冬道合宿 祖母・傾縦走

冬道合宿の第2弾として、祖母山から傾山までの縦走を企画しました。当初は、5泊6日で大崩山から傾山を経て祖母山まで縦走する予定でしたが、悪天に祟られ、逆ルートでの祖母山からの入山の末に、傾山まで縦走したところで撤退しました。いろいろトラブルに見舞われた合宿でしたが、4日目の祖母~傾間の稜線では絶好の天気に恵まれ、春を迎えつつある九州山地の山々を満喫できました。


企画概要

冬山登山を行わないメンバー、通称「非冬」は、例年冬季の活動頻度が大幅に低下する。今年はその状況を改善し、非冬が目標をもって冬季の活動を行えるようにするための試みとして、気候のよくなってくる3月後半に、雪のない西日本の山域で大規模な縦走を行う、という「冬道合宿」を構想した。調整の末、最終的には熊野古道(小辺路・中辺路)と、今回の祖母~大崩縦走の2隊で実施することとなった。

当初の予定は以下の通り。

3/23(土) 延岡駅=(タクシー)=上祝子→大崩山荘▲1 (2.4p)

3/24(日) ▲1→(坊主尾根コース)→大崩山→鹿納山→お姫山→五葉岳▲2 (10.8p)

3/25(月) ▲2五葉岳→夏木山→大鋸・小鋸→新百姓山→杉ヶ越▲3 (8.6p)

3/26(火) ▲3→傾山→センゲン→九折越▲4 (6.8p)

3/27(水) ▲4→九折越→本谷山→尾平越→古祖母山→障子岳→祖母山→九合目小屋▲5 (12.2p)

3/28(木) ▲5→国観峠→神原登山口=(乗合タクシー)=豊後竹田駅 (4.7 p)

+入山予備日1、行動予備日1

大崩山坊主尾根コースや夏木山の大鋸・小鋸、傾山、祖母山南側などの岩場を含み、また大崩~傾は通行者が少なくバリエーションルートに近い、という少々チャレンジングなコースで企画した。 


記録

東京出発まで

3月頭までは日程調整など、面倒なこともあったが、まあまあ順調に、着実に準備が進んでいた。ところが3月中旬になっていろいろと不安材料が頻発してきた。

1つめは、複数人がアプローチに使う予定だったジェットスターで、労組が3月下旬でのストを宣言したこと。これは最終的には影響は少なく済んだものの、直前まで詳細がわからず不安だった。

2つめは、春は安定していると期待していた九州の天気が、入山予定期間の前半がかなりの悪天になる予報が出たこと。入山予備日を使って凌ぎ切れないか、とか、ERでうまく岩場を避けて、とかいろいろと考えたが、最終的には24日からの逆ルート入山とすることにした。前半の悪天候は祖母、傾周辺の小屋を頼りつつ耐え、後半は27日以降の好天を活用して核心部の傾~大崩縦走の完遂を狙う作戦だ。

3つめは、直前になって体力・知識とも頼りにする大高さんがインフルに罹患したこと。幸い入山前には復活し、本調子ではないと言いつつもたくさん働いてくださった。

集合は24日朝、豊後竹田駅とし、数人は22日、ほとんどの人は23日に東京を出て、各自各様の交通手段で東九州を目指した。


3/23(土) 天気:曇り時々雨

Lはフェリーで朝に宮崎港に着き、飫肥まで観光に行ってから普通電車で集合場所の豊後竹田駅を目指した。E,Fチェをしたところ、Lがペグを完全に忘れていたことが判明した。大枚をはたいて宮崎で購入する。宮崎駅で河原と高田、延岡で田村さんと合流し、のろのろと日豊本線を進む。小谷と酒井は既に竹田に着き、駅から少し離れた(なぜか別々の)公園で寝床を見つけたらしい。ほかの方はちゃんとした屋根の下で宿を取れたそうだ。

深夜になって豊後竹田駅に着くと既に雨が降りしきっている。明日もこの雨の中歩くのかと落胆してから就寝した。


3/24(日) 大雨

雨の中起床。次第に皆集まってくる。8時着の電車で来た池田を待って全員集合し、竹田合同バスの古びたジャンボタクシーに乗って神原登山口へ。途中までは悪くない幅も広い林道だが、最後の数百mはかなり細くて急な道になる。

大雨の降る中、登山口の駐車場にトイレの軒下で体操し、九合目小屋を目指して出発。とりあえず今日の目標は、この雨の中の体力消耗と装備の濡れを最小限に抑え、設備の良い九合目小屋までさっさと逃げ込むこと、である。

駐車場から林道に上がり、いくらか進むとトップから分岐の報告があり、地図を確認したうえで左手の登山道へ進む。実際にはこの時点から本ルートを外れており、本来は正面の橋を渡ってもうしばらく林道を進む必要があった。入った登山道は初めこそ幅広いが奥へ進むほど細く、急な箇所も多々ある泥の道となる。はじめずいぶん方角がずれていると思ったがさほどの問題とも思わず、またしばらく後になって明らかに違う道(本ルートは沢の左岸だが今通っている道は右岸)と分かったがじきに合流できるだろうと安易に考えてそのまま進んでしまった。

しばらく進むとトップから渡渉地点との報告がある。そこはただの滝の展望スポットだった。この誤ルートは、その名も「滝見ルート」である。少し進むと本来の渡渉地点(赤テープで印あり)があり、対岸には五合目小屋が見えた。しかし、昨夜からの雨で沢は大幅に増水しており、とうてい渡るのは不可能な様子だった。上流側へ移動し渡渉可能箇所を探すが、なかなか見つからない。引き返す事を考えたものの、すぐ対岸に五合目小屋が見えているのでこの沢さえ良いところで渡ってしまえばすぐに小屋で休めると考えてしまった。なかなか渡渉できる箇所が見つからず、途中の危うげな渡渉可能地点で小谷が勝手に対岸に渡ってしまったりしながら、結局200mほど上流に移動した地点で幅の細い地点を見つけた。Lと対岸の小谷で協力して石で足場を広げて、やっと本隊を渡渉させることができた。

とりあえず五合目小屋を目指し、対岸を沢沿いに下る。途中から沢沿いが進みにくくなったので、脇の尾根上に上がり、尾根上に通っている登山道を五合目小屋に向けて下る。下りきるとここにも渡渉。一瞬、この尾根ルートが神原コースかと思い、さらなる渡渉を避けて五合目小屋には寄らず山頂を目指そうかと考え、隊を止めるが、この登山道はメンノツラ越へと登るルートだと確認できたため再び小屋を目指す。小屋までは連続した2つの渡渉で、どちらも大きな岩で足場はしっかりしているが、増水のためいくつかの足場はギリギリ水面下に没しており、いくらか靴を濡らした。無事全員渡渉し、五合目小屋に辿り着く。

雨の中の彷徨で皆疲れているだろうと、とりあえず小屋の中で長たるみを取る。30分でここまで着く予定が、実に1時間半かかってしまった。渡渉を試みるまでに歩いた時間が30分だったので、おとなしく登山口まで引き返して本ルートで登りなおしていれば苦労せずとも同じ時間で辿り着けたのに、と考えるも時すでに遅し。そもそも登山道が複数あることを知っておきながらどうして登山口で注意しなかったのか。深く後悔した。全員の体調等を確認したところ、最後の渡渉で足に少々浸水した程度で、体が濡れた、寒い、等は無いようだ。とりあえず、この後祖母山九合目小屋までの4ピッチ分の行動に際して低体温等の問題は無さそうだ。休憩と行動食を取りつつこの先の地図を見る。一番の問題はこの先にも渡渉があること。事前の情報の限りではさほど大きい渡渉ではないらしく、雨でも通れそうな様子だが、実際どうなのだろうか。あとは尾根上部での急登。大雨で足場が心もとない中大丈夫だろうか。

20分強休んでから出発。やっと本ルートの神原コースを歩くことになる。道幅は登山道としては相当広く、よく整備されていて歩きやすい。この道を通っていればどれだけ楽だっただろうかと後悔がつのる。10分ほどして渡渉地点につく。沢が2つに分岐して流れており、手前の流れは細く、楽に渡れたものの、奥の本流は流れが激しく、赤テープで指示された渡渉地点は幅は狭いものの完全に水没している。だが、靴を脱いで踏み込めば渡れなくはない。正直躊躇したが、ここを通らない事にはこのまま五合目小屋に戻って半日停滞するしかなくなる。とりあえず隊は手前でたるみとし、Lは腹をくくって靴・靴下を脱ぎ、ズボンの裾をまくって足を突っ込んだ。冷たさ、というより痛みが走り、足が猛烈に震える。水流はかなり強いが、慎重に進めば流される恐れは無い。冷たさで足が攣りそうだ。3歩で渡ることができた。対岸に固定されているロープを手渡せばそこそこ安全に渡れそうだ。判断に悩み一度渡って戻り、さらに1往復する。転ぶ危険は低いものの、ちょっと深過ぎるかもしれない。3年会に意見を聞くと、同様に水深を心配していた。Lは膝上まで浸る程度で済むが、1年会は少々足を置く位置を間違えれば腰まで濡れる可能性がある。明日明後日も雨の中、腰まで濡れて行動を継続するのは危険と考え、ここで渡渉するのは断念する。再び上流で渡渉可能地点を探す。十分ほどあちこち見て回るが、かかとくらいまでの水没を許容すれば渡れる見込みのあるところはあるものの、かなり速い本流の中を手の支えなしに何歩も歩かなくてはならず、本来の渡渉地点が一番マシだと判断した。結局、40分ほど費やした末、撤退を決意した。少々雨が弱まっていることと、明日はさほど雨が降らない予報だったことから、明日は沢の水が引くことを期待して五合目小屋で泊まることに決め、小雨の中を泣く泣く撤退した。


小屋に着き、さっきまでたるんでいた位置に各自再び納まってザックを下ろす。たった30分だけ登山口から入っただけの地点で泊まるのは初めてだろう。しかもまだ12時、ほとんど停滞である。五合目小屋は特に家具などは無く、平らな床が囲炉裏のある土間で左右に分けられている。水場は小屋のすぐ側の沢か、神原コースを少し下った沢で汲むといいだろう。小屋の前にトイレが設置されているが、冬季閉鎖中で使用できなかった。囲炉裏で炭火を起こして温まり、各自昼寝・行動食など自由に停滞する。午後のヤマテンの更新を待って、Lと大高さん、田村さんで神原コースを少し下って電波を取りに行った。明日25日は朝は曇り、昼から雨(そこまで強くない)の予報で、期待以上だ。しかし何が起こったのか、明後日26日が暴風雨の予報になっており、風速25mという信じがたい数字が出されている。これでは26日の行動は難しそうなので、仮に明日本当に朝雨が降らず、かつ渡渉が楽に通過できるようなら、明日中に九折越まで縦走してしまうのを目指すことにした。計画上15pになり、しかも祖母山頂先の岩場も通る難ルートだが、これができなかった時点で日数的に完遂は不可能になる。

夕サイトは「ペッパーランチ風炊き込みご飯」。Fの高田が何種もの液体調味料を持って来てくれたおかげで、なかなか美味しく仕上がった。その後、特に宴会等はせず就寝。夜半になってまた屋根を叩く雨音が強くなってきた。渡渉できるかどうか、不安に感じながら眠りについた。


3/25(月) 

4半起床、カルボナーラを食べて6時出発。残念ながら、そこそこの雨が降っている。これでは九折越までの縦走は難しいだろう。小屋わきの沢の水流は多少衰えたようにも見えるが、依然として強いままだ。すぐに渡渉地点に着き、とりあえず全員で手前の流れの渡渉をわたる。本流の渡渉地点は依然として水没していた。水深は結局、また足を突っ込むまでは分からない。荷物を下ろして待ってもらい、泣く泣く足を突っ込む。昨日よりはいくらか水の温度は高くなっているようで、多少は楽だ。2歩水流の中に足をつき対岸へ。昨日より20cmくらいは水が浅くなっているようだ。ロープを掴んで戻る。この分なら全員渡渉させてもよいだろう。しかし、時間も取られ足も濡れるため、進めるのは九合目小屋までだろう。全員に靴を脱いで準備をしてもらい、1年会は不安なのでザックを置いて渡るよう指示する。対岸に固定されているロープをLが手渡しつつ、足の置き場を指示して渡ってもらう。靴は投げて対岸へおくり(小谷の強肩が活躍した)、全員渡った後Lがめっちゃ往復して1年会のザックを運び(河原と小谷はザックを背負って渡ってくれた)。40分弱で全て対岸へ移動を済ませた。皆対岸で靴を履き出発準備を整えてくれていたが、Lは4.5往復して疲れ切ったので、雨の中でたるませてもらってから出発した。

登山道は初めは依然として幅広くゆるやかだが、すぐに急な尾根に乗る。岩場も複数あるが、どこもロープに頼らずとも安全に通れるため心配はない。むしろ昨日からの雨を吸った泥の斜面の方が通りづらい。時々誰かが滑って転ぶが、幸い怪我をすることはなかった。1200m付近で大高さんの提案で地図読みをする。かなり難しめなところだが、1年は数回間違えた後は位置を分かってくれたようだ。同時に、12p用に汲んでいた余分な水を捨ててもらう(渡渉後に指示を忘れていた)。

引き続き急斜面を登る。相変わらず泥の坂が酷い。「この先絶壁」という恐ろしい看板(軽い岩場があっただけで拍子抜けした)を越えて少し進むと尾根が緩やかになり、すぐに国観峠に着く。国観峠は一面の草原(この時は水没して、湿原になってた)で、驚くほど広く平らだ。水溜まりだらけの草原を避け、手前の樹林の下でたるむ。地図が辛読みのこともあり、渡渉からここまで思ったよりペースが良く、このペースで進めば九折越まで辿り着けそうなレベルだ。もっともこのペースは九合目小屋ですぐに休めると思っているからこそ出せるものだが。

その後、祖母山に向けて今日最後の前進を開始。草原の端を横切り、再び樹林の中に入る。樹林に入る手前に防寒着を着こんだ地蔵が立っていた。祖母山までの稜線は古い道が地面をえぐって通っており、その脇に新しい踏み跡がついている。どちらを通っても泥だらけになって地味にキツい。なぜか皆のペースが異様に早く、Lは遅れ気味で必死についていく。ほどなく今後2泊分の宿、祖母山九合目小屋に辿り着く。小屋に籠る前にせっかくなので山頂へピストンすることにする。狭い土間(後で分かったが裏口だった)にザックを置き、空身でピストンする。山頂までは道が何本も分岐しつつ並走しており、だいたいどこを通っても辿り着く。山頂は当然ガスで真っ白。山頂標と祠があり、祠に賽銭を捧げて明日以降の好天を必死に祈る。雨が降っており皆すぐ小屋に戻りたそうだったが、Lはめちゃくちゃに疲れてシャリばて寸前だったため、皆の有言無言の不満を圧殺し行動食の「こしあん」を口に押し込んだ。これがその後、本山行で皆に恨まれ恐れられた「あんこタイム」の始まりである。それでもそこまで長居はせず撤収、泥道を辿ってすぐ小屋に戻り、くつろぐ前に水を汲む。小屋の東側に広い表口があり、水場は表口から看板に従って短い石の階段を下った下にある。山側の地面に灰色の浄水槽(ポリタン3つ分くらいの大きさ)があり、その壁面にあいた丸い穴に落ちている緑のホースを繋ぐと、きれいな水がホースから出てくる。水汲みついでにゴアマも洗い、小屋へ戻る。

九合目小屋は最近まで有人小屋であっただけに非常に設備が良い。表口の土間には薪ストーブと薪、焚き付け、工具等があり、裏口にはトイレがある。水道の設備があり、水場の近くにあったタンク等の設備を動かせば小屋で水が使えるようだ。事前情報通り太陽光発電の電気が使える。23日から曇り、雨続きだったにも関わらず、十分2日間もった。もっとも、コンセント・スピーカー等は通電しておらず、使えたのは電灯のみ。電波はかなりしっかり通じる。真ん中の居間にはコタツが2台、隣には毛布が大量に吊るしてある寝室。土間の上の2階も寝室。収容人数は合計で30名程度か。管理人室には鍵がかけてある。あいにく、雨と我々の持ち込んだ濡れた道具でどこもかしこも湿気ている。しけった薪で火を起こして少し体を温め、濡れたものをあちこちに吊るし、毛布をまとって冷えたコタツ(電気のコタツではなく、後で調べてみたところ豆炭コタツだった。豆炭も小屋にあったのだろうか?)にもぐりこんでやっと一息ついた。短いがなかなかハードな行動だった。その後は小屋の本を読んだり、田村さんの創作面白話を楽しんだりして再度の半日停滞を思い思いに過ごした。

明日26日の天気予報は相変わらず暴風雨予報(発達中の低気圧が九州を通過する)で、これでは縦走は不可能。また、昨日今日で行動予備日を使い切っているので、大崩山までの完遂も不可能になった。今後の行動として可能なのは27日に九折越まで縦走し、28日に傾山をピストンしてER8で下山する案のみだ。完遂できず、本ルートの半分程度しか進めなかったことは極めて残念。また、小谷は新歓代表の仕事があるので27日に尾平越で分離下山予定だったが、今確認するとバスの時間の都合で27日分離下山では飛行機に遅れる可能性があるとのこと。そのため、明日、分離隊(L、小谷、大高さん)を出しER10を使って尾平に下山させることにする。1,2天とこれまでのサイマスごみは小谷に下ろしてもらうことにした。

4時ごろから夕サイト。メニューは塩ちゃんこ、温かい汁が冷え切った体に沁みた。小谷のVR添い寝の話等を聞きながら宴会し、明日の準備をしてから就寝した。


3/26(火) 小雨、強風

起床は5時。昼頃が最も風が強くなる予報なのでそれを避けて行動したいため、いつも同様急いで朝サイ。1日停滞する5人は早くに起こしてちょっと申し訳ない。メニューは みんな大好きな なぜか苦手な人が多い、お汁粉。小谷がパッキングに手間取り予定より少し遅れて出発。雨は小雨だが、ガスがかなり濃い。風はまださほど強くは無いが、時々唸り声を上げて上空を吹いている。そして相変わらずの泥だらけの道。小屋の近くは幅の広い尾根だが、次第に細くなり岩稜・馬の背に続く。岩稜の脇のトラバースが数回あり、1度岩稜を跨ぎ越す。岩場の登り降り等は無い。足場、鎖がしっかり整備されていて安全に通過できる。読みを大幅に巻いてほどなく宮原に着き、宮原尾根を下る。尾根に入ったあたりでLは腹痛がしてきたが、道が細く急な下りで、たるめる場所が無い。かろうじて標高1260m付近で適地を見つけたのでたるむ。

宮原尾根取付からは尾根上を進む予定でいたが、トップ小谷が林道への分岐に進んでしまい、戻らせるのも時間のロスかと思い林道へ向けて下る。地図より早く林道に合流したが、これは地図の林道の延長のようだ。いくらかすすんでから再び登山道に入り、地図通り、標高800mで林道に合流。林道を越えて流れる沢を数回渡り、782p付近から再び登山道に戻る。渡渉を1つ越え(増水気味だが問題なく渡れた)、その後杉の植林の中を進む。ここでまたLの腹が痛くなったのでたるんでもらう。少し進めばもう奥岳川にかかる黄色い吊橋が見えてきた。ここからは遊歩道、そして車道である。尾平鉱山の施設を横目に見つつ尾平登山口に着き、トイレ付休憩所でしばし休息する。バス停は側を通る県道を歩いてすぐ。電波は届かないものの豊後大野市のフリーWiFiが使える。平成23年に熊に遭遇した登山者がいるという情報が掲示してあった。1987年の傾山付近での最後の捕獲以降、九州のツキノワグマは公式には絶滅したはずだが、依然として散発的に不確かな目撃情報があるらしい。

20分ほどたるんだ後、小谷に別れを告げ、再び祖母山に戻る。風が強くなる前に九合目小屋につきたいところだ。吊橋を渡った後、当初予定していた尾根上のコースへ進む。しかし、分岐からほどなくして沢に阻まれる。完全に増水していて渡渉は不可能だった。もし、行きで尾根を下っていたら、この対岸で動けなくなっていただろう。たまたま避けれたものの、初日に続きまたしてもコース情報をしっかり確認できていなかったことを大いに反省した。おとなしく林道コースに戻り、杉の植林、登山道、林道、尾根、とさっき見た景色の中を登りなおしていく。尾根はかなりの急登だが、2人だけでしかもサブ装なので好調に進む。結局、2時間かからずに稜線に戻れた。稜線上は風が強まっており、既に体も濡れきっていて寒い事この上ない。急登で疲れた後だったが、ここで休んでも体温が吸われるだけなので、水分補給しただけで先へ進む。幸い、行動に支障が出るほどの風ではなく、岩場も無事越えて11時には小屋まで帰り着くことができた。雨の中の標高差1,000m越えのピストンで、時間は短いもののかなりハードな行動だった。

昨日と同じく濡れた服を吊るし、3日連続3度目の半日停滞に入る。薪ストーブを囲んで与太話に花を咲かせた。午後になるといくらか雲が薄くなり、久しぶりに明るい(だがガスで真っ白な)空が見えてきた。明日の天気は期待できそうだ。明日の縦走に備え睡眠時間を十分確保するため、早めに夕サイトをする。今夜は高田の神メニュー、中華丼。本当に美味しい、こんなのがサイトで食べれてしまって良いのか、と思ってしまうレベル。少々手間はかかるメニューだが、是非定番メニュー化して欲しい。宴会をすませ、各自装備を整えてから就寝した。


3/27(水) 快晴

小屋泊だが、小屋の毛布や各自の装備がずいぶん散らかっていたので片付けの時間を考えて起床は4半6。晴れたせいで気温は氷点下まで落ちている。朝サイはビーフン。ちゃちゃっと作ってちゃちゃっと食べる。

小屋を片付けるのに少し手間取り、予定の6時からいくらか遅れて出発。昨日までとは打って変わった雲一つない快晴。放射冷却のためか、木は樹氷、地面は霜で覆われていた。ザックの腰ベルトも凍って固くなっており、うまく締められない。一昨日通った道を辿って山頂に向かう。泥が霜で固まっているのはありがたいが、途中の岩が凍って滑るので若干ハラハラした。すぐに山頂到着。平地を隔てて阿蘇や九重が良く見える。絶景をカメラに納め、たるまずに先を急ぐ。

祖母山から縦走路への下りは、これが道か?と疑わしくなるほどのむき出しの岩であり、道標も無いため少々不安になる。ここも岩が少々凍っており、滑りそうで少々危険。ロープも凍っていて固く、掴みづらい。その先も30分近く岩場とハシゴの連続で、今山行一番の危険箇所だった。基本的には充分な足場、ロープがあるが、岩の足場が傾斜して滑りやすかったり、少しぐらつくハシゴがあったりして少々怖い。岩場の終わったコルでたるみをとる。

ここから先はなだらかな稜線で隊のペースが一気にあがる。読みを大幅にまいて天狗岩を通過する。このペースで行くと今日中に傾山ピストンまで終わらせることができそうだ。明日は曇り、午後には雨が降るかもしれないので、できる限り今日中に行ってしまいたい。隊は恐ろしく快調に進み、 体力の無いLは ザックの重いLはかなり遅れてしまい障子岳手前で隊に待ってもらった。障子岳山頂からは鹿よけネットの扉を開けて中に入る。この先にも稜線上所々に鹿よけネットが設置されており、開け閉めが結構面倒。古祖母山からはこれから進む稜線がすっかり見渡せた。とくに傾の「iM」(iは前傾、Mは双耳峰の山頂)の形をした岩峰が印象的だ。

古祖母山頂すぐ先にかるい岩場あり。1570m付近でトップが右の尾根に入り込もうとするので、引き留めて地図読みをさせる。なだらかな尾根を延々と下っていく。そろそろ疲れも出てきたのか隊のペースが幾分落ち、今まで置いて行かれ気味だったLにはありがたい。1230の三角点でたるむ。出発してすぐ、トップが左の尾根に入ろうとするので引き留める。そもそもたるんだ位置が少し道から左前方の尾根にずれていたようだ。右手の林の中を横切って道に復帰する。旧尾平越から先は小ピークとコルの連続になり、隊の速度がいくぶん落ちる。尾平越から先は本谷山に至るまで登り基調で、小ピークを越えていく。ブナの広場はサイト適地だが、そこまで広くは無く3,4張が限界だろう。

急登を登って丸山(1334の三角点)でたるむ。登りに入ってからさらに隊のペースが落ちており、1年会には酷だがここから本谷山まで増速してもらうようお願いした。同時に一番辛そうな池田から荷物を抜く。おかげで良いペースで本谷山まで辿りつけた。山頂で田村さんからういろうの差し入れがあった。出発から6時間が経ち、そろそろ隊の面々にも疲れが見えてきた。時々トップが道から外れたりしつついくつもピークとコルを越えて笠松山へすすむ。笠松山付近では道が稜線北側を通るため、溶け残った霜が少々煩わしい。下り基調で楽は楽なのだが、とにかくピョコのアップダウンが多い。1311pから落ち葉に覆われた斜面を駆け下りて、やっと九折小屋に到着。古く小さい小屋、との情報があったが、なかなかこぎれいな小屋で、人数も20人くらいは入れそうだ。

全員かなり疲れているが、十分時間に余裕があるので傾山をピストンする。たるみながらサブ装を作り、ザックを小屋へ放り込んでヘルメットを付け出発。小屋から少し下ると九折越の草原。広く平らで良いサイト地になりそうだ。落ち葉に覆われたゆるやかな尾根を進み、あまり時間は経っていないが1375pの先で一度たるむ。ここから先は岩場になる。大きな岩場は無く、通るのも楽だが、足場が緩く落石を起こしやすい。徐々に傾の山頂の岩塊が近づいてくる。杉ヶ越へ続く本ルートへの分岐を通過したが、杉ヶ越へ至る道はずいぶん薄く、薮がちな稜線へと続いて行っている。ここから前進したらかなり苦労しそうだ。ほどなく傾山頂に着く。山頂自体の眺望は微妙だが、近くの岩に登ると360度の絶景で、北は大野川流域の平地、西は九重に阿蘇、祖母、南は大崩までの稜線、東は海を越えて四国までが一望のもとに見渡せる。集合写真を取って、20分ほど滞在し下山。下山も岩場続きで気を抜けない。

小屋に戻った後、大高さんと池田以外の6人で水場へ行く。雨のおかげか峠から5分程度の沢で十分水量があり、汲んで峠へ戻る。九折越では良好に電波が入る(そもそも豊後大野市の町が視認できる)ため、Lは九折越から竹田合同タクシーに電話し明日の帰りのタクシーを予約する。

小屋に戻ってすぐ夕サイト。小屋は折り畳み式の机を除いては特に何も物は無い。前述のとおり収容人数は20人くらいで、トイレは無い(撤去されたらしい)。小屋内は電波が通じづらいが、小屋を出て50mほど北側(豊後大野側)に進めば、集落も見え電波もガンガン通じる。1日晴れていたおかげで、久しぶりに装備も空気も乾いていて気持ちが良い。最後の夕サイはカレー。F表データベースにあったとかで、カレールーだけでなく、いなばのタイカレー缶とカレー粉を加えた謎の豪華カレーだ。これまたサイトの料理とは思えないほど旨かったが、ルーが辛口+中辛のうえ、タイカレーとカレー粉のスパイスで激辛だった。余った差し入れを放出して宴会をし、就寝。


3/28(木) 曇り後雨

1時ごろに目が覚める。寒い。その後5時まで寒すぎてほぼ寝れなかった。室温は0度近かったのではないか。ゆっくり寝れるように起床は56にしたが、寒い中シュラフで凍えているのが苦痛すぎて、もっと早くても良かったと後悔しながら4時間耐えた。

最後のサイトはラーメン。コーンとメンマが美味しい。Lのパッキングが遅れたりしてちょっと遅れる。体操は河原で、6:10に出発。今日は下山のみで時間に余裕もあるので、距離が幾分長いが歩くのが楽であろうと思われる林道経由のコースを選択した。今度は林道側に渡渉があるが、一昨日午後から雨は降っていないため、増水の問題は無いだろう。増水していたとしても、林道を辿り続ければ迂回できる。

九折越まで既に何度も通った道を下り、道標通りに北の谷へ下る。一面雲の曇り空で、すぐそこに見える傾山頂はガスに包まれてぼやけて見える。昨日のうちに傾ピストンを済ませておいてよかった。谷筋からはすぐに外れて、左側の尾根の斜面をトラバースして下ってゆく。急傾斜のうえ道が細く、かなり歩きづらい。雨だったら絶対歩きたくない道だ。標高1000mあたりから尾根上に乗るが、依然として膝が痛みそうな急傾斜。林道の法面を階段で下って林道に下りる。少々時間は早いがたるむ。路面はかなり荒れていて轍も無く、車は通っていないようだ。

1年男子はその後も尾根上を辿りたそうにしていたが、無視して林道を進ませる。地図上で実線の林道が途切れている地点の谷で地図読み。谷の角度さえはかってしまえばかなり楽なところだが、意外にも正答率が低い。途中、大規模な崩落で道が塞がれているところがあり、車の通った跡が無いのも納得。人は崩落でできた岩山を越えて楽に通過できる。崩落箇所の手前にトタン屋根の祠のようなものが設置してあったのがちょっと不気味だった。堰堤の並ぶ大きな谷で再度地図読み。堰堤のおかげでかなり正答率は高い。立派な橋(大分なのに、なぜか熊本営林局のプレートがついていた)が架かっており、ここから先は舗装路になっている。かなり太い沢が流れており、驚くほど水が透明だ。引き続き単調な林道を延々と下る。時々咲いているツツジやサクラの花を見て、「春ですねえ...」なんて話をして気を紛らわせる。

林道最後の沢(地図上にも記されている東西に流れる沢)を渡る地点で最後の地図読み。いくらか進んで三ツ尾コースとの交差地点に至る。ここから観音滝経由で登山口まで下る。道はかなり荒れており、大きな段差も頻繁にある。観音滝のすぐ上流で渡渉する。そこそこ幅も広く、増水時は渡渉不能だろう。ガレ気味の急斜面を駆け下りて青い金属製の橋をわたる。橋から先はコンクリートで舗装されている。(なぜか地上に露出した側溝が付属している。九折鉱山の廃水か?)標高400m付近まで下ると平坦な広い道になり、右手の排水処理施設、左斜面に広がる九折鉱山跡の廃墟の間を通ると、九折登山口の駐車場に辿り着く。トイレ&休憩所でザックを下ろして、下山完了。

ザックを下ろしてほどなく、小雨が降り始めた。行動中に降り出さなかった幸運に感謝する。もう天気を気にしなくて済むと思うと、心底安心した。


エピローグ

反省会中にタクシーが来たので乗車し、林道をぬって竹田に向かった。かなりの山奥なのに民家が点在しているのには感心した。豊後竹田駅にザックを置いて、駅北側の「岡城天然温泉 月のしずく」で入浴。長めに時間を取って、ゆっくり熱い湯に浸かる。その後、定食屋の竹田丸福で打ち上げ。メニューはとり天、唐揚げ、チキン南蛮が中心で、米はセルフサービスでおかわり自由。素晴らしい店である。とにかく食べた。今回の山行はサイトがとても旨かったが、下山後に食べる揚げ物と、炊飯器いっぱいの白米のダブルパンチには残念ながら到底敵わない。

竹田駅で解散し、池田、河原、高田、酒井は18きっぷで門司へ。揃って東京九州フェリーに乗ったらしい。大高さんは開聞・霧島登山のために「心のふるさと」と呼ぶ鹿児島へ。田村さんはジェットスター労組のスト宣言のおかげで、無料飛行機の便が変更できるようになったらしく、予約を早めて熊本空港へ。1人残ったLは30日まで大分を放浪した。おかげで追い出しコンパには行けなかった。


総評

非冬の秋以降の活動の集大成としてロングコースの完遂を目標にしていたが、見事に悪天候を引きあててしまい、残念な結果となってしまった。特に24日はLの調査不足、判断ミスにより危険で不適切な行動を取ってしまった。一方、連日雨の中で行動する経験を積めた事は、装備の防水等の教訓や、今後の活動での精神面に非常に役立つのではないか。Lとしては、トラブル続きではあったが、長期山行を企画・実行できたのは、多くの反省点を含め得られるものが多く、貴重な経験になった。また、27日は晴天にめぐまれ祖母傾山系を満喫でき非常に良かった。

冬道合宿は新たな試みだったが、冬季の非冬の活動の目標としては非常に有意義だったのではないかと思う。長期山行ができる山域が少ない、合宿以外の冬道企画が少ない、新歓と干渉する、等の問題点はあるが、ぜひ来年以降も同様の企画を出してもらえると嬉しい。

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