【個人山行】大島

 参加者   4年会 LF曽根 W吉原   2年会 EH加藤

2022年5月6日(金曜日) 晴後曇

竹芝港=(船)


竹芝港21:00集合としたが、全員15分くらい前までには到着した。窓口で予約していた往復の乗船券を購入した時に係員にザックを見せて扱いを聞いたところ、普通に持ち込んで問題なしとのこと。しばらく時間があったので、船を見渡せるという事で加藤が集合前に行っていた2階のデッキに全員で行く。普段TWVの活動で行くことは滅多にない上品で落ち着いた空間で、人は多くなかったがそれによって醸し出された良い感じの雰囲気に浸る少しおしゃれな若者のカップルが目立ち、それとTWVとの格差等が話題になった。港に泊まっている船や対岸のお台場の夜景を眺めて過ごす。

船は今回乗る白と青の神津島行きさるびあ丸以外に、黄色の八丈島行き橘丸も泊まっていた。L以外の2人はいずれも初めての船という事でとても楽しみと言う。1階の建物外に置いていたザックのところに戻ると、いつの間にか建物内の人がすごく増えていて、まるでコロナ禍とは思えない盛況であった。乗船開始までまだ時間があったので、東京湾の夜景を眺めながら食べたいということで、夜食を買っていなかったL以外の2人は道路向かい側のファミマに調達しに行った。ここで忘れていたEチェとFチェを済ませ、2等は21:35に他から5分遅れで乗船開始。乗ったらザックを区画の近くの荷物置き場に置いてから、すぐに東京湾の夜景鑑賞のためにデッキに上がる。船は定刻通りに出航し、東京タワー、レインボーブリッジ、高層ビル群、工業地帯、羽田空港と様々な夜景を楽しむ。

とても混んでおり、学生の集団、若者のカップル、子連れの家族、中年の集団などと幅広い層が見られ、釣り勢や主にアジアの外国人観光客も多かった。普通にしゃべる人々だけでなくフローリングスペース等で宴会を開く集団もあったおかげでとても賑やかで、楽しそうに踊りまわる酔っ払いまでいた。このアプローチの雰囲気はTWVの山行としてはかなりキラキラしたものになった。しばらくするとだんだん人が減り、我々も夜食を済ませ、出航約50分後に羽田空港に飛行機が次々と着陸する光景を眺めた後に船の設備を見に周りながら客室に戻る。自販機には普通の飲み物以外にお菓子、カップ麺、アイスクリーム、洗面用具、酒を売っているものもありとても充実している。酒の自販機は何と運転免許証で年齢確認していたので、Lを含む免許なし勢は買うことができない。窓口横の運行案内によると明日は岡田港に到着するとのこと。元町港は中心集落にあるので優先されるものの海況の影響を受けやすく、Netの口コミサイトによると岡田港になることの方が7:3位の割合で圧倒的に多いため、低気圧が南西にあって天候があまりよくなさそうなこの状況では順当なところ。旅客スペースの中で一番下となる2階にある自分たちの区画に戻ると釣り目的の親子が相部屋であったが、定員12人に対し5人と空間のゆとりがあったことから、荷物取り出しの利便性のために荷物置き場に置いていたザックを区画に持ち込む。2階に携帯の電波は届かず、船のWi-Fiは繋がったが非常に遅くて基本的に使い物にならない(ただし、起きている人がすくなそうな時間帯は若干よくなったので、単純にシステム全体と陸側との間の通信速度不足かと思われる)。コンセントは1区画に2つある。レストランが23:30までやっていたので、折角の機会という事でLと加藤は追加の夜食を食べた。Lは軽めのフライドポテトで済ませたが、加藤はがっつりラーメンを食べていた。天気予報はあまりよくないところだったが、直前にも予報が割と変わっていたことから、前線上の低気圧の挙動の予測が難しくて不確かさが大きいと考え、起きてから早朝の天気予報を見て天候判断することにする。23:30に消灯され、程なくして就寝。


2022年5月7日(土曜日) 曇時々雨後晴

(船)=岡田港=(バス)=元町港=(徒歩)=(火山博物館)=(徒歩)=元町港=(バス)=地層切断面=(徒歩)=砂の浜=(バス)=トウシキキャンプ場=(徒歩)=(トウシキ遊泳場)=(徒歩)=(竜王埼)=

(徒歩)=(旧甚の丸邸)=(徒歩)=(踊り子の里資料館)=(徒歩)=(波浮港)=(徒歩)=

トウシキキャンプ場


目覚まし時計は5:13に設定していたが、Lは相部屋の親子の目覚まし時計の方で5:00に起床。給湯器を活用してLはあらかじめ用意したカップ麺でホカホカの朝食をとる予定だったが、給湯器の説明書きが紛らわしく、間違えて熱湯の蛇口の横に蛇口があったただの水を注いでしまった。やむなくそこにお湯を継ぎ足したが、ぬるい且つ味薄めになってしまった。幸いにも麺はしっかり軟らかくなったのとLがFも担当していたためF装の塩を足せたので何とかまずくなく食べられた。今後船の給湯器を使う場合は一旦少しだけ注いで確認すべきだ。なお、ただの水は普通に水汲みで使えるので、今後伊豆諸島の山行を出す時は乗船前に汲まなくて問題なさそう。天気予報を見るとしばらくは雨予報になっているのと、デッキに出た吉原によると三原山には普通にガスがかかっているとのことだったので、朝の入山は断念して午前中は観光することにする。午後は回復基調と予報されていたので、もし天候が良くなれば昼頃に入山する可能性は残した。5:40頃にデッキに出てみると想定より早くもう岡田港に着くところであった。定刻より少し早く岡田港に到着。降りる乗客多数。乗船券は下船時に回収されるのでなくさないように要注意。港の前には元町港行き、陸上競技場行き、三原山温泉行きの接続バスが停まっていた。当初は観光施設が開く9時頃まで岡田港でしばらく時間をつぶそうと考えていたが、周りにあまり施設がなさそうだったことから急遽接続バスで元町港に移動することにする。元町港行きは混んでいたので、同じ方向で元町港も通るはずで空いていた陸上競技場行きに乗りたかったが、係員によると陸上競技場行きは元町港に止まらないとのこと。多分遠近分離しているのだろう。仕方なく込んでいる元町港行きに乗る。バスに乗ろうとしたときに急にそこそこの雨が降り出し、この後も朝のうちは俄雨が続いた。カード派で現金をあまり持ってきていないと言う吉原が、バスが現金しか対応していないことを嘆いていたが、その点は大都市が恵まれているだけなので今後は心配要らない程度にしっかり持ってきてください。何とか全員乗り込めたくらいの満員状態で出発し、終点の元町港まであまり変化はなかった。元町港の建物は開いており、Wi-Fiはしっかり整備されている。ここで9時開館の火山博物館に行くまで時間をつぶす。L以外の2人はベンチで寝ていた。この間に近くの警察署に計画書も提出しに行く(なお、港で客船発着を監視しているパトカーもあるので早朝入山の場合はそこで提出できる)。海の方は時折隙間に青空が見られたが、陸の方はあまり改善が見られない。雨雲レーダーで強めの雨の状況も確認しながら出発し、開館とほぼ同時に到着。道中2013年の台風で大規模な土砂災害が発生した沢を渡った。幅は狭いが護岸等の設備がとても新しくて綺麗なので一目でわかる。火山博物館の展示はとても充実していた。参観客もまあまあいた。地環の吉原曰く解説は痒い所に手が届いていないのが惜しくてもう少し頑張ってほしいとのことだったが、地質が専門外の人間にとっては十分で、Lは頭が痛くなるほど沢山読んで楽しめた。博物館から出ると11時前になっていたので、丁度良い時間という事で昼食を食べることにする。下界なので行動食ではなく普通に食べることにする。元町の集落に戻って吉原が食べたいと言う海鮮食堂で食べた。庶民の手が届く範囲でやや高めの少しだけ高級程度の魚は、量はあまり多くなかったが美味しかった。食べ終わった時点で予報を見ても、午後は曇り続きである一方で日曜午前は好天が見込めることから、悪天候リスク低減と快適な山行のために土曜は終日下界停滞にして日曜に登ることにした。日曜に登るとテン場の位置の関係で本ルートの逆ルート入山になるが、船の時間の関係で4.6pある林道区間を歩くと2時頃に起きての日の出前行動になってしまいとてもつまらないので、トウシキキャンプ場から月と砂漠駐車場まではタクシー移動でカットすることにした。また、下山時も4月のダイヤ改正のせいで大型客船に接続するバスがないためタクシー利用になった。なお、本ルート起点の温泉ホテルにはホテルしかない一方、ERの末端の三原山頂口には昼食を摂れる茶屋や展望台があることからお鉢巡り後はERで下山することにした。時間ができた土曜は終日観光に充てることになり、元町港12時のバスで地層切断面に向かう。この頃下界は次第に晴れてきたが、三原山には相変わらず結局一日中雲がかかり続けた。地層切断面は道路沿いに長く続いており圧巻だった。

集落から離れた立地にもかかわらず観光客もある程度いた。時間的に丁度よさそうという事で、地層切断面から徒歩で移動して砂の浜を観光し、1時間後の次のバスでテン場に移動してザックを置くことにする。砂の浜はいかにも火山性の黒い砂が特徴的な海岸で、海水温もまだ低めで波は大きめだったが、晴れてきた中で気持ちよかったのでみんな波に浸かって楽しむ。

人もほとんどいなくて静かに南の島の雰囲気に浸ることができた。砂浜と一周道路の間にはシャワー付きのトイレがあったので、そこまで裸足で歩いて足に付いた砂を洗い流せた。バスで海洋国際高校まで移動し、そこから徒歩数分でテン場に着いた。トウシキキャンプ場は所々に石が散らばっているものの芝生が広くてすごしやすく、トイレ・シャワー・洗い場・かまど・ゴミ捨て場と施設が充実しており、しかもきれいに整備されているのでとても快適なテン場だ。現在はコロナ対策で区画がはっきり決められており、予約先着順で10団体までの利用制限がかかっているが、とてもありがたいことに何と無料である。着いた時点でも既に数組の先客がテントを張っていたが、区画間は距離がかなり空けられておりとても広々としている。ザックを置いて波浮観光に行くことにする。キャンプ場の外側では断崖の岩石海岸を見渡せる。そこを通る歩道を東へしばらく歩くと行き止まりに進んでトウシキ遊泳場に出た。岩々しくて全く遊泳場に見えなかったが、奥の方まで岩を繋いで渡っていくと岩と岩の間の深みでシュノーケリングしている人がいた。吉原は崖の断層に興味津々。車道に出てしばらく進むと右側にトウシキ園地の広い芝地が広がる。しばらく道なりに進むと波浮港への入口に差し掛かったが、地理院地図には描かれているもののGoogle Mapsや実際の風景的にぱっと見波浮港から波浮集落まで道があるか怪しそうだったので、一旦一周道路まで登る。一周道路をしばらく進むと波浮港見晴台があった。樹木に遮られて視界はあまり広くないが、対岸の波浮港を見下ろせるので少し休憩。

この辺りで雲行きが少し怪しくなり、傘をテン場から持ってきていなかったLは少し心配したが結局最後まで問題なかった。波浮の集落に入り、まずは竜王埼を観光。戦争中に軍が造った鉄砲場の遺構や、太平洋を望む展望台の眺望を見物できる。岬の環状になっている林道をぐるっと回って集落の中心部に戻り、商店で全員アイスクリームを購入。観光客は楽しそうなサイクリング勢やカップルが多い。吉原は船で多く見かけたのになぜか見当たらない普通の家族連れなどはどこに行ったのか訝しがる。アイスクリームを食べ歩きながら南へ旧甚の丸邸に向かう。甚の丸邸は保存されている伝統建築で、部屋の中には何もないが昔ながらの和風の建物の雰囲気を無料で楽しめる。2階は屋根裏が隔てられていないこともあり熱が籠っていて驚くほど暑く、緑が多い庭に戻るとそれと対照的なことでとても快適に思えた。ここで明日のタクシーの予約を入れるが、予約が取れた会社の営業開始が7時頃とのことなので明日は7時出発になった。集落から波浮港に下りる階段の道がしっかりあったので、そこを通って踊り子の里資料館を観光。ここも入場料は無料。川端康成の踊り子のモデルとなった人物が波浮に住んでいた点でゆかりがあるとのこと。踊り子や客の人形が多く展示されていた。最後の部屋の踊り子と演奏者の人形は何と通路のボタンを押すとBGM付きで体が動いたが、その踊る様子は不気味に見えた。波浮港に寄ってから海沿いではなく先ほどの坂道からまっすぐ国際海洋高校に抜ける最短経路でキャンプ場に戻る。ここまでの移動は交通機関も使ったことからORではなく下界扱いにしたため、まだ入山していないことになっている(もちろん入山連絡もしていない)のに夕食はサイト。サイトマスターは加藤で外サイト。洗い場があるので現地でしっかり野菜を洗うことができる。3人だけで水を沸かしながら用意だと野菜を切る人手が足りないため、先に野菜を切ってから沸かし始めたのと、普段TWVでは出てこない里芋と牛蒡の皮の剥き方がよくわからなくて手間取ったため、だいぶ時間がかかった。豚汁の具が水量に対して多かったので、余分なカス缶もあるし燃料計算は全く問題ないのと水は洗い場でいくらでも汲めることから水を追加。3人前なのに最大5人分のコッヘル大が一杯になったが、昼食がすくなめで行動食も全く食べていなかったことからみんな問題なし。沸いた後に火を小さくするのを忘れたためお湯が中から噴き出し、あわててコッヘルを降ろして一旦火を消し、新聞紙でこぼれたお湯を拭く場面もあったが、幸い持っていた吉原は無事だった。3人ともブキが大きかったので、ほぼ5人前でもギリギリおかわりに回さずに一回ですべて分配できた。豚汁は具も多くてとても食べ応えがあった。加藤はペペロンチーノ用の輪切りの唐辛子も入れていた。その後一旦夕陽を見に海岸に向かい、日が沈んで戻ってから茶飯と同時に宴会を開く。ささやかな規模で静か目の宴会になったが、主に4年会の恋バナは盛り上がった。豚汁が多くておなか一杯なので差し入れの消費は少なめ。宴会の後にやっと入山連絡を入れる。明日は出発時間に余裕があるのと、Lと吉原が持ってきた余分なカス缶のおかげで夜サイトでは満缶を1つしか開けていなかったので、節約のためにその1本の缶だけでパスタと茶飯の両方を作るため、2回調理する分の準備時間を延長して4半・6半とする。最初はみんなオカンする気満々だったが、一瞬雨がパラついたことからやはり南の島の天気は安定しないという事で念のためテントを全て立てる。Lは外で粘ることにしたが、2人はテント泊。蚊がいてテントの中にも入り込んでおり、みんな苦労した。また、Lは気温が高いことに油断してシュラフを使わなかったところ、寝ている間動かないことで体は普通に冷えてしまい寒かった。ザックをテントに入れてしまっており、取り出すと加藤を起こしてしまうことから耐える。オカンする時は雨覚悟でも物を取り出せるように必ずザックは手元に置きましょう。ただ、下界の雲はだんだん減ったことから綺麗な星空が見えたのでよかった。


2022年5月8日(日曜日) 晴後曇

トウシキキャンプ場=(タクシー)=月と砂漠駐車場7:32~7:41(もく星号遭難の地)7:42~7:43

(第一展望台)7:46~7:53(第二展望台/櫛形山)8:15~(8:20砂漠昼寝休憩の場所検討8:22)~(8:27砂漠昼寝休憩8:52)~テキサス分岐8:59~お鉢巡り分岐9:17~三原神社9:22~9:26(火口展望台)9:47~10:00(南展望台)10:05~10:14剣が峰10:44~

お鉢巡り分岐10:51~10:55三原神社11:10~(11:22熔岩流先端11:26)~11:41

三原山頂口


起床時点で既に日の出の直前になっていたことから周りは既に明るくなっていた。Lは他の人たちに配慮して携帯よりも音量の小さい腕時計の目覚ましを使ったところ、起きられずに吉原に起こされてしまった。後で聞いた話では吉原は3時半に起きてタブレットで課題をやっていたとのことで、お疲れ様です。起きた時点で体の芯は冷えていたが、気温が高いおかげで末端はそこまで寒くなく、少し動き出すと普通に問題なくなった。明るくて晴れていて気温も高いので、珍しく朝も広々と気持ちよい外サイト。


朝もありがたく洗い場を使ってマッシュルームを洗う。最初のペペロンチーノは昨晩の豚汁と対照的に段取り良くすぐにできた。いつもTWVのサイトで食べる麺は水を吸って柔らかすぎるということで、分配中に吸う水を考慮して気持ち少し硬めくらいで分配開始したことが成功で、パスタは食べる時にちょうどいい軟らかさになったのでいつもより美味しかった。吉原が持ってきたソースに調味料がついており、F装で別にして持ってくる必要はなかったので、今後材料にパスタソースと調味料の両方が含まれる時は重複を防ぐため、出発直前にFと振られている人たちで確認するのがよいだろう。3人分しかないこともありパスタを食べてから作った茶飯もすぐに出来上がり、6時撤収としていたところ5:40頃に完了してしまい、ゆっくりパッキングした後にタクシーまで30分以上余ってしまったのでのんびり過ごす。下界は完全に晴れているが三原山は時折外れるもののまだガスがかかっていた。伊豆諸島南部の低気圧の北西象限には乾燥した空気が入っているはずなのにと思いながら700hPaの湿数分布を見ると、そちらではなく北日本を通過した低気圧の方の寒冷前線の延長線上の、帯状の周りより湿潤な区域がかかっておりなるほどと思った。6:50頃に吉原がトイレに行った時に、既にタクシーが入り口の少し西側にある駐車場に来ているのを発見したのでキャンプ場を出発。途中筆島展望台に立ち寄る。低気圧北側で東風が卓越していることから東岸の波はとても大きい。明け方に夕方ごろまでの波浪注意報が出ていたが、それも納得だ。一周道路から月と砂漠駐車場までの車道は確かに狭くて歩行者と自動車のすれ違いも要注意。幸いすれ違わなかったが、自動車同士だと退避できるところまで戻る必要があり大変そうだ。テン場から月と砂漠駐車場までは筆島展望台経由で約35分かかり、迎車料金400円込みで運賃5400円。駐車場にはきれいに整備された仮設トイレが置かれており反対側の二子山方面への道は火山観測のため立入禁止となっていた。携帯はauもsoftbankも電波が入ったので、今後出す場合はここを末端にしてよさそう。今日の船は元町港とのことで、温泉の時間に余裕が出るのでよかった。TWV2015とTWV2018は両方とも往復岡田港利用になったため、TWVの山行で元町港利用になるのはこれが初めてである。波浪注意報は出ていたものの、東からのうねりが島に遮られるので西岸の海況は良好ということだろう。体操は加藤。トップも加藤で出発。まずは低木の樹林帯を進む。すぐに地図にない分岐のようなものがあり、小広場のようになっている左側へ進みそうになったが、少し先が明らかに不明瞭なので間違いだと気付いて戻る。程なくして限界上に出て裏砂漠の広大な黒い大地と右手の海の素晴らしい眺めが広がる。

下草がなくて道が不明瞭で、天気が良ければ問題ないがガスの時は薮と同様にトップと中継を前に出してしっかり散開して慎重にRFする必要があるだろう。1952年に旅客機「もく星号」が墜落した地点に碑が立っている。白石山からの稜線と合流する地点の第一展望台と櫛形山の第二展望台はともに眺望に優れている。このまま行くと船の時間までにどこかで1時間以上余りそうなので櫛形山以降は長たるみ多めにする。櫛形山でのたるみ中、吉原は楽しそうに石を観察。時間が余っているしこの特異な景観が広がる裏砂漠を急いで通り過ぎるのはもったいないということで、普通の観光客のようにゆっくりこの名所を楽しむべく、櫛形山とテキサス分岐の間の斜度が緩めかつ植物少な目で雰囲気が出るところを探し、砂漠昼寝休憩を取る。空は青く日差しは強烈だが気温はいい感じで、しばしゴロゴロして休む。

25分休憩してトップは吉原に交代して出発。この辺りはGoogle Mapsではなぜか適当に引かれていたが実際には道が全く見られず、遠くを見て確認しながら進む。道標を目印として東から上がってくるテキサス歩道に合流し、テキサス分岐を通って火口へ向かって上る。この辺りで裏砂漠から外れ、植生と熔岩が目立ってくる。吉原が元長距離の体力を活かしてガンガン飛ばすので、大した標高差でないのに上りがきつい。テキサス分岐からお鉢巡り分岐まで読みの半分強の時間で着いてしまった。剣が峰の方の火口の内側から蒸気が噴き出ているのが見える。そのままお鉢巡りを開始、お鉢巡りの道には柵がしっかり付けられており滑落の心配はなく、人もまあまあ多い。三原神社からはERから伸びる舗装路になった。三原神社のすぐ先に2階建ての展望台があったのでここでたるみ。トイレは何と普通の水洗式で、水タンクの上で手を洗える仕様だった。展望台の眺めは良いが風が強めで少し寒い。

読みよりかなり速く進んでいるお陰で時間がすごく余りそうなので、20分の長だるみを入れる。吉原は周りの熔岩に興味津々。ここでLは塩分チャージを差し入れる。吉原が余っている水を捨てたいと言うので、1L残して捨てていいことにする。かなり速く進んだので水が余って無理はない。トップ加藤に交代して出発。舗装路は内側の西展望台に伸び、ここからはお鉢巡りの道は再び登山道になる。空気中の水蒸気量が多くうっすらではあるが、右側に海上に浮かぶ南側の島々が見える。下には表砂漠が見えるが、規模的にも植生のすくなさ的にもやはり裏砂漠には全然及ばない。後で調べたところ以前はかなりの規模だったようだが、1950年以降の数回の噴火で広範囲が熔岩に埋まり、残った部分も緑化が進んでいるとのこと。三原新山は危険なようで登山道は外側を巻き最高点には立ち入れない。南展望台からは火口の深い陥没穴をよく見下ろせ、壮観な眺めを楽しめる。

のんびり景色を見ながら休みたかったが、風が強めで寒いのであまりたるまずに先に進む。程なくして剣が峰に到着。火口の反対側は先ほど通った裏砂漠、櫛形山を見渡せる。ここでも時間調整のため30分の長たるみ。ここで吉原からは干しみかん、加藤からはお菓子の差し入れ。長たるみの間に空がまた曇ってきた。電波が繋がったので下山のタクシーを予約。1社目は予約が埋まって取れず、2社目は三原山頂口12:30で取れたが、台数はあまり多くなさそうなので連休時は注意が必要そう。ここまで集合写真を撮っていなかったので他の人に撮ってもらい、出発。すぐ先では左側の崖の途中から先ほども見た蒸気が上がっている。

その先では右手に1986年に噴火した時の割れ目火口がある。細長いのが特徴的であった。お鉢巡り分岐に戻ってお鉢巡り完了。そのまま再び三原神社に向かい、そこで参拝だるみ。社は過去に噴火した時に流れた熔岩がギリギリで回避して破壊されなかったことから、神の力が宿っているのではと言われる。吉原はERは全区間舗装されているということでトレッキングシューズに履き替える。トップ吉原に交代して出発。この辺りの舗装路は幅も広くてとても歩きやすく。ハイキング気分でやって来た普段登山とは全く無縁そうな普段着の素人もちらほら見られ、その中にはロングスカートを履いた若い女性、キャリーバッグを引く年配男性、手提げ袋を持つ若い女性、歩きスマホの若い男性と、登山を完全に舐めていそうな人たちまでいた。中央火口丘を下りてからはカルデラ内の平坦な低木帯を進む。途中1986年熔岩流先端とパホイホイ熔岩に立ち寄り、最後に外輪山を少し上り返して三原山頂口に到着。展望台、避難休憩舎、案内所、茶屋のほかに何と派出所まであり、小型パトカーがしっかり停まっていた。タクシーまで丁度いい感じの時間が残っていたので茶屋で打ち上げ、待ち時間に下山連絡を入れる。天ぷら料理ばかりで美味しく、量も多く十分食べられた。食べている間にどんどんガスが濃くなってきたので、丁度良い時に登れてよかった。9時の天気図を見ると、6時の時点ではあまり明瞭ではなかった、伊豆諸島北部の局地的な気圧の谷が明瞭になっていた。食べ終わると丁度良い時間になっていたのでそのままタクシーに乗る。駐車場に着くとタクシーは既についていたので乗り込む。普通の車だった朝と異なり、6人乗りの大きめの車だったので、畳んでもらった後ろの座席に丁度3人分のザックが入り、中部座席の2人もゆったり乗れた。喋りやすくなかった朝の年配運転手と異なり、今度の中年運転手は明るくて色々雑談しながら元町へ向かう。元町浜の湯まで約15分、迎車料金400円込みで運賃2840円。元町浜の湯は天然温泉を使用した海沿いの混浴露天風呂であり、景色がいい上に入浴料も1人300円と安くてお得である。営業開始が13:00と遅めなので岡田港出港の場合はあまり利用時間がないのが欠点だが、これまでのTWVが行っていた御神火温泉は普通に屋内の浴場で料金710円とこちらの倍以上なので、時間に問題なければこちらの方がおすすめである。安全安心の水着着用義務となっているが、無料貸し出しがあるので持っていない人でも問題ない。なお、公式には13:00営業開始となっているが、12:50頃に着いた時点では既に入っている人がいたので実際はもう少し早めに開いている模様。便所は施設内にはなく、外側の公園内にしかないので注意。元町港出港のおかげで時間はたっぷりあるので30分のんびり浸かって海を眺める。三原山のガスは取れていた。前の集団が出たところで入り、次の集団が準備しているところで出たので丁度よく貸切状態で利用できた。出たところ出港40分前なのにもうさるびあ丸が到着するところだった。港まで少し距離がありそうだったので急ぎめで歩くが、5分で着いて時間は問題なかったのでお土産を購入してから乗船。帰りの船は区画貸し切り状態だった。乗って区画に入ったところで反省会を開く。Lと加藤はまだ体が熱くなっていた出発直後にハーゲンダッツのアイスクリームを食べる。風が強くて寒かったのであまりデッキで景色を見られず、みんなゴロゴロして割と寝ていた。東京湾の奥に行くとだんだん風が弱くなり、デッキで風景を楽しみやすくなった。羽田空港は行きの時と使用滑走路が変わっており、船のすぐ上を着陸する飛行機が次々と飛んで行き迫力があった。Lと吉原は18:15のラストオーダー直前にレストランに行き帰りの夕食の丼を食べる。レインボーブリッジをくぐってすぐにほぼ定刻通りに竹芝港に到着し、2日間の楽しかった船旅が終了、それぞれ帰宅の途に就いた。


まとめ

土曜日の天候があまりよくなかったことで安全を重視して停滞にしたため林道扱い区間がなくなり、トレとしては物足りなくなってしまったが、経路で一番おいしい所はいい天気の下でしっかりつまみ食いでき、短縮になった分は良い感じに観光に切り替えられたことで、与えられた条件の中でできるだけ良い選択を取って不利益をできるだけ小さくすることは上手くでき、隊員もみんな満足できたので良かった。とても楽しかったので機会があればまた離島企画を出したい。

0 件のコメント:

コメントを投稿