プレツアー蔵王

面子:3坂田、松岸、三宅、L宮崎 2大橋、廣長、村瀬、立峻 1EH中村、W藤原、F高辻
期間:2014/2/23~2/25

蔵王の樹氷を見るためにこの山域を企画した。晴れて樹氷は拝めたものの樹氷、シュカブラでとても滑りにくいコースをルートにとってしまい皆四苦八苦していた。企画としてはコンパクトだったが晴天や荒天、sub装から本ザックトラーゲンまで行い経験値は積めたと思う。

晴れの日の屏風岳



2月22日  白石駅までアプローチ
東京=白石
 当日の朝EFが示し合わせたようにEF表から予備日分の食糧を削っていることを気付く。一年会は予備日を使わせまいとする陰謀を巡らせており危ないところだった。集合は当日中に白石に着ける16:47赤羽発の列車だが大橋、村瀬、高辻、立峻は朝に白石で合流。立峻は実家から来るとのことでとても不安だ。よっぽど実家にモーニングコールをしようかと思ったが本人曰くいらないと頼もしい返事をいただいた。テントを振られていた二年会がほとんど翌日合流だったので全てのテントのリーチをしていた中村はアプローチ中とても大変そうだ。白石に着くと坂田松岸は酒を飲み始めクソジジイっぷりを遺憾なく発揮。白石駅は駅前にコンビニあり。

2月23日  アプローチ延長戦  すみかわスノーパークから刈田峠でサイト
天気:下界は晴れ、スキー場から上は雪
白石8:50~10:45すみかわスノーパーク11:08~11:38スキー場トップ12:03~12:53 1550m大黒天先13:08~13:58 1550m 14:08~14:18刈田峠
無事に朝アプローチ組と合流。8:50発のミヤコーバスに乗る。バスの運転手さんは東京から来たということを知ると観光バスよろしく白石の史跡や見どころを話してくれた。またすみかわスノーパークの無料バスは高速バスサイズもありザックはトランクに収納可。
 すみかわスノーパーク内はリフトを利用。トップまで行くのにリフトを三本乗り継がなくてはならないので12回券を3枚購入。高速リフトでない上に一回ごとに全員を待たないといけないこともあってスキー場トップに着いたときは11:40過ぎになっていた。シールを張って体操をすると12:00を過ぎていた。一年会がシールの取り扱いに苦戦していた他村瀬、立峻も時間がかかっておりもっと頑張ってほしい。とはいえLもリフトの時間等のアプローチを甘く見ていて反省。スキー場トップからは雪上車の跡をたどっていく。途中でトップは雪上車の後から外れ、打ってあった竹竿に従ってショートカットをし大黒天は通過せずにエコーラインと合流。エコーラインでは雪上車と二回ほどすれ違った。屏風岳登山口からもシールを着けたまま小屋まで向かう。刈田峠はモンスター群という情報だったが時期が過ぎていたのか枝がちょいちょい見えていてなんとなく汚い。割としっかり雪が降っていて視界もあまりなかったためLはちょくちょくGPSで確認。トップは報告した角度から左に逸れたり、連携がうまくいっていなかったりしていまいちだったが、GPS上では割と小屋に一直線で進み、あっさり到着。入口を残して雪に埋まったような小屋を発見したのは大橋の手柄らしい。時間はないのでORの下見は無理。
 小屋には先客がいてストーブをガンガン焚いていてかなり暖かい。しかも昨年の月山でお会いした方で再会を喜ぶ。この小屋の中には入口から吹き込んだ雪が小屋の1/4ほど堆積していて小屋に泊るためには雪かきをしないといけない。ということで一年生に雪洞を掘らせる間に上級生は小屋の雪かきをする。雪洞訓練をするのは中村と藤原。高辻は上州武尊で雪洞を掘ったので良いことにした。雪かきも終わってひと段落してから埋没訓練。顔だけ掘り出されると安心してエアポケットを解除してしまう人がいてひやひやした。一年生が雪洞がまだまだかかるので上級生がサイト。夕食は「たっぷりきのこのトマトバター煮」。メニューにわざわざバターを入れたり修飾句を入れたりするところが坂田みたいだ。サイトのとき中村、藤原が特大大コッフェルと中小コッフェルをリーチしていたことが発覚。さらに中村のリーチしたお玉は一つねじが外れて汁をすくうと回転してしまう。さらに立峻は米を焦がすなどトラブルも多かったが、一年会が奮発してたくさん作ったぺミカンはとても量が多く幸福感でいっぱいになった。立峻は茶飯武器を持ってこないことによってサイトの茶飯を飲むのを回避していることを知った。雪洞はまだまだかかるので上級生で水作り。中村の雪袋は小さく薄いという代物でひどい。水作りが終わったところで雪洞が出来上がり、二人とも雪洞の完成度は高くかなり快適そう。その後宴会をして就寝。宴会では先客の方に手作りの山ブドウのジュースをいただいた。また先客の方は過去のORの澄川源頭に行ったことがあり澄川源頭には渡渉等はないとの情報をいただいたが準則にORは下見を条件とすると書いてしまっていたので今回はいかないことにする。

2月24日 刈田峠から屏風岳ピストン
天気:晴れときどきガス
刈田峠6:23~6:30村瀬のビンディング破壊6:40~7:00前山手前タルミ7:15~8:10杉ヶ峰8:32~9:05芝草平~9:30 1750m 9:40~10:00屏風岳10:52~11:20芝草平11:30~12:02杉ヶ峰12:14~前山手前コルトラーゲン準備5分~13:03前山13:13~14:15刈田峠
 遅れることを恐れて4半6。雪洞組が来なくて心配していたら高辻がゆっくり起きればいいよとふざけたことを吹き込んだせいだった。雪洞はかなり寒く感じたようで中村は一睡もできず藤原もあまりよく眠れなかったようだ。外に出ると板やストックにエビのしっぽが着いており周りの樹氷も心なしか成長したようだった。一緒に小屋に泊ったパーティーは今日下山するとのこと。廣長が足に雪を付けたままスキーをはめようとしていて悪戦苦闘したおかげで出発が遅れる。その後5分ほどしたところで村瀬のビンディングが破壊。今回は滑る山行ではないのでスキーが無くても問題ないと判断して予備ワカンで歩いてもらうことにする。小屋まで目視の範囲内と考えて板は松岸、宮崎が小屋まで往復して置きに戻った。シュカブラが発達していてシールでも歩きにくく一年会は苦戦している。前山手前でたるんだところは多少急で一年会はスキーを担いで登らせる。藤原はこのあたりでシールのトップが壊れてテーピングをしていた。前山直前は木が少なくなったので竹竿を数本打った。廣長のシールも死に数分止まる。杉ヶ峰もそれほど問題なく登ることができ、杉ヶ峰でロングタルミ。出発のときはガスがかかっていたがすぐに晴れ、杉ヶ峰では風すらない晴天を拝めた。過去の資料にある通り杉ヶ峰周辺は限界上で竹竿が必要。杉ヶ峰から先はシールを付けたまま滑る。シールだからかあまり楽しくなかった。屏風岳を登り始めると本物のモンスターが姿を現し一同感嘆する。しかし一方でシュカブラや樹氷によって歩きにくく一年会は苦戦していた。それに引き替え村瀬の安定感はすごい。屏風岳はどこが山頂かパッとしなかったので適当に稜線に着いたところで良しとした。皆屏風岳の一番高く見えるところまで空身で歩き思い思いの樹氷に乗って遊ぶ。集合写真もここで撮り、戻ってきてからモスった。屏風岳の東側は大きく雪庇が張り出しているのが確認できた。結局山頂で50分くらい遊んでいた。山頂からの滑りもシュカブラと樹氷の凸凹とした地形に苦しめられる。一年会と立峻はかなり滑りで苦戦していた。それに引き替え村瀬の安定感はすごい。滑りにかなりのフラストレーションがたまった立峻は自分のスキーを村瀬に履かせて自分はワカンで下ろうとしたがビンディングが靴に合わず失敗に終わった。立峻はビンディングの調整が甘くすぐに解放するらしい。中村が大分苦戦していて前とかなり距離が空いてしまったが視界がよく目視できるからとトップが伸びるのを黙認してしまい反省。芝草平でシールを付けて杉ヶ峰から滑走。芝草平から杉ヶ峰にかけて東側に雪庇あり。松岸はORにかなり未練がある様子でしきりにORの方向を向いてため息をついていた。杉ヶ峰の下りではガスによって視界があまりよくなく竹竿の打ち方が甘いのではと指摘を受ける。ここも滑りにくく皆苦労していた。高辻と大橋が衝突して一段下のところまで滑ってしまい復帰に多少時間がかかった。それに引き替え村瀬の安定感はすごい。前山への登り返しはトラーゲン。前山からの滑降は立峻をフリーにしてしまったせいで少し立峻と離れてしまいオーダーがよくなかったと反省。小屋へのわずかな登り返しはスキーを担いで歩いた。
 雪訓はビーコン訓練と支点作成。訓練用の予備ビーコンを忘れたことに気付き松岸坂田のビーコンを借りる。立峻は深い穴を掘って自分が埋めたビーコンを掘り出すのに手間取ると一人にやにやしていた。2年会のSABは村瀬と立峻だけ行い、残った雪訓は明日に回すことにする。長かった行動時間が終わり待ちに待ったサイト。中村が壊れたお玉で器用に茶飯をすくっているのを見て感心する。水作りの後宴会。宴会のあと立峻のビンディングの調整をさせるがかなりめんどくさそうな顔をされる。しつこく言い続けてビンディングの調整をさせると解放値が3になっていることが判明。解放するのもあたりまえだ。藤原も壊れたシールの先端を松岸に直してもらっていた。

2月25日  刈田峠から蔵王温泉まで縦走
天気:晴れときどき曇りのち12:00頃から吹雪
刈田峠7:02~7:40刈田岳手前1650m7:50~8:26刈田岳8:42~立峻シールトラブル5分坂田キジ10分~9:55タルミ10:05~10:38熊野岳避難小屋11:48~トラーゲン準備8分~12:50タルミ13:00~13:25熊野岳~13:38ロープウェイ山頂駅14:12~14:56蔵王温泉
 4半6で起床。今日の朝食は鳥もち雑炊だったがなんと鶏肉が入っている鳥もち雑炊だった。自分の時代の鳥もちといえば鶏がらスープのみの風味を楽しむものだったのに時代は変わった。ただしゃぶしゃぶ用の餅を余熱で溶かそうとしていたが餅があまり溶けずに固いまま食べた人もいて改良が期待される出来だった。夏合宿ではうまくいったらしいので気温の問題なのだろう。雪訓はアイピケとSAB。このときはまだ晴れていて、きれいな日の出が見える中アイピケができるなんてなんて幸せなんだろうと思った。坂田はダイヤモンドではなく八の字にしようとか飽きないアイピケ訓練の在り方を模索していた。廣長大橋のSABが終わったところでアイピケも終了。
行動の方針は熊野岳の縦走にする。村瀬のトラーゲンは重いが縦走路はガリガリという前情報だったのでワカンで歩いても変わらないか前日の様子だとむしろ安定するのではという判断だった。稜線上は風が強そうだったので屏風岳登山口で着させる。1670mの最後の樹氷のあるくらいでゴーグル着用のため少し早いがタルミ。限界上を刈田岳先に書いていたが実際は1760mくらいだろう。二年会がバラバラに歩いてトップしており一年会を置いて行ってしまうのは要反省。連携を取り合って散開をするにしても情報を回すなどして一年会が着いてきやすいようにしてほしい。刈田岳直前でガリガリになったのでクトーを付けて登った。刈田岳では多少晴れ間が除き展望が臨めた。次の熊野岳避難小屋まで稜線上でたるみたくなかったので、行動食が確実に食べられるように長めにたるんだのだが強風で声が通らずその意図はあまり伝わらなかったようだった。強風のため松岸は菓子のごみの袋を飛ばしていた。刈田峠からは高さ3mくらいの指導ポールが10m置き位に立っていた。この指導標は熊野岳避難小屋方向に続いていて今回は熊野岳避難小屋直前の登りで埋まって見えなくなったがそれまで立っていることが確認できた。刈田岳のレストハウスの避難小屋は神社から指導標に従って降りてすぐにある。行ってすぐに立峻のシールが外れて5分ほど止まる。馬の背を進んでいるときの天気は雪こそ降らないものの完全にガスの中。限界上で風に吹かれながら止まっているのはあまり気分がよくない。シールトラブルは今日2度目なのだからテーピングするなり対策してほしい。しばらく行くと坂田がキジ。何と10分くらいキジ討ちに行っていてストレスが溜まった。さらに藤原のシールトップが壊れ時間がかかりそうだったのでタルミにした。稜線上の最後の登りのときに指道標が埋まってしまって見えなくなっていたので竹竿を打って進む。稜線上に着いたときには視界は50mほどしかなく準則違反。現在地はGPSを使って小屋と熊野岳の間と同定し、どちらの方向に進むかで優柔不断になってしまいトップには申し訳ないことをした。熊野岳避難小屋は入口を残して雪に埋まっており分かりにくかった。冬期入口は南側にある。刈田岳で見えた晴天を信じて小屋の中で11:15まで停滞。11:15に小屋から出ると視界はさらに悪くなっていて完全に吹雪いている。しかし先に指導標が続いていることを確認していたので分からなくなったら指導標に従って小屋まで戻れると考えて下る判断をする。トップは村瀬、廣長、本体誘導に三宅が入り、順番をしっかり決める。指導標に樹氷が着いていて非常に見にくい。トップは指導標の雪を払いながら進んだ。一か所指導標が分からないことがあり角度を切って廣長、村瀬、三宅で散開して下った。戻れるように竹竿を打ちながら下るとすぐに指導標が見つかった。登り返しはトラーゲンを作って登った。風にあおられてふらつくが危険個所はないので大事に至ることはないだろう。地蔵岳を下るとようやく樹林帯が見えた限界の位置が間違っていたようで反省。樹林帯で指導標が分からなくなるが角度を切るとすぐスキー場に着いた。スキー場からは村瀬はロープウェイで下り他の人は中央ロープウェイの下まで下る。道に迷ってだいぶ遅くなってしまった。中央ロープウェイの向かいの温泉に入り、近くの定食屋で打ち上げ。バスで山形駅で行き、電車で東京まで行く。立峻は実家に帰る。松岸、坂田、中村、宮崎以外の人は新幹線を利用しワンゲルも時代が変わったものだと思った。

まとめ
 2月中は数えるほどしか晴れないという前評判だったが晴れて樹氷が見れて良い山行になった。緩い傾斜が多くシール登高の練習になったどうか微妙だった。今回のコースはあまり楽しく滑るような場所ではなくスキーを使って歩きがメインとなる山域で滑りが楽しいのはスキー場ということになってしまう。下調べが足りなく準則によってORが行けなかったのは失敗だった。熊野岳の準則違反も要反省。指導標のある区間の準則は再考の余地があったと思う。GPSには頼りすぎていたと思う。

・指導標まとめ
刈田岳から刈田岳避難小屋方向に10m間隔ほどで2~3mほどの木でできた指導標が続いている。今回は熊野岳避難小屋直下1800mほどまで確認。1800mから避難小屋までは埋まっていたのか確認できなかった。避難小屋から直接コルに下りる夏道沿いに指導標は伸びており地蔵岳を経てスキー場方向に続いている。避難小屋から少し下りたところで見失ったが5,60mほど進んで発見できた。またスキー場直下でも樹氷帯に紛れて見失った。しっかりとした指導標だが樹氷が付くととても見づらい。

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