冬道合宿 熊野古道(小辺路・中辺路)

小辺路、果無集落にて

非冬メンツの新しい試みとして、冬道合宿に行ってきました。2隊に分かれての実施となり、我々の隊は熊野古道を6泊7日(当初予定7泊8日)で歩いてきました。歩行距離140km、累積標高差8000mを越える長大な旅となりましたが、無事にゴールできてよかったです。


初めに

よく知られている通り、熊野古道は紀伊山地最大の霊場である熊野へ至る道の総称である。その一部は「紀伊山地の霊場および参詣道」の名で世界遺産に登録されている。世界遺産に道が登録されている例は、熊野古道とスペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路のみである。




熊野古道には大きく分けて以下の6つの道がある。
①小辺路、②中辺路、③大辺路、④紀伊路、⑤伊勢路、⑥大峯奥駈道

このうち⑥の大峯奥駈道だけは修験道の霊場として使われてきたものであり、①〜⑤の参詣道とは大きく異なる。

京や大坂から熊野へ参詣するときに最もよく使われたのは、紀伊路で田辺まで出たのち中辺路を通って熊野三山をめぐるというルートであった。この道は貴族も利用し、たいへん賑わったという。一方で高野山から熊野本宮大社までを結ぶ小辺路は、1000m級の峠を4つも越えていく険路ゆえか、主に庶民の参詣道や現地住民の生活道として利用された。

今回は高野山から小辺路を通って熊野本宮大社まで歩き、さらに中辺路を歩いて熊野那智大社・熊野速玉大社に参詣する、合計140km超の道のりを歩いた。至る所に歴史を感じる旅となった。


【行程概略】

3/15(金):学文路駅〜高野山〜薄峠手前▲1

3/16(土):▲1薄峠手前〜大滝〜水ヶ峰〜大股〜伯母子峠▲2

3/17(日):▲2伯母子峠〜伯母子岳〜三田谷〜三浦峠▲3

3/18(月):▲3三浦峠〜西中〜十津川温泉〜果無集落〜観音堂▲4

3/19(火):▲4観音堂〜果無峠〜八木尾〜熊野本宮大社〜川湯キャンプ場▲5

3/20(水):▲5川湯キャンプ場〜小雲取越〜小口〜越前峠〜地蔵茶屋跡▲6

3/21(木):▲6地蔵茶屋跡〜熊野那智大社〜熊野速玉大社


アプローチまで

    元々は田仲が途中参加になる予定だったが、カザフスタンでもらったインフルが⻑引いているため残念ながら参加を見合わせることになった。3月に入った時点で雪が非常に少なく、それ以上積もる見通しもなかったので予定通り北から入山とした。また初日は8割が舗装路のため、あらかじめザックを局留めで郵送しておき高野山郵便局で回収することにした。一方で、重里集落付近の国道425号線が土砂崩れを起こし通行止めになったとの情報が入った。東側に迂回する車道があり、十津川村のホームページではそちらを通るよう要求されていた(←永田が情報を見つけてくれた)が、幹線なのですぐに復旧するかもと考え、コース取りは現地の案内に従うことにした。

    出発前日にエキチェを行ったところ12天がなくなっていたので、45天のみを使用することにした。女子天の試みは失敗に終わったが荷物が軽くなって少し嬉しい。しかし45天も本体とポールのサイズが全く合わず、本体の隅から凧糸を伸ばしてポールに縛り付けることでどうにか立たせるという荒療治で乗り切ることにした。

    入山前日は永田が和歌山で、他の3人は大阪でそれぞれ前夜泊した。無事に完遂できるかだいぶ不安だったが、天気が耐えそうなのが救いだった。

熊野速玉大社まで、残り146km。


3/15(金) 1日目 快晴、微風

学文路駅9:36=10:50千石橋=(たるみ10)=11:31第六地蔵=12:12神谷辻=12:17旧白藤小学校12:31=12:57極楽橋=13:05不動坂分岐13:08〜13:34清不動〜(靴履替3)=13:53不動坂口女人堂=(高野山散策)=16:05千手院橋(荷物引取)16:44=17:03轆轤峠=17:12小辺路分岐=17:21廃車のあるカーブ▲1 (5.5p)


高野山参詣道(京大坂道)上にある学文路駅。
受験生が縁起を担いで入場券を買い求めることがあるらしい。

    サブ装になっている関係で集合時間を遅めて9:00学文路駅とした。L以外の3人は定刻に着いたようだがLは電車に乗り遅れて遅刻した。ごめんなさい。なんば駅が意外と広かった(言い訳)。学文路駅でEFチェをしたところ肉が若干足りてないことが発覚したが、余っていた高野豆腐を使うことにした。また道下がW装のラジオを忘れたのでLのもので代替することにした(結局使わなかった)。

果樹園の中の参詣道を辿る。紀の川の向こうに金剛山地が聳える

    学文路(かむろ)駅から極楽橋までは車道。人魚のミイラが安置されていることで有名な学文路刈萱堂をすぎると、果樹園の中の農道になる。しばらく行ったところで訛り強めのおじさまが交通整理をしており、この先通行止めであることを教えてくれた。訛りのせいで何度も聞き返し、得られた情報を総合すると、工事中で参詣道が通れないから東へ迂回してトンネルの手前で参詣道に合流せよ、との指示であると推測された。とりあえずこの指示に従うことにした。この関係で第三地蔵は通っていない。途中で、「ゆめみるトンネル」が通行止めになり消灯しているのを見てネタ画像みがあると話題になった。


「右京大坂道」「高野山女人堂江一里」との道標あり。


    河根(かね)集落への下りは竹林の中の小径で、京都のような雰囲気を感じる。永田は日曜の8時からやっているという謎番組のBGMを口ずさんでおり、⻄村にのみ通じていた。河根集落は宿場町の雰囲気を留めており、大きな屋敷が通りに面して門を構えている。ここを抜けると幅の狭い急な舗装道路の登りになる。作水(さみず)、尾細の集落を抜けると神谷集落。白藤小学校の廃校舎を利用したカフェは休みだった。


南海高野線の線路。こんな山奥によく通したものだ


    南海高野線の軌道を右手に見ながら、撮り鉄さながらに写真を取りまくりながら進むと極楽橋に着く。赤い太鼓橋で、遠くからでもよく目立つ。石畳風の舗装が施された道を登り、ケーブルカーの軌道の下を潜るとすぐに新旧不動坂の分岐があり、旧道(登山道)へ。この区間は木の根が張り出している登山道だが、登りで使うなら登山靴は不要だろう。今回は永田のみ履き替えていた。いろは坂、花折坂の急登を越えると女人堂につく。かつて高野山は女人禁制であり、女性はここで修行していたらしい。


高野山(不動坂口)女人堂。そばに「高野山金剛峯寺」と書かれた石柱がある


    「高野山金剛峯寺」と書かれた門をくぐり高野山へ足を踏み入れると、荘厳な雰囲気を肌で感じる。金剛峯寺と壇上伽藍を観光、もとい拝観し、コンビニで軽食を補給し郵便局へ。ザックは無事回収できたが、手持ちで持ってきた荷物を本ザックに押し込むことができた者は一人もいなかった。結果、全員が外付け満載&手提げ袋という装備で進むこととなった。爆買い観光客みたいな格好が大変無様で面白いので、金剛三味院の門柱前で記念撮影。そして出発。夏合宿と同等の重さが肩に食い込んでくる。


高野山境内散策。


    夕暮れの中で鐘が鳴る高野山を後にし、薄峠方面へ林道を辿る。林道の随所から行く先の峰々が遠方できたが、この山域には大峰ぐらいしか目立つ山がないので、どれがどの山なのか全くわからなかった。しばらく歩くと、幅の狭い未舗装林道のそばに廃車が突然現れる。今にも崖下に転落しそうだが10年以上このままらしい。ギリギリのスペースに45天を張る。2張は無理だろう。車が林道を通行するのではないかと恐れながらサイトをした後、翌日の10pに備えて早めに就寝。

熊野速玉大社まで、残り126km。


3/16(土) 2日目 快晴、微風

5:28▲1=5:48薄峠5:52〜6:25御殿川橋6:35=6:50大滝7:11〜7:42高野龍神スカイライン出合7:53=8:19水ヶ峰8:27〜8:55林道タイノ原線分岐=(たるみ10)=10:08平辻〜(たるみ10)〜(靴履替3)〜11:15大股11:47〜12:35萱小屋跡(たるみ水汲み)13:05〜(たるみ10)〜14:30檜峠〜14:52伯母子岳分岐〜15:08伯母子峠▲2 (8.6p)


高野の山々が目覚める


    初っ端は林道なので3時半起床。朝は餅茶漬け。予定では今日が最もしんどい日。荷物が多いのでパッキングに時間がかかるかと思っていたが意外にもそんなことはなかった。Lは靴袋がどうしても収納できず、速玉大社まで手で持って行動した。

    昨日の林道の続きを辿り、薄峠到着。ここからは登山道だが傾斜も大したことがなく、路面も平らで少々小石が見られる程度なので、普段靴のままで進む。御殿川橋で渓流を渡り、大滝集落へ進む。この区間は地図上では登山道だが実際には林道。馬殺し坂というおどろおどろしい名前がつく急登である。大滝集落の人々はまだ活動を始めていないようだが、どう見ても私有地みたいなところに道が通っていて至近距離に家が立ち並んでいるので、不法侵入でもしているかのような後ろめたさがあった。水場はトイレのものが使えた。

大滝集落の東屋。


    大滝から先は非常に緩やかな登りで、気づかないうちに標高が上がっている。920m付近、尾根を跨ぐところで地図読み。全員正解。高野龍神スカイラインは工事車両が多いが割と安全運転。水が峰入口では道下が蓬餅を食べ満面の笑みを浮かべていた。案内板によれば、水が峰の山頂付近には集落跡があったようだ。このあたりは地理院地図に誤りがあり、実際には高度を上げずに林道に合流する。ここで奈良県(野迫川村)入り。林道は下り基調で歩きやすく、景色も良い。春霞などという雅な名の粉に苦しめられていた人がLを含め数名いた。平辻(たいらつじ)の南も地図に誤りがあり、実際には標高1000m線を忠実に辿る。大股への最後の下りは少し急で、Lは登山靴に履き替えたが他の3人は履き替えなかった。大股では、永田の足の甲の皮が剥けていたので処置した。結構痛そうだった。車が2台停まっていたが、のちに2名とすれ違ったので彼らのものだろう。


小辺路の最初の峠、水ヶ峰越(約1120m)

大股集落。

   大股を出発し、正午を知らせる集落のスピーカーから流れる陽気な音楽を聞きながら、九十九折りの急登を登っていく。萱小屋跡では冷えた飲み物が売っているとの情報があったが、実際に売っていたのはカフェオレだけだった。小屋の裏手に蓋がしてある貯留槽があり、そこから出る水を汲むことができる(飲み物もここの貯留槽に保管してある)。今回は伯母子峠南側の水場が古道の通行止めにより使えないため、萱小屋で汲んでいくことにした。道下は貯留槽から直接汲んでしまい、お腹を壊すからといって飲みたがらなかった。

夏虫山山腹をトラバース。
小辺路2つ目の峠、伯母子峠(約1240m)はもうすぐ。


    檜峠までは傾斜が緩むが、今日はもう1500mほど標高をあげているので苦しい。1195p南⻄の谷地形で地図読み。全員正解。伯母子岳をトラバースする道にはほんの少しだけ残雪があったが、通行には全く支障がない。やっとのことで伯母子峠に着き、しばらく休憩。Lは天気が良い今日のうちに伯母子岳をピストンすることを提案したが、どうせ明日通るからという非常にもっともな反対意見によりボツになった。小屋の周りは広い平坦地に見えるが、意外と細かな凹凸があるのでどこでも張れるわけではない。結局仮設トイレの隣に幕営することにしたが、特に臭いは気にならなかった。明日の天気を見ると、午後から雨が降り出す予報になっている。6pで三浦峠に着けることになっているので、雨が降り出す前に可能な限り早く進むことにした。夜は月が綺麗だった。


伯母子峠の夜。


熊野速玉大社まで、残り105km。


3/17(日) 3日目 晴れのち曇り、夜は雨・強風

5:40▲2〜5:55伯母子岳6:00〜6:45上⻄旅籠跡6:55〜7:42水ヶ元茶屋跡7:55〜8:38待平屋敷跡〜(たるみ10)〜9:19伯母子岳登山口(足首の処置)10:25=10:43三浦口〜(着衣調整5)〜11:21吉村家跡防風林11:31〜12:31三十丁石(たるみ水汲み)12:46〜13:34三浦峠▲3 (6.8p)

    4時起床。朝はビーフンで、だいぶ多めに持ってきたにも関わらずあんまり食べた気がしない。5:30時点ではやはりまだ暗かったので、明るくなってから出発。永田が「フィーバータイム」と呼ぶ最初の1ピッチで山頂へ。ちょうど日が昇り始めるところで集合写真を撮る。山頂は360度の眺望と聞いていたが、東は木に隠れて見えない。⻄に目をやれば和歌山県最高峰の護摩壇山がよく見えた。

伯母子岳山頂から大塔山系・護摩壇山方面


    伯母子岳から十津川村入りして、標高差1000mを下っていく。下っている時に、トレノートがなかった件について疑問が呈された。今回の山行の強度を考えれば当然あるべきだったなあと反省。しかしもし完遂できなかった場合はトレノートのせいにされてしまうことが悔しく、逆に士気が上がった。上⻄旅籠跡はとても広い平坦地で、苔むした石垣がいい味を出している。


上西旅籠跡の平場から


    次のたるみ地点の水が元茶屋跡には弘法大師坐像が置かれており、みかんがお供えされていた。地元⺠の信仰が伺えるなあとかLは思っていたのだが、永田がおもむろにお供えのみかんの皮を剥き始めた。永田曰く匂いだけお供えすれば十分とのことなので、結局全員が食べた。道下は「罪の味がするー」とか言っていた。

三田谷に下りる


    待平屋敷跡の手前から石畳の道になり、熊野古道らしさを感じる。三田谷(伯母子岳登山口)まで距離にしてあと100mというところで永田が足首を捻る。直後の反応からして捻挫しているっぽかったので、登山口の橋で様子を聞くと、少し痛むから処置が必要とのこと。トイレ脇の水道で冷やし観察してみると、若干腫れている気がする。絶対に弘法大師様の祟りである。しかし永田本人曰く違和感がある程度であり、先に進みたいとのこと。時間はたっぷりあるので、1時間ほど様子を見てから分離するか決めることに。結局目立った腫れ等は見られず、本人も普通に歩けているので先に進むことを決定。ただし念の為荷物は減らした。もしサイト地で悪化した場合は、一応麓から上がって来られる林道があるので、サイト地にタクシーを呼ぶことにした。

春の訪れ

   三浦口まで車道を歩いたあと、揺れる吊り橋を渡って登山道へ。道下は三田谷で地元の方にもらったみつまたの花をザックに挿して登っていた。吉村家跡のたるみで永田の足を再度確認するが特に変化はない。ここの防風林は巨木が2本、道の両脇に立っているだけだった。標高650mで地図読み、道下が正解。三十丁の水場までは急登で苦しい。水場はよく出ていた。三浦峠手前は前情報通り崩落が進んでいたが、慎重に通過すれば問題なかった。少しだけ空から水が降ってきている気がするが、気のせいだろう。やっとのことで三浦峠に着くと、東屋に荷物を入れる。ギリギリ45天を東屋の中に建てることができ、雨風を防げてお得。この頃にはテントの生地が1泊目より明らかに伸びて、なんと凧糸の補助なしで建てられるようになっていた。

三浦峠から北を眺める。一番高く見えているのが伯母子岳


    永田が持ってくれたぜんざいを作っていると、陽気な中国人女性パーティがやってきて永田と会話をしていた。三浦口(サンプーコウ)に泊まるらしい。Lの自撮り棒を使って一緒に写真を撮った。夕サイトはシチュー。茶飯がミルクティー風味になった。食べ終わった後、明日離脱する⻄村に不要な装備を持ち帰ってもらうため、荷物の再分配を行った。また永田の足に特に変化はなく、本人は明日も進めるだろうと言っているものの、念の為永田が離脱することになった場合も想定して荷物の分配をした。宴会では道下が持ってきてくれた杏仁豆腐をホットで飲んだが、寒い時にぴったりの味だった。ボーリングをしていたらへそから膿が出て現在治療中という永田の話が⻄村のツボに入っていた。この日は⻄村の最後の夜を惜しみつつ8時ごろ就寝した。雨は時折雪に変わっていたようだが意外と大したことがなく、降ったり止んだりという感じだった。

熊野速玉大社まで、残り92km。


3/18(月) 4日目 晴れ、風時折強まる

5:50▲3〜6:05古矢倉跡〜6:18出店跡〜(たるみ10)〜7:15矢倉観音堂〜7:50⻄中8:08=8:26川合神社=8:50那知合トンネル⻄口9:00=9:24無人市場=(たるみ10)=10:13水害慰霊碑分岐=10:39十津川温泉12:29=12:53果無越蕨尾口〜13:24果無集落〜(たるみ10)〜天水田〜(たるみ10)〜14:54果無観音堂▲4 (7.4p)

    4時10分起床。朝サイトは麻婆春雨。外気温は氷点下を割り込み、10m/sの風が吹いている。手がかじかむ中撤収したが、少し早く撤収しすぎたせいでまだ暗い。トイレの陰で風を避け、明るくなるのを待機して出発。大峯南部の稜線に太陽が昇って行った。

三浦峠から西中へくだる


    三浦峠からは⻑い⻑い下りであり、標高を1000m弱落とす。ここまで、全てのピンに案内板が立っていてピン報告が楽そうだ。742p付近からは今⻄集落を望むことができた。この下り区間では、実際のコースが地理院地図と随所で異なっているので、次の企画者は(もしいれば)ログを参考にするのが良い。⻄中集落で靴の履き替えをしていると、地元の方が応援の言葉とともに迂回路を通るよう助言をくれた。この辺に住む人も通行止めで難儀しているようだ。


西中集落に降り立つ

    ここからは⻑い車道歩き。本来の熊野古道は川合神社の次の橋を渡って右折し、国道425号線を通って果無へ向かう。しかし国道崩落のため、今回は左折しトンネルを潜る。この迂回路は8.6kmで、本来のコースより1.1km⻑い。途中の無人市場では、道下がみかんとカヤトウリを買っていた。カヤトウリは今夜のFに入れることになった。なおLはカヤトウリなどという野菜は聞いたことがなかった。ブラタモリで熊野大社の予習をすべく、永田がU-NEXTから過去放送を観ようと頑張ってくれたが結局観ることはなかった。

長い迂回路を歩く

    十津川温泉には予定より大幅に巻いて到着した。せっかくなので温泉に入る。赤い橋を渡った先にある「庵の湯」を利用。十津川の雄大な流れを眼前に臨む絶景の湯で、ここまでの疲れが和らいだ。居合わせた人に「奥駈ですか?」と聞かれたがザックの大きさを考えれば無理もない。この後も何人かに同じ質問をされた。⻄村は12:14発のバスに乗り香川へ向かう予定だったので、それに合わせて温泉を出て荷物を分配し、見送りに行く。⻄村には不要になった共装のほか軽アイゼンを持っていってもらい、本当に助かった。分離前に集合写真を撮りたかったが良い場所がなく、奈良交通十津川営業所の看板前で撮影し、別れを告げた。4日間本当にありがとう。


山上ヶ岳を源流に持つ熊野川(十津川)。
支流の上湯川に赤い橋がかかる


    隊はいよいよ3人になってしまった。十津川温泉にあるスーパーで皆今夜の差し入れ等を調達する。永田がさんま寿司を購入し、分けてくれた。涼しさを感じる味がしておいしかった。蕨尾から見る国道の赤い橋が、エメラルド色の川面に美しく映えていた。国道の分岐点までは交通量が多いので轢かれないように注意。果無越えの起点となる登山口で靴を履き替える。集落までは石畳の道が続くが階段状にはなっておらず、個人的には傾斜の割に歩きやすい道だった。途中で十津川温泉方面を見晴らす場所があり、熊野の山深さを感じることができた。


登ってきた石畳の道。
今では反対側から車道が通っている


    果無集落は前評判に違わぬ絶景で、小径の先に山々が連なる様子はまるで絵画のようだった。ちょうど桜がぽつぽつと咲き始めていた。おそらく小辺路で最も有名なアングルで世界遺産の石碑と写真撮影をした。


果無集落にて、世界遺産の石碑と

    果無集落からは緩やかな登り。天水田は南東側に開けた平坦地で、絶好のサイト適地だった。⻄村がストックを置いていってくれたので、道下とLで一本ずつ使う。永田の足はいつの間にやら治っているようだ。急登に喘ぎながら観音堂へ着くと、ちょうどすれ違った方から、峠は風が強いので今日は観音堂に泊まるのが良いと助言をいただいた。確かに先ほどまで吹いていた風がここでは止んでいる。天水田で付近ですれ違った別の方も同じようなことを言っていたので、今日は観音堂に泊まることにする。サイト予定地まで未達の分は読みで30分だし、明日の行程に支障はないだろう。

    工事現場によくある形の小屋のそばにテントを張る。カヤトウリは水に晒す必要があったが、水場が隣にあるので問題なし。冬瓜に似た味でおいしかった。道下が無人販売所で買ったみかんも食べた。Lが持ってきた飲むヨーグルト1リットルは歓迎されなかった。明日はいよいよ熊野本宮大社。水流の音を聞きながら7時半ごろ就寝。

熊野速玉大社まで、残り71km。


3/19(火) 5日目 晴れのち曇り、夜時々雨、微風

5:47▲4〜(着衣調整2)〜6:18果無峠〜(たるみ10)〜7:22七色分岐〜(たるみ10)〜8:08八木尾8:34=8:58道の駅奥熊野古道ほんぐう(食料調達)9:46=10:05三軒茶屋跡10:12〜10:34展望台10:40〜11:00熊野本宮大社11:37=(大斎原)=12:33備崎橋=(たるみ10)=14:09田辺川湯キャンプ場▲5 (6.8p)

    4:15起床。天気予報を見ると午後から降水確率が上がっており、予報サイトによっては雨マークをつけているところもある。13時ごろまでに行動を終了すれば降られなさそうだった。

果無峠へ登る。
越えてきた山がどれだかもうわからない


    今日は果無峠を越えてしまえば下り一辺倒なので気が楽である。観音堂から少し登ると来し方を遠望できる場所があった。果無峠までは傾斜が急になるが1ピッチ目なので疲れず、すぐに峠を通過。これで小辺路の峠は全て越えたので、残すは1000mの大下り。櫟砂古(いちざこ)から続く三十三観音に見守られながら標高を下げていく。観音像が設置されたのは大正年間のようで、意外と新しい。途中で本宮の河原が望める場所があった。七色集落への分岐を過ぎると再び和歌山県(田辺市)へ。375mピークは今山行初の三角点かと思っていたが、実際には登山道はピークを巻いていた。

熊野川の流れと奥に聳える雲取の山々

    ⺠家の軒先を通って八木尾へ抜け、果無峠越え完了。トイレは少し離れたところにあった。道の駅が開くのが9時からだったので、のんびりと進む。熊野川の水があまりにも鮮やかなので、何か変な化学物質でも混入しているんじゃないかと疑うほどだった。道の駅に到着するとちょうど開店時刻になったので、後半3日分のF共装を調達する。切り干し大根など乾燥野菜を多めにした。夕サイトの豚汁を美味しくすべく生肉も購入した。

道の駅「奥熊野古道ほんぐう」
八咫烏のモニュメント

    ここから三軒茶屋跡まで車道歩き。三軒茶屋跡は地図上の分岐より手前で登山道に入る構造になっており、田辺からやってきた中辺路が林道をオーバーパスしている。ここから道標が中辺路に切り替わった。トラバースしながら進んでいくと展望台コースへの分岐があるが、こちらの道は熊野古道ではないため展望台を空身でピストンすることに。本宮大社の大鳥居と熊野川が見え、さらに奥には小雲取越と大雲取越が連なっていた。


ようやく見えた大鳥居

    緩やかに下っていくと綺麗に区画された住宅街に出て、裏手から熊野本宮大社へ。生垣が人間の高さ分だけ刈り取られていて古道はそこを潜っていくようだ。本宮大社の祭神は5柱で、参拝順序が定められていた。全てに本地仏が併記されていて神仏習合を感じる。道下は御朱印をもらっていた。次は大鳥居のある大斎原へ。大峯リスペクトで同じ構図の集合写真を撮ろうとしたが、人数が少ない上にアングルをまねることができなかったので断念。

熊野三山第一の社、熊野本宮大社

    旧社地では、海外からの観光客にインタビューしインスタで配信しているというおじさんに出会い、わざわざ英語でインタビューされた(雨が降るって言ってるのに)。これがなかなかしつこく、案の定ポツポツと雨粒が降っているのを感じたので急いで出発する。「←世界遺産大峯奥駈道」の看板を見送って国道右手の登山道へ。この分岐は見落とし ている人が多いのか、これまでの道に比べるとあまり踏まれていない印象だった。地理院地図にも掲載されていないし、この分岐を紹介しないガイドブックもあるようだ。請川には中華料理屋があり、非常に食欲をそそられたがあいにく休業日だった。


旧社地(大斎原)の大鳥居

    ここからは熊野古道でもなんでもない車道を歩いてキャンプ場へ向かう。料金は1人1200円と下界のキャンプ場にしてはリーズナブルだが、メンバーからは高すぎると文句を言われた。キャンプ場の人には、これから天気が崩れるから荷物は東屋の下に入れるようにと助言をもらった。雨は15時ごろに降り出した。夕サイトの豚汁はとても美味しかった。すっかり日も暮れたころLがテント外をぶらついていると、海外からのハイカー2人組がやってきて温泉の場所を聞かれた。どうやら熊野古道を歩くには英語が必要であるようだ。徒歩でかなりかかるし今は営業時間外であることを伝えたところ、我々の近くにテントを張って1泊することにしたようだった。明日のサイト地が1人1300円ほどかかるので、いけそうならサイト地を伸ばして楠久保集落跡に幕営する方針にした。結局雨はあまり強くならず、夜は止んでいる時間の方が多かった。

熊野速玉大社まで、残り54km。


3/20(水) 6日目 曇りのち雪、午後は風強まる

5:35▲5=6:00下地橋6:07〜(たるみ10)〜7:37百間ぐら7:42〜7:53林道出合8:01〜8:15石堂茶屋跡8:25〜8:57桜茶屋跡〜9:22椎の木茶屋跡9:32〜9:54小和瀬10:00=10:24小口10:34〜10:53円座石〜11:28楠久保集落跡11:38〜12:55越前峠〜13:23石倉峠13:33〜13:39地蔵茶屋跡▲6 (8.0p)

    (確か)3時半起床。朝サイトは永田の意欲的な挑戦により炊き込みご飯。前日の夜から浸水させておいたうえ、道の駅で買った椎茸も入っていてとても美味しい。昨日遅くにやってきた2人を起こさぬよう静かに撤収。この2人はやたらでかいテントを使っていた(どうやって持ってきたん?)。あたりは霧が立ち込め幻想的な雰囲気。永田は川に雲海が湧いて海に流れるという自然現象の名前が思い出せず苦しそうだった。

小雲取越の入口。
実際には逆向きに辿ることが多かったようだ


    下地橋で登山靴に履き替え小雲取越えへ。小辺路の峠越えに比べるとだいぶ歩きやすく、読みの0.6倍くらいのペースを保ちながらどんどん進んでいく。標高300mあたりで雲海の上に出たようだったが樹林帯なのでよくわからなかった。百間ぐらは中辺路随一の展望地だけあって素晴らしい眺めで、これまで越えてきた峠を望むことができた。大峯は雲の中だった。

百間ぐらから本宮方面を望む。
「ぐら」は岩壁の意味。


    この辺りで天気が怪しくなり始め、雨がポツポツと降ってくる。朝見た時は晴れ時々曇りの予報だったが、今見るとだいぶ悪化し、10時ごろから雨予報に変わっている。とはいえ本降りではないのでザックカバーのみ装着し先を急ぐ。トイレは林道を100m下ったところにあったが水洗式ではなかった。雨はすぐにやんだ。小雲取山をトラバースして新宮市へ。桜峠は土砂崩れにより迂回路を通行するよう指示があったが、幸い小規模なものであった。桜茶屋跡の案内板にはかつてここから楠久保集落が見えたとあったが、今となっては大量の花粉を飛ばす例の木々に遮られ見えなくなっていた。椎の木茶屋跡は珍しく案内板が設置されていなかったが、茶屋を建てられる平場があるようには思えなかった。かなり小さな茶屋だったのだろうか。小和瀬の橋を渡ったところに東屋とトイレがあり、ここでLは靴擦れの処置をした。小和瀬まで7ピッチを4ピッチ弱に巻いて到着してしまったので、楠久保集落跡までサイト地を伸ばすことに決定。なんなら今日中に越前峠を越えて那智高原まで行けるのではと期待が高まる。その場合は予定より1日下山が早くなる計算だった。

小和瀬集落にある新しい石碑。
昔はこの赤木川を船で渡っていたという

    小和瀬と小口の間はトンネルの上を越えていくルートで、わかりづらいためかやはり道が細い。小口の南方商店で永田が聞いた話によると、今日は雪が降るかもねとのこと。まさかそんなことはないでしょうと、あまり気にせずいざ大雲取越えへ。荷物が2泊分となりだいぶ軽くなったためか、読みを巻きに巻いて進む。円座石(わろうだいし)は、本宮・那智・速玉の神々が談合をした場所ということになっているらしく、3つの梵字が刻まれていた。楠久保集落跡は何段にも渡って石垣が連続しており、かつての大集落の面影を残している。

円座石


    この辺りで、時折降っていた雨が雪に変化していることに気づく。3人の中では道下が一番寒がっている。ここからは読み通りに行くと日の出1時間前に那智高原に到着できる計算であり、ここまでのペースなら読みは巻くだろうと考え先に進むことを決定。越前峠までは胴切坂と呼ばれる⻑く苦しい登り。風も強くなり体感気温が下がる。峠に到着する頃には雪が積もり始めていた。


越前峠から登ってきた道を振り返る

    100m下り、同じ高さまで登り返して石倉峠へ。峠でたるんでしまったので風が強く寒かった。石倉峠から那智勝浦町。林道に出ると地蔵茶屋跡の立派な休憩舎があり、ちょうど先行パーティーが出ていったところなので吸い寄せられるように中へ入る。木造の温かみのある建物で非常に居心地が良く、再び雪の中に出て先へ進むのが嫌になってしまった。ここから速玉大社まで登山道4ピッチ弱+車道10ピッチの合計14ピッチ弱あるが、このままのペースでいけば登山道は3ピッチで行ける上に車道はGoogleマップで5時間の想定になっている。那智山郵便局から荷物を発送してしまえばGoogleマップの読み通りに進めると考え、今日地蔵茶屋跡でサイトをしても明日中に完遂できるだろうという結論に至った。要するに「明日めっちゃ頑張る」というプランである。別に予定通り8日目に下山してもいいのだが、元々スケジュールに余裕がない永田は明日の17:31新宮駅発の特急に乗れたら嬉しいようだ。

雪が舞う中、石倉峠へ登り返す


    建物は電気がつき、コンセントがそこら中にあるので充電し放題。悪天候のためか一時的に停電し、20分ほどで復旧した。これは下山後に聞いた話だが、強風のため串本・周参見間で電車が止まっていたらしい。建物の床は石を敷き詰めてあり、その上に45天をギリギリ設営することができた。これで今夜は風と雪の心配をする必要がなくなった。サイト中に海外からのハイカーが1人やってきて、ここに宿泊予定といっていた。道下は明日の新宮駅発の夜行バスを予約していたが、Lは帰りの交通手段を特に決めなかった。Lはテント外(建物内)で、他の2人はテント内でそれぞれ就寝した。

熊野速玉大社まで、残り32km。


3/21(木) 7日目 晴れ、微風

5:12▲6=(靴履き替え3)〜5:45林道分岐〜5:59色川辻〜(たるみ10)〜6:30舟見茶屋跡6:33〜7:01登立茶屋跡〜(たるみ10)〜7:30那智高原=8:02熊野那智大社(荷物発送)9:26=9:40大門坂=9:56市野々王子=〜10:11荷坂峠〜=10:24牧野々=10:38川関橋=〜11:17大狗子峠〜=〜11:31小狗子峠〜=(たるみ15)=12:13宇久井駅=13:11高野坂南入口〜13:44 高野坂北入口=14:10県道分岐=14:38阿須賀神社=14:56熊野速玉大社 (9.2p)

    3時半起床。今日は林道歩きから始まり、先を急ぐ必要もあるため日の出前行動とした。朝サイトは雑煮で、少し小さめの丸餅を入れた。昨日のソロハイカーはまだ寝ていたが、撤収時の物音で起こしてしまったかもしれず、申し訳ない。

雪化粧した石畳


    朝は林道の凍結が心配だったが、そんなことはなかった。林道分岐の手前で登山靴に履き替える。積雪は意外と大したことがなく2cm程度といったところで、通行には全く支障がない。途中で小さな沢を橋で横切るところがあり、ここは水場として使えるだろう。舟見峠手前のたるみでは永田が笹を漕いで稜線上からの景色を鑑賞していた。案内板によれば、この辺りは道の向こうからやってくる亡者と出会う場所らしい。

舟見峠から。ようやく見えた太平洋

    最後の100mを登りきって、舟見茶屋からは朝日に照らされる那智湾を眺めることができた。ここまで100km超を自分の足で歩いてきたという事実と、際限なく広がっているかに見える熊野の海の風景は、この旅に最上級の価値を与えるのに十分だった。舟見峠からの下りで、道下はご利益を求めて登山道上の小石をお土産にしようとしていたが、果たして価値があるのか疑問を口にしていた。石畳の残る道を辿って標高を下げていくと那智高原に到着。公園として整備されており、永田が⻑い滑り台を滑りたそうにしていた。

那智山青岸渡寺の三重塔と那智大滝

    那智高原を抜けると那智山へ最後の下り。次第に朱塗りの建物が大きくなってきて、熊野三山の2社目、那智に到着する。⻘岸渡寺では読経が響いていた。有名な三重塔と那智の滝で写真を撮る。Lはこれで日本三名瀑を制覇した。熊野那智大社に参拝し、道下は御朱印をもらう。永田は護摩の焚き上げをしていた。那智山郵便局はまだ開いていなかったが、井関の郵便局まで下るよりはここで営業開始を待つ方が早いのではということで、郵便局前で荷物発送の準備をした。荷物の仕分けを終えるとちょうど営業開始時刻(9:00)になったのですぐに手続きをする。とても身軽になったので体の浮遊感がすごい。永田はキャッシュレスサービスの動作不良か何かで時間がかかり、お詫びにカップラーメンをもらっていた。

熊野三山第二の社、熊野那智大社

    空身以上サブ装未満の装備で大門坂を下っていると、次第に観光客が増えてくる。観光に来て200mの標高差を階段で登ろうとする人がとても多いことに驚いた。大門坂を抜けると海へ向かう道。霊園の横を抜け、北条政子の供養塔を過ぎると⻑閑なハイキングコースになる。鳥のさえずりが心地良い。途中の補陀洛山寺は熊野三山を構成する仏閣の一つである。海岸線をJR紀勢本線がトレースし、さらに並行して古道(現国道)が通る。空と海は夏の色をしている。大狗子峠と小狗子峠は舗装されておらず昔の面影を残していた。Lの書いた予備地図は峠のコース取りが間違っていたので若干の混乱があった。

大門坂の入り口にある道標

    峠を抜けると宇久井の街区に入る。途中のローソンで軽食を買った。新宮市に戻り、紀伊佐野駅のあたりはひたすら⻑い国道歩き。舗装路特有の足の疲れが蓄積していく。三輪崎からはハイキングコースとして人気の高野坂。現地の案内がわかりづらく、みかん畑に迷い込んでしまった。途中、王子が浜と新宮市街を望む場所があった。ずっと車道とはいえ、古道が現役だったときからある史跡が点在していたり、右手に海が見えていたりと面白い道であった。

宇久井付近の海

   途中、阿須賀神社付近で道を間違えたりしつつも、ついに最後の直線区間に突入。道が山に突き当たって消える場所に赤い鳥居が見える。段々と車通りも増え、鳥居が近づいてくる。国道を地下通路で潜ったらいよいよ熊野速玉大社に到着!⻑かった熊野古道の旅がついに終わりを迎え、達成感がこみ上げてくる。まさか完遂できてしまうとは思っていなかった。熊野の神々と、参加してくれたみんなに感謝。

熊野三山最後の社、熊野速玉大社

    参拝後はめはり寿司を食べられる場所を探し回り、「たぬき屋」で打ち上げをし解散した。永田は鈴鹿へ帰郷、道下は東京へ夜行バスで帰った。新宮駅周辺にはお土産を販売しているところがなく、どうしても和歌山土産を確保したいLは鈍行列車に揺られて3時間、中辺路の起点である田辺市に移動して宿泊し、翌日帰宅した。

熊野速玉大社まで残り0km – 完遂


◎総評

高野山と熊野三山を巡礼路で繋ぐというロマン溢れる企画を完遂できたことはとても嬉しい。往時の生活を偲びながら歩く、ピークを目指さない山旅もあっていいと思えた。参加した非冬メンツにとっては、夏合宿の間の繋ぎの⻑期山行として有意義なものになっただろう。

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