秋企画大峰奥駈道

メンバー: 3 前山CLH 2 高市FsE 村瀬sLsW 1 羽柴 EW

期間:9/6-9/9

遅れ馳せながら投稿。ただし写真はない

以前から熊野古道に行ってみたかったのでこの機会に企画を出してみた。(主にLが)修験道を舐めてた結果隊は体力的に大変な目に会うことに…




9/6 アプローチ

(現地集合)吉野山

参加メンバーが皆ばらばらな所にいるので現地集合に。sLは折角なので14時くらいに到着して道の確認がてら吉野山観光をしていた。それも17時にもなるとどこも入れなくなるので駅で暇をしていた。9時頃には高市羽柴と合流し、前山さんも遅くなるが到着するという連絡を受けたので入山連絡。この時点では前山さんはまだ到着してなかったのだが説明を端折って全員集合したという旨の連絡をしてしまい、後で前山さんに注意された。翌日は舗装道スタートなので早めに4時出発ということにして、前山さんの到着を待たず就寝。

9/7 曇り

吉野駅 4:12 吉野山 - 奥千本口 5:50~6:05 青根ヶ峯 6:25 (たるみ 6:55~7:05) 四寸岩山 8:00 百丁茶屋(二蔵宿小屋) 9:10~40(水汲み) (たるみ 10:25~10:40) 大天井ヶ岳 11:00~11:10 五番関 11:45 (たるみ 12:00~12:20) 今宿 13:00~13:15 洞辻茶屋 13:55~14:10 山上ヶ岳宿坊 14:5515:25 (15:15に頂上) 小笹宿 16:05

翌朝起きると前山さんも到着していた。共装の受け渡しなどを済ませた後出発。ひたすら舗装道を歩くのはやはりしんどい。やっとの思いで吉野山を通り抜け奥千本口まで着いて休憩をしていると行者の乗ったワゴン車が颯爽と通り過ぎていった。修行とは一体何だったのか。金峯神社への急坂を登り切り、本堂で経を唱える行者達を横目に見つつ山道へと入る。少し進むと本山行初ピークの青根ヶ峯だ。青根ヶ峯を下ると再び車道に出るのだが、そこで先程の行者達の車とはち合わせ。「山頂で待ってるよー」という台詞とともに走り去って行った。修行とは一体何だったのか(二回目)。再び山道に入ると急な登りが続きいよいよ修験道らしくなってくる。四寸岩山では西に展望が開け大峰を見渡すことができた。その後なかなか二蔵宿小屋に着かずに焦ったのだがどうもピンの位置を間違って本来よりも前の地点に置いてしまっていたらしい。小屋の周辺は開けていて快適そうな場所であった。外国人の登山客がここで休憩していて、今回の山行で会った最初の登山客であった。案外歴史のあるこういう山の方が外国人には人気なのかもしれない。予想より水が減っていたのでここで往復15分ほどの水場へ汲みに行くが先日の雨のおかげで水は潤沢にあった。これからも水には困らなさそうだ。ここから大天井ヶ岳へと出発するが四寸岩山以上の急登に苦しみ、たるみを一回はさんでやっとの思いで頂上へ到達。五番関の女人結界門を通り抜けると山上ヶ岳の領域へと入る。途中には地図にない分岐があり、右へ矢印が向いていたのだが道が続いているようには見えずしばらく立ち往生する。結局偵察の結果左に行くことにしたがあの矢印は一体何だったのか。ここらへんのたるみで高市が不幸にもF装のみりんの袋が爆発する事故に見舞われていた。鎖場を一つ越えて洞辻茶屋に着くと有人の茶屋があった。ここから急に登山客(というよりは参拝客)が増えてきて山上ヶ岳が近付いてきた感がある。ちなみにここですれ違う時は「よう御参り」と挨拶するのが慣例らしいが、よく知らないワンゲル一同は戸惑いながらおうむ返しに挨拶をしていた。そこからはいくつかの階段と鎖場、鳥居を抜けていくとついに大峯山寺の宿坊に着く。いつの間にか周囲は霧につつまれていて境内は神秘的な雰囲気に包まれている。この時点ですでに出発から10時間半が経過し皆疲労の色が濃い。今になって考えるとこの時点で計画を見直してもよかったのではないかと思う。たるみの後境内にある頂上を踏み本日のサイト予定地、小笹宿へと向かう。緩やかな道だが宿まで非常に遠く感じられる。しばらく行くと何やら経を上げる声が聞こえてきて一体何事かと思ったが山中のお堂に行者達が集まって何らかの儀式をしているところであった。その隣に小笹宿があり、場を乱すのは申し訳ないと思いつつ脇を通り抜けて小屋に入る。こう疲れていると小屋泊まりなのはとてもありがたい。また近くには沢が流れており水は潤沢に得られた。到着後すぐサイトにとりかかるがFの量がとにかく多いということが判明。かなり大容量の自分のブキを満杯にしてもまだ余るほどだった。必死の思いで完食。今日の読みが10.5に対し実時間は12。これでは予定通りの完遂は厳しいだろうということで予備日を使うことを決定する。明日は可能なら楊枝ヶ宿小屋、だめなら弥山小屋まで行くことに(この時点では完遂するつもりでいたのだが…) 疲れもあって皆死んだように眠る。一日目完。

9/8 曇り後 雨 後 晴れ

小笹宿 5:30 阿弥陀ヶ森分岐 5:55 (たるみ 6:15~25) 大普賢岳 6:55 (たるみ 8:10~20) 七曜岳 8:30 (たるみ 9:05~20) 行者還岳分岐 9:30 行者還岳 9:35~45 行者還岳分岐 9:50 行者還小屋 10:15 (たるみ10:30~45) 一ノ多和 11:30 (たるみ 12:25~40) 聖宝ノ宿跡 13:00~15 弥山 14:05~45 八経ヶ岳 15:05~20 弥山辻 15:25 (天図たるみ 15:50~16:25) 舟ノ峠 17:50 楊枝ヶ宿小屋 18:15

翌日は4時に起き5時半に出発。昨日と変わらずガスっている。阿弥陀ヶ森分岐で女人結界を抜け大普賢岳へ。頂上はガスで何も見えなかった。ここから国見岳を巻き七曜岳を通るが、想像以上に鎖場やはしごが多く注意して進む。そうこうしていると行者還岳への分岐へと出て空荷ピストンをする。頂上の向こう側は急峻で地形図にあった道は確認できなかった。さっさと分岐に戻って行者還小屋へ向かうが、途中で道の崩落している箇所があった。通るより他にないため先に高市を行かせた後羽柴を通す。行者還小屋には脇目も降らず先へと進む。聖宝ノ宿跡までは急な箇所が多いわけではないがとにかく長い。ここら辺で高市がER下山しようと言い出す。とりあえず弥山に着いてから結論を出そうということにして進む。300mの急登をやっとの思いで登り切ると弥山小屋の立派な建物があり、外のテーブルで今後の方針会議を行う。皆で話した結果、隊員の体力を鑑みてここでようやく完遂を諦めER4で下山する決心がついた。さてこの後どこでサイトするかという話になったのだが、どうせなら小屋で泊まりたいというのと日没までには到着するだろうと見込まれたため楊枝ヶ宿小屋まで進むことにする。南へ進むと本ルート唯一の百名山、八経ヶ岳に到達する…も生憎のガスで展望も何もあったもんじゃなかった。無念。ここから舟ノ峠への長い道程が続く。その
途中で一箇所道が崩落している箇所がありロープが上下に繋がっていたのだが、断崖に続いている上へのロープを通ってしまい霧も相まって盛大に道迷い。下のロープの先に正解ルートがあることがわかるまで結構時間がかかり、結果日没に間に合うかかなり危うくなってしまう。上へのロープは何のためにあったのだろうか。焦りを覚えつつひたすら南進。舟ノ峠に着いた時点で日没22分前。やばい。皮肉にも楊枝ノ森を過ぎた辺りで森が開け夕焼けの絶景が広がる。結局楊枝ヶ宿小屋に到着したのは日没から数分後。まだ明るかったものの到着後どんどん辺りが暗くなっていくのを見て肝が冷える思いだった。枝ヶ宿小屋は広々としていて快適なことこの上なかった。この日のFはいもたき。美味いがまた量が半端じゃない。二日連続で山行も飯もトレになってしまった。しっかり休養をとるために起床時間を遅くすることにして就寝。二日目完。

9/9 晴れ

楊枝ヶ宿小屋 6:45 (たるみ 7:25~35, 8:15~30) 釈迦ヶ岳 9:37~50 深仙ノ宿 10:20 太古ノ辻10:45~55 前鬼 12:10~35 大滝前 13:35~45 前鬼口 14:40

日の出を小屋で迎える。昨日とはうってかわっての気持のいい晴天だ。朝食にぜんざいを食べ満を持して出発する。仏生の巻き道は道がはっきりしないためテープを頼りにして注意しつつ進む。孔雀岳を過ぎた場所にある孔雀覗は非常に展望がよかった。今までの苦労が報われた気持になる。ここから釈迦ヶ岳へは岩場と鎖の多い危険地帯。釈迦ヶ岳では巨大な仏像がお出迎えしてくれた。きっと霊験あらたかな何かがあるに違いない。坂を下り切ったところにこぢんまりとした深仙ノ宿。そこからしばらく行くと奥駈道の南北を分ける太古ノ辻に到達する。ここから本ルートをそれ前鬼へ下山するER4をとる。はじめのうちは木の階段の下りが続き体力と気力を削るが、それを過ぎるとなだらかな下り坂が続く。涸沢を通り過ぎた後道が山道から石畳に変わると間も無く前鬼の宿坊に到着。前鬼口のバスの情報を確認したかったのだが生憎宿の人は留守のだった。ここで羽柴のザックが異様に傾いていることに気付いて確認したのだが、肩ベルトを固定する部分が故障しているようだった。どこでこうなったかはわからないがもっと早く気付くべきだった。どうにも直し様がないのと、後は舗装道が続くので問題ないだろうと判断でそのまま行かせることにする。ここからはバス停目指して二時間にわたってただひたすら舗装道を歩く。道路に沿って流れる前鬼川は澄み渡っていてとても美しく、是非ともここで沢登りをやってみたい。ザックを捨てて飛び込みたい欲求を抑えつつ進む。トンネルを通り抜けると川は遠ざかり、遠まきに巨大な不動の滝が姿を表す。本山行最後の絶景であった。その後ひたすら歩き続けてやっとの思いでバス停に到着。自転車さえあればなあ。20分後にはバスがやってきて疲れ切ったワンゲラー達を運び去って行った。その後電車を乗り継いで橿原神宮駅にて銭湯に入ったのち打ち上げ、そして現地で解散。本当にお疲れ様でした。

まとめ

修験道の名は伊達ではなかった。余裕のない山行を計画したsLの反省すべきところは多い。
山に関して言うと単なる山脈ではなく修験道として発展した奥駈道は自然だけでなく文化的な風景にも恵まれ、他の山行とは違う雰囲気を味わうことができた。機会があればまた行って敗退の無念を晴らしたい。

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