記:
三宅
面子:
4CL松尾,3sE坂田,松岸,sL三宅,sF宮崎,2W高辻(冬1年目),sWH村瀬,1FH中村,E藤原,Peter
”ほたか”と名乗るパチもん感が、余計にこの山の魅力を引き立てるのだろう…。
1/17(金)
曇
東京=上牧
宝台樹スキー場のリフト始業時刻に合わせ、無人の上牧で一泊したあと始発で水上に向うことにした。高辻はこの日籠原を寝過ごし終電を逃したが、新前橋までは進めたので翌朝の始発に乗れば事無きを得る。松尾さんが忘れ物をおやらかしになり、中村の個装ヘッドを使うことになりさらに米も1合減った。かく言う自分も振られていたルーの種類を間違えた。日曜日は強い冬型に寒気が入り荒れる予報だったので、ぜひとも初日でピークを打ちたい。おおむね1時には就寝。
1/18(土)
晴
上牧=水上=宝川入口=宝台樹スキー場=0909リフト上0925〜1020
p1518
1030〜(わかん調整5分)〜1121名倉のオキ1131〜(わかん調整5分)〜1212手小屋沢避難小屋付近1222〜(タルミ20分)〜15:50テン場
駅で見かける高校生は今日センター試験だろうか。7時20分、始発の車両で寝ていた高辻を回収。水上からバスを乗り継ぎスキー場へ。都心からアクセス良好とあって朝からとても賑わっていた。しばらく待ったあと第九クワッドが動き、いざ宝台樹尾根へ。アプローチにもこれくらい余裕があると気が楽だ。
リフト上部からいきなり雪深いのでわかんを履いた。雪はフワフワで軽く、膝下ラッセルが心地良い。北岳で足を痛めた潤と、sLを除くメンバでトップを短く回し、青空の下に横たわる上越国境を眺めながらいいペースで進んだ。ところが村瀬が立て続けに2度もわかんを外す。どうやら留め具の調整が出来ていないようなので、ラッセルを先に伸ばしながら調整してもらう。2年会がラッセルしないとは何事ぞと前からは非難轟々。「ぜんぶ村瀬のせいだ」が隊のスローガンとなる。
名倉のオキでの積雪は2m弱だった。ここからは尾瀬方面にも展望が開け心がはずむ。日の光が差し込む樹林の間をぬってどんどん進む。09年のタイムより少し速くらいなので、晴れている今日のうちに沖武尊の頂上を踏めるかも知れない。少なくともサイトは伸ばす方針にした。
しばらくすると今度は藤原のわかんが外れたので隊を止めた。適当に処置して次のタルミで調整してもらうことにしたが、このときのタルミで行動食をとれなかったためか藤原が遅れ始めたので、ラッセルの後ろについてもらった。
だんだんと他のトップも消耗しペースが落ちてきた。気がつけば雪も腿の深さになっている。スピードアップを図るため急登が始まる手前の地点で1年会をトップから下げ自分が加わった。斜面のでこぼこを超えるのがいちいち辛く、2分間のラッセルで5mが関の山という感じだ。尾根を外すとリカバーが大変なので気をつけたい。最後の急登は本当に急で、雪のコンディションを確かめてから進まないといけない。
2050mの登りは岩稜になっておりルートに迷ったが、松岸が散開して見つけた夏道ルートを行くことにする。他の記録では岩稜の左手を詰めることもあるようだが、見たところ雪崩の危険も高くこちらで正解だろう。夏道の鎖場は雪を落として岩を出し、突っ張るようにして超える。先頭の坂田がかなり苦戦していたので、二番手にsLが登り補助ロープで手がかりを工作した。ツボよりもアイゼンが欲しいかも知れない。結局ここの通過に時間がかかり、初日の登頂は諦め少し上部の開けた雪原に幕営することにした。樹氷が立派に成長し、まさに怪物のようだった。沖武尊を間近に見上げるとても気持ちいいテン場だ。
積雪は3m強、絶好の雪洞日和ということで松岸と高辻が雪洞を掘ることにした。10人で45天2式だったので非常にありがたい。雪質もよかったらしく、2時間で掘り上げた雪洞はどちらも快適そうだった。若天とジジ天、思い思いのルーで夕飯を作った。坂田が「史上最強に上手く炊けた」と豪語したコメは、よくあるベチョ米で実に微妙だった。ブキが無い松尾さんは4年でカッポジをするという貴重な体験に恵まれた。軽く宴会をして、21時前に就寝。
1/19(日)
吹雪
テン場0639〜0651藤原岳〜0729沖武尊0739〜(タルミ45分)〜1140剣ヶ峰〜1224リフト上1245〜1315川場スキー場=田園プラザ=沼田=東京
朝は何かと遅れるのが常ということで4半6。結局準備できたのは6半前。冬山の朝90分をどうにか守るすべは無いものか。体操しながら明るくなるのを待つ。Peterさんの体操の掛け声は3拍子だった。やはりウィーン育ちはワルツが似合う。Peterさんが撤収の時にオバテを無くしたらしく、潤の予備を借りた。
予報通り冬型が決まったようだ。昨晩降った雪でトレースはおろか便所も完全に埋まり、平地で股の深さになっていた。なおも雪は降り続いている。再び短くラッセルを回し沖武尊を目指す。途中から風が出てきたためゴーグルを着けトップを2年以上に切り替えた。視界は悪く気温も低く感じる。沖武尊まではものの1ピッチで到着し、なおのこと昨日のタイムロスが悔やまれる。ここからは去年の3月合宿のコースや巻機が見えるはずだったのである。ぜんぶ…、村瀬のせいだ。
頂上で集合写真 |
視界は無いが、通過リミットよりもだいぶ早く到着したこと、竹竿が余っていること、RFの難所は沖武尊直下のみであることを考慮し、前進判断リミットを竹竿の届く範囲として川場への縦走を決めた。出発してまもなく視界条件ぎりぎりとなり、コンパスを頼りに小さく散開して下る。最後の竹竿をうって少し歩いたところで中央の坂田が前方の尾根を確認し、同時に右の松岸が西側の谷を確認した。谷を右手に見ながら隊を尾根に運び、無事正解尾根の樹林に入った。かなり緊張感のあるRFだった。
ここでのタルミといい、今回の山行ではあの”台倉高”企画についてやたらと話が出る。その地名を耳にするたびsLは苦い思いをしなければならない。奇しくも台倉高同様、この上州武尊もかつて木村さんが企画した山だ。背後から木村さんがニヤニヤとこちらを見ているようで(敬意を込めて)薄気味悪い。
途中から続々とゴーグルが凍り、村瀬と松岸がトップに出られなくなった。やはり木村さんの大きなチカラが働いているに違いない。坂田と松尾さんは二人でのラッセル本当にお疲れ様。剣が峰への登りは全体的に緩いがところどころ急登があり、樹林をつないでいく。南東側の雪庇には常に注意を要する。指先や顔が痛いという人が出はじめたでテルモスを出した。直下の肩で村瀬のわかんが完全にイカれ、フライを出して待機するものの再起不能ということでツボに切り替えた。
ついでに簡単だと思って1年会に現在地を聞いたが、誰も地図を読んでいなくてショックだった。本体の人は余裕があるはずなので、トップを務めるための練習と思って常に読図は行おう。
絶景ポイントであるはずの剣ヶ峰もガスガスなのでスルーして下る。1950mからの下りは左手の急斜をバックステップで通したが、地形的には右の樹林を見るべきだったかも知れない。ほどなくリフトのアナウンスが聞こえ始め、やっとのことでリフト上の茂みに到着した。ホッと緊張がほぐれる。それにしてもこんな天気なのにものすごい客の数である。みな疲れていたのでリフトで優雅に下山。バスを乗り継ぎ沼田へ急行し、ゾロゾロと山彦に駆け込んだ。ようやくハードな2日目が終了し、空腹をワンゲル盛りで満たすことができた。
まとめ
全体を通して期待通りのラッセルトレになり達成感があった。初日は冬山の展望を楽しみ、二日目はRFを頑張るという両方の醍醐味もそれぞれ味わえた。何名かは防寒対策にも課題が残ったと思う。
登攀的要素があるものの、このルートは1年冬山で問題ないだろう。とても静かな山で、なにより他パーティと会うようなことが無いので興冷めせずに済む。しかし、特に逆ルートで荒れるとRFが手に負えなくなる可能性も十分あるので、天候判断は慎重に行うべきだ。
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