイトとなった。後から三田さんに文句を言われたがその場で助勢して欲しかった。出来るだけ日が長くあたっていそうな場所を探して外サイトを始める。ここで、Lがゴミヘッドを中の尾根山にデポってきたことが発覚する。ゴミだと思う気持ちが強すぎて無意識のうちに置いてきてしまった、という訳ではなくただのミスである。フレームが捻じ曲がって合宿後に廃棄することは決まっていたが不法投棄は良くない。猛省する。この場に無いことはもうどうしようもなかったので、以降はコッヘル大2つで汁を作り、特大1つで11人分のコメを炊くこととする。

 外サイトの欠点として、一度輪を作ってサイトを始めてしまうと輪から外れた人間がこれを手伝えなくなるというものがある。輪から弾かれてしまったLがしょうがなく塩野の腰ベルトを弄っていると、三田さんから腹部をマダニに噛まれていると伝えられた。Lは大慌てで三田さんを仰向けに寝かせて処置に取り掛かる。オピネルのナイフで取ろうとするが、皮膚が伸びてうまく切っ先がマダニに当たらず、当たっても剥がれない。もう一本ナイフを借りてバツの字を作りその交点でマダニを削ぎ取るようにすると剥がれた。運よく噛みついて固着した顎部ごと剥がれてくれた。消毒液でナイフと患部を入念に処理する。今思うと患部には抗生物質も塗るべきだった。

 一方塩野の腰ベルトはスリングを2本に切断して上下で留める構造にしたが、そのせいでザックを「着る」羽目になっていて依然改良の余地があった。現状考えられる最上の補修案を末尾に記している。腰ベルトの破損を撤退の理由にするのは甘えである。チェストストラップの破損など論外。

 翌日は茶臼小屋で泊まることになり、周囲を気にせず大騒ぎ出来る最後の日だったので、ドロテンで今山行初めて一つのテントで大宴会を開いた。例の資料について遭対を自ら引き受けた三田さんを中心に監査が行われ、活発な議論が交わされた。Lの出したもつ煮や塩野のソーセージなど、残り少なくなってきた差し入れを消費し、大盛り上がりとなって就寝はすっかり遅くなってしまった。


8/20(土)曇り時々晴れ間→ガス+雨

▲6 池口鹿ノ平 05:05~05:51 加加森山 06:05~07:04 2290m地点 07:14~08:13 光石分岐 08:22~(空身)~08:28 光石 08:45~(空身)~08:50 光石分岐 09:00~09:17 光岳小屋~09:30 イザルガ岳 09:40~09:45 分岐 09:58~10:41 三吉平~(5)~11:45 易老岳 11:50~12:40 2410m 12:50~13:02 希望峰 13:08~13:45 茶臼岳~14:00 茶臼小屋下降点~14:13 茶臼小屋 ▲7

 3半5起床。朝のかに玉雑炊はすごく美味しかった。1分間スピーチは酒井が前日に暑さでバテた話。最初のピッチは川辺トップで一列。寝起きながら標高を上げ加加森山に至る。このピッチはかなり巻いており、素晴らしい。加加森山は特に何もないイモピーク。サイト適地も無さそう。山頂でのたるみでLと三田さんが三角点探しの旅に出ている間にトップ、中継はすでに出発した。ここからは藪トップとして1年会を補佐つきで出すこととする。基本的に藪は薄く、踏み跡があるところが多い。倒木を心配していたが、テープさえ正確に辿ればそれほど悩まされることはなく、あっさりと進んでいく。光岳までの上りでは尾根上を行くか、踏み跡をたどるかでトップが分かれながらも、なんとか正解の尾根上の踏み跡に辿り着く。加納は股関節がやはり痛むようで心配。最後の上りではトップ、中継、本体がほぼ一体化していて道陣形のようになっていた。そのまま耐えて登り続け、待望の薮抜けの瞬間が訪れる。すぐさま光石への分岐で藪抜け写真を撮る。長藤は山行中繰り返し精度を磨いてきたモノマネ「いや、そんなことないんで」で藪抜けしていた。表情がLのお気に入りなので、是非目の前で見てみて欲しい。

光石

 藪装を解除し、ザックをデポして空身で光石へと向かう。光石は素晴らしい好天に恵まれた。これまで辿ってきた山々が一望でき、万感の想いに浸る。集合写真は惜しくも参加できなかった川中、無念のER下山をした朝比奈に似た石を探しだして、メガネをかけて無事全員で写真撮影を行うことができた。互いに写真を撮りあっていたところ川辺のメガネがやや下の方に落ちてしまい、焦る。マップケースをつなげて肩がらみで三田さんを確保し、回収してもらった。

 分岐に戻って再び進む。ここからの道は驚くほど整備されていて美しく、まるで庭園を歩いているかのよう。イザルガ岳の分岐で再びザックをデポし、空身でピストンする。ここで、なななんと!三田さんからジュースの差し入れが!ここまで温存していたのが信じられない。皆で美味しくいただいた。分岐に戻ってタクシーを手配し、このあとも歩きやすい道を歩いて茶臼を目指す。次第に雨が降り始め、希望峰でゴアマをつけて茶臼手前の稜線に出ると、すぐに爆風にさらされた。先ほどの光石、イザルガの好天が嘘のようである。身体が冷え、とてもつらい。なんとか耐えて茶臼岳に着くも、ガスガスで全く眺望もない。早くテン場に着きたい一心で、集合写真も撮らずに茶臼小屋を目指す。みな寒さと疲れからか無言でひたすら歩いた。

 そうしてついに茶臼小屋に到着した。小屋番の方は2016年の薮隊のことをまだ覚えていらっしゃって、2人分幕営料をまけてくれた。それでも1人2000円で計18000円。Lの財布がどんどん薄くなる。今山行初の整備されたテン場にみな喜ぶが、いざ行ってみると、どこも狭くて7天2張をできそうな場所がなかなかない。なんとか石をどかすなどしてスペースを作った。これなら藪中のサイト適地の方が快適…という声もちらほら聞こえる。雨が降りしきるなかテントを設営。Lは寒かったので水汲みは後回しにしてとりあえずテントに入り、カス缶で身体を温めた。小屋ではビール、酎ハイが売られており、各テント2本ずつ購入した。食欲の塊、三田さんの提案でサイト前ながら余ったコメを炊いて雑炊を作ったが、これが美味しく、身体もあたたまり最高だった。夜サイトは合宿最終日の定番、カレー。今は亡き朝比奈はいい仕事をした。行動食の余りや小屋で買ったツマミで軽く宴会して、就寝。


8/21(日) 明け方雨→曇り→晴れ

▲7 茶臼小屋 05:05~05:33 樺段~(8)~06:26 横窪沢小屋~06:52 中ノ段 07:02~07:30 ウソッコ沢避難小屋~(10)~08:23 ヤレヤレ峠~08:45 畑薙大吊橋 09:21~09:57 沼平ゲート

 今日も3半5。寝ている間はだいぶ雨が強かったようだが、朝起きると弱まっていた。とはいえ依然降り続いており、天気は良くない。朝サイトは柚子胡椒ペンネ。これでサイトも最後だと思うと感慨深い。1分間スピーチは鴨田の不思議の国のアリス症候群の話。

 今日はただひたすら1500mを下山する。最初のピッチはトップを大坪とするが、樺段までが読みよりも伸びている。タクシーをすでに予約している都合上、このままだと間に合わなくなるので、ピッチを早めに切り上げて鴨田をトップとし、隊を急かせながらできる限りのスピードで下山する。疲れを見せる大坪や膝の痛みに悩まされる川辺が遅れがちであったので、適宜Lや三田さん、長藤で荷物を抜きつつ急いだところ、なんとか読みよりも巻けるようになり、一安心。天気が耐えて雨が降らなかったのが幸いだった。しかし、疲れもあるのか皆小さな落石をちょくちょく起こす。それでも爆速下山を継続していると、横窪沢小屋を過ぎたあたりで加納が巨大落石を起こした。丁度このあたりは登山者が多く、我々のすぐ下には高齢者登山グループがいることが分かっていたので非常に焦る。加納の近くにいた面子で「ラーク!」と叫びまくった。トップの鴨田が藪トップばりの声量で下にいたグループに確認したところ、落石が当たったりはしなかったとのこと。かなり大きな落石で、当たっていたら大惨事になりかねなかったので、事故にならず本当によかった。落石の危険性・隊の練度不足を認識しながら指示の変更を怠ったLに責任があり、再び猛省する。タクシーに間に合いそうなこともあり、トップ鴨田のまま、スピードを落とすよう改めて指示する。その後はベンイマックスな長藤の喘ぎ声を聞きながらもほどほどのスピードで下山し、ついに畑薙大吊橋に到着した。このころには天気は非常に好転して空は晴れ渡っており、タクシーの到着まで時間もあるので、いったん大吊橋を渡ってザックをデポし、空身で吊橋に戻って写真撮影。皆思い思いに時間を過ごした。

 吊橋から戻ったところで、天突きを行う。何度か話は聞いていたものの実際の手順を確認したのは初めてで、こんなに怪しい儀式だとは思っていなかった。Lは口上を下書きしなかったため、何度か何を言うべきか忘れ恥ずかしい思いをした。その後は最後の林道を自由に歩く。沼平ゲートでジャンタク1台+普通車1台に別れ、白樺荘で温泉に入り、静岡駅で降りて、年越し企画と同じ店で打ち上げ。Lは当時を懐かしみつつしゃぶしゃぶの食べ放題を楽しんだ。しゃぶしゃぶから早々に離脱してひたすらアイスを食べ始めた加茂、ラストオーダーを過ぎてもカレーを食べ続けて腹が妊婦のように丸く突き出た川辺が印象的だった。店から移動し、ザックをデポしていた駅前の広場で反省会を行い解散した。


◎総評

合宿前も最中も様々な問題に直面したが、その度に最善策を考え実行し続け、結果入山時にやると決めたことをやり遂げることができた、苦楽に満ちた充実した合宿だった。来年を本命とする「つなぎ」の企画ではあるものの、それだけに失敗の許されない山行であり、無事成功裏に終わったことで果たせた意義は決して小さくないと信じている。支えてくれた隊員や、相談に乗ってくれた諸先輩方には心からの感謝を伝えたい。


◎おまけ

腰ベルト破損時の補修案



https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-4611423.html


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