秋企画 八経ヶ岳・南奥駈

※この企画は2014年9月のものです。ブログに記事を上げよう上げようと思いつつLの筆不精のせいで結局ここまで放置してしまいました、申し訳ない

大峯奥駈道は世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部をなす修験道で、なんでも1300年の伝統を持つ由緒正しいルートだそうだ。ただ全体としてずっと存続しているわけではなく、修行の場として伝統の保たれてきた北部と一旦廃れた後近年再び登山道が整備された南部に分かれている。昨年の奥駈企画では北部だけ縦走して敗退してしまったので、今年は南部も行ってリベンジしようというのが今回の企画だ。珍しく関西の山行ということもあって参加者は西に縁のある人が多かった。いろいろハプニングはあったのが結果から言うと概ね成功で満足行く山行だった。

奥駈道はとても魅力的なルートだ。進むにつれて移り変わる山容は登る人を飽きさせないし、寺社や仏像などと時々出くわすような体験は他の登山道だと中々体験できないだろう。南部を縦走する人はかなり少なく静かな山行を楽しめる一方で、登山道どころか無人小屋までしっかり整備されている。後輩達も気に入ってくれたようなのでこれからも度々ここの企画が出るといいなと思う。

行程

  • 9/21 近鉄下市口駅~天川川合
  • 9/22 天川川合~狼平~弥山~八経ヶ岳~楊子ヶ宿小屋
  • 9/23 楊子ヶ宿小屋~釈迦ヶ岳~千丈平~太古ノ辻~持経ノ宿山小屋
  • 9/24 持経ノ宿山小屋~行仙岳~行仙宿山小屋
  • 9/25 行仙宿山小屋~笠捨山~地蔵岳~玉置山~玉置神社~玉置辻
  • 9/26 玉置辻~大森山~備崎~熊野本宮大社

9/21(日)

近鉄下市口駅~天川川合

今回の山行は場所が場所なので集合は一番近い駅の近鉄下市口駅に集合ということにしておいた。EFチェックは集合前に済ませてもらうが、ここで2,3年会が全員割り振られたα米を忘れていたことが発覚。幸い下市口駅にはスーパーがあったのでここで大量にサトウのごはんを買っておく。多少重くなるが仕方あるまい。

17:47下市口駅発のバスに乗って天川川合まで移動する。天川川合の観光案内所はトイレや快適な寝床があり前夜泊には丁度良い。さて、入山連絡しようと思って一山に電話するが出ない。しょうがないので遭対の高辻に連絡するがこれも出ない。豊島も出ない、廣長も出ない…という感じで最後の鳩貝がようやく電話に出て入山連絡を済ませる。頼むから仕事をしてくれ。

早くについてしまったので隊は雑談ムードに。藤原は入山期間中に進振りの第二段階の結果発表が出るらしい。しかしそこで藤原は進振りの仕組みについて勘違いしていたらしく、第二段階で落ちていたら手続きしないと留年するかもしれないことが判明。突如として留年の危機が浮上してきた。
とりあえずその日は入山中に適当な場所で結果を確認してだめだったら藤原だけ下山するということにして寝る。ちなみに後でわかったことだが奥駈で電波が通じるところはかなり少ない。このことからもわかるように進振りの時期に山に入るべきではない。

9/22(月)

晴れ

天川川合 5:40-6:15 (タルミ) 6:25-7:15 (タルミ) 7:25-8:15 (タルミ) 8:25-8:35 栃尾辻 -9:30 ナベの耳 9:45-10:20 狼平 10:40-11:30 弥山 12:00-12:20 八経ヶ岳 12:35-13:35 五鈷峰 14:00-14:20 (タルミ) 14:35-15:00 舟ノ峠 -15:20 楊枝ヶ森 -15:30 楊子ヶ宿小屋

日の出より多少早いが明るくなってきたので5:40に出発。吊り橋を渡って入山する。登山道は整備されていて、低山らしい雰囲気の緑あふれたまに鉄塔や林道が出てくるルートを進んでいく。栃尾辻には避難小屋があるが、本当にただ屋根があるだけであまりお世話になりたくない雰囲気。ナベの耳の手前では地元の山岳救助隊の方々が休憩していて、色々情報を教えていただいた。あまり水場の状況はよくないため狼平で汲んでおいたほうが良いとのことだ。更にこれを持っていけと奥駈道の地形図までいただいてしまった。ルートの読みがエアリアより正確に見えるので有用そうだ。「東大生が山登ってる場合ちゃうで!」などと言われつつ別れる。

狼平には立派な小屋が建っていて、側を流れる沢も水が豊富だ。楊子ヶ宿小屋の水が涸れている可能性も考慮してここで千丈平まで持つだけ水を汲む。重量が一気に増えたため弥山までの登りはかなり苦労した。弥山には予定より大分早くついて、隊の雰囲気は和やかだ。去年とのギャップで「こんなお楽しみ山行みたいな雰囲気でいいのだろうか…」とLは不安になってしまう。何はともあれ弥山山頂で写真を撮る。進振り結果が気になる藤原は携帯を覗きこんでるところが写ってしまった。結局電波状況は悪く結果はわからなかったようだ。ちなみに弥山小屋の主人はどこかに出かけてしまって15:00まで戻ってこないと書き置きしてあった。ここの水をあてにするのはあまりよくなさそう。
弥山山頂にて
八経ヶ岳に着いた時も良く晴れていて去年の無念を晴らすことができた。もっとも百名山にしてはイモい感じなのだが…。その後は楊子ヶ宿小屋へ向けてひたすら歩く。因縁の地五鈷峰では相変わらず道が崩落していて歩くには危ない感じ。晴れた日に改めて見てみると五鈷峰もなかなか良いピークだ。ロープをちょっと登ってピークの下でのんびりする。一応ピークまで続く道はあるようだ。この辺りはなかなか風光明媚な場所で、楽しみながら進んでいく。

楊子ヶ宿小屋には15:30に到着。1000m以上の登りで皆疲れ果てているがしっかり休息をとれそうだ。水場を確認してみたところ完全に涸れていたため狼平で汲む判断は間違っていなかったようだ。晩飯のラタトゥイユはなかなか満足度が高い。快適な小屋で就寝。

9/23(火)

晴れ

楊子ヶ宿小屋 5:35-6:20 (タルミ) 6:35-7:00 孔雀覗 7:10-8:05 釈迦ヶ岳 8:25-8:30 旭口分岐(水汲み) 10:40-11:05 深仙宿 11:15-11:40 太古ノ辻 -11:55 (タルミ) 12:05-12:20 天狗岳 -12:55 嫁越峠 13:05-13:25 地蔵岳 -13:55 (タルミ) 14:10-14:20 乾光門 14:25-14:55 (タルミ) 15:10-15:25 涅槃岳 -15:50 証誠無漏岳 16:05-16:45 持経ノ宿山小屋

稜線上で光がよく届くのでちゃっちゃと朝食を済ませて早めに出発。この辺りは道がわかりづらくなっていて柏嶋がちょくちょく間違えていた。鳥の水も完全に涸れている。孔雀覗ではとても良い景色が広がっていて少し長ダルミ。気持のよい登山道が続くせいかトップは皆ずんずん進んでいってセカンド以下を放置してしまう傾向がある。気をつけていただきたい。エンの鼻には鎖があったが危なげなく進んでいく。釈迦ヶ岳には昨年も見た立派な仏像が立っている。こんなものを一体誰が運んできたのだろうか。少し進んだところには旭口分岐があり、そこに荷物を置いて千丈平まで水を汲みに行く。
孔雀覗にて

千丈平にはテント場らしきものが整備されていて機会があればサイトをしてみたい場所だった。問題は水で、千丈平の水場からはチョロチョロとしか水が出ていない。かなり時間がかかりそうだが仕方ないのでのんびり16発汲むことにする。結局水を全部汲むのに2時間もかかってしまった。大分の時間ロスだが悪いことばかりでもなく、ここでUTaskに接続を試みていた藤原がついに結果を得ることに成功し理物に内定したことが判明した。隊としても藤原を降ろす必要がなくなったので嬉しいニュースだ。一応ギリギリ持経ノ宿山小屋に日没までに間に合いそうなので進むことにする。
太古の辻は南北奥駈の境界。昨年はここで下山した
嫁越峠や地蔵岳の周辺はなだらかな道が進んでいてサイト適地が多い。特に天狗の稽古場と呼ばれる地蔵岳直前の場所はわざわざサイトしたくなるレベルに良い場所であった。
そしてトップはずんずん進んでいき後ろを置いていく。後ろを、見ろ。
川原がバテ気味で遅れていたのだが、乾光門を越えた辺りで完全に進めなくなってしまう。一体何事かと思っていたが行動食を食わせたら完全に回復してずんずん進む側になってしまったのでただのシャリバテだった説が濃厚だ。証誠無漏岳のあたりで天図の時間になったが、サイトを早くするために天図隊とサイト隊に分けてサイト隊だけ先に持経ノ宿へ進む。Lはサイト隊に加わったが、トップの川原がものすごいスピードで阿須加利岳を登っていったためにLの足腰は完全に破壊されてしまい超スローペースで下る羽目になってしまった…。今年の一年会は元気である。
持経ノ宿は楊子ヶ宿小屋より快適な小屋で、毛布まで置いてある。水場は林道をしばらく歩いていったところにあるが、ここの水場は千丈平の20倍くらいの勢いで出ていて一瞬でポリが満タンになる。これがわかっていれば千丈平であんなに待つ必要はなかったのだが…。水場から戻ってきたあたりで天図隊がやってくる。台風16号改め熱帯低気圧は順調にこっちへ向かっていて大変不安である。
晩御飯の麻婆豆腐が旨い。少し前に立峻が同じルートを縦走していたのだが、ここの小屋ノートには彼の書き込みはなかった。藤原の理物進学を祝う宴会をやった後就寝。

9/24(水)

曇り後雨
持経ノ宿山小屋 5:40-6:30 平治ノ宿山小屋 6:40-7:25 倶利伽羅岳 7:35-8:25 怒田宿跡 8:35-8:45 行仙岳 9:00-9:15 行仙宿山小屋
今日は休息のため停滞でこそないがかなり行程を軽くしている。熱帯低気圧の影響で空はやや曇っている。倶利伽羅の登りには一応鎖があるがそこまで危険ではない。この辺りから登山道は細めになり、アップダウンは激しくなってくる。道は割としっかりしているのでそこまで体力を消耗することはなかった。9時前にはもう行仙岳に着き、しばらくのんびりする。ピーク周辺には電波塔が立っていて秘境らしからぬ雰囲気だ。ちょっと下ってすぐ行仙宿山小屋に到着。今までの小屋とは比べものにならないくらい立派な小屋で毛布はもちろん囲炉裏やなんと電気まである。
行仙宿には水場が近い場所と遠い場所があるのだが、高市が見に行ったところ前者の水は涸れていたようだ。遠い方が往復50分くらいするとの情報なので水汲み隊を編成。水場は道路に面していて、水量は豊富だ。この道路は普通に車も通れるようなので末端にしておいてもよかったかもしれない。のんびり水を汲んでいたのだがふと気がつくと新留がいなくなっている。水を汲んでさっさと小屋に戻っていたことが判明したが、勝手に隊を離れるとは危険極まりない行動だ。よく反省してもらいたい。
水場から戻ると残っていた人が火を焚いてくれていて大変ありがたい。皆思い思いにくつろぐ。晩御飯は塩麹鍋に加えて藤原が持ってきた栗で栗御飯を炊くなど。深夜にはかなり雨が強くなって停滞が必要だろうかと考えたりしたいた。

9/25(木)

曇り後晴れ
行仙小屋 5:55-6:55 (タルミ) 7:05-7:25 笠捨山 -7:45 葛川辻 7:55-8:30 地蔵岳 8:40-9:35 (タルミ) 9:45-10:20 香精山 10:30-11:00 塔谷ノ峠 -11:25 古屋宿 11:40-12:00 蜘蛛ノ口 -13:30 玉置山分岐 13:45-14:05 玉置山 14:20-14:30 玉置神社 15:25-15:40 玉置辻
朝サイトをしている間にも雨は強くなかなか出発が躊躇われる天気だったのだが、5時半を過ぎると大分弱まってきたので予定通り出発することにする。小屋を出る時に忘れ物を確認したら畳まれてない毛布が放置されていたがこれは八嶋のしわざであった。
登山道は昨日と同じくアップダウンが激しいが荷物が軽いせいかそこまで大変ではない。槍ヶ岳は名前だけでピンを立てていたのだがただの岩でしかなかった。問題はその後の地蔵岳で、鎖場が多くキツいためトップを藤原にする。特にピークの直後に6m垂直降下する場所がやばい。ただでさえ大変なのに雨で滑りやすくなっているので、不安な一年は空荷で降ろして上級生が運んだ。この辺りで小雨は止む。
香精山や塔ノ谷峠では急な上り下りが多く、湿った木階段で滑る人が続出していた。古屋宿を過ぎると道がゆるやかになって大分進み易くなり、空も晴れわたっている。この周辺で猟が行われているのか何度か銃声が聞こえたのだが大変寿命の縮まる思いがするから止めてほしい。

蜘蛛ノ口を過ぎるとちょくちょく車道と登山道が交わるようになり、道も大変緩やかなのでピクニックでもしてるかのような気分だ(ただしめちゃくちゃ速い)。玉置山分岐では世界遺産石碑があったので記念にぱしゃり。完全に遠足になっている。すぐに玉置山に着いてその後に今山行の目玉の一つ、玉置神社へ下る。良い神社だ。八嶋が宮司の方からお菓子をもらったりしていた。ここで水を汲ませていただいて玉置辻へ。道路脇に少し草原があってそこにテントを張る。道路を行く車の運転手がみんなこっちを見ている気がする。折角の良い天気なのでLと大橋と八嶋はオカンする。夏合宿でまさかのオカン回数0だから大分久し振りのオカンだ。大変良い星空を見ることができた。

9/26(金)

晴れ
玉置辻 5:35-6:25 太平多山分岐 6:35-7:00 大森山 -7:25 篠尾辻 7:35-8:10 五大尊岳 -8:25 (タルミ) 8:35-9:05 六道辻 -9:20 大黒天神岳 9:30-10:20 吹越権現 10:40-11:00 吹越峠 -11:25 七越峰 11:35-12:10 備崎 -12:55
朝サイトは一年会だけで任せていたが卒なくこなしてくれた。本宮へ向かう。ここまで来ると大分里山の雰囲気が強くなってきて悪く言えばイモい。五大尊岳には地図には書いてないが北峰と南峰があってトップが混乱していた。途中何度も車道と交差する部分があり、車道をさっさと進みたい気持をこらえて山を越える。七越峰の直前には公園があってなんというかまあ、下界である。
備崎についたところで熊野川を渡渉したい人とそうでない人に隊を分けて進む。Lは渡渉したが熊野川はなかなか汚いのであまりおすすめはしない。隊を合流させて本宮大社参りを済ませて打ち上げの後解散。完遂お疲れ様。Lは折角なのでしばらく那智の観光をした後実家へ帰った。
わざわざ渡渉することもなかった気がする


まとめ

天気に恵まれ奥駈道を存分に楽しむことができた。去年の失敗もあって戦々恐々としていたものの南奥駈は想像していたほどキツい山ではなく、余裕のある山行にしたいという当初の目標は達成できたと思う。夏合宿での鍛錬の成果か一年会も頼もしくなってきた。まだ地図読みで多少のミスが目立ったり体力管理がしっかりできていないような部分もみられるのでこの調子で精進していってほしい。
近年では奥駈道の企画は6,7年に一回のスパンで出されているようだがその程度ではもったいないような魅力あふれる山域だった。僕個人としては北部より南部の方が静かで良いと思う。なんせ南部では誰一人として他の登山客と会わなかったのだ。
冒頭でも述べたが南奥駈は荒廃していた時期があり、かの加藤文太郎はどうも藪をかき分けて縦走したようだ。多大な努力を費して南奥駈の道を切り開き山小屋まで設置し、今に至るまで整備しているのは地元の登山会の新宮山彦ぐるーぷの方々であり、彼彼女等に感謝の念を述べたい。

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