夏合宿 北〜中日高山脈

2009年度山行No.18 夏合宿 北中日高 (8/2〜8/10) 
企画者:大城
面子:4山岸 3L大城、広瀬 2EW鈴木、FH長崎 1高梨、蓜島

夏合宿は日高を出す。それがワンゲルでの2年間を経て出した結論だった。
ワンゲルに入部した当初、山に対して自分が求めていたものは、北アルプスに代表されるような美しい山岳風景であり、メジャーな山のピークに立つことが最大 の目標だった。1年生のとき槍穂の縦走を行い、2年生になって自らの企画で釼を出した。この二つの山行で最初の目的がほぼ達成されてしまい、一時的に次の 目標を見失いかけた。しかし、それと同時に自分が山に求めるものは変化していった。沢・藪・冬山という活動に主体的に取り組むようになると、そこには遥か に広い世界が広がっていることに気づき、単に道を歩くことはもはや誰にでも出来る陳腐なことに思えだした。一般の人の立ち入ることの出来ない領域で出会え る自然こそワンゲルで追求すべき物であると思うようになると、新たな目標が次々に生まれるようになったが、それらの先にあったのが日高山脈である。日高は 日本で最も山深い場所であり、未開と原始の象徴である。だから、ワンゲル活動の一大目的である夏合宿を行う場所として最も相応しいと考えた。
山域を北中部としたのは、TWVにおいてこの地域がほとんど出されたことがなく、当部にとって少なからず意味のある山行になるものと考えたからである。情報 の少なさもあり、2月に計画に着手してから様々な困難に突き当たった。新しい手段も導入して一つひとつ解決を図ったつもりだったが、山行後に数点の課題と 反省点を残す結果となった。これらは記録の最後に「まとめ」とともに記してある。最後の最後まで気が抜けない計画だったが、7月31日、何とか全ての準備が終わった。



8/1(土)曇り一時雨 
7:10赤羽=21:10青森22:42=(急行はまなす)
6時半赤羽集合。朝早いが皆ほぼ時間通りに来る。大雪隊も集合は一緒である。塚越さんが見送りに来てくださる。差し入れを頂く(その他多くの方から差し入 れあり)。一人空から現地入りする予定の秋山さんより前日に体調不良の連絡が入っていたが、とりあえず苫小牧までは行き、合流した時点で参加不参加を判断 されるとの事。空は一面灰色の雲に覆われている。さらにラジオは熱帯低気圧の発生を告げていた。気が重い。これは天気のせいだけではない。Lのザックが異 常な大きさ&重さになっているのはMaxの短縮と安全性の向上のために今回ワンゲルで初めて導入した衛星電話。まともに買えば○○十万円になると推定され る。元々は携帯タイプをレンタルするつもりであったのだが、在庫が無いと言われ仕方なくこの通常タイプのレンタルにしたのだった。こんな高価で重い精密機 器を持って日高の山に登ることになろうとは…。しかし、これに頼っていたことが数日後にどんな事態を引き起こすかはこの時点では想像だにしていなかった。
そういう事情はあるにせよ、やはり半年の苦労が実を結ぶ日が来たのだ。期待が膨らむ。
7時10分、列車は北上を始めた。EFチェックは問題なし。朝はずっと曇りで昼ごろになって一旦日が照ってきたものの、夕方になるとまた曇り空になり、青 森では一時的にかなり強い雨が降った。青森発の「急行はまなす」はそれほど混んでおらず通路組は見られなかった。22時42分発。明日はいよいよ北海道で ある。

8/2(日)曇り時々雨 
(急行はまなす)=5:01苫小牧8:03=9:11清畠10:12=(道南バス)=10:56 平取(びらとり)13:15=(道南バス)=13:55振内(ふれない)案内所14:15=(振内交通)=15:30額(ぬか)平(びら)林道ゲート 15:45—15:55(天図タルミ)16:25—17:15 3の沢出合17:25—17:32取水口▲0
朝、はまなすの車窓から、相変わら ず上空に層雲の広がった太平洋が見える。苫小牧にて下車。大雪隊と別れる。3時間ほど時間があるので、東京から送れなかったガス缶3つをセブンイレブンか ら山岳センターに郵送。駅にて長崎の持ってきたヘルボが中身の濡れた物だったことが判明。中身は揃っており使えないというほどのものでもないが、本来なら 中身をちゃんとした物に事前に交換しておくべきものであるし、これが判明した時点で少なくとも包帯などは新しいものを購入させておくべきであった。8時に なって秋山さん到着。本当は前日に苫小牧に入っている予定だったが、あまりにしんどく昨晩は札幌のY.H.に泊まったとの事。やはり喉と頭が痛く入山が難 しいとの事で、ここで秋山さん不参加が決定。清畠までは一緒に来ていただく。雨が降ったり止んだりしている。

清畠バス停にて秋山さんの共装を分配。(広瀬から北海道&東日本パスをタダ同然の値段で買った)秋山さんと別れ、平取行きのバスに乗り込む。バスからは広 い牧場で草を食んでいる馬の姿が見え、日高らしさを感じる。平取にはローソンあり。昼食を取り、今日明日の方針を話す。明日もあまり天気は良くなさそうだ が幌尻山荘まで行けばERを使って入山できるため、午前中の天気が持ちそうであれば下部だけでも遡行し、あとは山荘についてから判断することにする。振内 案内所にもコンビニ(セイコーマート)あり。ここで塚越さんに入山連絡を行い、タクシー(ふれないハイヤー)に乗り込む。タクシーより見える沙流川が濁流 と化していて、明日の入山は無理かとも思った。額平林道は思ったより悪く砂利道が延々続き、時折車体に石が当たったり底を擦ったりしていた。でもハイヤー さんは慣れているよう。長い林道に飽きてきたころようやく仮ゲート到着、と思ったら「ハイヤーなら通常のゲートまで入れますけど…」とのこと、ラッキー。 勿論入ってもらう。本ゲート到着3時半。ここから見る額平川はきれいに澄んでおり大雨の影響は特に感じられない。体操と恒例の一分間スピーチをしていざ出 発。雨はもう止んでいる。下山してくる人多数。やはり百名山だけあって幌尻の人気はなかなかのようだ。額平林道は相当速めに読んだつもりでいたがそれより も速く進み、1ピッチ強で取水口到着(途中天図タルミ)。一応取水口から2年生を偵察に出すが、ここから先は踏み跡状となりサイト適地は無さそうだと言う ので今日は取水口でサイトすることに決定。ツェルトはチロリアンブリッジで張ることも出来るが、せっかくなので練習がてらツェルトポールを使うことにす る。張るのは簡単。
夜の天気予報では、「明日の午前中は概ね小康状態で、昼から夕方にかけて晴れ。ただし所により雨の見込み」とのことで、少なくても幌尻山荘までは行くことにする。20時就寝。夜はまた雨がやや強まったようだが、Lがそれを知ったのは翌朝だった。

8/3(月)曇りのち晴れ
▲0 4:30—5:10 4の沢出合5:20—6:25幌尻山荘7:00—7:40 Co1230 7:50—9:00命の水9:28—10:21 Co1780 10:31—11:30幌尻岳11:55—(12:34幌尻肩)—13:00幌尻側下り口13:18—13:30七ツ沼カール▲1
朝はガスって いる。取水口からはすぐに踏み跡状となり概ね右岸につけられた道をたどる。4の沢出合までは渡渉しなくても行けるらしいが、今回は数回渡渉した。水深はひ ざ程度。4の沢出合には美しい滝が架かっている。水の透明感が素晴らしいが、浄水器を使って飲まなければならないのがなんとなく悔しい。4の沢出合の直後 が函状で左岸に巻き道が付いているが、意味の無い巻きである。このあたりからは滝こそ無いが完全に「遡行」である。これがよく一般登山道になっているものだと思う。


特に問題なく幌尻山荘着。沢中になんとも立派な小屋があるものだ。天気予報を聞くと午前中は所により雨がぱらつくと言っているのでそのまま遡行することを 諦めER1を利用して幌尻を打つことに決める。幌尻山荘の前に水道の蛇口がありコップが置いてあった。そのまま飲めるのだろうか、と思い山荘の管理人に聞 くと、「それは生水や」「では、(エキノコックス対策のため)浄水器などが必要ですね?」「必要」。ややこしいのでコップなど置かないで下さい。
ここから800mの急登である。荷物が重いためペースはやや遅い。鈴木の調子があまり良くなさそう。Co1230で鈴木がパッキングをやり直すついでにタ ルミ。元気そうな長崎に対して鈴木が辛そうなので水を一発移す。命の水はCo1500付近で尾根がなだらかになり、再び急になり始めて少し登ったところに ある。看板もあり分かりやすい。一年二人が水場を見たそうだったので全員で水汲みに行く。尾根の左側につけられた道を辿ると30秒で水場に至る。岩のすぐ 上から豊富に水が湧いておりまず涸れる事はないだろう。森林限界はCo1600付近。限界を超してカールバンド上に出ると高山植物が迎えてくれる。道はいたって歩きやすい。ガスが薄くなり左手に雄大な北カールが姿を現した。カールバンドには色とりどりの花が咲き乱れ、カールボーデンには一本のせせらぎが流 れている。あそこに突き上げられていれば、とそちらを見るたびに思ってしまう。カールを大きく回りこむように歩くこと1時間、最初のメインピーク幌尻岳に到着した。ピークはガスに包まれ視界ゼロ。差し入れのドライフルーツなどを食べ記念撮影。たるんでいると寒くなってきたので長居はせずに七ツ沼カールを目指す。肩まで来ると徐々にガスが晴れ、右手に七ツ沼カールが姿を現した。感動的な瞬間である。北カールも美しかったが、この七ツ沼カールはそれを軽く凌い でいる。7月の気温が低かったため水も豊富に残っている。楽園という言葉がふさわしい場所だ。


さて、七ツ沼カールへの下り口は2箇所あり一つは幌尻側の急斜をちょうど下り切ったところ、もう一つは戸蔦別側の急斜に取り付く部分である。事前に調べた 情報では戸蔦別寄りの方が傾斜がゆるく安全であるとの事だったので基本的にこちらを下りる方針にしていたが、念のため幌尻側の下り口で偵察を出してみるこ とにした。踏み跡は明瞭そうであり、それほど危険とは思えない。トップ二人が笛を吹きながら下っていき、しばらくすると合図があり本体を通して良いとの 事。下ってみるが、ずっと明瞭で別に危険は感じなかった。人が良く利用しているせいだろう。それにしても幌尻肩から戸蔦別へと続くキレット状の地形はなか なか壮観である。幌尻寄りの大きな沼の畔の開けたスペースにツェルトを張り、熊対策のため少し離れた場所でサイト。この頃になると青空も顔を覗かせ、波立 つ水面とそれを囲む花園を見ながら過ごす午後のひと時は最高であった。夕食は長崎お得意の「炊き込みガーリックライス」。さて、天気次第ではここで停滞も あり得るが、予報では明日の降水確率は午前午後ともに10%、ということで明日は予定通り戸蔦別川本流を下降することにする。食糧とサイト関係の物は離れたところに置いて就寝。

8/4(火)快晴
▲1 4:50—5:30 Co1835 5:40—5:58戸蔦別岳6:18—7:12カール尻7:36—8:20 1300三股状8:33—9:33 Co1225 9:45—11:30 2段10m下 11:40—13:08 995三股 13:18—14:12 Co897 14:22—15:10 Co800 15:20—15:55 8の沢出合(天図タルミ) 16:40—18:00エサオマントッタベツ沢出合▲2
起きると見事に快晴。すっきりとした形の戸蔦別がモルゲン ロートに染まっている。水を2年一発といった瞬間鈴木に、「なぜ周りに余裕があるのに2年ばかりに持たせるのか」と文句を言われた。自分としては重い荷物 を背負ってかつトップをこなすのが2年の役割だと考えていたのであまり考えずに言ったのだが、そう言われるとトップ装と係装をもってかつ水まで持たせるの は確かに偏りすぎな気がして、とりあえず上級生に振ることにした。しかし、何となくしこりが残った。結局この話はここだけでは済まなかったのだが、それは 後述。
鈴木のパッキングが遅く、20分ほど遅れて出発。沼の縁を回り込むように進み、今度は戸蔦別寄りの登り口に取り付く。こちらはさらに歩き やすい。稜線上も特に問題なく、すぐに戸蔦別ピークに着いた。昨日の幌尻とは打って変わって、抜群の眺望。北はピパイロ、南はカムエク、その他勝幌、エサオマンなど何でも見える。風はそよ風程度で気温もちょうど良く最高の一言。


しばしたるんでBカール目指して稜線を下る。Co1860の下り口には注意していればすぐに見つけられる程度の踏み跡があり、ここを下る。昨日の七ツ沼 カールの感覚で下り始めたのだがこちらはやや悪く浮石がたくさんあり、しばらく下ったところで鈴木の肩に落石が当たる。ザックを下ろしてメットをつけるの も微妙な位置なので、そのままさっさと安全なカールボーデンまで下るが、ここは下り始める前にメットをつけさせるべき場所であった。カールボーデンは平坦 でこれまた良い天場である。鈴木の肩の様子を見るが、幸いかすり傷程度で問題ない様子。沢装装着。カール内には小川が流れているが、すぐにガレ沢に変わ り、最初の1ピッチほどは全く水の流れていないガレガレの沢を下っていく。Co1300より少し上でやっと水が出始め、1300三股で一気に沢らしくな る。ここに来て分かるのだが、本流はCカールから流れ出る方で、今まで下ってきたのは支沢に過ぎなかったのだ。ただ本流の方には三股の直上に大きな滝(名 前を付けるとすれば20mスダレ状)を架けており、これを上り下りするのは困難だと思われた。三股からの下りは美しい。ナメとナメ滝が次から次に連続し、 快適に下っていく。

下り始めてしばらくすると10mほどのナメ滝が登場。ここは左岸をクライムダウンできるがやや危険なのでザイルを垂らす。その後はまた快適に下降していく と今度は小さな函が登場。皆左岸をへつろうとするが皆セミ化し最後はドボン。Lも同じ運命をたどる。函を過ぎるとこの沢最大の滝、二股上2段10mが登場 する。10mとは過小評価で15mと言っても十分な規模だ。事前情報では右岸に巻き道があるそうだが、あまり良い巻きではないらしく左岸の木支点のダブル 懸垂(長崎)とする。やっぱり懸垂のセットが遅い。下段は右岸をクライムダウンできるので懸垂は上段まで。この滝はなかなかの水量で中央を懸垂するとび しょ濡れになってしまった。下段はものすごくヌメっているので慎重に下る。ここでずいぶん時間を要して二股でタルミ。
またしばらく岩床の美しい 沢を快適に下っていくと、995三股の少し手前で今度は「くの字状斜瀑」が登場。高さは10mくらいだろうか。思わぬところに豪快な滝があるものである。 右岸に巻き道らしきものがあるが、途中まで行った長崎が「踏み跡が消えた」と言って戻ってきたので鈴木が左岸を見に行くが、こちらは面倒な懸垂を強いられ そう。事前に調べたところでは右岸の巻き道は明瞭との事、広瀬が見に行くとすんなり巻いて下りてしまった。長崎はどこを見ていたのか…。この踏み跡は確か に明瞭であるが、ドロドロの壁につけられているのであまり気持ち良くはない。995三股からは水量が増え、もはや沢というより川といった方が適切である。 所々小さな滝や函が現れるがどれも問題ない。それにしても長い。皆結構疲れてきたので今日は8の沢出合かもう少し進んだところでサイトする方針にする。右 から大きな支流を合わせ広い川原となるとようやく8の沢出合。ここで天図タルミ&沢装解除。さて、右岸の林道跡に上がりサイト場を探すがなかなか「ここ」 という適地が無い(尚、この林道跡は所々崩壊している)。張ろうと思えば張れそうな場所はあるのだが、どこも微妙な感じでしかも登山道はだんだんと沢から 離れていく。サイトするなら水が必要だがどの支沢もイマイチな感じで、そうこうしているうちにエサオマントッタベツ沢の近くまで来てしまい、結局予定して いたサイト場まで行くことに決定。おかげでサイト場着が6時という合宿とは思えない行程になってしまった。橋の上にザイルをジグザグに張ってツェルトを取 り付けると辺りはすでに暗くなっていた。サイマスの鈴木がごみが燃やせないとか荷物が重すぎるとか言って不機嫌。というか基本的にこの合宿中機嫌が悪い。 こっちも疲れているし、それでも隊の雰囲気を出来るだけ悪くしないように努めていたのでだんだん苛々してくる。荷物をどうするか考えとくとだけ伝えて今日 は就寝。

8/5(水)晴れ
▲25:47—(6:29登山道終点)—6:35ガケの沢出合6:45—7:38 Co810 7:48—8:36 Co930 8:46—9:38 Co 1075 9:48—10:32 4段25m下10:42—11:32大滝上11:42—11:55エサオマン北東カール▲3
今日の行程は短いのでいつもより1時間遅らせ4時起 床。とにかく昨日の状態では鈴木が持つか分からないので共装の一部を他に分配することにする。しかし、①同じだけの装備を背負っている長崎は問題なく行動 していること、②山行経験の明らかに少ない1年がやはり問題なく動いていること、③トップとその他の行動内容にほとんど差の無い行程であること、④今山行 だけでなく最近の山行で特に鈴木に疲れが見えることが多いことを伝え、その上で鈴木に特に無理をさせているつもりはないというこちらの考えをはっきり言っ た。後から考えると自分はあまり冷静でなかったと思う(本文最後の「装備の分配について」参照)。結局この時は意見の一致を見るには至らず、後味の悪い出だしとなった。幸いこれ以後の行程でこの問題がぶり返すほどしんどい部分はなく、この事がそれ以上尾を引くことはなかった。
さて、はじめは左岸の林道跡を歩く。藪っぽい。エサオマンの下部は平凡で何もないとの事であったが、時々美しい岩床が出てきたりして変化があり遡行していて飽きるというほどのものではない。
エメラルドグリーンの淵には魚影も見え隠れしている。全く読みどおりのペースで進んでいく。青空と緑のコントラストはこれぞ夏!といった感じだ。汗ばんでくる。Co1160付近で左に沢を分けるとだんだん本流はガレっぽくなってきて単調な登りにややうんざりしてくる頃、4段25mが姿を現す(尚地形図上 の位 置は間違いで、実際はCo1275付近である)。この滝は左岸に明瞭な巻き道がついているので問題ないが、Lは大きく巻きすぎて藪に突入してしまった。4 段25mからそのまま続くように300m大ナメが現れる。なるほど、こい
つはすごい。記録によっては結構恐怖感があるというものもあったが、フリ クションは良く効くし傾斜もゆるいので、自由自在に直登できて快適快適。しかし長い。どこまでいっても上から水が落ちてくる。別に確保しているわけでもな く順調に登っているというのに、全部登りきるのに4段25mと合わせて丸々1ピッチかかってしまった。滝上でタルミにする。そこから少し登ると視界が突然開けて…


沢を抜けると、そこはカールだった。
切り立ったカールバンドに囲まれた静かな空間の底を一面の雪渓が埋めており、周りの草原に咲く黄色い花がほどよい彩りを与えている。まずは天場探し。右手 にちょうど良さそうな平坦地があり見に行くと予想通り最高の天場、のはずだったのだが平地の中央に比較的新しそうな‘熊の落し物’発見。ちょっと怖いので 仕方なくここを諦め、若干傾斜のある左手の草原上に張ることにする。焚き火跡あり。稜線上でもないのに広瀬のAUは電波マークが3本立っていた。昨日と 違ってのんびりサイト。余裕があるっていいなあ。夕食は大量のちりめんじゃこを使った炊き込みご飯と大量の切り干し大根を使った味噌汁。サイト後は差し入 れのゼリーを雪渓で冷やして食べる。問題は明日以降の方針である。エサからカムエクへの縦走は2日以上の非悪天を要す。週間予報では明日以降降水確率が 30%、30%、40%、40%となっている。多少の降水確率の変動を見込んでも2日も停滞日を使えばまず下りられるであろう。しかし、停滞日を使うと後 半戦に支障をきたす可能性がある。また明日は日中の降水確率が10%になっており確実に沢を使うことが出来る。悩んだ末、後半戦に賭けることにして明日は もと来た沢を下降する方針にする。最終的には明日朝の天気予報で決めることにして今日は就寝。

8/6(木)快晴
▲3 4:25—5:30稜線上5:40—(5:48札内分岐)—6:18エサオマントッタベツ岳6:38—7:48カール尻8:28—9:20 4段25m下9:30—10:20 997二股10:30—11:22 Co895 11:32—12:22 Co795 12:32—13:10ガケの沢出合13:30—13:40林道跡14:05—14:45エサオマントッタベツ川出合(その後本隊はトッタベツヒュッテの 少し上流まで歩き札内ヒュッテにワープして▲4)
ツェルトから顔を出すと星がきれいに輝いている。今日も快晴。だが携帯の天気予報によると明日 明後日の降水確率が40%に上昇しており今日中に下降した後札内ヒュッテにワープすることを決定する。ということで、サブでエサオマンピストン。今回は最 初からメットを装着。ザイル三つ道具も一つ持っていく。カールバンドの登りルートは3つあるが、今回はネットで調べた最も安全なルート(最も札内岳寄り) をとることにした。取り付き点に赤布あり。初めはガレた沢状を登り雪渓に行き当たる少し手前でもう一本左手の沢状に入っていく。大体そのまま真っ直ぐ登っ ていけば踏み跡は次第に明瞭になり苦労せずに稜線に出られるのだが、トップがすぐ左手の尾根に乗ってしまったため本隊も続いたがこれが間違いで完全な藪に 突っ込む。潅木を漕ぐこと30分、ようやく札内分岐(J.P.)から札内岳に続く稜線に辿り着く。踏み跡があるがハイマツがうるさい。山岸さんだけは正し いルートから登って先に稜線上に着いていた。山岸さんの位置にも赤布あり。山岸さんと合流して藪軍手を付ける。エサオマンのピラミダルな姿が良い。

札内分岐からハイマツは圧倒的に少なくなりすっきりとした部分が多いが、やはり部分的にハイマツがかぶっている。エサピーク手前の登りなどはちょいとうっと うしかったが、それでも日高の稜線にしてはかなり歩きやすい方だと思われる。山岸さんは冬の日高を思い出して、懐かしそうだった。エサオマン山頂はこれま た絶景である。北にも南にも主稜線が延々続き、日高山脈の真っ只中にいるといった感じである。独特の形をしたカムエクはすぐにそれと分かった。あそこまで 縦走できないのが残念でならない。
下りは正解ルートを使う。危険箇所は無い。笛を一生懸命吹きつつ下る。荷物は無事。本ザックにする時に、山岳 センターに預かってもらっていた荷物を今日中に回収しに行く旨を伝えるため電話を入れる。いつものようにとても感じの良い対応だった。大ナメの下りは流石 に自由自在というわけにはいかず、皆左岸をブッシュ頼りに慎重に下る。997二股付近で単独行の人に会った。エサオマンで会う初めての人だ。足が疲れてき たころようやくガケの沢出合。ここでタクシーを呼ぼうと衛星電話を取り出す。初めてこの厄介な物体が役に立つときが来たのだ。電源を入れる。まず液晶に現 れるのはいつも通りの「Initializing」の表示。そしていつも通りの「Searching for satellite」。そして「Battery is very low」…。液晶は消えた。おい、嘘だろ、まだ一回も使ってないのに。
レンタル会社の人の話では電源が入ったままでも二日間はもつとの話だったはず。バッテリーを入れっぱなしにしておいたのがまずかったのだろうか、それとも何かの はずみで電源が入ってしまっていたのだろうか。とにかく予備のバッテリーなど(元から)無いし、予定では電源のある場所に行くこともなかったので充電用の アダプターなどの機器も持ってきていなかった。とにかく今原因をあれこれ考えても仕方が無いので林道まで行くことにする。林道跡で沢装解除。エサオマン トッタベツ川出合で水汲み。皆疲労でぐったりしていた。だが車が呼べなければ携帯の通じるところまでひたすら歩くしか道は無い。少し下流の車止めゲートま で歩く。するとそこに一台の車が停まっていた。先ほどの単独行の人の車かと思いきやドアが開いていて人がいる模様。
車の持ち主は単独の女性の方 で、今日はここに泊まり明日エサオマンを打つのと事。事情を話す。試しに携帯電話を貸していただくが、電波マークが一本立っているものの通話は出来ない。 すると、「全員は無理だけど、一人なら電波の通じるところまで乗せて行ってあげていいわよ」との事。いや、何とありがたかったことか。Lが一人乗せていた だき、その間残る6人は林道を歩くことにする(何故かそういう流れになった)。車中、その方から色々話を聞く。一昨日はトヨニの沢を詰めていたが真っ暗な スノーブリッジの下をヘッデン行動した挙句雪渓の多さで引き返した事、7月には札内川から腰までの渡渉をしながら札内岳を打とうとしたこと、エサからカムエクの縦走を計画した人が増水により閉じ込められ12日間停滞して何とか下山したにもかかわらずまた同じルートを登っていること、等等。日高を登る岳人の レベルに驚かされる。だんだんと山が開け、道が山道から畑の中の直線道路に変わるころようやく電波が入る。車を止めていただき中札内ハイヤーに電話。すぐ に引き返していったその人の車を見送りながら、もう少しまともにお礼ができたらなと思うのだった。どうなることかと思ったが、西日に輝く小麦畑と流れる筋 雲を見ていてようやく落ち着いてきた(このとき歩き続けていた本隊の皆さん、お疲れ様です!)。
ハイヤーは思ったよりすぐに来た。運転していた のはとても気さくな人で北海道というよりは沖縄にいると言ったほうがあっている感じのする人だった。一旦戸蔦別林道を戻りトッタベツヒュッテの少し上流で 6人と合流。ここから引き返し札内ヒュッテへと向かう。途中で山岳センターに寄りデポ回収。札内ヒュッテは小ぎれいな山荘だった。車道にもろに面している のが少々違和感あり。水汲み組とデポ解体組に分かれる。水汲みはコイカク沢出合で可能。また水汲み隊によるとトンネル内に非常電話が設置されており緊急車 両が呼べるため末端であると判断(事前情報通り)。暗くなった札内ヒュッテでサイト。シナモンの香りのするフレッシュクリーム入りの茶飯は疲れている分余 計美味しく感じられた。夜、鈴木に10時天を取ってもらう(本当お疲れ様!)。台湾に向かっている台風が大型になり予報円もやや北よりになっている。今後 の動きが心配である。とにかく明日は休息日とする。

8/7(金)晴れ時々曇り
▲4=▲5 終日停滞

この日はコイカク沢出合で水浴び&昼寝、小屋前では物干し大会などしてのんびり過ごす。ヒュッテの前を車が結構頻繁に通っていた。カムエク人気もなかなか のものである。札内ヒュッテに置かれた小屋利用者ノートを見ていた山岸さんが、2,3日前の記録で「ヤオロ直下の水場最高!」との記述発見。まあ、この記 述だけから水場を確実視するのもどうかと思ったが、さらにヒュッテの前に来た他の人のからもヤオロ直下の水場は利用可能との情報が得られたとこのと。7月 の気温が低かったためまだ稜線近くにも水が多く残されているのだろう。明日担ぎ上げる水の余裕は通常どおりで計算し直すことにする。暇なので天図大会をす る。鈴木は長崎にも書かせようとしていたが、長崎本人は書く気ゼロ。一年はさすがにまだまだだが、センスはある気がした。秋以降頑張って。気になる台風だ が昨日よりも発達していて完全な台湾直撃コースに入っている。とりあえずしばらくは日本に向かってくることはないようなので明日は1839峰ピストンのた めヤオロピークまで行ってサイトする方針にする(ペテガリ東尾根登山口が末端にならないため、ヤオロ以南の縦走は断念)。デポ品の割り振り、小屋の簡単な 掃除などして8時前就寝。デポ品には書置きを残す。

8/8(土)快晴のちガス
▲5 4:28—5:232つの函の先5:33—6:12上二股6:54—7:45 Co1070 7:55—(8:22 Co1305)—8:48 Co1490 8:58—(9:25夏尾根の頭)—9:38コイカクシュ札内岳10:13—11:03 ヤオロの窓先のCo1700 11:13—11:55ヤオロマップ岳▲6
朝飯の粉チーズを使ったTCZは思いのほか美味かった。小屋をもう一度掃除して出発。入渓点に車が 4,5台ほど。「コイカクシュサツナイ岳登山口 Mt. Koikakushusatsunai Entrance」の看板だけが妙に立派である。コイカク沢左岸に付けられた踏み跡はすぐに消え、河原歩きになる。入渓直後の左岸に十勝西部森林管理署の 小屋有り。この沢は上二股までひたすら河原歩きに終始するが一応ポイントだけ記す。大きな砂防堰堤は左から越える。中流にある二つの函は1つ目は右岸から 巻き、2つ目は左岸から巻く。いずれも踏み跡明瞭かつ赤布あり。以上。上二股で沢足袋デポ。他にもいくつかデポ品が木に吊るしてあった。良い天場で焚き火 跡数箇所。取り付き点は地図とやや異なり尾根のほぼ中央部。やはり赤布あり。背丈ほどの笹が覆っていて若干分かりにくい。登るにしたがい笹は少なくなり道 は明瞭になる。急登だが道の左右にはブッシュが飛び出しているためこれを手がかりにしてぐいぐい登っていける。それにしてもハイペースだ。1ピッチで 400m以上登っている。水を予定より少なく出来たことも理由の一つだろう。暑い。Co1305mの平坦地は水こそないが地形的には良い天場。2,3張り は可能。限界を超すとハイマツが現れ所々露岩あり。ロープが設置されている箇所もあったが、思ったほど危険ではなく高度感も大したことはなかった。問題な く夏尾根の頭到着。ここからコイカクピークまでは歩きやすい。ほどなくピーク着。他のピーク同様眺めが良い。ピラトコミや1823などが特に良く見えていた。

コイカクからは結構ハイマツを被るようになる。ハイマツが最もうっとうしいのが1560コル付近。踏み跡は始終明瞭で通常の藪漕ぎとは違うが、藪漕ぎの経験の有無によってペースにかなり差が出来る部分ではあると思う。そこを過ぎるとハイマツはだんだん少なくなりCo1700を越えるとほとんどなくなり、代わりに少し岩っぽくなってくる。ヤオロの窓に2張り分の天場あり。ヤオロの窓は上を通過する分には何の問題も無いが、この沢を詰めろと言われてもお断り。 ヤオロピーク手前の天場が最も広くて良いのだが既にテントが1つ張ってあった。ピークに張ることになるかと思ってたるんでいると1839峰から3人パーティーが引き返してくる。テントの持ち主であるこのグループはこれから撤収して今日中にコイカクまで行くという。良かった。この頃になるとガスってくる。 しばらく休んだ後十勝側に水汲み隊を出す。残りのメンバーはテント立て。1時間ほどして戻ってきた水汲み隊の話によると、明瞭な踏み跡を辿っていくと水場 があったが水はほんのチョロチョロ。そこで今度は藪をこいでさらに下っていくときちんとした水流があり水が得られたとの事。チョロチョロ水場へは下り5分 登り7分、きちんとした水流までは下り10分登り15分との事であった(Lは翌朝の水汲みで見に行った)。それにしても「最高の水場」がどちらを指してい たのか気になるところである。サイトの後、今度は先ほどとはメンバーを入れ替えて日高側の水場を見に行く(一年二人が見に行きたいということで連れて行く。本当、積極的で頼もしい)。1839峰へ続く稜線を少し下ったところに1〜2張り分ほどのスペースがありここから左手に踏み跡が続いているとの情報 だったのだが赤布は無く、踏み跡っぽいものもあるにはあったが途中でハイマツの中に消えてしまった。結局もう少し先の草原状になった下りやすそうなところ からサッシビチャリ川源頭へと下っていく。沢状地形に入りやや湿っぽくなってきて、もう少し下れば水が出そうな感じのところでスラブ状の滝に突き当たる。 多少無理して行けば降りられると思われるが、そこまで危険を冒すこともないので引き返す。引き返す際短いが密な藪に突入し、そのせいもあってサイト場に到着して水を1発消費。一体何をしに行ったのか…。日の入り前ガスが晴れて、南へ続く稜線と、その遥か先にあるペテガリが望まれた。今回はだめだったけれ ど、いつかあそこに登ってやろうと強く思う。

天気予報を聞くと、明日も高気圧に覆われ全道的に晴れる見込み。中国方面に行った台風は大丈夫そうだが新たな低圧部が発生して北上しており台風に発達すると思われた。ということで、明日は1839峰をピストンした後、可能なら上二股付近までサイトを下げることにする。熊対策で例により食糧関係のものをピーク付近に置いたのだが、オカン愛好者の長崎が山頂でのオカンを強く主張。それでは食糧を離れたところに置いている意味が無いだろ。長崎もなかなか譲らず、 とうとう最後には食糧を稜線のやや十勝側の小さな平坦地に移し、長崎は念願のヤオロピークでのオカンを達成したのだった。

8/9(日)晴れ
▲6(水 汲み4:15—5:10)5:25—6:17 1702p手前付近6:27—7:16露岩下(Co1785)7:26—7:36 1839峰8:00—8:55 Co 1702p先9:05—10:05ヤオロマップ岳10:31—11:19ヤオロマップの窓11:29—12:19コイカクシュサツナイ岳12:29— 13:21 Co1305 13:31—14:21 Co820 2:31—2:48上二股▲7
朝水汲みに行く。浄水器を使って汲むことを考え ると、やはり1時間は見ておいたほうが良いだろう。体操をして1839峰を目指す。そんなに遠くには感じられない。1781pまでは進みやすい。最近に なって刈り払いもされているようだ。1781pからしばらく下っていくとしばらくはあまり標高差の無い尾根を歩く。地図上では高低差が無いのだが、実際は かなり凸凹しておりハイマツの絡みついた岩を登ったり降りたりするので思いのほか進まない。この傾向は1839に近づくほど顕著になり、踏み跡はいたって 明瞭なのだが下手な藪より進みにくい気がする。それでも2ピッチでピーク手前の露岩に到着。ロープありとの情報だったがそれらしきものは見られない。岩の 左の急斜を木の根などを頼りに登っていく。距離は短い。ここを過ぎるとすぐに1839峰。今日はガスの出が早いようだが何とか視界がなくなる前に着くこと ができた。何の表示も無い狭い山頂だが、こんなところにも焚き火の跡がある。残っていたフルーツ缶を開ける。ヤオロピークもそうだったがハエが多い。

同じ尾根を引き返す。日差しが強くないのがありがたい。もう一度水汲みが必要かと思われたが、ヤオロピークでまだ6発余っていたのでこれなら上二股まで下 れると判断し水汲みはしないことにする。ただし念のため1回のタルミで水の消費量を1発と軽く縛る。相変わらず良いペースで進む。夏尾根の下部で多少ペースが落ちたものの、特に問題なく上二股に到着。一気に1000m以上標高を落とすため、下部では流石に足に来ていた人が多かったようだ。上二股にてデポ回収。ちょうど2張り分の平坦な砂地がある。薪もたくさん。天気予報を聞くと、昨日の低圧部が台風に変わり、中国四国地方で豪雨を降らせているという。もし 台風が逸れるようなら明日以降カムエクを打つ方針にしてあるが、今のまま台風が北上を続ければ下山したほうが良いだろうと考えつつ、出来上がった天図を見る。するとこの台風は真北に向けて直進しており、予報円から判断すると早ければ明日正午にも四国地方にかなり近づき、明後日には日本海に入って北海道でも 影響が出るものと思われた。しかも一旦中国に向かった台風も北東に向きを変えており今後天候は悪化していく一方だと思われたので明日下山することを決定し た(下山してから天気図を見ると台風は大きく東に逸れその後も好天が続いたため悔しい思いをするのだが…)。
この日は盛大に焚き火。威勢よく燃える炎を見つつもう夏合宿が終わるのかと思うと、なんとも名残惜しい気分だった。

8/10(月)晴れ
▲7 5:30—6:20函と函の間6:30—7:10札内川出合
今朝も快晴。眩しい朝日を正面に受けつつコイカク沢を下降する。行きとほぼ同じペースで進み、2ピッチ弱で札内川出合。ここで夏合宿恒例の天突き。エキノ 対策で水は使わなかったが。天突きの後は出番の無かった爆竹を一気に使いまくる。ひと段落してから札内ヒュッテに置いておいた荷物を回収。ダンボールは ザックに収まりきらないので外付け。衛星電話を持ったLはポリタンも外付け。だが、誰が想像しただろうか、ここにきてあの悲劇が起ころうとは。広瀬がザックの底に押し込んだ黒いスプレーから噴出されたカプサイシンは、ザックの周囲から人を退散させてしまっただけでなく、本人にしばらくの間ザックを所有する気力を失せさせてしまうほど強烈なものだった。これが外でまだ良かった。札内ヒュッテの中、いや電車やタクシーの中で起こっていたら…と思うと恐ろしい。

それでも何とか荷造りを終え、さあ山岳センターまで歩こうか、という段になったとき、上流からワゴンがやってきて「試しに」ということで手を上げるといきなりヒッチ成功。またLが一人乗せてもらって山岳センターで電話を借り中札内ハイヤーにタクシーを依頼。やってきたのはまたあのおっちゃん。話を聞くとこ ろでは、どうやら山岳センターでなくその上流の札内ダムの事務所でも電話を借りることが出来、そこから電話してくる人が多いということだ。中札内村に温泉 があるかどうか聞いてみるが、あることにはあるが一般の人は入れないらしい。とりあえずバス停で下ろしてもらおうとすると、「じゃあ、帯広まで10000 円以上かかるところを7000円で行ってやるから一人もう1000円ずつ円払いな。バスだったら770円だけどタクシーのほうが早いし楽だろ?」。変にバスを利用して荷物料金でも取られたら馬鹿みたいだし、引き続いて帯広駅前の温泉まで行ってもらうことにする。帯広までは延々直線道路。タクシーのガラス越しに、よく観光のパンフレットなどで見かける「牧草ロール」があちこちの畑に転がっているのが見えた。
下界はやっぱり暑かった。温泉で10日分の汗を流して、昼飯は帯広名物豚丼を堪能(@はげ天本店)。午後はしばらく各自適当に時間をつぶした後、夜再び帯広駅に集まり反省会。それから近くの居酒屋で乾杯して、この合宿の締めくくりとした。


・まとめ
とても8日間あったとは思えないほど、あっという間に終わった合宿だった。実際の予定よりも短くなったということは勿論あるが、次から次へと目の前に展開 する光景に驚嘆しているうちに、気付けば合宿が終わっていた、そんな感じだった。それほどまでに日高は素晴らしい場所である。
この合宿を作り上 げるのに半年を要し、特にこの2ヶ月間は殆ど全てのものを夏合宿に費やしてきた。北日高は当部にとっては未知の山域といってもよく、とにかくあらゆるもの が手探り状態であったが、できる限りの情報収集を行った。それでも結果的には準備が十分であるとはいえない部分も多々あったが、その点は今後この山域で企 画を出す際に役立ててもらいたい。
合宿中に特に苦労したのが天候による行動判断である(本文でもこの点についてはやや詳しく書いた)。特に今回 のように沢に囲まれた領域があるルートでは一度本格的に増水すれば閉じ込められることにもなりかねず、準則に違反しないのは勿論のことそれ以外でも状況を 見つつかなり慎重に判断を下す必要があった。後から見れば、やや慎重すぎたと思える点もある。しかし、限られた情報しか得ることの出来ない山中において は、与えられた情報の中で考えうる最悪の状況を想定して行動すべきであると考えているし、今回の判断は完全にその原則に従ったものである。
合宿 全体を見ると、行程が一部無くなったとはいえ標準以上のレベルの合宿であったと思う。沢と藪が入り混じるため当然装備は重くなり、また状況に応じて様々な 判断をしなければならなかった。さらに北海道という地域性により、熊対策・エキノコックス対策という通常は無い二つの要素が加わるため、これらの点につい ても常に注意を払ってきた。沢に関してはそれほど技術の要求される部分は無かったが長大なものが多く、合宿の装備を持って行動するにはこのレベルが限度か と思われ、また藪は踏み跡明瞭であるとはいえ、やはり藪漕ぎの経験の有無により大きな差が生じる部分であったと思う(ただし、読図の要素は皆無だった が)。総じてみると、一定のレベルは満たされていたといえるだろう。そして以上の内容にもかかわらず1人の怪我人も不調者も出さずに合宿を終えることが出 来たことは偶然ではなく、今までのトレーニングや山行において各々が相応の力を付けてきた成果であると信じている。6名のワンゲルの精鋭に敬意を表したい と思う。
最後に、この合宿の企画・実施にあたっては本当に多くの方々にお世話になった。戸蔦別川の情報を送っていただいた北大ワンゲルの方、一 週間以上荷物を預かっていただいた日高山脈山岳センター、Lを電波の届くところまで送っていただいた女性の方、水場の情報を教えていただいた方、差し入れ を下さった多くの先輩方、その他問い合わせやネット上で様々な情報を提供していただいた方々に、この場を借りてお礼申し上げます。

・Max14ピッチについて
山深い日高における企画で最大の束縛要因となったのがMaxの深さであった。何か策を講じなければ16、17ピッチという深さになり、一瞬で潰れること必 死である。そこで考えた案が、まず審議会でMax14ピッチの承認を受け、その上で衛星電話を導入し車の入ることの出来る林道を全て末端とするものであっ た。結果的にこの案は受け入れられた。しかし、それが無条件に認められた、あるいは今後も認められる保証があるわけでは決して無いということを、ここで明 言しておく必要がある。Max14ピッチについて、予め執行には、①この時期の北海道では昼間の時間が14時間あり、一日フルに使えば下山可能であるこ と、②衛星携帯の導入により下界との連絡がほぼ常時可能であり安全性が大幅に向上すること、③Maxが深くなる藪区間は基本的に踏み跡がありRFもまず問 題にならないことを主な根拠として了解を取っていた。それに対しOB連絡会では、まず夏山のMaxが通常12ピッチである理由について、単に日の出から日 没までの時間が12時間というだけではなく、山行計画の様々な部分に余裕を持たせることで安全性の向上を図るという部のスタンスから何とか認められる数字 なのだということを指摘された。その上で、今回は上記②③の理由で一定の安全性が確保されるとは言え、日高は未知の部分が多く決してレベルが低いとはいえ ない。また林道歩きの長さ故Maxが深くなっているのではなく実際に山が深い。従って、随時読み替えを行い少しでも読みより遅れる可能性があればMaxの 通過を避け下山することを絶対条件とすること、通常よりも厳しい準則を設けそれを遵守するのはもちろん天候などによる行動判断は慎重に慎重を期すことを条 件として、あくまで例外という形で認められたのである。通常と異なることを認めるリスクは想像以上に大きい。以上の事は自分は勿論のこと執行全体の安全性 に対する意識がまだまだ不十分であるということ認識されられる結果であった。

・衛星電話について
上記の事柄とも関係するが、今 回の合宿で初めて衛星電話の導入を試みた。当初は衛星「携帯」をレンタルする予定であったが、在庫が無かったため通常の衛星電話を持っていくことになっ た。今回はこれ以外に選択肢が無かったが、やはり携帯タイプ以外は山に持っていくべきではないと思った。最大の問題点は、今回の合宿がこの電話に大きく依 存しており、また衛星電話は全く未知の物であるにもかかわらず、機能に関して熟知していなかった点である。バッテリーは少なくとも取り出しておけば知らぬ 間に消耗することは無かったはずであるし、より細かい取り扱い上の注意などを事前に問い合わせておくべきであった。万が一衛星電話が使えないことを想定 し、戸蔦別林道など本来ルートに含まれていない区間の地図もLとしては持っておくべきであったかもしれない。ただ、衛星電話を導入したこと自体は間違って いたとは思っていない。技術の進歩と共に行動範囲が広がっていくのは自然な流れであると考えているし、これからも新しい物を導入することによって今まで出 来なかったような企画が出されるようになれば面白いと思う。ただ、その時は技術を過信せず充分慎重に行って欲しい。

・装備の分配ついて
山行中、共同装備の配分に関して多少トラブルになった。事前の審議ではトップ装など共装の配分に関しては隊の状況を見つつ、臨機応変に対応するようにと念 を押されていた。だが、現地においてはそれが出来ていなかったと言わざるを得ない。合宿中その事を忘れていたわけではなかった。それなのになぜ、トップに 偏った装備を持たせ続けてしまったのか考えてみると、一つはトップ装に関する思い込み、もう一つは現地でやはり冷静になれていない部分があったせいである と思う。後に、沢中でのトップの装備は危険性を考慮して特に本ザックの場合などは軽くしなければならないとの指摘を受けるが、自分はこの時まで係装を持ち 本ザックで沢のトップをするような機会はほとんどなかったためそのような事情をあまり把握しておらず、装備に関してはむしろ道や藪と同じような感覚で指示 を出していた。それが最も大きな原因であると思われるが、特に問題なく行動していた長崎に対して鈴木が遅れ気味で不機嫌であった状況を鈴木側に問題がある とどこかで思い込み、自分自身もいらいらしていた事が、適切な判断を行えなかった原因の一つであると考えている(冷静に考えればその日の体調の良し悪しや 体力の個人差があるのは当然で、合宿の成否を考えれば、早い段階で手を打つことはいくらでも可能であったはず)。冷静な判断というのが、口で言うほど容易 なものではないということ、それは常に忘れないでおきたいと思う。

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