5月4週 新人錬成 男体山・女峰山

記:船引厚志

新人錬成として男体山・女峰山に行ってきました!sLはまたしても男体山の山容を拝むことができず、この山域との相性が悪いようです(泣)

女峰山山頂にて。一時的に晴れていました。


メンバー

3年会:sEsH重城、CLsW三田

2年会:EHW長藤、sL船引、F古田、W

1年会:石田、鴨田、田村、中條


5/21()

東京=()=霧降高原

 水曜日にタクシー予約の電話をしたら、どこもコロナで時短や休業をしており、アプローチの変更を余儀なくされた。結局参加者が10名になったこともあり、ハイエース1台で行くことにした。5限がある人もいるため、集合時間は当初の予定通り19:20本郷とした。ほぼ時間通りに集合できていたので、荷物を載せて19:40頃に出発。4号線は速いので下道で向かい23:40頃に駐車場に到着した。4:30出発とし7天一張と車中泊に分かれ24時過ぎに就寝。就寝後すぐに雨が降り出したようだった。

 

5/22() 雨ときどき曇り、一時晴れ

霧降高原4:355:05たるみ5:205:23小丸山5:237:10たるみ7:206:36赤薙山6:367:10たるみ7:207:49赤薙奥社跡7:498:10たるみ・読図8:238:38着衣調整8:408:48たるみ8:589:36水場9:369:50たるみ10:0010:47女峰山11:2012:05唐沢避難小屋12:0512:25たるみ・水汲み12:4013:30たるみ13:4014:07荒沢出合14:0714:35馬立14:45(休止5)15:45志津乗越15:4515:49志津避難小屋

 

日頃の生活サイクルが祟りsLはよく眠れなかったので、降ったり止んだりする雨音をぼーっと聞いていた。外はガスに包まれており、若干霧雨のような感じでひんやりとしていた。体操は時間通りにできたが、その後雨がぱらつき始めたので、各自ザックカバーをかけたりしていると出発が5分ほど遅れた。

駐車場からいきなり1445段の階段であったが順調に進む。これで標高を200m以上稼げるのはかなりお得だ。階段も大詰めというところでsLの腹痛が限界になったので、登りきったところでたるみとした。申し訳ないです。階段を終えると登山道に出たが、道はそれほどぬかるんでいなかったので歩きやすかった。7:00頃から本格的に雨が降り出し、その後は降ったり止んだりスッキリしない天気であった。

読みより速い区間もあり順調に進む。2209のピョコを過ぎたあたりでたるみも兼ねて読図をした。2年会は問題なさそう。石田くんは余裕で正解しており、1年会でお互いに教え合いながらできていたのでよかったと思う。少し進むと堀が寒さと疲労のせいか、足がつりそうと訴えたのでたるむことにした。雨に打たれて寒かったうえ、予報的にもこれほど雨が長引くと思っておらず、ゴアマの着用を個人に任せていたのはまずかった。

樹林帯を抜けると少し晴れ間が出てきた。かすかに女峰山への眺望も開けたので、天気が回復することを祈りながら進む。水場と書かれた分岐の先を見に行くと、それなりに水量があったので、普通に使えそうだった(盛夏はどうかわからない)。

三角点の手前辺りから残雪があったが、問題なさそうなのでつぼ足で通過した。読みより早く女峰山に着けたので、少し長めにたるんでいると、ちょうど女峰山の周辺だけ晴れてきた。展望がほとんどなかったのが残念だが、陽の光は暖かく隊の気分も盛り返した。三田さんのジュースの差し入れもありがたかった。

唐沢避難小屋へ下るガレ場は、浮石や崩れた部分も多く通過に苦労していた。唐沢避難小屋に着くと重城さんが腹痛を訴えた。少し下った水場で水汲みも兼ねてたるむ予定だったので、三田さんが重城さんに同伴し水場で合流することにした。水場は水量も豊富で、冷たい水がとてもおいしかった。水場から少し下ったところで渡渉したが、ガレが崩れやすく予想以上に通過に時間がかかった。

女峰山の冷水。冷たくて美味しい。

荒沢の渡渉後に馬立へ向かう道を誤り、獣道を進んでしまっていた。引き返すか迷ったが、トップが角度を切りながら道を見つけたので、そのまま進み林道に出られた。トップの判断に任せていたが、自分でも角度を切って確認しておくべきだった。

馬立にはあまりサイト適地らしい適地はなかったので、今後企画を立てる人は気をつけてほしい(林道上を進んだ橋の上や、少し広くなった場所なら何とかなりそうではある)

1日中雨に打たれたこともあり体が冷えて辛かったので、サイト地を志津避難小屋まで伸ばすことにした。トップの古田と1年会は小屋に向けて順調に歩を進めるが、堀と長藤がバテて一時休止した。天図もあるのでここで幕営するか悩んだが、あと20分強で小屋ということもあり、リミットを切って進むことにした。長藤は気合で復調したが、堀は変わらず辛そうだったので、sLと三田さんで一時堀のザックを運んだ。ここまでして強行したことは大反省している。さすがに重くて辛かったので、最後は堀の水や共装を抜き軽くしたザックを背負ってもらい、志津避難小屋になんとかたどり着いた。過去のFBにも書かれていたが、志津乗越周辺は電波が入らなかったので末端には出来ないだろう。

小屋には男性と外国人女性がいた。堀が流暢な英語を話していたが、どうやら東京から自転車でここまで来たらしい。長藤と堀、三田さんに天図を取ってもらい、sLと古田で1年会にテント設営の指導を行った。全員テキパキ動けていて非常に良かった。志津避難小屋横にテントを張ったが、72式と452式を近接して張れるぐらいのスペースはあった。その後は濡れた服で寒かったのもあり、各自着替えなどをしてもらった。

16:30頃から小屋でサイトを開始。1年会は手際が良く本当に感心した。サイト初回の中條さんも満足そうなのでよかった。18:00頃にサイトを終了し、就寝の準備を始めた。このとき中條さんがシュラフとシュラカバを受け取っていないことが判明し、小屋の布団を使って寝てもらうことになった。部室前に出していたものを、長藤が誤って回収してしまったようだ。車の手配等で出発前にばたばたしていたとはいえ、初回者の荷物の確認はsLもきちんと一緒に行っておくべきだった。今回はサイト地を伸ばしたことで、布団もあって事なきを得たが、場合によっては命に関わる大問題である。

 明日は34半とし、各テントで宴会ののち19:30頃に就寝。

 

5/23() 曇り

志津避難小屋4:315:21たるみ5:315:40五合目5:40(読図3)6:25たるみ6:357:14男体山8:189:00たるみ9:1010:18四合目10:2811:04二荒山神社

 

3時起床。起床係の堀はアラームが鳴らず少し慌てていたが、しっかり声は出ていたように思う。sLのいた45天はサイトをする必要がなかったので、のんびりと星空を見ながら、今日は晴れそうだなと期待していた。3:30頃に分配が終わり朝食を済ます。

4:00撤収開始。テント撤収は5分で済んだので上出来だったが、体操までに準備が終わっていないものもいたので、出発が少し遅れた。

登りが始まると曇っていた空に、だんだんと晴れ間が出てきた。途中開けた場所から麓に広がる雲海を見ることができ感動した。しかし、2000m以上一帯にはガスが広がっており、山頂に着くころに晴れることを信じて進んだ。

遠くに見えた雲海。


 えぐれた急登の部分もあったが、特に危険箇所もなく順調に進み、読みよりも早く山頂に着くことができた。山頂はガスに包まれていたが、時折太陽や中禅寺湖が見えたので、少し寒かったが晴れ間をしばらく待ってみることにした。三田さんのジュースの差し入れ第2弾や、sLと堀が持ってきていたカフェオレで暖をとるなどした。その後もガスは晴れず、バスの時間もあるので集合写真を撮って下山開始。360°の展望が楽しめると触込んだが実際には90°ぐらいで、結局山行中に日光連山の姿を拝むことは叶わなかった。

少し下ると中禅寺湖や皇海山、その先に広がる雲海を見ることができた。どうやら皇海山のあたりまで、標高の高いところ一帯はガスに包まれているようだった。登ってくる登山者とのすれ違いが多く時間はかかったが、何だかんだ読みよりも早く下山できた。

バスで東武日光駅まで戻り、日光ステーションホテルクラシックで日帰り入浴、山六で打ち上げをした。車に着替えを置いてきた人もいたので、歩荷するよう初めに周知しておくべきだった。打ち上げ途中にsLが霧降高原まで車を取りに行き、15:20頃出発、19:00過ぎに本郷部室で解散した。

ガスガスでした。


総評

 両日とも天気が微妙で、日光連山の山容を何一つ見ることができなかったのはsLの不徳の致すところである。しかし、路面の変化に富んだコースかつ悪天候でのテント設営を経験するなど、錬成としての収穫はあったのではないだろうか。

1 件のコメント:

  1. 表日光の山は、近いわりにあまり登られていませんね。でも、体力的には結構ハードなのでは?
    1985年卒OBの誰かさんに似た人がいますね。まったりした感じの長○さん。
                1975卒 斉藤篤(OB会事務局長)

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