冬道 屋久島

しめじめな屋久島
◎メンバー
3sH八嶋、2L張、sEFW根岸、1FW木村、EH豊島
限界上の屋久島


◎入山前
 今回の企画はワンゲルでは3年ぶりの屋久島企画である、魅力がある山だと思うが、実際に参加してくれる人は毎回少ない。考えてみれば東京から屋久島までの交通費だけで夏合宿一個分の金が飛んでしまう。実際に今回金欠で参加を取りやめた人もいる。
 隊の人数は小規模だが、屋久島のこの距離と春休み中であることから、やはり入山前いろいろ厄介事が起きた。
1.      屋久島は普段の山行よりずっと遠いので、アプローチに飛行機を選ぶ人が増える。しかし飛行機にガス缶が持ち込めない。結局、ガス缶を含め、全てのE 装(L装除く)を新幹線アプローチの豊島にリーチさせた。
2.      山行の一週前から木村と連絡が取れない。そのせいで、Fの仕事はほとんど根岸が受け継ぐ事になった。山行前1日やっと連絡が来た。「中国旅行の時携帯を寝台列車に忘れた」との事だった。しかしその連絡も一回きりで、そこから入山するまでまた連絡取れなくなった。そこで起きた問題は後ほど述べる。
3.      あとで判明したが、サイト用具がいろいろ不足していた。この45日、我々はベニヤ板、ナイフともに三つしかない状態でサイトした。

318日(土)曇りのち雨  鹿児島==宮之浦港==白谷雲水峡15:15~~15:55白谷山荘
 今回の企画は春休み中なので、みんなのアプローチはバラバラだった。八嶋さんは入山前数日鹿児島で観光や開聞岳登山、根岸は屋久島でポテンシャルを感じながら釣りしていた。八嶋さん、L、木村は入山前日に鹿児島につき、18日朝の同じフェリーでアプローチし、豊島はその朝広島から新幹線アプローチ。
 フェリーの中でLは木村と合流。連絡がずっと取れなかったので装備などについていろいろ聞いてみたが、Wになったことと予備食の意味を知らなかったようだ。予備食は屋久島の登山用品店でも買えるが、W装はどうしようもなかった。仕方なくL装とsW装で代用。
 フェリーの途中で根岸からの「先に白谷雲水峡へ向かう」とのラインをもらった。バスで行くだろうとLが想像していたが、この時間帯にバスがないことはあとで発見した。どうやら根岸は港から海抜600m強ある登山口に登ったようだ。
 豊島はバス出発5分前に宮之浦港に到着。根岸以外4人はバスで登山口へ向かう。途中猿の群れを発見し、運転手さんが停車して写真を撮らせてくれた。その猿たちが3日後我々のネタになる。
右の猿に注目!
 白谷雲水峡に到着することから雨がボツボツと降り始めたので、登山口で全員ゴアマに着替え出発した。この日で天気を確認したところ、19日曇り以外22日まで雨との予報である。本ルートの完遂は難しいと思い、20日以降の雨に備えて、明日は天気が持てばとりあえずER2にある鹿之沢小屋まで行くことを決定した。また、停滞を1日入れることもこの日でほぼ確定した。22日にオリ長会議がある豊島くんに少し申し訳ない気分。
 この登山口では事務所が設置されていて、入山料を払わないと入山できない。事務所の外では一人300円の張り紙があり、窓口に1500円を払おうとする時、事務員のおじさんが「31日から改定して一人2000円になった」と。ここで引き返すわけにはいかないので、渋々と10000円を払う。意外な出費だった。これから屋久島山行に参加する人はどんどん減るだろう。
 白谷雲水峡は観光客のために整備したのでとても歩きやすい。30分歩いたところに渡渉点があるが、雨でも普通に通れる。白谷山荘は山小屋の中で珍しくコンクリート製であり、トイレもその中に設置してある。しかし、そのトイレのせいで山荘全体はトイレ臭がする。水場は山荘出て10mのところにある。
 夜のサイトではヘッドの一つが弱火しか出せないことが判明。仕方なく根岸の闇ミニヘッドで代用。これからのサイトはまず米を強火が出せるヘッドで沸騰させてからミニヘッドに移し、強いヘッドを汁に使わせるようにした。ちなみに、八嶋さんが天城で米炊きを失敗したそうで、今山行で初心を探し戻すためにサイトの時ずっと米炊きをしてくれた。根岸は今回差し入れを大量に持って行きたようで、ここでデカいぶっきを使い、餅入りのおしるこを作った。だがこの時夜サイトはまだ完成していない!あと汁入りのぶっきがないことに気づいた根岸はコッヘル特大とお玉を持って残り3人分ほどの豚汁を豪快に飲み干した。(あと、お腹いっぱいの私たちの代わりに、根岸はおしるこに入れた餅も全部食った)
コッヘルで食事を取るニキ
 サイトはうまかったが、終わった後すぐにトイレ臭がまた山荘を充満した。吐きそうな気分。その夜、皆さんはトイレ臭を我慢しながら就寝した。

319日(日)雨
白谷山荘6:38~~7:04辻峠~~(たるみ10) ~~7:52楠川分れ~~(たるみ10) ~~8:55大株歩道入口~~9:15ウィルソン株9:30~~10:08大王杉~~(たるみ10) ~~10:48縄文杉10:50~~10:57高塚小屋11:40~~12:40新高塚小屋
 朝はカルボナーラパスタである。この時気付いたが、今山行の朝食は全てパスタだった。まあ、美味しいから文句は言わない。根岸は昨日の豚汁に使い切れなかった長ネギを薬味としてパスタにぶち込んだ。サイトは30分で終わったので、出発まで結構時間が余った。八嶋さんはシュラフに戻り二度寝した。出発10分前、2、3年会はパッキング完了したが、1年会はまだだった。どうやらゆっくりし過ぎたようだ。
 木村くんと豊島くんはともに秋入部で、一分間スピーチを経験したことがないので、ここで一分間スピーチをさせた、木村くんは内モンゴルで旅行した話をしてくれた。
 出発。朝の時点ではまだにわか雨でしかない。楠川分れからトロッコ歩道に入る。3月とはいえ、観光客はすでに長い隊列を生じるほどだった。行列の渋滞に巻き込まれペースが遅くなるかもと心配していたが、平坦のトロッコ歩道かつ朝早く下山する人がないので、読み通りに進めた。我々が観光客を通過するたびに、ガイドさんに「そのデカいザックを背負っている人たちが。。。」と紹介される。少し恥ずかしかった。途中橋を渡る時、写真を撮ろうとするLがポケットから高度計を橋の下まで落としてしまった。高度計付きの腕時計で代用した。

 大株歩道入口から本格的の登山道に入る。ウィルソン株はその切り口がハート型になっていることで有名。ここで長たるみとして写真を撮ろうとした。ところが、Lと木村くん以外みんなは動かなかった。根岸は「死ねっ、リア充死ねっ」と黒いオーラを放出しまくっていた。どうやらカップルが多いところはワンゲル部員には少し苦しいようだ。
ウィルソン株入り口で
 ここから天候は昨日の天気予報を裏切って、雨が強くなる。登りも急になる。ここの登山道は観光客のために所々に木階段が設置されている。整備してくれているのはありがたいが、Lにとって階段はとても辛い。これから大王杉と縄文杉と二つ有名な屋久杉が観れるが、さっきウィルソン株のせいか、みんな写真を取ってさっさと出発した。縄文杉を過ぎるとすぐ観光客がなくなる。高塚小屋は縄文杉に5分しかないが、休憩中の登山客5人以外誰もいなかった。雨に打たれて、全員少し疲れたようで、小屋の二階を占領して40分ほどたるみ。40分しても外の雨は止みそうにないようで、今日は鹿之沢小屋まで行くことを断念し、予定通り新高塚小屋に泊まる。(ちなみに今回の山行では高塚小屋は工事中で泊まれないとの情報はあった。そのせいか、新高塚小屋はかなり混んでいた)
 小屋から出て、元気が回復したので、ロングピッチを切って、一気に新高塚小屋まで歩いた。新高塚小屋を入ると、二階ある小屋の一階はすでに登山客でいっぱいだった。二階を見てみると、誰もいないが、一角を除き全てが銀マットに埋め尽くされた。(あとでそれは山口県の高校団体のJK用であることがわかった(男子はテン泊のようだ))どうやらその一角以外全て使用中だったらしい。とりあえず残りの一角、五人にはギリギリ眠れるスペースを占領した。あと少し遅いとテント泊は余儀なくされるだろう。
 新高塚小屋に到着する手前に「このすぐ下に水場がある」との看板があり、その直下の沢にパイプなど水場らしいものもあったが、そこは実際の水場ではなく、本当の水場はその沢の下流、小屋から出て宮之浦岳方面にある。私たち5人は偽水場手を分けて10分以上かかっても6発くらいしか汲めなかった。真水場だったら一発10秒で済む。
 夜のサイトに事故。F表に牛肉が書いてあるので、木村くんがそのまま生の牛肉を持ってきてしまった。開けて肉の匂いを嗅いてみると、すでに腐った。牛肉のないビーフシチューはまずいので、差し入れのビーフジャーキと干し牛肉で代用した。ワンゲル肉よりはうまいと思う。
 根岸と木村が天気図を書いている時、残り3人は高塚小屋方面へ約3分登り返して、電波を探し、天気を見た。その時点では20日朝曇り、午後から大雨、21日朝雨午後晴れ、22日朝晴れ午後雨の予報となっていた。この天気では花之江河歩道にある渡渉点は危険なので、その時点で本ルート完遂をほぼ断念。とりあえず明日はOR1ER2を使い、鹿之沢小屋まで、21日か22日に淀川登山口へ下山すると決めた。
 夜まで登山客が小屋に入り、結局廊下まで登山客が溢れていた。夜寝るスペースは足も伸ばせないほど狭く、おじさんたちのいびきはうるさかった、皆さんほとんど眠れなかったようだ。

320日(月)大雨  終日停滞
 朝は普段通り出発の準備をこなしていた。しかし、予報はまたはずれで大雨だった。根岸と八嶋さんが電波を探して天気を確認したところ、今日の予報は100%雨となっている。このような雨の中で鹿之沢小屋まで限界上を歩くことがとても不可能だと判断したので、この日は終日停滞と決めた。
 全員小屋に戻り、登山客がいなくなったので、広いスペースを取った。昨日よく眠れなかったせいか、全員11時まで二度寝。12時くらい闇缶を使い、昼飯を作ろうとした。食材はないので、差し入れの餅+鰹節入り梅干し+炭焼きとり++塩で闇鍋を作った。とても微妙の味だった。木村だけは美味しいと。
停滞中〜〜〜
 午後はまた大勢の登山客が入り、やはり廊下まで溢れていたが、朝から良い場所を取れたので、この日は気持ち良く眠れた。

321日(火)暴風雨後曇り
新高塚小屋6:42~~7:04第一展望台7:07~~(たるみ10) ~~8:40焼野三叉路8:45~~(たるみ10) ~~10:01永田岳手前分岐~~11:00鹿之沢小屋
 起きても雨はまだ止んでいなかった。出発する前に、あるおじさんからやま天によると今日稜線上の風速は20m以上になる見込みと教えてくれた。出発すべきかどうか少し躊躇ったけど、一応昨日午後の天気予報では今日の正午あたりから晴れだそうなので、風が強くても雨はだんだん止むだろうと考えた。かつ、この毎日込んでいる小屋に停滞したくない(トランプとかの暇つぶし道具もないし)という気持ちもあって、出発すべきだと判断した。
 出発した時の雨はただのにわか雨でしかない。ここから登り始めると雪道がところどころにでてくる。第一展望台に出ると、隊を止めて天気予報を改めて調べた。今回の予報によると、正午ではなく、午後あたりから晴れになるそうだ。これはきっと大丈夫だろうと先に進んだ。
 稜線に出ると、すぐに強い風に当たる。景色はもちろんなし。みんなが目の前に広がるべき景色を想像し(ポテンシャルを感じ)ながら風の中に進んだ。焼野三叉路の手前最後の登りに差し掛かるとき、風がなんと暴風雨に進化した。暴風雨かつ連日続いた雨のせいで、登山道は全部沢と化した。段差が高いところでは滝すら見える。また、稜線に出てから、雪道になっている部分がさらに増える。稜線上の道が谷の形をしていて、両側の藪が少々高いところにある。このせいで、雪が道の上に乗っかっていて、その下に水が流れて空洞ができた。いわばスノーブリッジが道の上に掛かってある。上に重量をかけると雪が崩れて下に落ちる。アイスブリッジを通過する際、だれかが重量オーバーするとポンと抜けてしまう。これが危険なわけではないが、毎回抜けてびっくりしてしまうため心臓に悪い。前の人が引っかからなくても、自分がオーバーして抜ける可能性がある。まさにルーレットをやっているような気分である。
 悪天+悪路+四日目、以上の要素で隊員たちのテンションは氷点下だった。焼野三叉路ではあんまりにも寒かったため、ショートたるみを取り、さっさと出発。この時Lが景色を想像する余裕すらなく、一心早く小屋に到着できるよう願った。ここからはさらに危険になると判断したので、八嶋さんがトップをしてくれた。永田岳の直前に分岐があり、その一つは頂上へ向かう道、もう一つは永田岳を巻き、小屋へ向かう道。この天気では登っても景色ないから小屋へと即決した。この日の風が西から吹いてくるので、永田岳を越えると風が一気に強まり、雨もその風を乗って襲撃してくる。寒さと雨のせいで視界が狭く、行動も鈍くなった。永田岳から下る途中、根岸が一回2~3mほど滑落してしまった。幸い藪が壁に付いてあるので、一分かけてリカバーした。けがもしなかった。途中ロープ付きの岩場はいくつあったが、この天候でも無事に登れた(下れた)。
永田岳からちょうど一時間後、やっと小屋を見つけた。5人全員が狂ったように「あああ!小屋だ!」と叫んでいた。小屋に入った後でも、寒さとやっと小屋に到着した感動で、みんなが奇声を上げながら着替えた。具体的には「ぴあ!」(K村)「あああ!」(L)「小屋ありがてぃ!!」(Y嶋さん)「死ねっ!死ねっ!」(N岸)など。この日の行動時間はたるみを含めてわずか4時間半だったが、普通の一泊二日の山行よりもしんどいと感じた。全員すぐ着替えてシュラフに潜った。根岸は残っている差し入れ(ココア、おしるこ)を全部放出し、みなさんを温めてくれた、ありがたい。夜サイトの際、水が足りなくなった。あんまりの寒さのせいで、LL権限を濫用し、根岸と豊島を水汲みに行かせた。(八嶋さんと木村がズボンをはいてなかったので除外された)水場は便所のところにあるそうだ。夜サイトのカレーはとてもうまかった。
この夜、暇つぶしとして根岸が自分のちょっと悲しい恋バナを話してくれた。その後男子校出身の豊島と手を組んで世界のリア充たちに文句を言いまくった。また、八嶋さんが写真をチェックしている途中、とある猿の写真に対して根岸が「その猿、震えていましたか」と尋ねた(写真は上)。
 その日の天気は結局日没まで晴れなかった、雨は午後止んだがガスが最後までかかっていた。みなさんがまた天気予報に裏切られないように、明日が晴れになるようになどを願って就寝した。後から聞いたが、その夜にネズミが出たらしい。食料の被害はなかった。

322日(水)晴れのち曇り
鹿之沢小屋6:40~~7:40永田岳手前分岐(永田岳空身ピストン)8:00~~8:47焼野三叉路9:00~~9:24宮之浦岳9:44~~10:11翁岳手前水場~~(たるみ10) ~~11:09投石平~~11:35黒味岳分岐11:47~~11:58花之江河12:20~~13:20淀川小屋13:46~~14:16淀川登山口
 その夜はとても寒かった。身を包んでいるシュラフの内側でさえ寒いと感じる。幸い、この日の天気は予報通り朝から快晴だった。風もだいぶ弱まった。四泊五日の山行は最後の一日でやっと晴れてほっとした。昨日のスノーブリッジを避ける対策として、トップに根岸をさせた。ところが、昨日夜の低温により溶けかかった雪が再凍結され、とても頑丈になった。また、そのため、岩石の表面や道に薄い氷の層ができた。
ツルッツル!

 2pの間、八嶋さんと根岸が転倒し手が少し出血した。1pで永田岳手前分岐にたどり、空身で永田岳へピストンする。この分岐から頂上まで約2分かかった。五日間初めての登頂だった。ここでLが五日間持ち続けたカルピスもやっと解放できた。頂上から永田方面へよく見渡せる。
永田岳にて
 つぎのピッチからLがまた遅れ始めたせいで読み通りしか進めなかった。宮之浦岳は九州最高峰だけあって、360度の眺望が楽しめる、屋久島全体、種子島、さらに桜島らしきものも見えた。四泊五日の試練をやっと乗り越え、報われた気分だった。ここで長たるみをし、淀川小屋のバスに間に合うかどうか調べた。結果、読み通りで進んでいくと、終バスに間に合わない可能性が高い。よって、ここでタクシーを呼ぶと決めた。
屋久島限界上独特な地形
 ここから単調の下りとなる。翁岳手前水場はちゃんと看板もあり、いつでも使用可能。限界上は投石平までである。花之江河(はなのえこう)は気持ちいい泥炭湿原である。長たるみをとる。ネット情報ではここはよく動物が見える場所だが、この日は前日の雨の影響かなにもいなかった、少し残念、また震える猿が見えると思ったのに。
泥炭湿原ー花之江河、猿はいなかった
 続けて淀川小屋へ下る。ここはメジャールートだけあって、かなり整備されている。上りが少しでも急なところには木階段が整備されている。宮之浦岳からの下るペースはかなり早かったみたいので、淀川小屋にたどり着くときバスまであと1時間半ほどあった。淀川小屋もすぐそばに水場ある。
淀川
 淀川登山口に着くと、制服を着て、書類を抱えていたおじさんが登山口を巡回し見張っていた。どうやらこの登山口から入山するときにも2000円を払わなきゃいけない。なんかNKの職員みたい。タクシーは予定時刻より30分も早くきた。全員乗車し空港へ向かう。途中運転手のおじさんがずっと途中の観光名所を紹介してくれた。その対応は全部一番前に座っている豊島君に任せた、すまない。
 空港で解散、今回の帰京ルートもみんなバラバラで、豊島は空港に着いたすぐ飛行機で帰京し、Lは週末バイトのためこの日に鹿児島に戻らなきゃいけない。残りの人は屋久島に一泊してからバラバラで帰るらしい。よって、今回は打ち上げも温泉もなしで解散した。Lとして申し訳ない。

◎山域総評
 とても整備が進んでいた山域である(その故入山料が一人2000円かかる)。メジャールート(白谷雲水峡~宮之浦岳~淀川登山口)ではほとんどの急登に階段が付いている。展望や独特な樹林帯も楽しめる(天気が良ければ)。ただ、雨がすごく多いため、その心の準備がしっかりしないといけない。水場はところどころにある、今回の山行一人二発になったこともなかったし、水の心配はほとんどいらない。また、3月では雪や氷が残ってあり、アイゼンをつける必要はなかったが(つけたらスノーブリッジが崩れる可能性が増える)、上り下りには慎重さが欠かせない。

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