丹沢 戸沢・源次郎沢

面子:3 大城、広瀬 2 L長崎、鈴木 1 蓜島、佐藤

11月6日(金)

8:20渋沢8:27=8:40大倉9:20-10:35戸沢山荘▲0
9:01のバスに乗るつもりだったが、全員が時間通り渋沢に集合したので、8:27のに乗ることにする。しかし、弁当を買いに行った広瀬さんがバスに乗り遅れてしまった。大倉で40分ほど広瀬さんを待ち、戸沢山荘に出発する。80分ほど林道を歩くと歩戸沢山荘に着く。山荘の少し上にあるあずまやで就寝。


11月7日(土) 源次郎沢、あるいは長崎氏が首尾よく沢L権を取得するに至った顛末
戸沢山荘6:15-6:30 F1下-7:10 F2下-7:40 F3(2段4m)下-8:35 3段7m上-8:35 F4上-8:50 名もない滝上-9:00 F5大滝下(下降開始) 9:15-9:35 名もない滝下-9:50 F4下-10:05 3段7m下-10:20 F3(2段4m)下-11:00 F1下-11:20戸沢山荘▲1
出発は6:10の予定だったが、佐藤にデポ作成の指示をし忘れて少し遅れてしまった。書策新道入口には黄色いテープが貼られており、立ち入り禁止かと思って一度通り過ぎてしまったが、隣の沢に入って行きそうだったので引き返して来た。新道を少し進んで入渓。少し歩くとF1が見える。左岸の木の根2本から流動分散で支点をとり、水流中TR。続く4mほどの滝で自分は左手を怪我した。岩壁の少し上に生えた木から支点をとろうとして滑落し、岩で切ったのである。切り傷なので血がたくさん出て驚いたが、行動に支障が出るほどではない。念のため、消毒して包帯を巻き、皮手袋を嵌めた。TRは蓜島。F2(4m)は左巻きTR(蓜島)。大岩のあるF3(2段4m)はTR+手がかりで通す。続く3段7mでは右岸やや遠くの木から支点をとりTR。蓜島に支点をとらせた後、角度が悪いと思って直させ、この作業で手間取る。反省会では最初の視点でも特に問題ないと言われた。多少ナーバスになっていたのかもしれない。F4は左巻きを手掛かり+Fixで通す。この時点で遡行図に振った滝の番号が1つずれていたことに気づく。ETWAS2005の記録では大滝がF4となっているが、実際の滝についているプレートではF5となっている。丹沢の沢110でもプレートに合わせているので、こっちを基準にするのがよい。つづく名もない滝(3mくらい)は岩の間をTR。間もなくF5大滝に着いたが、通過リミットをオーバーするので、ここから下降を開始。これまでの何箇所かで手間取らなければ完遂できたはずなので、残念ではある。

15分ほどたるんで出発。名もない滝は左岸から懸垂。このあたりから廣瀬さんが口笛でクリスマスソングを吹き始める。F4は右岸から蓜島が懸垂。僕は見ていなかったが、始めての懸垂セットとは思えないくらいスムーズにできていたそうである。でもまだまだ甘い。3段7mは左岸から懸垂、F3は巻き結び手がかり、F2は普通の手がかり。F1は右岸から水流中を懸垂。佐藤は懸垂で降りるのがなかなかはやい。でもやっぱりまだまだ甘い。鈴木が「暇だから堰堤を巻かずに懸垂で降りよう」などと世迷い言を言っていたが、無視して山荘に直行。時刻は11:20。

山荘対岸の河原は絶好のサイト適地。一見キャンプ場風だが、別に料金も要らないらしい。反省会の結果、まあL権やってよかろうという結論に達する。やれやれ。

昼寝や薪集めで時間をつぶし、2時からサイト。廣瀬さんがブキ、コーゲキ、米、差し入れ、ラーメン1食分を忘れていたことが判明する。一方大城さんは、手製の金網を鍋底に敷き、肉饅とピザ饅を蒸していた。これでプラマイゼロ。日が落ちてからは、暇にまかせて集めた薪で久々に盛大な焚火をする。廣瀬さんは河原の石で盛大なケルンを作っていたが、あんなに一生懸命なところは初めて見た。鈴木はでかいミミズをなぶり殺しにして遊んでいた。


11月8日(日) 戸沢
戸沢山荘6:10-6:20堰堤-6:55二股-7:00 F1逆S字下-7:20 F2下-8:00 F3大棚下 8:15-9:10 F3大棚上-10:05 戸沢左俣ノ頭
帰りたいという意見も強かったが、蓜島養成のために予定通り戸沢と遡行する。自分は疲れたので、トップは鈴木に代わってもらう。6:10に出発。蓜島は最初、入渓点への道を通りすぎていた。最初に出てくるでかい堰堤は蓜島が左岸TR。20分ほど行くと崩壊した石積み堰堤があった。「かつての美渓もガレには負けて」というガイドの言葉通り、ガレばかりで面白くもなんともない。二股までは本当に何もなかった。左俣に入るとすぐ、F1逆S字が現れる。右岸から支点をとり、2段TR。これを登るとすぐに3mくらいのナメ滝があり、手掛かりで通す。続いて2段10m。蓜島が水流中を直登したが、2段目の確保が難しいらしく、結局右巻きをTR(鈴木)+Fixで通した。少し歩くとF3大棚が見えてくる。ここでたるみ。遡行図には直登は右と書かれているが、下部が大きくえぐれてハングしており、到底登れそうにない。大城さんはこの10年くらいで下部が崩壊して登れなくなったのではないか、と言っていた。自分は文系なので、よく分からない。15分のたるみの後、左巻きを見る。急な上に足元が崩れやすく、非常に登りにくい。F3上の5m滝も一緒に巻いた。巻き結び手がかり~Fix~再び巻き結び手がかりで沢床に下ろす。ここで蓜島はFixの最終支点で環を締め忘れ、向きも逆になっていた。結局F3の工作に1時間くらいかかったが、廣瀬さんはひたすら寝ていた。すぐ上の長いナメ滝は右巻で、一か所スリング手がかりを出した。この後はひたすらひどいガレ場を詰める。一か所涸れ滝があり、フリーで通したが、何か出すべきだった。1時間ほどで稜線上に出た。おしまい。

戸沢山荘まで歩き、荷物をまとめて再び林道歩き。1:15くらいに大倉に着いた。バスを待っていると佐藤に「下山連絡入れましたか?」と聞かれた。なんでも、連絡を入れ忘れてL権が取れなくなることを心配したらしい。なめんな。バスで渋沢にもどり、あじゃって解散。


(感想)
源次郎は明るく、悪い沢ではないと思った。登る労力を惜しまなければどこでもしっかりした支点がある。ハーケンこそうたなかったが、他の技術はだいたい使えたので、sL企画としては無難な沢だと思う。
戸沢は…今回は蓜島が初めて判断をする機会ではあったが、それにしても内容的に物足りない沢だった。いろいろと割に合わない。

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