夏合宿:南ア深南部

2016年8月に行った夏合宿の山行記録。原稿は
9月頃に完成していたが、写真選びを後回しにするうちにいつの間にか12月になっていた……
せっかく書いたので今更ながら公開します。


Lが高校最後に行った山小屋から、高校時代に登った南アの名峰を繋ぐ趣味全開の企画。合宿3隊の中で最高峰、唯一の薮企画、深南部のの秘境と南ア南部のどでかい山を楽しめた良い企画だった。



メンバー

3:L鈴木 野原 sW村田 2:F梅宮 E久保 W張(5) H中津 1:今本

8月8日

田野口21:35=(タクシー)=22:35山犬段▲0
各員大井川鉄道田野口駅で現地集合とした。17時頃に梅宮から遅刻するという連絡が来る。乗り換えにミスったらしく島田駅からタクシーで田野口駅に向かうとのこと。金谷駅で梅宮以外が集まり、大井川鉄道の千頭行終電に乗った。

我々以外の乗客も2~3人いたが田野口に着く頃には貸し切りになっていた。運賃1410円也。田野口駅には予約していたタクシーが既に到着していた。タクシーの荷台に荷物を積んでいると、ちょうど梅宮が到着したのですぐに出発できた。ちなみに、島田から田野口の運賃は9千円ぐらいらしい。

田野口から山犬段はちょうど1時間ぐらい。最初の30分は生活道路で整備されたが、山奥に入るとアスファルトのそこかしこに窪みが目立つようになり、最後には凸凹した砂利道になった。利用したタクシーがちょうど新車だったのだが、砂利道で何度も底を底を擦っていて、なんだか申し訳ない気持ちになった。

山犬段の山小屋で一泊。星がとても綺麗だった。電波は主要3キャリアは全部通じた。道の途中で電波が入らない場所があったので念のため車内から入山連絡を入れたのだが、杞憂だった。小屋にトイレがあるが、水は飲用不可。今回は予め汲んでいたので使わなかったが、水場は林道を下って15分ぐらいの場所にある。

8月9日 晴

4:47-5:21蕎麦粒山-(タルミ12)-6:06五樽沢コル-(11)-6:55三合山-(10)-8:14千石沢コル-8:37千石平8:52-9:04鋸山-(29)-11:31房小山12:00-(24)-13:24 1958p-(14)-13:54本邦南端2000mの地14:07-14:10バラ谷の頭-14:25黒バラ平水場15:25-15:28黒バラ平▲1
一分間スピーチは梅宮。「予め新幹線の終電でアプローチをする計画を立ててしまうと遅れた時に取り返しがつかないからよくない」と遅刻を反省していた。4:30出発としたが、まだ暗かったので明るくなるまで待ってからの出発となった。

序盤は道が付いており、斜面も緩やかなであっと言う間に蕎麦粒山に到着。たまに倒木や木の根が張り出していて歩きづらい箇所があったが、危険な箇所は特になかった。どんどん登り鋸山まで着いた。登山道の状態は悪くはないが、標高が低く天気が良かったのでとにかく暑かった。鋸山の先からは笹が出始め道が不明瞭になるが薮装をつけるほどの濃さではなかった。房子山で長だるみ。張がカルピスを持ってきたのでパウの代わりに飲んだ。カルピスは5本あり以降もパウの代わりとして何回かに分けて使った。
旅はまだ始まったばかり
房子山の先も薮は薄そうだったが、念のためトップを3人付けて薮の陣形で進むことにした。トップと中継を二年会で交代して行い、本隊誘導はずっと野原がやった。膝下ぐらいの笹原だが踏み跡は薄い。しかし暑さで体力を奪われペースが上がらない。水の消費量も予定より多い。


やっとこさ黒バラ平の水場に着いた。水汲みとサイト適地探しを分担して行った。水汲みは汲む時間も含めて往復35分。サイト場は水場から少し進んだところにある広場にした。広場には看板がついており、どうやらここが黒バラ平らしい。

テン場では中津が差し入れの生もみじ饅頭を出してくれた。中津はもみじ饅頭を「もみまん」と略して呼んでいたが、これが以降ネタにされ続けることになる。就寝は19時前頃になった。今本と久保はオカンした。

8月10日 晴

5:23-5:30 1909p-6:08黒法師岳6:30-7:12等高尾根分岐7:38~8:06カモシカ平~8:25丸盆岳9:16~9:30カモシカ平~9:55等高尾根分岐10:36-10:43弁当転がし-11:35市川戻り-11:41ヤレヤレ平11:57-(7)-13:02黒法師岳登山口-13:16不動岳登山口▲2
テントを撤収したところで、今本がマップケースがないと言い出した。あたりを十数分探しても見つからないのでテントに巻き込んだか誰かの荷物に混ざったということにしてジップロックに予備地図を入れて代用させた。なおマップケースは結局見つからなかった。寝ている間に鹿に取られたか?

黒法師岳の登りは薄い笹、しかし目立った踏み跡はないが、ただ登るだけなのでRF箇所はない。黒法師岳山頂は広場。三角点は噂通り頂点の印が十字ではなく×印だった。

等高尾根は周りの景色が見渡せる場所がいくつもあった。どの方向も山に囲まれており、すごく山深いところに来たのだと実感させられた。

登山口への分岐でsub装を作り丸盆岳を目指した。この時点で読みよりやや遅れ気味になっていた。早朝なのに結構気温が高く隊の士気も低い。sub装で丸盆山に向かう。道中は広い笹原で鹿道が網の目状にいくつも走っていた。天気が良かったのでRF箇所はなかった。丸盆山山頂でLが持ってきたアプリコットを食べた。鎌崩の尾根は評判通りかなり崩れていた。もともと通る予定はなかったが、やはり合宿の重装備で通過するのは難しそうだった。

ピッチ読みが短すぎたのと丸盆岳での長だるみで分岐に引き返した時には今日中の鹿ノ平到着は困難になっていた。間に合ったとしても日中の一番熱い時間帯に鎌崩を登ったり鹿ノ平で水汲みを行うのは消耗が激しいと判断し、鹿ノ平まで行かず林道でサイトを行うことにした。

林道へ下る登山道には道がついてた。弁当転がしやヤレヤレ平の看板は白い金属板に丸ゴシック体で地名が書いてあり、なんだか場違いな感じだった。斜面は急で小石がゴロゴロしており、落石を起こさないように下るには注意を要した。

ひたすら下って林道に到着。この2日分は丁度1泊2日の山行にちょうどいい分量だという感想があがったが、まだまだ先は長い。ひとまず不動岳登山口まで移動して、手前の広場でサイトをすることにした。まだ昼過ぎなのでとても暑い木陰に隠れて日差しをやり過ごしながら日暮れ直前でテントを貼ることにした。水場は黒法師岳登山口と不動岳登山口の中間あたりにあるが、そこまでの移動が面倒なので今本以外は横着して道の脇に露出した小さな滝から水を汲んだ。正規の水場ではないので水が岩壁で跳ね返って、水を汲んでいるうちにびしょ濡れになるのだが、暑いのでむしろ大歓迎とばかりに半裸になって水を浴びながら水汲みをした。張が水汲み中にプラティパスの蓋を落としてなくしてしまったので、以降ペットボトルの蓋で代用。

サイト地は電波が入らないどころかAMラジオすらほとんど入らない山奥、点図が取れないのでFMラジオのニュースで流れた天気予報のアバウトな気象情報で翌日に挑むことに…。

8月11日 晴

5:20-(29)-8:00 1863p8:07-(13)-8:58鎌崩の頭9:09-9:44鹿ノ平10:06~1:040不動岳11:02~11:22鹿ノ平11:46-(37)-15:42六呂場山15:57-16:34六呂場峠▲3
一分間スピーチは久保。タルミからの復帰に時間かけすぎてること等を反省したいという「お気持ち」が表明された。撤収後パッキングをしているとプラティパスの一つが水漏れを起こしていることが発覚。他のポリで水を汲み直すことになった(ポリは予備を持っていたので最長水場区間は通過できる見込み)。他にも梅宮がメガネをなくしたり(テントの中にあった)、村田が夜中にヒルに噛まれたのを応急処置したり、Lが雉打ちにいったりして出発が遅れた。

不動岳登山口から入山。登山道は林業の作業路としても使われているらしく整備されていて歩きやすかった。たまに笹が濃い場所があるので適宜藪装を付けたり外したりして対応した。どうやら登山口から鎌崩までは除草剤を散布しているらしい。

鎌崩の頭に到着後空身で、三角点を打った。崩れている尾根の様子は確認せず。鎌崩の先は西側が切れている箇所があったがそれほど危険ではなさそうだった。

鹿ノ平かなり広い笹原だった。張は膝が痛むようだったので野原付き添いで不調者デポをし、残りの6人で不動岳ピストン。不動岳への尾根は笹の背丈が低く見通しがよい。しかし、笹の中に倒木が隠れていて躓いたり脛を打ったりして歩きづらかった。不動岳では少し長めのたるみを取った。不動岳の北側には展望地があるらしいのだが、そこまでは行かなかった。

鹿ノ平に戻ると、張の膝はかなり回復しているようだった。しかし念のため中継野原、本隊誘導張で暫く進むことにした。鹿ノ平からの下りは地図でも確認できる大崩落箇所に沿って進めば簡単そうだったが、それよりも北側の地点からトラバースして尾根に取り付こうとしていもった。本隊は止まっていたがトップはかなり進んでいたので復帰に時間がかかった。復帰して後しばらく行くと下草が少なくなり樹林帯に入った。道の脇から伸びる枝が邪魔だったが漕ぐのに苦労はしない。途中で大岩に当たり、手間取った。右巻きと左巻きの道を探したが無理そう。しかし直登してみると案外簡単に登ることができた。大したことない地形で時間を食ってしまいピッチ読みからかなり遅れることになった。このままでは天図たるみを取ることになるという場面で、六呂場山でdocomoの電波を受信。天気図を確認できたので、そのまま六呂場峠まで進むことにした。六呂場山には「耳目は欺かず〜」の有名な看板があり、先程いもったことを思い返し判断の大切さを思い知らされた。
有名な看板の前でお疲れムードの中、記念撮影
六呂場峠に到着すると急に霧が出てきた。久保、中津、野原、村田で水を汲み、残りが飯を作ることにした。この先が最長水場区間なのでほぼ全発汲む必要があり、水汲み班は一人4~5発持つことになった。水汲み班が戻って来たのは飯ができてから20分後ぐらいだった。どうやら水場への道は地面が崩れやすく、登り返しが大変だったらしい。野原は二度と行きたくないと言っていたが、水が足りないので明日の朝サイト後にもう一回行くことになった。往路18分、復路33分、水量は豊富。

六呂場峠はかなり狭くテントを貼るのに難儀した。テントが稜線の幅より広いので平らな場所は2~3名分しかない。今本、久保、村田がオカンしたので一応全員が寝床を確保できた。眠りについたのは20時半頃、長い一日だった……

8月12日 曇ときどき雨

6:40-7:17矢筈山分岐-(12)-8:39 1814p8:50-9:411995p9:55-10:41 1901コル10:54-11:54黒沢山12:14-12:41 2075p-(11)-13:54黒山▲4
夜中に突然雨が降りだし、村田がジジ天に避難してきた。今本と久保は頑張って寝続けたようだ。朝サイトの後、梅宮、久保、中津が水汲みに行った。往復で50分ぐらいだった(水を汲む時間を含む)。 峠からの登りはそこそこ急。RF無いのでトップ一人の道体形で進んだ。矢筈山分岐の先でガスにより見通しが悪くなったので薮の体形にした。

黒沢山手前は腰から頭ぐらいの長さの笹、やっと薮漕ぎらしくなってきた。人が足を踏み入れた形跡が殆ど無く、まさに深南部といった感じがした。黒沢山は木々に囲まれたイモピークだった。
笹薮の合間に現れる松地帯、やや漕ぎにくい
黒沢山の先で松の生えた痩せ尾根地形で、ちょうど白毛門を薄くしたような場所があった。基本的に笹原が多い山域だが、この薄毛門地形も何箇所かで見られた。2075pの手前のピョコをトップが2075pを誤認。このあたりは地図にないピョコがいくつかありややこしい。

黒山は山頂が平らで、人の背丈と同じぐらいの高さの笹に覆われていた。落ちていた倒木を使って笹を均しその上にテントを張った。昨日までの晴天から一変して雲が出ており気温が低かったので水がかなり余っていた。そこで今晩と明日の朝飯をジフィーズにしてサイト用の水が節約すれば、笹平まで水汲みせずに行ける見通しが立った。三又山の水場は地図を見る限り大変そうなのでこの案を採用することにした。

サイト後時間が余ったので全員参加で天図大会を開催。今本は書き方が分からず途中で放棄、村田は放送中に飽きて寝てしまった。他の皆はある程度書けていたと思う。

AUの電波がたまに入るので、二年会は梅宮の携帯で成績の確認をしていた。他にも破けたゴアマを修繕したり靴ずれに絆創膏を貼ったりして明日に備えつつ18時半頃に就寝。今日は天気が悪く足が濡れっぱなしだったので、しわしわ病にならないか心配だ。

8月13日 曇

5:07-(12)-6:54ヒコウキ平-7:10 2214p7:24-7:34中ノ尾根山コル-7:59中ノ尾根山8:45-9:22 2251p(ドーム)-9:33三又山-(27)-11:37鶏冠山南峰12:25-13:22鶏冠山北峰13:38-14:11笹平▲5
朝飯は予定通りジフィーズ。一分間スピーチは張。中国のオリンピック事情について話してくれた。中国は高飛び込みが強いようだ。中国のお家芸といえば卓球だが、今の若者には不人気らしい。

黒山山頂はとにかく広く、高い笹や霧も相まって尾根がどちらに続いているかが視認できない。コンパスの角度だけを頼りに進むことになった。角度を切って進むとそれらしきコルにたどり着き、どうやら正解尾根に乗ったことが分かった。この辺りは赤布も少なくそれなりにRFが難しい場所だったが、トップはよくやってくれた。

中ノ尾根山に向かう途中、ヒコウキ平という看板を見つけた。どうやら1965年に全日空の貨物便が墜落した場所らしい。中ノ尾根山は浜松市最高峰の山。そのせいか市内の山岳団体が取り付けたと思われる山頂標識がそこら中にあった。中ノ尾根山からの下りは、地図上ではRF難所のように見えたが、実際には踏み跡や赤布があって迷うような場所ではなかった。2251pには「ドーム」と書かれた山頂標識があった。

三又山は地味なピークだった。水汲みの必要もないし素通り。鶏冠山南峰の手前に大岩があった。直登するルートと右巻きのルートが確認できた。鶏冠山南峰では電波が入った。これから雨が降るという天気予報を見てがっかり……。鶏冠山の二峰の間は岩場で進むのに注意を要した。北峰の先の下りは苔むした針葉樹帯で下りきった場所には笹原が広がっていた。これが笹平だろう。笹平の先には丘があり、晴れていれば丘の上でのサイトも気持ちよさそうだが、天気が悪いので万が一の雷に備えて手前の木に囲まれた平地でサイトをした。
トリカブト
サイト分の水が足りていたので二年会以下でサイトしつつジジイが水汲みに行くことにした。水場への道は笹に隠れた沢状地形があり、何度か躓きかけた。水場の周りにはトリカブトが咲いていて綺麗だった。往路12分、復路12分、水は豊富で冷たい。

ジジイが水汲みから戻るとちょうど飯が完成していた。Lは三つ峠でも食べたことがあるが、塩レモン鍋はなかなか美味しかった。

サイト後、久保がマダニを見つけてきた。事前情報で深南部にはマダニがいることを知っていたが、実物に遭遇したのはこれが初めてだった。念の為に抗生剤を持ってきて正解だった。


8月14日 雨のち晴

5:12-6:39池口岳稜線-6:43池口岳南峰6:50-6:53池口岳稜線 7:03-7:10池口岳のコル-7:15池口岳北峰7:43-8:03加加森山分岐8:14-8:43池口鹿平-(14)-10:22加加森山11:13-11:53諸河内の頭12:12-(14)-13:45光石14:45-14:51光岳14:57-15:08光小屋▲6
一分間スピーチは中津。これまでの薮で良かった所三箇所はバラ谷の頭から黒法師の尾根、不動岳、黒岳下りのRFとのことだ。

朝から雨が降っており、霧も出ていたため、やや視界が悪かった。笹平先の丘を越えると苔むした樹林帯になった。樹林帯を尾根にそって進んでいくと池口岳の稜線に到達。どうやら最低鞍部よりも南峰側の場所にでたようだ。南峰は近そうなのでその場に荷物を置いて空身で南峰ピストン。南峰では到着した瞬間に一瞬雲が切れ晴れ間が見えた。

引き返して北峰へ進む。池口岳は光岳からピストンする人がいるためか明瞭な踏み跡が付いていた。北峰では日差しの入り方がちょうどよくブロッケンが見れた。

加加森山分岐は北向きに看板が付いており、池口岳側から来るとわかりづらい。鹿ノ平の付近は苔とシダ植物の珍しい植生で神秘的な場所だった。それを過ぎると疎林帯になり、下草もほとんど無い樹林帯になった。倒木が多い以外はほぼ道区間と変わらない。

加加森山は三角点が離れた場所にあり、たるみの間脱いでいた靴を履き直すのが面倒なのでサンダルで往復。怪我はなかったが、流石に舐めすぎだった。
池口川から見る光岳は威厳がある
諸河内の頭は地図上では簡単そうだが何故か北側の尾根を進んでしまうRF箇所。慎重に進みつつRFすると、1)正解ルートの赤布が見えづらい、2)北側尾根の木が薄く道があるように見えてしまう という2つの要因によって確かに間違えやすい場所だとわかった。光岳は新南部側から見るととても大きく見えた。

光石の分岐点で薮抜けしそのまま光石に向かった。光石で10名の登山者に遭遇、突然人が多いところに出て、まだまだ山奥なのに下界に降りてきたような感覚に襲われた。そのまま光岳を通過して光小屋に到着。

光小屋の主人は五十代以上の人にしか飯を出さない変わった人だという噂があったが、とてもやさしそうな人だった。小屋のトイレは3つのうち2つがバイオトイレで綺麗だった。水場は少し遠いが、薮での水汲みよりは随分楽。電波は小屋の周りではdocomo、AUが入るが、小屋下のテン場では全キャリアで圏外だった。
天気予報によると台風が接近してるらしく、17日に本州に最接近するとのこと。そこで明日は聖平小屋まで行き、天気が酷くなっても聖岳を打ってERで下山できるようにするという方針にした。


8月15日 晴のち霧のち雨

5:15-5:55三吉平-(10)-6:51易老岳-(12)-8:08希望峰8:19-8:35仁田池-8:51茶臼岳8:53-9:04茶臼小屋分岐-9:22茶臼小屋11:42-11:54茶臼小屋分岐-12:38奇岩竹内門12:48-13:24上河内岳-13:41南岳13:55-15:05聖平小屋▲7
朝飯は薮抜け記念の藪そば。スピーチは今本、薮区間の感想は「適当に南ア隊を選んでけど結構よかった」らしい。天気は晴れており、朝焼けが綺麗だった(朝焼けは天候悪化の兆候なのだが…)。

道区間に入ったので、今日から今本にもトップやサイマスをさせて育成していくことにした。三吉平までは岩岩した道を下る。今本は初トップにありがちな高速歩行だったが、後ろが全員追いついていくので、そのままスイスイ進んだ。道は整備されていて倒木だったり、脇から伸びる枝なんかはほとんど無かった。さすがは国立公園。薮区間とはあるきやすさがぜんぜん違う。その代わり、他の登山者がたくさんいるのですれ違いや追い越しに気を払う必要があるのは薮とは違う意味で疲れる。

三吉平から先は土の道で、たまにぬかるみがあったがスイスイ進んだ。そのまま易老岳、喜望峰を打った。喜望峰に着くと、霧が出てきた。展望が無さそうので仁田岳はカット。薮の水汲みより短い寄り道なんて行っても行かなくても同じ。

そのまま霧の中を進み茶臼岳に到着。記念撮影だけやってすぐに小屋へ向かった。小屋に到着してデポ品を回収。小屋の管理人は聖平小屋に行っているらしく、従業員のお姉さんが対応してくれた。茶臼小屋の従業員の方々にも深南部ファンが多いらしく、山犬の段から光岳までの区間を数回に分けて踏破した方もいた。これまでの区間で飛ばしたおかげで時間に余裕があり、荷物の軽量化も兼ねて停滞日分の昼飯を小屋で食べることにした。3年会がデポ品を仕分けしつつ1~2年会は棒ラーメンとパンケーキを作った。棒ラーメンと梅宮の差し入れのポップコーンは美味しかったが、パンケーキはうまく固まらず、ココア味のペーストになっていた。茶臼小屋は電波が入るのでヤマテンを確認した。どうやら東に曲がりながら移動しているらしく、直撃は免れるらしいことが分かって一安心。デポ品を詰めるとザックがパンパンになった。野原のザックは詰め過ぎで亀裂が入った。テープで補修してそのまま使ったが、もし行動中にザックが裂けたら大変なことになっていた。デポ品を体積を気にせず持ち込み過ぎたのは反省点である。

小屋から出発すると途端に雨が降り始め、稜線上では強風が吹く最悪の天気になった。竹内門でタルミを取ったが雨風によって体が冷え、寒くて全然休憩にならなかった。上河内岳のピークも天気が悪いのでカット。

酷い目に遭いながらもやっと聖平に到着。聖平小屋名物のフルーツポンチが出迎えてくれた。我々が大学の山岳系クラブだと知ると、小屋の受付の方が賞味期限切のインスタントミルクティーをくれた。茶飯の代わりとしてありがたく使わせていただいた。


8月16日 朝ときどき曇り

5:16-5:40薊畑-(11)-6:40小聖-(10)-7:46前聖岳7:51-8:03奥聖岳8:14-8:25前聖岳8:48-9:28聖兎のコル9:50-10:22兎小屋-10:31兎岳10:46-11:18子兎岳-(14)-12:17中盛丸山-(11)-13:24百間洞山の家▲8
向こうの尾根に見える我々の影
出発から5分ぐらいは小雨が降っていたが徐々に雲が薄くなり、薊畑を通過する頃には完全に晴れた。薊畑の先で森林限界を超え、あたりの山々が見渡せるようになった。小聖の登りはちょうど太陽が上がってくる方向に道が伸びていて、日差しが眩しかった。小聖からは聖岳がとても大きく見えた。聖岳の登りは急登で、石がゴロゴロしていて登りづらかった。雲がでたり消えたりしていて、天気の変化に一喜一憂しながら進んだ。トップの久保が晴れてるタイミングで山頂に着きたいのかペースを上げて後ろを置いてゆく。待ってくれ〜聖岳に到着した時はちょうど晴れていた。そのまま空身で奥聖へ。奥聖への道はちょっとした岩場になっているが特に危険ではなかった。奥聖から戻った後、前聖で長だるみ。今本は薮区間でしわしわ病が酷いと言っていたので、足の調子を聞くと「しわしわ病は気の持ちよう」という名言をいただいた。

聖兎のコルでは他の登山者との距離を調整するために少し長めにたるみを取った。虫が沢山湧いていたが、刺すタイプの虫はあまりいなかった。兎岳は東側の眺めが良かった。三角点が山頂南西の藪中にあるのだが、しょうもなさそうだったので行かなかった。
聖岳で記念撮影
中盛丸山は地図で見ると小さいが、実物はかなり大きかった。中盛丸山を過ぎたあたりで疲れが出て、ペースが落ちてきた。ORの大沢山はやめてトラバース道で百間洞山の家に向かった。百間洞への道は地形図に描かれているルートではなく、エアリアに描かれているルートのほうが正しそうだった。

百間洞山の家では、FLYプログラム参加中の東大生が働いていた。手ぬぐいやデザートを積極的に宣伝してくる面白い人だった。電波が入らないので最新の天気予報はわからなかったが、今日の晩に台風が来る予報であり、また隊の疲労が溜まっているようなので小屋泊することにした。梅宮が茶臼小屋で使う予定だったFを使って2食分作りませんかと提案してきた。どうやら梅宮は献立通りに全部の料理を作るF完遂を目指しているらしい。F装が軽くなるしお腹が減っていたので2食分食べることにした。お腹いっぱい食べることができ大満足だったが、今本は食べきれずにギブアップしていた。翌日の起床を3:45にして就寝。


8月17日 晴ときどき霧

5:16-6:02百間平-(10)-6:42馬ノ背-(10)-7:43赤石岳8:13-8:26赤石小屋分岐-8:37小赤石岳-8:50赤石岳の肩-(10)-9:31大聖寺平-9:59荒川小屋▲9
起床時間を間違え4時まで寝ようとした一二年会がいたらしく、サイトが遅れた。しかし、ジジイもっと遅くまで寝てたので文句を言えない。

百間平への登りは急登だが、ペースは良かった。百間平から先は平坦な細い稜線。風が強く霧も出ていてとても寒かった。赤石岳山頂に到着しても風は吹き続けかなり寒かった。避難小屋は山頂の南東側に立っており、百間洞側の登山道から分岐が出ている。村田はたるみの間に避難小屋にバッジを買に行っていた。山頂はdocomo、AUの電波が入った。ポケストップもあるらしい。小赤石岳に到着したあたりで霧が晴れ、風も弱まってきた。もう少し早く晴れて欲しかった。赤石岳から荒川小屋までの道はさしたる特徴がなかった。
荒川三山が目の前に
荒川小屋ではハエがたくさんいた。人懐っこくて、腕や足に停まって、肌を舐めてきた。ドクターフィッシュみたいでかわいい♡。時間があるので使わなかった朝飯を昼飯として食べた。ここで、村田の共装ヘッドをなくしたことが発覚。ヘッド一つでやりくりすることになった。

昼食後は張が持ってきたUNOで遊ぼうとしたが、一組のデッキのうち半分しか持ってこなかったため、赤と黄のカードしかなかった。そのままUNOをやってもクソゲーにしかならないので、変則ルールの大富豪として遊んだ。

晩飯の後、第二回天図大会を開催した。ずっと空電が鳴っていた。今度は二年会が今本に書き方を教えてたのである程度書けたみたいだ。


8月18日 曇

5:15-5:38水場分岐-(11)-6:28分岐-6:31前岳6:33-6:37分岐-6:43中岳-7:06荒川岳のコル7:16-7:44悪沢岳8:16-8:36丸山-9:02千枚岳9:15-9:24マンノー沢分岐-9:40千枚小屋10:00-10:23駒鳥池-(10)-11:11見晴台-11:41清水平-(11)-12:39小石下-12:54林道分岐13:04-13:27鉄塔横-(10)-14:44滝見橋-14:32椹島
朝飯のビーフンは膨らんでかなり量が多かった。 出発は5:15になった。初日から最終日までずっと出発時間が遅れてしまったのは反省すべきだろう。

荒川岳の南側には高山植物の保護区域があり、フェンスで囲まれている。登山道が区域内をと通っているのでフェンスの扉を開けてなかに入るのだが、トップの張はそれを無視してフェンスを迂回しようとしていた。フェンスに沿って踏み跡が付いてたので間違えてフェンス沿いを歩く人が多いのかもしれない。

前岳と中岳の分岐で荷物を降ろし、前岳は空身でピストン。写真だけとってすぐに戻った。Lが高校時代に行った時は前岳の側にライチョウの巣があったのだが今回はいなかった。荷物を回収して中岳へ。中岳も写真だけ取って直ぐに出発し、悪沢岳を目指した。中岳から5分ぐらい進んだところに中岳避難小屋があった。道のすぐ脇にあるので見落とすことはないだろう。避難小屋の横を通り過ぎた当たりで霧が発生。最終日ぐらい晴れてほしかった。荒川岳のコルを越えて急登をのぼり、そして本企画の最高峰、悪沢岳に到着。天気は曇っていて微妙だったが、確かな達成感があった。皆の余ってる差し入れを出して長だるみをした。中津は梅ゼリーとフルーツゼリー、野原と村田は桃缶とみかん缶を出してくれた。

悪沢岳の東側は岩場、それを過ぎると平凡な丘が現れた。丸山という3000m超の、れっきとした山である。こんな山でも北ア隊の最高峰より高い。

丸山を越えてしばらく行くと千枚岳にたどり着いた。千枚岳はかっこいい岩の山だった。最後のピークなので荒川三山を背に元気よく記念撮影をした。

後はひたすら下るだけ。4年前に建て替えた千枚小屋の水場で水を補給し、一気に下った。見晴台までは緩やかな下り。その先はやや急になった。ちょうど、椹島にバスが着いたのか、見晴台の先で登りの登山者が一気に増えた。

その後も淡々と下り、何事もなく小石下までたどり着いたが、その先に本当の最後のピーク、鉄塔横が現れた。この小ピークを巻く道が崩れてしまったらしく、ここを通るしか無いようだ。上りも下りはそれなりに急な岩場、しかも登りの斜面に蛇が数匹…。標高も低く気温が高いのでかなり疲れた。
お疲れ様でした!!
林道にたどり着き、滝見橋を通って椹島へ。梅宮、久保、中津はピークハントならぬ末端ハントをしていたが、道を間違えて脱落。げんきがいいなあ。椹島ではテント設営後、天突きをして風呂に入った。大井川の源流がテン場のすぐ近くにあり天突き適地だ。サイトは全部の食材を使いきろうとしてまたもや2食分。こんどはLも食べきれなかった。


総評

薮区間はいつもの上越の薮とは異なり、清々しい笹薮を楽しめた。見渡す限り山しかない場所に行けたのも貴重な体験だと思う。

道区間は南ア南部の大規模な山を登ることができた。天気はあまり良くなかったが、それを帳消しにするぐらい雄大な自然を楽しめた。

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