2010年度山行No.34赤岳鉱泉FB
作成:鈴木
4L広瀬 3菊池 sL鈴木 2sEH蓜島 1EH成田 FW松尾
雪訓バックアップとしてメジャーな硫黄岳と北八ッの天狗岳を縦走するハード企画のはずだった。
1/21(金)晴れ
本郷=高井戸=八ヶ岳山荘前駐車場▲0
菊池成田は本郷で車を借り、高井戸で残りの面子と合流。ここで蓜島のわかん忘れが発覚。もともと雪の多い山域ではないし、雪の飛んでいる限界上以外は有人小屋も多いということで入山許可をもらった。松尾はDLする高層天図を勘違いしていて、850が無いかわりに850予想天図を持ってきていた。
諏訪南ICで高速を降りて青柳駅で水汲みしたりして八ヶ岳山荘へ。6天を張って2時ごろ就寝。広瀬さんがアイゼン調整をしてなかったのでその場でやってもらった。
1/22(土)晴れのち曇り
美濃戸口10:55~11:43美濃戸山荘11:56~たるみ2回~14:15赤岳鉱泉14:25~14:30サイト場▲1
朝起きてラーメンを作ろうとしていると松尾がスパッツを忘れたという。いろいろ案が出た(ちなみによくやられている「ガムテで代用」案は却下され、必須でない蓜島or松尾を切るか茅野に買いに行くかの2案)が、結局茅野に買いに行くことに決定。菊池と松尾で買いに行く。残りはテントで寝たり八ヶ岳山荘で漫画を読んだりしていた。
10:30ごろ菊池と松尾が到着したので出発。美濃戸山荘までとくに問題のない林道歩き。顕著なショートカット区間には赤布が打ってあるので適宜利用していく。ちなみに登山道の分岐点まではビーコンを切ってよいと指示した。美濃戸山荘から赤岳鉱泉までも特筆事項はない。蓜島がわりと頻繁に地図読み指導をしたり、成田が非常に遅かったくらいである。このへんではじめて成田が水曜に発熱していたことを聞く。そういうことは事前に教えてほしい。
赤岳鉱泉でサイトすると一人1000円とられるので、菊池と蓜島を前進リミット5分の偵察に出してサイト場を探してもらう。どこでも張れるらしいので5分ほど移動して道の脇で張る。成田はエキップなのに6天フライの張り方を知らない。雪袋が70l。一店舗しか見ないで「90lなかったんですけど」とか言われても・・・。ちなみに菊池はザラメ雪での便所作成に苦労していた。
サイマス成田でサイト開始。一年生はザックと荷物を重ねてその上に座ってスペース節約などの基本的なことが出来ていない。蓜島は雪訓で一回言ったことを繰り返さないようなかんじだったが、改めたほうがよいと思った(本人に言った)。成田は食べるのが滅茶苦茶に遅く、15:50から食い始めて松尾が描いた天図(等圧線、前線などの書き方がイマイチ)を添削し終わって松尾が食べた後も食いあぐねていた。そんなに多くないと思うのだが。
ちなみに明日の方針であるが、東天狗岳の通過リミットが10:40分であり、日の出から4pで通過する必要がある一方で読みは5pであったため、硫黄岳の通過リミットを読み0.8倍+αの10:30とした。
水作りして宴会して就寝。広瀬さんが酔って「はいじま(orすずき)、このういすきーあとなんみ、なんみりりっとrるくらいのめる?」と15回くらい言ったあと、自分でウイスキーを100mlくらい一気飲みしていたのでまずいなーと思ったが仕方がないのでそのまま寝た。
1/23(日)曇り(すこし雪ちらつく)のち晴れ
サイト場9:40~たるみ1回~10:47美濃戸山荘~11:26八ヶ岳山荘
今日は56半本ザック出発の予定なので、一年を急かしながらサイトしていると広瀬さんが二日酔いで行動出来そうにないと言ってくる。仕方ないので出発を延期。サイトは25分で終わったが6天なので当然だ。雲天でもらった餅を一枚ずつ分離するのを怠ったのでところどころ生餅だった。
適当な間隔で広瀬さんに調子を聞く(胃薬を飲ませた)が回復しそうになく(subで硫黄ピストンもきついとのこと)、そうこうしているうちに硫黄岳のMax前進リミットが危うくなって下山決定。広瀬さんはまだ頭痛などが残っているのでザックをほぼ解体。松尾がシュラフ袋と食器袋をなくしていた。広瀬さんは昨晩便所の後無意識に靴を外に置いていたらしい。さすがにひどすぎる。
あとはとくに何もない。行きと同じ道を下る。一部凍結していた(滑落の危険はないが)ので、一年の訓練も兼ねてアイピケ装着を指示したほうが良かったかもしれない。
八ヶ岳山荘について温泉入って定食屋で打ち上げして高井戸で解散。
総評
美濃戸口~赤岳鉱泉はこの時期赤布不要。
(笑)
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