2013年8月3日土曜日

夏合宿北ア隊



2013年度夏合宿道隊FB
北アルプス南北縦走
文責:宮田晃碩

面子:4 伊藤  3 竹尾 野呂 L宮田 持留  2 F高辻 W鳩貝 EH村瀬  1 宇田川
期間:8月3日(土)~8月17日(土)

北アルプスを、新穂高温泉から(途中針ノ木雪渓から扇沢に一時下山して、また柏原新道から登り返し)親不知まで縦走しました。大変長いです。これはその一部始終を詳細に記録したものであります。


83日(土)晴
新穂高温泉17:2718:10中崎橋18:1518:30わさび平小屋
新宿の高速バスターミナルに集合としていた。時間の20分前くらいにその辺りに行くと見慣れたような頭が見えるのだが、それは隊の人のものではない。どこか別のワンゲルだろうか、うちの隊はまだ誰も来ていないのか、とうろうろしていたが、もう一度その頭の辺りに戻ってみると持留がいる。頭といったのは大橋のもので、上越隊の人たちが見送りに来てくれていたのだった。出発前日にこんなに来てくれると思っていなかったから意表を突かれた、大変有難いことだと思った。それで差し入れとして松尾さんからおにぎりとお茶を、桑原さんからメロンを、一山からアップルパイやチーズケーキをいただいた。他にあったかは失礼ながら忘れてしまった。ケーキをくれたのは村瀬が5日に誕生日を迎えるからである。当の村瀬はα米を買い忘れていたと言って百貨店で探し、無事に買ってきた。
集合時間を過ぎても高辻が来ない。メールにも返事が無い。どうしたことだろうと言っていると、伊藤さんが「昨晩ツイッターで『9時を過ぎても呟いていなかったら誰か電話して』と呟いていたよ」とのこと。高辻が徹夜でレポートを書いているというのは知っていたが、それで果ててしまったらしい。あわてて電話する。しかし出ない。取り敢えず9人をキャンセルして8人分買い直し、バスに乗る。やがて返信があった。やはり寝坊してしまったとのこと。調べてみると、急いで特急に乗れば松本で合流できるようなので、それを使ってもらうことにした。バスの車内では野呂が隣で、地図を書いている。地図を書いてこなかった人は何人もいたのだが、私もそれを非難できない。前日になってようやく書きあげたので、出発二日前に伊藤さんに指摘されるまで、本地図に欠けた部分があることに気付かなかったのである。結果、その欠けた部分は当日配るということになってしまった。大きな失態のひとつである。
松本ではバスの乗り換えに少し時間がある。ここで高辻と合流できた。高辻は悲しいかな、部屋に弁当をそのまま置いてきてしまったらしい。私はサンダルを忘れていたから買おうと思ったが、手頃な物が見つからず断念。ここから2時間バスに揺られて、新穂高温泉に着く。なるほど温泉の煙が上がっている。入山連絡をいれ、林道をわさび平小屋まで一時間ほど歩く。その道中、宇田川が高校の夏合宿で二度北アルプスに来ているが、そのどちらも、天気や隊員の体調などの理由で完遂出来なかったということを聞いた。ちょうど今回の合宿で通るから、リベンジが賭かっているのである。まだ遠足といった感じでどうも合宿という緊張感が自分の中に根を張らなかったが、これは気を引き締めねばならない。テン場に着き、村瀬がレンタルした6天を張ってみると、慣れない構造で立てるのに手間取ったが、かなりきれいだし、広いようである。レンタルしたというのは村瀬が45天のポールとフライを電車の中に忘れて紛失してしまったからで、あちこち連絡しても見つからないということである。本人のうっかりが原因とは言え、村瀬に負担を集中させてしまったので心苦しい。レンタルが2泊と同じ料金で出来たのは驚くべき幸運であった。
メロンを切って食べたり、小屋でラーメンを食べたりしてから、就寝。2年以下は全員オカンした。6天は印象ほど広いという訳ではなく順当に6人用で、丈が低い。しかし何よりきれいである。

断面に種垂れ下がるメロンかな


84日(日)曇ときどき雨
わさび平小屋4:414:58小池新道登山口(小休止)5:22たるみ5:355:51橋‐6:21イタドリヶ原6:317:22たるみ7:327:54鏡平8:13‐途中ゴアマ着る‐9:04たるみ9:1710:15たるみ10:2510:38双六小屋11:1011:15分岐11:35‐(ピストン)12:01双六岳12:2812:52分岐に戻ってきた13:0713:58たるみ14:0814:29三俣峠14:39‐(ピストン)14:49三俣蓮華岳15:0715:15三俣峠に戻ってきた15:2015:41三俣山荘
うす暗いなかを体操、出発する。やがて林道終点で小休止。小池新道は歩きやすい岩の道である。一番荷物の重いときだからと心配していたが、そこまできついということもない。そして天気はどうやら予報から望んだような晴れではない。セカンドには竹尾を入れていたが、トップが焦れて先へ進みがちなので、私は後ろで悶々としていた。何度かコンクリートの道で渡渉がある。シシウドヶ原を過ぎてたるんでいるときに、とうとう雨がぱらつき始める。雨はこの日、降ったりやんだりといった感じだった。鏡平では池の面に槍穂が映って美しい、という評判を楽しみにしていたが、雲が晴れることはなくどんよりしたままである。展望は無いがウッドデッキのようになっていて居心地が良いので、ここでチーズケーキを食べた。美味しい。じめじめして暑いから汗が多く、座った所に跡が出来るのを気持ち悪がられたり、シャツ一枚でいたら乳首が透けて気持ち悪いと言われたりと、私は随分気持ち悪がられた。
次第に雨が本降りになりだしたから、途中でゴアマを着る。合宿と言えば晴れという感覚があったので残念である。この辺りでペースは落ちたように思う。一度、たるみからの出発で鳩貝がザックを背負おうとしてザックともども斜面を2mほど滑落するということがあった。びっくりしたが灌木のあるところだったから大して落ちず、伊藤さんが助けに下りたりして、事なきを得た。
天気が良くなくて疲れたところに、双六小屋のテン場は大変魅力的に映った。水野のFBに「双六岳から見る巻道は高速道路のように見える」とあったのを読んでいたし、双六岳へのモチベーションはだいぶ下がってしまった。もとより伊藤さんは水野企画で双六も鷲羽も水晶も行っている。どうしたいか意見を取ると、だいたい半分に分かれた。私自身も巻道で行きたい気分は強かったが、折角だからピークには行こうということで、分岐からの読みを短く読み替えて、空身でピストンすることに。はじめsub装にしようとしていたが、野呂の提案でエアリア0.6倍に読み替えて、往復50分としたのである。その間、竹尾、持留、伊藤さんの三人は分岐で休む。眺望は無いものの、双六岳の稜線は広々して楽しい。ピークで大して時間を取ることも無かろうと思っていたが、高辻のコーヒーを楽しんだので案外戻るのが遅くなった。移動自体は、特に登りが速かったから50分に収まっている。下りながら振り返るとすこし晴れ間が見えた。戻ると竹尾がザックに紛れて寝ていた。

OR2の巻道ルートを行くと、すぐに新しい熊の糞があった。出会わなかったからよかったが、今合宿では何度か新しい熊の糞を見ている。三俣峠からは再び空身で、ガスに巻かれた三俣蓮華岳をピストンする。伊藤さんと鳩貝のみかん缶を食した。野呂や私はもう疲れていて、鳩貝も少しふらふらしている。三俣山荘に着いたのは天図の20分前くらいであった。
三俣山荘は水に恵まれている。あまり恵まれていてテン場にも小さな沢が流れているので、歩くのに少し苦労するくらいである。晴れていれば大展望にも恵まれるらしいが、それは叶わなかった。夕食は当初二日目を予定していたビーフストロガノフである。高辻はこのためのワインも歩荷していて、重いので一日目にずらした次第。美味い。宇田川はサイトに積極的である。米を炊くのに蓋がうまく閉まらないから、蓋をさかさまにして押さえるという方法がここで確立された。はじめ外サイトしていたが食べていて雨が降ってきたから急いで撤収した。天図を見ると緩やかな気圧の谷に入っていて、どうやら好転する兆しも見えない。晴れの夏合宿を無条件に期待していただけに、落胆は大きかった。翌日は野口五郎小屋までである。体力と気力次第では烏帽子小屋まで行くかもしれないということで、その場合は烏帽子小屋に一日停滞する。計画段階では水晶小屋までを予定していたのだが、出発数日前に電話したところ「団体は7人から予約が必要で、今のところ宿泊客がとても多いから泊めることはできないだろう」と言われてしまったので、急遽野口五郎小屋を予約したのである。水晶小屋のホームページでは「10人から予約が必要」と書いてあったのだが、やはり電話で直接確認をとるべきだった。そうでなくても早めに電話で確認すべきだったということだ。野口五郎小屋が空いていて助かった。
流石にこの日オカンした人は、無かったはずである。

山霧や山頂は標あるばかり


85日(月)雨
三俣山荘5:406:12たるみ6:226:54鷲羽岳7:157:41ワリモ岳‐7:56ワリモ北分岐8:078:41水晶小屋8:53‐(ピストン)9:20水晶岳9:239:40水晶小屋10:0010:40東沢乗越‐10:51たるみ11:0111:15ピョコ‐11:52真砂分岐12:0212:39野口五郎岳‐12:49野口五郎小屋
雨は夜通し降ったりやんだりを繰り返していた。テントをたたく雨音は憂鬱である。高辻は何故か22時以降一睡も出来なかったらしく、本人曰く「疲れてなかったってことですかね」と。しかし変な咳が出ていて、風邪を引いてしまったらしい。出発前に体温を測ると35.8℃と低めだったが、気は抜けない。竹尾も気分が悪いと言っている。
朝のうどんは大変美味しい。ゴマに刻み海苔に梅ペーストと、トッピングも充実している。つゆを飲み干すのがすこし辛かったが大満足。雨が強く叩きつけるようなので、伊藤さんの一声で撤収を少し遅らせることに。やがて若テンから「雨が弱まったのにジジ天の動く気配が無い」と言われつつ、雨の合間に撤収。やはりモチベーションが上がらないから鷲羽の登りを避けて黒部源流標を見に行くルートを取ろうか、という話も出たけれども、地図を見れば結局登り降りの標高差は同じくらいなので、本ルートを行くことにする。村瀬の誕生日だから体操は村瀬によるバースデー体操、トップも村瀬によるバースデートップからである。
鷲羽の登りはずっとガスに包まれ、ガレ道をゆっくり単調に進むだけである。かなりきつい登りだと伊藤さんから聞いていたけれども、覚悟していたおかげか案外辛くなかった。ペースが調度よかったのかもしれない。たまに覗く青空に希望を取り戻したりもしたが、この日はずっと晴れなかった。山頂でもガスに取りまかれて雨に吹かれ、寒い思いをする。天気のせいで記憶は薄いし、記録も滞りがちだったからFBを書くのが難しい、とはこのときから予感していたことである。
ワリモ岳のあたりは岩の険しい道で、ロープを使って岩を巻く箇所がある。やがて水晶小屋に着くが、このとき既に私は困憊していて、水平な道を歩いても息切れがした。野呂も疲れているようだった。きっと皆疲れていたと思う。水晶小屋は案の定客が多く、泊まれるような状態ではない。前夜も30人の定員に対し60人を超す客が泊まったそうである。悪天でも事情は変わらないらしい。ここで伊藤さんと持留を残し、空身で水晶岳をピストン。ピーク付近は探せば岩に水晶が紛れていて、それが目を慰める。しかし水晶は野口五郎付近でもたくさん見られた。小屋に戻って来ると、南側のガスがすこし晴れていて、そんなことでもかなり元気づけられる。すこしゆっくりたるんでから出発した。
東沢乗越は北アルプスの風の通り道と聞いていたが、この日は大して吹いていない。少し手前にはロープがあったものの、危なくもない。このあたりだったか、大学のワンゲルらしい集団とすれ違い、「何か違うよね、まず女子が多い。どうしてうちの部活はああでないんだろう」などと持留とぶつぶつ話した記憶がある。そういうことは合宿中時々思い出したように話している。真砂分岐の手前のピョコ付近は、大きな岩がごろごろ堆積して歩きづらかった。雨は途中やんだりもしたが、やはり断続的に降り続いている。
野口五郎岳の手前で「疲れているし展望も無いしなにもいいことが無いから野口五郎のピークは巻こう、さっさと小屋へ行こう、ピークに行きたい人は勝手に行ってくれ」と持留が言うのでどうしようかな、と立ち止まったが、宇田川が地図を見て「でも標高10メートルくらいしか変わらないですね」と言う。確かにそんなに変わらないから、結局真っ直ぐ稜線を行く。小屋に着く頃には大体皆へとへとになっていた。「皆元気そうだから烏帽子小屋まで行こう!」という冗談を飛ばそうかなと歩きながら考えていたけれども、面白くないし言う元気も無かったからやめた。小屋泊はさすが親切で、特に乾燥室を使えるのが有難い。濡れた服を脱いで、部屋がどうも寒いから、乾燥室に入って暖まっているような状況になる。サイトには屋根も戸もある自炊場を使える。鳩貝はサイト用具を忘れて「あっそういえば」と三回くらい取りに戻っていた。村瀬が「トリアタマか!」とバースデーツッコミを入れる。青椒肉絲は少なく感じたが大変美味しい。さらにそのあと茶飯といっしょに、伊藤さん差し入れのフルーチェ、一山差し入れのアップルパイを賞味する。贅沢なひとときである。

小屋は次第に混みはじめた、特に乾燥室は大変であった。高辻と持留と私は、高辻が持ってきた山でも使える洗剤と、山でも使える洗面器(普通の洗面器)を用いて、ちょっとだけ洗濯をする。部屋に戻るとUNOが盛り上がっている。村瀬の差し入れのチータラも大いに盛り上がっている。部屋は二段になっていて、9人で使うに快適な広さである。天気図はと言えばやはり気圧の谷が被さっていて、小屋のテレビで天気予報を見ると翌日も雨の予報である。しかしその次の日からはずっと晴れる予報である。寒いと感じた部屋も寝る頃には暖かくなっていて、この夜はよく眠れた。

黒々と濡れて晩夏の水晶岳


86日(火)曇ときどき晴
野口五郎小屋5:126:01たるみ6:116:58烏帽子小屋
3時半に起床し自炊場でサイト。雑炊と味噌汁で、やはり美味。外に出ると割合晴れている。雲量はほぼ10だが周囲の山が見えているので気分も晴れやかである。小屋の方に見送られながら出発。稜線を歩きながら、ようやく景色の広さを目の当たりにするので、北アルプスの実感が込み上げてくる。今まで何処にいたと言うのか。1,2日目は今日から始まる夏合宿への、接続企画のトレ山行だったのだ、という話に落ち着いた。野呂が転んで手を擦りむいたのでヘルボを出す。大した怪我ではないが血が滲み出して止まらない。三ッ岳手前はお花畑コースを通り、読みより随分早く進んでいることを喜ぶ。ガスが出てきて雨粒がぽつりぽつりと来るが、まだ持ちこたえているという感じである。烏帽子小屋への砂礫の道は、歩きやすくて気分が軽い。コマクサがたくさん咲いているのも嬉しい。行く手に尖った烏帽子岳を見ながら森林限界へ下り、テン場に着く頃には雨。テントは20張ということだったが何段にも設けられていて、もう少し張れるかもしれない。ここで小屋の人に「野口五郎小屋にソーラー式の充電器を忘れてきていない?」と尋ねられ、村瀬が充電器を忘れてきてしまったことを知る。実は忘れ物はそれだけではなくて、竹尾がキジペを忘れたのと、野呂はヘッテンを紛失してしまった。迂闊なことであった。小屋に聞きに行くと、携帯で野口五郎小屋に聞いてみてというので村瀬が竹尾のdocomoを借りて確認する。残念ながらもう野口五郎小屋を発って烏帽子小屋へ向かう人はないから、もし手に入れたいなら、また野口五郎小屋まで取りに行くしかない、ということであった。行くならついて行くよ、と竹尾が、そしてそれを聞いて、自分が行くよ、と伊藤さんが言ってくださったが、村瀬は悩んだ末結局行かないことにした。立峻と廣長に回収してもらうことも出来よう、ということもある。
外は寒いから小屋で雨宿りさせてもらおうと思ったが、土間にテーブルを用意したその休憩所は、小屋泊か、何か喫茶メニューを頼むかしないと使わせてもらえないらしい。すこしの間外から中をじっと覗いていたが、持留と私は500円のコーヒーをそれぞれ買って、結局2時間半ほど居座った。奥に見えるテレビでは広島の平和記念式典をやっている。隣のテーブルでは客が入れ替わり、カレーの匂いが食欲をくすぐる。外はその間、だんだん晴れているようだった。村瀬の充電器はパトロールの方が届けてくださると、小屋の方が教えてくれた。小屋の周りは高山植物がとりどりに咲いていた。
テン場ではめいめい銀マを広げて荷物を干している。ときどき雨がぱらつくのだが、基本的に日差しが暑い。ようやく来たか、という感じで嬉しい。感動的である。いそいそと日焼け止めクリームを塗ったりする。それでも厚い雲がときどき通るので暗くなり、その時に鳩貝に「これからの天気はどうですか」と聞くと「いやーこれはだめですね」と朗らかに答える。ややあって本当に降ってきたのでそれを「あんなこと言うから」と言うと、「当てにいきました(キリッ」と言うので笑った。そんなこんなでのんびり過ごしている。

夕食は筑前煮である。これも美味。里芋の乾燥野菜は一袋600円もするのだそうである。それだけに美味い。この日初出のロイヤルミルクティーは下界でも好んで飲むべき味わいであった。高辻は宇田川のことをウッドペッカーとかいろいろ呼び方を思案していたようだが、この日「ウッディ」に落ち着いた。サイト中に村瀬の充電器は届けていただいた。夕方になって一時、雷が鳴るのでひやひやしたが、結局雨は大降りにならなかった。なかなか固まらず困っていた高辻差し入れのゼリーは暗くなる頃ようやく固まり、無事食べることが出来た。あまり疲れていないから、テントに入って落ち着いてもしばらく談笑している。野呂が女の子を紹介してほしいというような話である。こういうとき気付くと持留が話の中心になっている。ジジ天ちょっとうるさいですよ、と高辻にたしなめられて漸く静かになり、睡眠モードになっていたのだが、しばらくまどろんでいると外で話し声がする。伊藤さんと高辻が星を見ながらコーヒーを飲んでいるらしい。私はあわてて飛びだし空を見やった。満天の星空である。しかも盛んに流れ星が流れている。コーヒーは飲まなかったが暫し時を忘れ、あれが何座、あれが何座などと知識を振りまいてから満足して、私は再びテントに潜った。

駒草を避けつつ道を譲りけり


87日(水)快晴、のち晴
烏帽子小屋4:444:59前烏帽子岳‐5:06烏帽子岳分岐5:11‐(ピストン)5:25烏帽子岳5:506:04烏帽子岳分岐6:116:53南沢岳7:168:17不動岳8:329:14 2341p9:24たるみ9:349:50 2299p10:22船窪第二ピーク10:3711:53船窪岳12:2612:33船窪乗越‐(途中キジたるみ)‐13:14テン場
朝はカルボナーラ、美味。3時起床だったが4時半はまだ暗いから、明るくなるのを待って出発する。野呂の手はまだ血が出ている。翌日にはおさまっていたと思う。出発前に高台のヘリポートから見た朝焼けは、待ちに待った感動的な景色であった。少し歩くと樹林帯を抜け、やがて眼前に朝日を浴びた烏帽子の岩峰が現れる。分岐にザックを置き空身でピストン。平らな道、やや急な登りを過ぎて岩の下に辿りつく。鎖があるが、鎖のない隣のところから登るのが簡単のようである。人数が去年の合宿のように多かったら面倒だったろうと心から感じた。上では何人か待機しながら、代わる代わる頂上の先へ登って、伊藤さんに写真を取ってもらう。かなり高度感があり怖いが楽しい。抜けるような青空に、何もかも見はらすような大展望である。鏡平で近くに見るはずだった槍が既に遠くに見える。野呂はこの辺りでカメラの充電が尽きてしまった。


四十八池の静けさを楽しみ、南沢岳もすいすい順調に登り、また眺めを楽しみ、その後からが正念場である。ここからは東側斜面が劇的に崩壊している。道の落ちたところは反対側の樹林を新たに通しているから危険は特にない。天気が良いのでペースも順調だったのだが、乗越を繰り返し越えていくので流石に疲れ、また暑さはつのり、消耗する。2299pの辺りの自分のメモに「暑くて急登で死にそう」と書いてある。不動岳から船窪小屋までの区間は鎖、ロープ、梯子、ヤセ尾根が多い。鎖は使わなくて問題ないものも多いが、急斜面特に下りは慎重に行きたい。雨が強ければこの区間はあまり進みたくない。危険なところは一人ずつ通過するので、時間もかかる。一ヶ所、ロープが渡してあってゆるやかな壁に沿って渡る所、私は通過中に体重をかけてしまい、ロープが撓むのを見ていたら何処までも止まらず、そのまま3メートルほど落ちていた。ロープの片方が切れてしまったらしい。恐らく私はロープを握ったままだった。幸い斜面は比較的緩く、灌木もあったので、全く大事に至らずかすり傷すら殆どなかったが、これが場所によってはと想像するに、ぞっとしない事態である。ロープに体重を預けてはいけない。またこちらは笑い話なのだが、歩いていてトップの方から「鳩貝が梯子を下りました」と言ってくるので、それはよかったなあと微笑ましく思っていたのだが、実は「梯子を折りました」と言っていたのである。小さな梯子だったから無くても問題ないだろうという所で、しかしやはり場所によっては笑い話にならない。
船窪岳の手前の登り降りは本当に酷であった。ロープと梯子で下り、ヤセ尾根を通り、ロープと梯子で登る、というような部分が二回ほどある。船窪岳ではサングラスおばさんに出会った。何処から何処まで行くの、と問われて答えると、開いた口が塞がらないといった風で、こちらとしてもその反応には深くうなずく。「鏑木毅さんって知ってる?トレランの有名な方で、サングラスをかけて赤いシャツで…」と仰るので、そう言えば赤いシャツの人とすれ違ったなと思い出し「それならさっきすれ違った人だ」などと冗談のつもりで言っていたら、本当にその方であった。サングラスおばさんは七倉から登ってきたとのこと。船窪乗越を越えればやがてテン場に着く。小屋まで10分そこら登るので遠いが、高辻とテン場の受付に行ったらお茶を振る舞っていただいた。雰囲気の良い小屋である。テン場は狭くテン泊は少ない。水場は、崩壊した沢に5分ほど下っていく。危ないので夜は行くべきでない。この日のカレーは特別なメニューという訳ではない普通のスパムカレーだったが、絶品であった。宇田川が持ってきた玉ねぎが微妙に傷んでいたのは不安だったが、とにかく美味しかったので問題ない。ただ野菜は密封せず呼吸できるように持ってくるべきだったらしい。
小屋のすぐ外のトイレはきれいだったが、テン場近くのトイレは鳩貝曰く「この世の地獄」であった。また、鳩貝の着ているジャージが「おしゃれジャージ」であったことが、「あれ、俺のおしゃれジャージが無い…」という呟きから明らかになった。この日は伊藤さん、高辻、村瀬、宇田川がオカンした。

交代で岩峰に立つ晩夏かな


88日(木)快晴、のち晴
船窪テン場4:475:00分岐5:175:20七倉岳‐5:37たるみ5:476:05七倉乗越‐6:43北葛岳6:587:31北葛乗越7:468:21たるみ8:319:19蓮華岳10:2911:01針ノ木小屋11:1911:51針ノ木岳12:1612:33針ノ木小屋13:03‐(途中アイゼン着ける)‐13:55たるみ14:0514:31大沢小屋
小屋方面へ行かずに七倉岳に直登するルートは分からなかったが、いずれにせよ小屋のトイレに行きたい人が多かったから同じことである。ここで日の昇っているのが見えた。美しい。七倉岳を通過し、細い岩場の尾根を下っていく。踏み外せば落ちていきそうで、個人的にはかなり怖い。七倉乗越の前後には梯子がかけられていた。北葛岳山頂で再びサングラスおばさんに会う。北葛岳も眺めが良かった。どうやら蓮華岳や針ノ木岳の向うに、鹿島槍も見えるようである。烏帽子岳から小さく見えて鹿島槍だろうか、と言っていたのは、やはりそれだったのだろう。意気が高まる。北葛乗越まで降りると目の前に蓮華の大下りの鎖場が待っている。我々は大登りになるわけだから、ここでたるみ、サングラスおばさんには鎖場を先に行ってもらう。たるんでいるときに、村瀬のザックがすこし故障していることが発覚。背面の長さ調節をするところが一部切れていて、それ自体大したことは無かったが下界に降りて修繕しようということになった。それより問題だったのは村瀬の靴で、高校の時から使ってぼろぼろになり、ソールの先がはがれている。これはたしか三日目くらいからそんな状態で、この前日は糸を巻きつけたりテント修繕用のテープで張ったりガムテープでぐるぐる巻きにしたりしてなんとか持っている。これも下界でなんとかしようということになっている。
肝心の鎖場は大して危険ではなかった。下りだと怖いかもしれないが、登りならば岩にホールドがあるしそこまで切り立っていないから、鎖を使わずとも登れる。思ったより早く鎖場を過ぎてしまい、そこから先はぐいぐい岩場を登っていく。岩場を登りきると礫の道で、コマクサの群落が楽しい。きつい登りと覚悟していたからか、蓮華岳山頂には思ったより楽に着いた。山頂はかなり広い。針ノ木岳の頂に雲が被さっているのが気になるが、展望も素晴らしい。人も少ない。あまり気持ちいいから気付いたら70分もたるんでいた。高辻がコーヒーを振る舞い、伊藤さんはホットミルクを振る舞った。パイン缶も食べた。再び出会ったサングラスおばさんには、サラミをいただいてしまった。美味しい。「登山道は自然からの借りものです、自然を大切に歩いてください」という趣旨の看板を見た鳩貝は「こういう文言を考える人ってすごいなあ」と頻りに感心していた。

砂礫の道をてくてく針ノ木小屋まで下りる。針ノ木岳が遠いように見えるのでsub装で行くか空身にしてしまうか悩んだが、双六岳と同じ往復75分の本ザック読みだったから、じゃあ50/2535/15で行けるだろうということで空身にした。しかし遠いように見えることは変わりないから、水とヘルボだけは持っていくことにした。持留は小屋のところで残るというので、さわやかに「行ってらっしゃい」と送り出してくれた。実際のところ、針ノ木岳は意外に近かった。そしてかなり眺めが良い。黒部ダムを眼下に望んでいる。これを見た鳩貝は「無駄なダム」と言っていた。
 
針ノ木小屋に戻り、小屋の人に「信濃大町には登山靴を修理するところ、或いは買えるところがありますか」と聞いたが分からないとのことだった。また扇沢のバスの時刻表を見て、翌日の下界での行動方針をだいたい練る。村瀬の靴のことを考えて、今日の中に扇沢に下りて店のあるところまでバスや電車で行こうかという話もあったが、明日の朝のバスでも十分時間はありそうだから、大沢小屋に泊まることはそのままとする。雪渓の様子も念のため聞いた、問題無く歩けるとのことだった。
鳩貝のザックも、肩ベルトの糸が切れそうになっていると発覚。持留のザックも同じようになっている。下界で太めの糸を買って縫おうということに。25分ほど下ってから雪渓に入る所で軽アイゼンを着ける。デポ山行で白馬大雪渓の下りを楽しんでいたから私は針ノ木雪渓も楽しみだったが、期待ほど長くはなかった。ここでもサングラスおばさんと抜きつ抜かれつする。雪渓から夏道への取り付きのところで、間違えて雪渓を下まで行ってしまっていたサングラスおばさんが我々を見て引き返してきた。大したことは無いが役に立てたようで嬉しい。そこからは普通の道を普通に下っていく、標高が低くて風が無いので暑い。ほどなく大沢小屋に着く。大沢小屋はちょうど、小屋を管理するおじさんが交代したところであった。穏やかで親切な方で、靴を買える所があるか村瀬が訪ねたのを、わざわざ無線機を使って確認してくれた。聞けば信濃大町に登山用品店は無いが、穂高にいけば一件あるとのこと。明日は村瀬だけ穂高に行くということに。小屋自体も良い所で、河のそばだから水はじゃぶじゃぶ出ているし、トイレもきれいである。利用者が少なくてそれはいいのだが、テン場が2,3張分しか無い。以前に三重大学のワンゲルが泊った時は30人くらい、河原のあたりにテントを張ったとのこと。既に一人先客があったが、テン場にはもう二張り張れた。この日の夕食は釜めしと中華スープで、もともと野菜スープを私がF共装として受け取っていたのだが、すっかり忘れてスーパーで野菜スープを探した揚句、適当なのが無いといって代わりに中華スープを買ってきてしまったのである。夕方からは小屋の休憩所で(ここは自由に使える)、行動食とスキムミルクを囲んでUNOに興じた。翌日は取り敢えずデポを回収して、それから風呂なり洗濯なりを楽しもうと思っていたのだが、どうやら信濃大町までのバスの停車駅に温泉があるというので、そこで下界仕様になってから町へ繰り出そうということになった。信濃大町への期待は果てなく広がり、鳩貝はそれをメガロポリスと称した。実は直訳である。伊藤さんと高辻はオカンしようとしたが、ザトウムシが顔を這い回るので敗退してしまった。村瀬はザトウムシが好きらしいのだが流石に顔を這わせるほどではなかった。

コーヒーを回し飲みする爽気かな


89日(金)快晴、のち晴
大沢小屋5:356:22扇沢
朝は余裕があるから、米を炊いて鮭茶漬けである。一人一合あるのだが美味しいからぺろっと食べてしまった。大沢小屋から扇沢へは、数回林道を横切る。林道を行っても良いのだが登山道が近道になっている。1時間もせず扇沢に着き、第1部完。誰も大きなけがなどしていないので一安心で、菊池さんに途中連絡を入れる。扇沢にはすでにわらわらと人がおり、我々が荷物を整理したりしている間に段々増えていった。自分たちの集まっているところだけ異臭がするので、文字通り息の詰まる思いである。要らないものをコインロッカーに詰め込み、自動販売機で飲物を買い、7時半のバスを待つ。晩のサイトは何処かテントを張れるスペースを探そうかとも思ったけれども、バスやトロリーバスの時刻表を見るに、扇沢駅の屋根の下にオカンして何ら問題無さそうである。ほとんど貸し切り状態のバスに乗り、下界へ。座席の柔らかさや景色の広がりに不思議な感動を覚えながら、私はデジモン21話に展開が似ていて楽しいな、などと考えていた。途中下車して薬師の湯に入る。時間はたっぷりある。シャンプーは3回した。すっかりきれいになり、一息つき、念願のサンダルを買い、バスで信濃大町へ。下界は日差しが照ってとても暑い。駅前で野呂の友人に出会う。女の子と二人で山に登っているらしい。野呂にヘッテンを貸してくれたばかりか、ヘルメットを一つ貸してくれた。これでちょうど9個あることになるので、小屋で借りる必要が無くなった。本当にありがとうございます。郵便局でデポを回収し、コインランドリーへ。村瀬はここで別れ、電車で穂高に向かう。その前に大量のごみを捨てるというので観光案内所に鳩貝と持留が聞いてみたところ、分別しなければいけないのでこれに、とゴミ袋を渡された。さあ分別しようとしたところ、駅前のお土産屋さんのおばちゃんが出てきて「捨ててあげるから」と。それどころか「野菜をあげるから店まで来なさい」と連れられて入ると、椅子をすすめられ、お茶とトマトを御馳走になった。大変な御厚意で戸惑うほどである。トマト、きゅうり、自家製パンを手に持たされてそのまま帰るわけにもいかないから、きゅうりに付ける美味しそうな味噌を買っていった。それからコインランドリーへ。

コインランドリーの近くには大きなスーパーがある。ここでおのおの、新たに差し入れを買ったりする。洗濯が終わり、2時くらいになって駅前の「豚のさんぽ」なる店で昼食。閉めるぎりぎりの時間であった。伊藤さんと野呂は「大町二郎」を頼んで食べる。満足して出ていくと、ちょうど村瀬が帰って来ていた。新しい靴を買っていて、なかなか格好いい。本屋があったら何か買おうかとも思ったけれども大きな書店などはなく、もう特にすることもないから、アイスなど食べながら駅の待合室でずっと涼んでいた。竹尾と宇田川は私物もあるから、といって不要な荷物を送り返してくれた。鳩貝は下界だけれども天図を取っているので私はすっかり感心してしまった。何もしないでいても時間は流れるので、ああ、また山に行くのだな、と感慨に耽る。予期していたようなモチベーションの低下は、不思議と起こらなかった。山にいるあいだ「下界の引力に負けて脱落する危険があるから、扇沢から持留は挟んで行動しよう」などと冗談を言っていたが、その心配もなかった。17:10のバスで再び扇沢へ。暗くなる中でのサイトはきりたんぽ鍋で、これは高辻がわざわざ秋田からきりたんぽを取り寄せてくれたものである。しかし遅めの昼食を取ったこともあり空腹は感じない。はじめから米は炊かないことにした。きりたんぽは美味い。煮たり焼いたりしたが、焼くのはきちんと焼かないと固い。その後伊藤さん差し入れの西瓜、高辻差し入れの桃、お土産屋のおばちゃん差し入れのトマト、きゅうりなどを食し、茶飯でレモネードを飲んだ。お腹いっぱいである。西瓜の皮などは藪の中へ消えていった。ちなみに初日のメロンの皮は、宇田川が歩荷してくれていたのだが、だんだんに熟成されて大変なことになったそうである。ともかくものんびりできてリフレッシュできた、良い一日であった。

投げ遣つて西瓜の皮の重さかな


810日(土)曇
扇沢5:265:33登山口‐6:07たるみ6:177:07たるみ7:228:17たるみ8:278:50種池山荘9:109:38南峰分岐9:41‐(南峰ピストン)‐9:46分岐9:489:54中峰分岐‐9:58中峰‐10:06分岐10:1610:48冷乗越分岐‐10:58冷池山荘
扇沢で寝ている人は他にも幾らかいた。朝食はツナマヨご飯。水の量を多く間違えて炊いてしまったから不安になったが、案外美味しかった。味噌などバラエティがあって嬉しい。出発は45の予定だったが思いのほかパッキングに時間がかかる。荷物を計量するための量りがあるから載せてみると、私のザックは27キロとすこしあった。重い。皆一気に荷物が重くなったので、差し入れ放出のタイミングを伺いあうような状況である。
柏原新道はさすがに人が多い。抜きつ抜かれつである。二度目のたるみでは伊藤さんがオレンジジュースとリンゴジュースを出し、鳩貝は蒟蒻畑を出した。荷物は重いが、歩きやすい道だから割合良いペースで登っていく。途中「ガラ場」を通過するとき、猿が下の方にいるのを見た。その先の水平道は確かに水平で、第三部に待ち受けるそれとは全く別物である。天気はあまり芳しくない。行く手を見ると、稜線はすっかりガスに包まれている。しかし登りは暑いから、日差しが遮られていたのはよかったかもしれない。種池山荘に着くとやはり差し入れが出てくる。私はポンジュース餅なるものをスーパーで見つけて面白いから買ってきていた。時間には余裕があるからのんびりしている。
爺ヶ岳は南峰も中峰も空身でピストンする。しかしガスに覆われてただ寒いばかりである。さっさと先へ進んでしまう。それでも北峰を過ぎて暫く行くと、ガスは晴れてしまった。右手には大谷原方面の下界が見える。

冷乗越を過ぎればすぐに小屋に着く。ザックを下ろして受付を済ませ、さあテン場へ向かおうという所なのだがもう人心地がついてしまって、再びザックを背負うのが大変億劫である。それでもなんとか出発し、10分弱の登りをこなす。これがかなり遠く感じられた。テン場は広くない。早めに着いたからよかったが、これが夕方には気を付けないと歩けないくらいテントでびっしり埋まった。鳩貝はザックを針と糸でなんとか補修し、それが終わると今度は持留のザックを補修する。補修するのは持留でなく竹尾であった。持留は大富豪をやっている。私も大富豪に興じた。サイトは2時からで水炊きなのだが、村瀬は鳥ささみ缶の代わりに間違えて「ももチキン」なる缶詰めを持ってきていた。美味しいから構わない。サイト後も暇だからトランプなどをして時間をつぶす。小屋は遠いがとてもきれいで、まず入ったところの木の風合いが良い、窓から見える食堂の木の床がぴかぴかで涼しげである。トイレも外の物が工事中だから小屋の中のを使ってくださいということで、やはりきれいなトイレである。そうしてのんびりしていると、竹尾が「すみません、やっちゃいました」と言うので何かと思ったら、昨晩扇沢で刺されたと思われるアブの毒で、足がぷよぷよに腫れあがっている。昨年の飯豊で野呂が手をやられたと同じ症状である。足首を曲げるのが痛くて歩きづらいという。小屋に行って看てもらったが折悪しく医師がいなかったため、薬などは何も処方されなかった。取り敢えず化膿止めと絆創膏とで処置し、明日の様子を見ることにする。



秋の暮山小屋ひとつ灯りけり


811日(日)快晴
停滞
34半の予定でサイト。ミートソースパスタは普通に美味しかった。竹尾は昨日の朝に引き続き「珍しく全部食べても気持ち悪くない」と言っている。恐らく扇沢の夜に胃を拡張されたのが効いたのだろう。足はまだ腫れていて、試しに靴を履いてすこし歩いてみたところ、やはり足首が痛むとのこと。一日岩場を歩くのは厳しそうだから、幸い天気にも暫く恵まれそうなので停滞することに。また高辻も足を二、三か所アブに咬まれたようで、腫れて痛むということだった。小屋の医師に診てもらおうとするも不在で、夕方には戻るとのこと。ついでにテン場の受付をすると、連泊割引で一人500円が300円になった。高辻はそのまま引き揚げたが、私は暫くそこで、見本として置かれていた小さな花の図鑑を眺めていた。買うか悩んだのだが結局買わず、しかし宇田川はこれを買ったので、私はときどきそれを見せてもらった。テン場に戻ると、もう流石にテントは少なくなっている。我々の隊は晴天の下大富豪に興じていた。昼ご飯を食べようかということで、扇沢の夜に炊かなかった米を一人一合炊き、皆で食べた。差し入れがいろいろと出てくる。午後も大富豪に興じる。気持ち悪いしゃべり方が隊に蔓延したのは、このときが爆発期であったと思う。狭い集団で即時的な言葉の遣り取りを繰り返していると、だいたい言葉が単純な方向に傾いていく。
16時から夕飯を作る。私のリクエストしていたグリーンタイカレーである。高辻が「僕はこのメニューに責任持てませんよ」と宣言してから作り始めるので、リクエストした私も不安になる。無印のキットだからおかしなことにはならないだろうと思いつつ、話に聞く房総の悲劇が不安をかきたてる。持留が「俺はナンプラーは入れないよ」と言うから「別にナンプラーは悪くないんじゃないの」と言うと噛みつく勢いで「は?じゃあお前一人で勝手に入れてろよ」などと言っている。どれだけの悲惨さであったか想像されようというものである。高辻はナンプラーのトラウマ克服を今回にかける、と意気込んでいる。はじめのココナツミルクは香ばしい、幸先が良い。次に入れたスープで宗派が対立した。緑色の外観は置いておくにしても、辛い。伊藤さん、竹尾、持留が顔をしかめる。辛いのが苦手な人は伊藤さんのスキムミルクでマイルドにしようということになった。ナンプラーは入れたい人が入れる。結局出来あがったものはツナが口当たりを柔らかくして大変美味しい。各々の感想はおおよそ、宇田川、鳩貝、村瀬が「辛いけど美味しい」、野呂と私が「辛くて美味しい(歓喜」、持留が「辛い、無理」、竹尾が「美味しいよ、美味しいんだけど…」、伊藤さんが「辛いとかじゃなくて嫌い」、高辻が「美味い、別に辛くない」というようであった。量が多めだったのは対立の溝を深くしたかもしれない。私はこのタイミングと思ってカルピスを作った。
再び小屋に行った高辻は抗ヒスタミン剤をもらい、竹尾もそれとアレルギーの薬、痛み止めをもらった。小屋のテレビで天気予報を見ると18日まで晴れか曇りである。大町市には雷注意報が、長野県には竜巻注意報が出ていた。キレット通過を出来るだけ軽い装備で行くためにキレット小屋でも水を買うことにしようかと思って、向うから来たテン場のおじさんに涸れていないか聞いてみると、涸れてはいないし無料で分けてもらえる、ということであった。有難い。就寝前、東の遠くの空に雷が光っているのを見た。注意報に言っていたものであろう。


集落へ尾根続きをり草の花


812日(月)快晴、晴
冷池テン場4:555:33布引山‐5:45たるみ5:516:14鹿島槍南峰6:276:53北峰分岐‐6:59北峰7:357:40分岐7:498:55キレット小屋9:1710:19たるみ10:2910:43口ノ沢のコル‐11:00北尾根ノ頭‐11:20たるみ11:3012:15たるみ(野呂がゴアマを落とす)12:2712:52五竜山頂分岐‐山頂往復3分程‐分岐13:4714:28五竜山荘
3時に起床。サイトの間、竹尾は足の状態を確かめるために靴を履いてすこし外を歩き回る。薬が効いたのもあり、どうやら問題無く歩けるようである。ダブルソースペンネはラザニアのようで想像以上に美味しかった。体操後、鳩貝と村瀬が小屋のトイレまで行ってくるのを待ってから出発。布引山までずっと歩きやすい道が続く。読みよりだいぶ速い。鹿島槍南峰を前に見ながらたるむが、1ピッチ目というのに竹尾が飢えている。この日も前日に劣らぬ快晴で、鹿島槍が澄んだ空気にくっきりと聳えている。ヘルメットはここから装着した。私は黒部ダムの作業員のようないでたちになった。南峰では大展望を楽しみ、北峰では大展望に加えてコーヒー、ココア、ゼリーなどを楽しむ。ゼリーはもともと高辻が行動食として持ってきたものである。五竜が近くに見えるが、それは山容が大きいからそう見えるのであろう。南峰は去年見たときより精悍になったように見える。高辻や持留は足の日焼けが痛むといって苦しんでいた。

八峰キレットは高度感があるものの、用心すれば大きな危険は無い。特に一年が宇田川のみで危なげないので気が楽である。幸い人とすれ違うこともそこまで多くなかった。高度感が怖いのは細いスタンスと鎖で岩を巻くときだが、注意すべきはそれより手前の岩場の下りではないかと思う。特に人の多い時など、落石は怖い。足元を見ながらゆっくり下らねばならない。正確にキレットと呼ばれる部分は、梯子が掛けられており、安全に通ることが出来る。鳩貝が「しまった、まだ遺書を書いてない、それ以前に遺産が無い」と楽しげに話していた。
キレット小屋の時点で、冷池から持ってきた水が充分な量ある。もらう必要は無さそうだ。「ぐぇ~」と鳴いている「雷鳥」のお粗末な絵が付された景観図を眺めながら、のんびりたるむ。村瀬の葛餅が美味しい。パイン缶も美味しい。竹尾が叫ぶので何かと思ったら、葛餅を丸ごと落としてしまったらしい。天才的である。五竜岳までも鎖場や梯子が多く気が抜けない。小さなキレット状の所を、鎖で下ったり上ったりする。一人ずつ通したり人を待ったり人に待ってもらったりするので時間を使うが、難しさを感じるほどではない。宮崎から来たというおじさんと抜きつ抜かれつして進む。
途中のたるみで、野呂がゴアマを転落させる。道の上でたるんでいたのだがころころ転がって、竹尾が追いかけて手を伸ばすもあと少しで掴めず、道をよぎって斜面を転がっていってしまった。野呂が下に探しに行くと、やがてハイマツに引っかかって止まっているのが見つかった。危ない所であった。G4を越えると、鎖のある岩場の登りをひたすらつめていく。去年「ラスボス」と感じた登りだったが、快晴のおかげかあまり辛くない。山頂は手前で分岐になっているから空身で行く。大変眺めが良い。日差しが暑いが風が涼しい。本当に絶景である。こちらから見てもやはり鹿島槍が近くに見える。槍も水晶も見える、遠くに見える。気持ちが良い。分岐に戻ってから差し入れ大会になり、野呂の葛切りとあんみつ、竹尾のバウムクーヘン、鳩貝のみかん缶、私のカルピスなどを楽しむ。鳩貝はこの日絶好調らしい。しかし鳩貝の時計は不調で、それまで叩けば秒針が進んでいたのが叩いても進まなくなり、「時が進まない!」などと言っていた。聞けば第一部でも、夜の間は眠ってしまう時計だったらしい。下界で買えばよかったものを。
五竜山荘まではあっという間に下ってしまう。上から見て分かっていたことだが、テン場はいっぱいで二張分も難しいくらいである。ただそういうときは普段テン場としない部分もテントを張るので、小屋のすぐ前の辺りに張らせてもらえた。夕方には、小屋に沿った道のわきにもたくさんテントが並んだ。天気が良くて気温も丁度いいので、気持ちが良い。何と一時的にLTEの電波が入った。夕飯は冷汁なので簡単である。夕飯がすんだあと、野呂と持留はまだ食べたいといって余った米を炊いている。たしか前日の昼に行方不明になっていた分で、伊藤さんが持っていたものである。高辻の銀マを占領して憚らないので高辻は腹を立てている。結局45天は張らず、その分のスペースで4人オカンしていた。そばを通る人がいちいちそれをみて面白がる。この日の夜はペルセウス座流星群の極大日で、私は見なかったが外では沢山流れていたようである。

流星の歓声を聞き眠りけり


813日(火)快晴、晴
五竜山荘4:415:36たるみ5:466:30唐松岳頂上山荘7:057:20唐松岳7:368:01二峰南峰8:148:28二峰北峰‐9:24一・二峰間のコル9:359:43一峰‐9:58不帰キレット‐10:03天狗の大下りの下10:1311:03たるみ11:1311:25天狗ノ頭‐11:37天狗山荘
3時に起床して蕎麦を作る。45天を張っていないから6天で作ったのだが、これが大変手際の悪いものだった。蕎麦を束ねている紙の輪が取れていないでそのまま茹でられたものがいくらかあり、棒状に固まってしまっている。竹尾と野呂が、責任を取るといって酷いものは引き受けていたが、なかなか美味しそうなものではない。しかし蕎麦のかたちになっているものは美味しい、これには高辻が薬師の湯で買ってずっと持ってきていた、おろしなんとかわさびが一役買っている。例の如くトッピングも充実している。4時半になっても暗いから、明るくなるのを待つ。伊藤さんは山荘でバンダナを買っていた。とても似合う。持留の眉間に青い模様がついているので教えてあげると、「生まれて初めて流れ星を見たから覚醒して紋章が浮かび出たんだ」と言っている。体操は、前日に「なんか動きがおかしい」と言われて一番初めの部分の動きを改良した竹尾。実は体操を全部覚えていなかったらしい。
明るくなったので出発、やがて右手に日が昇るのが見える。雲海が赤く染まって美しい。竹尾が転んで手を怪我したのでヘルボを出す。外傷は小さいが内出血が痛いらしい。宇田川はよく地図読みが出来ている。牛首の岩場は確かに西側が落ちていて高度感がある。岩も比較的もろいので慎重に進まないと危ない。2ピッチ目で唐松岳頂上山荘に着き、高辻が診療所で足を診てもらう。あまり言わなかったが、右足の踝を痛めていて、ひょっとすると骨折しているかもしれないというのである。それでも歩けるから取り敢えず山荘まで、ということ。高辻が診てもらっている間、日の当たる所で風を避けて休んでいる。唐松岳頂上山荘はかなり大きい。登山靴も売っている。おしゃれな手拭は売り切れているそうである。やがて出てきた高辻は、疲労骨折でひびが入っている可能性もあるが気を付けて歩けば大丈夫ということで、歩き方を指導してもらっていたとのこと。とりあえず様子を見ながらゆっくり進もうということになった。
すぐに唐松岳山頂に着く。桃缶がたくさん残っているうちの2つと、ミックス缶1つ(桃入り)が出てきた。伊藤さんは少し離れて苦い顔をしている。このあたりからヘルメットを着けた。いよいよ不帰の嶮である。三峰、二峰までは特に問題無い。二峰の南峰でたるみ、キジ打ちで少し時間を使う。北峰からが核心部である。まず鎖の下りを慎重に行く、その下で岩をへつる箇所など、先に人がいるのが見えづらいのですれ違うのが難しい。そうでなくても危ない所であるが、しっかり足場を確認して進めば特別な問題は無いだろう。途中から鳩貝が偵察トップとして出て、すれ違うタイミングを見計らってくれる。核心部終盤の鉄の橋はクライマックスの感が強いが鎖を掴んでいけるので安心。その後のへつりも足場に注意すべきである。詳しい道筋は調べれば分かるからここに書かないが、全体を通して鎖の下りとへつりが注意を要する、それが長く続いて休める場所も少ないので集中すべき所である。特に人が多いときは時間がかかるが、一人ずつ通すようにした方が良い。そこまで身に迫る危険を感じはしなかったが、隊で通るときにはよく意思疎通して進む必要がある。今回はトップ辺りが積極的に働いてくれたので有難かった。
一峰まで行けば一安心できる。不帰キレット自体は普通の道であり、その後天狗の大下りの登りが待ち受ける。所々に鎖があるが、殆ど使わなくて登れる。大下りというので覚悟していたが、岩場を順調に登っていくうちに高さを稼ぎ、大して疲れもせずに登ってしまう。ただし落石には注意したい。急登を登ってしまうと、一気に景色が広くなる。ピッチ読みよりも随分早く、天狗ノ頭についてしまった。ここまでの景色とは大きく変わって、なだらかな斜面が広がる様子など、雄大で大変気持ちが良い。晴々した気分で砂礫の道をゆるやかに下っていく。天狗山荘は静かな、雪渓の水が豊富なところである。予定通りここで泊まるか、或いは体力に余裕があるから白馬まで行ってしまうか、意見が分かれる。取り敢えずめいめいの希望を聞くが、やはり半々といったところで決め難い。確かに体力に余裕があるが、日程にも余裕があって隊として行程を早めるべき強い理由が無い、強いて早めて怪我をしたりしては事だと考えて、そのまま天狗山荘に泊まることにした。各々の個人的な理由など出来れば汲みたいところであるが、それはもう仕方が無い。そしてここは素晴らしい場所であった。
時間が早いから、昼ご飯にジフィーズを食べることにする。食べない人もいる。竹尾は2食分食べている。その後竹尾差し入れのパウンドケーキとともに、ココア、コーヒー、ラテなどを楽しんだ。別に停滞日でもないのに、随分のんびりと過ごす。トイレがきれいで、しかも石鹸で手を洗える。行く手の澄んだ青空には白馬鑓が白く映えている。テン場にも高山植物は豊かで、宇田川に花の図鑑を見せてもらったりする。宇田川は花の写真もたくさん撮っていて、図鑑にはそれを見つけた場所も記録している。夕食は折角だから、予備食ではなくて小屋の食事を頼むことにした。各々カレー、天津飯、カレーうどんなどを頼む。私の食べたカレーうどんは絶品であったし、小屋の休憩所は快適であった。そこでは何人かの方とお話ししたのだが、中には親不知まで同じ行程で行く方があった。テン泊の単独行で、入山は七倉らしい。この人があしながおじさんで、以降数回会っている。私はその後展望を求めて、稜線へ出た。持留も言っていたが、ワンゲルでは一人の時間があまり無い。それが稜線に一人佇んでいると、静かで美しい景観に身と心を預けるようで、ようやく本当に山にいるのだという気がしてくる。日暮れは近く、後ろから照らされて湧きあがる雲は影をはっきり持ち、縁を光らせている。やがて足元の花々も内側に淡い影を作りはじめた。この静けさが、私の山に来る理由になるだろうな、などと考えながら小石を踏んで小屋の方へ戻る。「上へ行くと言って戻らないから、何処かで落ちたんじゃないかと心配されているよ」と竹尾が探しに来ているところだった。テントに戻るとやはり大富豪をやっていた。


夕暮の桔梗の蕊の白さかな


814日(水)快晴のち晴
天狗山荘6:277:18鑓ヶ岳7:338:18杓子岳8:339:17丸山‐9:24白馬岳頂上宿舎
靴下は二重、フリースの上にゴアマを重ねてシュラフに入ったのだが、それでもオカンは寒かった。白馬村のだろう、暗い中に町明かりが小さく見える。時間に余裕があるから5時起床とし、それから湯を沸かしてジフィーズを食べた。出発して間もなく、高辻の足がかなり痛むというので止まった。登山靴で締め付けられるのが痛いとのこと。取り敢えず水を抜き、登山靴から運動靴に替える。この運動靴は、持留が自分のの靴ずれを危惧して持ってきたのだが、奇跡的になんともなっていないから無駄歩荷になろうとしていたものである。運動靴ならばを圧迫せず、痛くないというので、白馬岳頂上宿舎まではそれで、セカンドに入れた上で行くことにする。鑓も杓子も巻道があるが、痛くないので大丈夫ということ、両方ともピークを打って進む。

鑓ヶ岳はとても眺めが良い。富山方面の街並みもうっすらと見える。少し長めにたるむが、万が一の分離下山のことも考えて15分で出発。ザレ道が滑りやすく、特に人を避けるときなど気を付ける。人が多いのでたびたび横に避けてやりすごす。途中伊藤さんが転んで、杓子の頂上でヘルボを出した。杓子も大変気持ちが良い。頂上宿舎はすぐ近くに見えるが、これだけ近いと手前の登りがうっとうしく思えるくらいである。杓子からの下り、銀色の傘をさして登って来るおじさんがいた。日除けかとも思ったが普通に日焼けしているので魂胆がよく分らない。おしゃれかもしれない。登り返して丸山を通過すればすぐに頂上宿舎、第二部完。丸山への登り、持留は先頭に躍り出ていきいきと駆けていった。
高辻は診療所へ行き、残りの人はデポ回収。デポ山行で渡された名刺を忘れずに持ってきたのは、今合宿中でも屈指の成功であった。段ボールを開け、中にあった野菜ジュースを飲む。すこし冷えているようで、美味しい。口内炎の出来ていた人はこれでたちどころに治ったらしい。また大富豪が始まったので私は少しうんざりしたが、誘われたので入る。やがて高辻が戻ってきたので様子を聞くと、症状自体は疲労骨折でひびが入っているのか、靭帯がすこし伸びてしまっているのか、或いはアブの毒で炎症が起こっているのか、はっきり分からないらしい。医者としては親不知までの道を勧めることは出来ない、ここから一番下りやすい大雪渓で下界に行って、ちゃんと診てもらうのがいいだろう、ということだった。もし下山するのだったら、と痛み止めももらっている。しかし本人は親不知まで行けると思う、と言っている。少し悩んだが、荷物は出来るだけ軽くして、いちいち症状に気を付けながら進んでいこう、ということに話は収まった。
時間があるから、上の白馬山荘まで行ってみようということになった。村瀬と鳩貝が先に行き、遅れて持留と私も行く。道中、宇田川がっているので絶望しているみたいに見えたが、何のことは無い、花の写真を撮っているのだった。山荘のレストランに入ると、まず雰囲気に圧倒される。壁も床も上品な木の質感に統一されて、天井は高く、南米風の音楽が流れ、いかにも清潔な空間である。我々はどう見ても場違いである。奥に村瀬と鳩貝がいるのを見つけて安心した、しかし彼らもワイングラスでアイスミルクを嗜んだりしている。取り敢えずそこに行って座り、ケーキセットを注文した。私は気付かなかったが、ウェイトレスの方が皿を差し出すとき、失笑気味の表情だったそうである。そうして宇治抹茶ケーキとコーヒーを賞味していると、場違いの客が入って近づいてきた。誰かと思えば野呂である。失笑気味で迎えると、来たのには用件があるらしく、聞けば竹尾が高辻のことで話をしたいとのこと。確かに大事なことだから、とはいえケーキも名残惜しく、すこし急ぎ目にしかしじっくりとケーキを味わってから、頂上宿舎まで下りていった。竹尾は高辻を分離下山させたいということだった。その場には私のほかに伊藤さん、野呂、持留もいたが、皆続行させようという意見であった。隊として怪我人を出すのは避けるべき事態である。しかも若し症状が靭帯だった場合、悪くすればその後しばらく治癒しないということもありうる。その可能性はある。それを考えれば分離下山が最も安全で望ましい判断と思える。危険を避けるにくはない。しかし本人は行けると言っている。医者も絶対に止めるというのではないらしい。悪化した場合には他のERを使うことも出来る。この日の行動中は締め付けないので痛くなかったとも言っている。様子を見ながら進むことは可能だろう。悩んだが、やはり医者の話を私が直接聞いていなかったから、ひとまず聞こうということになった。それで例えばどんな徴候が危険かなど教えてもらおう、と。はじめから付き添っていればよかったのだが、横着してしまったのである。
夕食は石狩鍋で、デポ地だから具材が豪華で美味い。食べ終えてから、高辻には御足労願って診療所へ伺った。大学の医学生の方で、やはり診療所の人間としては下山して診てもらうことを勧めたい、とのことである。どういう徴候が、というようなことを訊いたが何とも予測はつかないということであった。はじめに高辻から聞いていたことから別に収穫があったわけではないが、荷物を軽くして様子を見ながら進もうと思いますが、という話にストップは掛けられなかった。テン場に戻ってそのことを伝え、高辻は続行することになった。結果として、高辻の症状はやはり靭帯で、全治1,2週間の怪我だった。完遂出来たし、大変なことにならなかったから良かったものの、この判断が適当なものだったか、悩まぬではない。
伊藤さん差し入れのコーンスープでさらに腹を満たしたあと、天気図おじさんに天気図の話を聞いた。山岳会か何かの人で、同行の人たちに話しているのを割り込んで聞かせてもらったのである。上空の寒気が大陸からやってくるかどうか、という判断の手掛かりが興味深かった。この人たちも親不知へ向かうそうである。そのあと伊藤さんと竹尾は上の山荘に行くというから便乗して、私も再び行った。二人がケーキを食べる傍ら、そこで売られていた小さな花の図鑑を買った。冷池で売られていたのとは別のものである。伊藤さんは白馬シャツを買っていた。レストランを出ると湿気がすごい。テン場には既に露が置いていた。

秋麗やケーキセットを待つてゐる


815日(木)ガスのち快晴のち曇
白馬岳頂上宿舎5:105:24白馬山荘‐5:36白馬岳6:056:52 2504分岐手前7:057:37雪倉岳避難小屋7:528:15雪倉岳8:459:37ツバメ平10:21水平道分岐10:3111:05たるみ11:1811:32水場‐11:45朝日小屋
日の出は5時を過ぎているから、3時半起床とする。持留のピザソースペンネを、野呂だけでなく、たしか竹尾も分けてもらっていた。外に出ると朝露がすごい。空もすっかりガスっていてなかなか明るくならない。高辻の荷物はだいたいサブ装になるくらいに軽くし、歩きやすいペースで歩いてもらうためトップとする。回復はしていないらしい。この日も持留の運動靴を使ってもらう。登るうちにガスは晴れていったが、デポ山行の時白馬山荘から見えた日本海は、朝靄で見えない。山頂に着くと、ガスはあるもののまばらで、周囲は見える。風が冷たい。「これは勝ちでいいでしょう」という伊藤さんの承認により、今合宿の百名山は三勝二敗、勝ち越しとなった。伊藤さんは前日買った白馬Tシャツに着替え、皆が寒いというなか涼しいと言っている。ガスの具合で時折、ブロッケン現象が見られる。写真を撮って出発しようとすると、村瀬がすぐに返さねばならぬメールがあるというから、しばらくそれを待っている。その間、伊藤さんも寒さに気がついてしまった。下りだして暫くすると、もうガスが晴れて快晴である。左手はなだらかに緑が広がっている。ずっとザレた下りを行くが、マツムシソウをはじめとして高山植物が色とりどりに咲き誇り、鮮やかである。鉢ヶ岳を巻く道の途中には数メートル雪渓を渡る箇所があったが、何ら問題無い。雪倉岳避難小屋は中が木張りできれいに掃除されている。トイレが中にある。雪倉岳の登りで私はすこし離され気味になるが、登りきると、白馬の眺めが大変良い。すぐ隣にあると思っていた剣はもう遠い。風が強くて寒いので風下にまわり日に当たっていると、えも言われず心地よい。フルーツ缶を食べたりしながら、たるみは伸びて30分経った。やはりザレた下りを続ける。右手を見やると濃い緑にきらきらと雪渓から沢が流れ、別天地の様相。下るにつれて、時間のせいかも知れないが、暑さがつのる。一部ガレ場を通過するが特に問題は無い。しかし高辻の足への負担は不安である。ツバメ平の沢は水が流れていなかったが、赤男山西側の、エアリアで「常水」と書いてあったところは流れていた。この辺りから暑さは深刻なものになる。自分のメモには「暑すぎて死ぬ」と殴り書きされている。湿原に木道が渡してあって種々の花が盛りである。モウセンゴケもあった、水芭蕉もあった、しかしそれどころではない暑さである。呼吸する空気が湯かと思われるほどであった。水平道に入ってもそれは変わらない。既に知っていることだったが水平道はちっとも水平な道でない。うだるような暑さの中アップダウンを繰り返すので消耗する。暑いのにところどころ雪渓の残っていたのは印象的だった。途中30分ほど歩いてたるみを入れたのはキツかったからである。水場のピンを立てたところは沢が滝のように流れていた。その手前には鎖場があった。水場を過ぎると間もなく水沢のコルに辿りつき、右手が朝日岳、左手がなだらかな朝日平になっている。幸い、ガスが出て日陰をつくっていた。小屋のテン場につくと、皆くたくたな所に鳩貝が蒟蒻畑を出してくれる。有難い。奥の方には既にあしながおじさんが休んでいる。手前の方には学習院大学の山岳部か何かがテントを構えている。「学習院だね」などと言葉を交わしていると竹尾が「どうして分かるの」と不思議そうに聞いてきたが、なんのことはない、彼らのテントに「学習院大学○○会」などと大書してあるのである。テン場の受付をすると、テン場の水場はしばらく水が出ないと言われる。何かポンプから汲みなおしをしたりしているらしい。疲れたとはいえ着いたのは早かったから、サイトまでしばらくのんびりする。大富豪のメンバーは相変わらずである。その間、テン場にいる人に「黄連とシキ割の水場は、両方とも水が出ている」と聞いた。助かる。高辻の足の様子を聞くと、少し良くなっているとのことである。しかし登山靴をはくと微痛があるという。間もなくサイトという時間になってもテン場の水は出ない。困って小屋に聞きに行くと、小屋内の自炊場から水を汲んでいいよ、とのこと。水を汲んでテン場に帰ると、それを見た学習院の集団から嘆きの声が聞かれた。彼らはわざわざ水場まで汲みに行ったのである。夕食は芋煮である。今回も乾燥里芋(1600円)が使われて、美味い。芋煮は地味だが合宿中でも出色の味であったと思う。食後はココアやラテを楽しみ、大富豪をする人はそれを楽しみ、私は着いたときから気になっていた西へ向かう木道を辿った。テン場から木道は続き、小川を渡って下りに入る。どこまでも下れそうだが、途中で止まる。遙か先は靄に覆われて見えない。特別何も無い斜面の、静かなお花畑であった。北アルプスでもこの辺りは緑が瑞々しく殊に高山植物が豊かである。しばらくして戻り、やがてテン場の水が出るようになった。頭を軽く流したりする。そのときの髪形が遠くから見てスネ夫のようだと笑われていたらしい。ややあって西側のお花畑を見に行って戻ってきた野呂が、日本海が見えると教えてくれたから行く。前は見えなかったが日が傾き、海面に赤く反射しているのだった。良く見れば河口の平野とその海岸線も分かる。気付けば皆集まっていた。そこでもまたココアを飲んでまったりする。テン場に戻ったが、しばらくしてまた、今度は日没を見に行った。水平線は存外高いところにあった。


初秋の木道海へ伸びてをり


816日(金)快晴
朝日小屋5:005:42朝日岳5:566:16吹上のコル‐6:45たるみ6:567:47たるみ7:578:08黒岩平‐8:36黒岩山8:469:16たるみ9:269:47さわがに山10:1110:37北俣ノ水場分岐11:2411:48たるみ12:0912:17犬ヶ岳‐12:23栂海山荘
朝はおろしポン酢とツナのパスタで、これがまた美味。高辻の足はすこし快復しているらしいが、まだ痛むとのこと。しかし下りで運動靴だと却って足に負担がかかるから、登山靴を履いて行く。荷物はやはり軽くする。薄明るい中、まだ涼しい道を朝日岳へ向かう。涼しいと言ってもやや暖かい、そして虫が多いので嫌になる。山頂に着けば虫は少なく、朝の爽気が心地よい。花も多い。来た道を振り返れば白馬岳が見えている。名残を惜しみつつ、最後の大ピークを後にした。ここからもまた花の多い道で、長栂山の東を巻く部分など、池のほとりを木道で行くのだが、広々として緑は眩しく、大変豊かな景色である。しかし下りは急で滑りやすい。野呂が1ピッチのうちに5,6回転ぶこともあった。そのたるみの直後にまた滑ったので気の毒になった。さらに黒岩平の手前では、例の如く何ということも無い道で足を滑らせ左手の笹藪に落ちて狼狽していたが、幸いすぐ足がついたので登ってきた。怪我も無かったようである。途中、あしながおじさんが我々を追い抜いて行った。

黒岩平で水を汲む予定だったが、持っている分で計算に足りたからそのまま通過する。水量の豊富な小川で、立派な木の橋が掛けられていた。黒岩山辺りから暑さとの本格的な戦いが始まる。登りがあると、私や持留は引き離されてしまった。野呂もそんな様子だったか知れぬが、見えないので分からない。30分程歩いて持留が、胸の辺りが締め付けるというので、ちょうどきつくなっていたところだしたるみを入れる。暑いから30分ごとにたるみを入れるのが適当だろう。ちなみにここでも自分のメモに「暑くて死ぬ」とある。さわがに山でのメモには「暑過ぎて皆死にそうである」とある。実のところ、竹尾は平気そうにしていた。小屋に着いてから「今日が一番楽だった」と言っていたくらいである。一方で竹尾の靴は駄目そうだった。村瀬の靴と同じようにソールが剥がれかけていたので、朝日小屋で応急処置をしたのだが、それが剥がれていたのである。しかたないから紐やガムテープでぐるぐる巻きにする。たるみが伸びるので皆喜んだ。北俣ノ水場分岐には、山頂と同じように鉄のプレートで標識がある。水場自体は5分弱下ったところにあり、ちょろちょろというのではないが細い。順番待ちのあいだ虫が気になる。出発して20分と少し経った頃、持留が果てそうなのでたるみを入れる。本当に気分が悪そうで、ちょっと動けないらしいのでしばらく休む。栂海山荘はもう小さなピークを一つか二つ越えたところにある。持留が動けるようになってから出発し、やがて栂海山荘。すぐそばに熊の糞が落ちていた。皆くたくたである。幕営禁止の筈だが、快適そうなテン場が出来ていてすでに3張程テントがある。広さは6,7張といったところか。後から来た天気図おじさんの隊を含め、結局テン場を使う人が多かった。
小屋は二階建て、かつ増築を繰り返したため垂直方向にも二分割されている。入ってすぐの所はテーブルとイスが置かれ、土間兼炊事場になっている。このテーブルの上に本や、漫画『岳』などが数冊置いてある。ある雑誌に栂海新道を開拓した方の話が載っていて、「『栂海新道は北アルプスを最後まで繋ぐ道。…ピークは巻かない』とニヤリ。」などと書いてあるから、我々はその茶目っ気に憎しみを覚えた。小屋のトイレがすぐに見つからなかったが、少し離れたところにあるのが分かった。否、「キジ場」だがトイレではない。あまりひどいと竹尾が言うからどれくらいか聞いてみると、「船窪の『この世の地獄』が天国と思えるくらい」とのこと。詳述はしない。しかし見てみればなるほどひどいものだった。水場について、黄連で水が出ていたという情報を前日に得ていたが、黄連の水場はときどき涸れることがあるというから、万が一1日のうちに枯れていたらなどと心配になる。伊藤さんが、必要なら偵察に行くよ、と言ってくださるが、さすがに読みで往復160分だから、やめておこうということになった。北俣ノ水場ではサイト分と翌日の黄連までの行動分を使っても1発以上余裕が出るように汲んでいるが、念のため節水する。喉が渇くがある程度は我慢である。私は下界に降りたらまずサイダーを飲もうと決意した。夕食はキムチ鍋である。鍋の素は出来あいのものだが、やはり美味しい。その後伊藤さん差し入れの甘酒をいただき、のんびりする。我々は二階に陣を構えたがすこし暑い。合宿最後の大富豪を後目に天突きの文句を考えていたが、やがて日が落ち皆寝始めたから、途中まで書いて投げ出してしまった。小さな窓から入る風が心地良い。

炎昼や同じ高さの峰続く


817日(土)快晴
栂海山荘4:485:26黄連山5:365:51黄連の水場分岐6:156:52下駒ヶ岳7:057:56白鳥小屋8:329:11シキ割の水場9:209:53坂田峠10:0410:37尻高山10:4911:09林道出合‐11:20二本松峠11:3312:04 416pたるみ12:1412:39登山口
朝食は「とり餅雑炊」である。これは本当に鶏ささみが入ったもので、餅はしゃぶしゃぶ用の薄いものを使っている。控えめに言って、今までの「とり餅雑炊」に比べて上質である。というかこちらを本当のとり餅雑炊と呼ぶべきだろう、などと賛辞を送られつつ、合宿最後の食事を済ませる。涼しいうちに出来るだけ進みたいから、早めに出発する。かといって足元の悪いくだりだから、十分に明るくなるのを待つ。少し曇っても良いのだが、と思っていたが快晴であった。高辻の足はやはり痛むらしいので、この日も荷物を軽くして行く。1ピッチ目から既に暑いし虫が多い。読み通りに水場に着き水を汲む。分岐から脇へすこし下ったところで、ちゃんと沢が流れている。駒場のおじさんに出会ったのはこの辺であった。37年前から駒場キャンパスすぐ近くに住んでいて、往時の駒場寮の様子などを語ってくれた。駒場のおじさんをはじめ、何人かの人とはもはや顔見知りになり、抜きつ抜かれつという感じで進んでいく。菊石山を越え、下駒ヶ岳。この登りが急で、ロープがある。危険ではないがきつい登りである。次でメインピーク、白鳥山。200mほど登るので、これを頑張って越えれば後は基本的に下りになる。樹林帯の道で歩きやすいが、暑い。トップが白鳥山に着いたことを報告するがLの宿命で暫くは上が見えない。上に着くと、二年会は真っ先に、白鳥小屋の屋上へと登っていた。鉄の梯子があって屋根の上に展望台が設けられているのである。人心地着いてから私も登った。真っ青な日本海が見える。海が本当に大きい。持留など「どこが海かと思って探したが、見えていたのは全部海だった」と言っていた。そのくらい大きい。そして上路の集落も見える。明るい緑が美しかった。伊藤さんはたるみの間に、水場の偵察に行ってくださった。私も行こうとしたが、案外遠いので途中で引き返してしまった。聞くと小屋から往復15分、分岐からは往復5分の所にあって、細い沢で汲みにくいが水は出ている、しかしやはりあてには出来ないだろうというような水場だそうである。のんびりたるんでいると天気図おじさんの隊も追い付いてきた、そのくらいで出発した。
だらだらと下り、小さなピークの間を抜ける沢状の辺りで、シキ割の水場が現れる。国土地理院の地形図より下のところである。自分のメモには「くそ暑かった…」と書かれている。水場にはコップが付けられており、飲むと冷たくて美味しい。紫陽花が咲いている。坂田峠までは読みで30分としていたが、かなり険しい下りで時間がかかるし、疲れる。途中高辻が転び、様子を聞こうと声をかけても返事が無い。再び「大丈夫?」と後ろから問いかけると、「…歩けます」という答えが返ってきた。かなりひやひやする。とりあえず坂田峠まで下る。坂田峠は舗装された道が通っている。ここで高辻にもういちど聞いてみると、痛めている右足に衝撃がかかった訳ではないから問題は無い、しかしそのときの痛みはひどかった、今は落ち着いているとのことである。すわ上路へ分離下山かと思われたがその心配は無いらしかった。去り際、駒場のおじさんが「記念に写真を撮らせて」とおっしゃるので、皆で写真に映った。最後の三角点尻高山は歩きやすい道ですいすい着いた。とはいえ酷い暑さなので、もう日本海に入ってきたのかというくらいに服はびしょびしょである。ちらちらと樹間から青い海が見える。ただ青い背景があるというような見え方なのだが、見えるのは空ではないから海だと知れるのである。林道を過ぎ、やはりすいすいと二本松峠に着く。鳩貝がしんどそうにしている。竹尾は予備日分も含めた全ての行動食を食べ尽くしてしまい、他の人から行動食をもらっている。第2部でも同じ光景が見られた。そこから入道山とかいう最後の山を越え、一度たるみをはさみ、長めの下りをこなす。次第に車の走る音が聞こえてくる。国道に出る前、林道建設工事をしているという現場を通過した。やがて国道が見える。車が猛スピードで走っている。道路がまぶしい。そうして何ということのない登山口に出る。車に気を付けながら国道を渡る。すぐ近くがトンネルだから用心せねばならない。もう完遂である。親不知観光ホテルのあたりにザックを置き、自動販売機でサイダーを飲み、菊池さんに下山連絡を入れる。安心した。
栂海新道はしかし、まだ終わっていなかった。観光ホテルの駐車場から階段を下りれば、狭い海岸に着くのだが、この階段が栂海新道の最後だったのである。途中、凄まじい冷気の吹き出す謎めいたトンネルを横目に見ながら、80mほどを下っていくと、丸い石で敷き詰められた小さな海岸に出る。

ここで皆、海に入った。海水浴を満喫してからその浜で天突きをし(日数などが混乱してちょっとめちゃくちゃになってしまった)、海に入った服のまま引き上げ、ホテルの温泉に入り、タクシーで親不知まで行く。宇田川は鳥取に行くので駅で反省会をやり、ここでお別れである。残りは糸魚川駅まで行き、焼き肉屋で打ち上げをやり、地元の小学校の盆踊りに紛れ込みかき氷など食べ、それから高辻は実家へ、竹尾と野呂は東京へ向かった。「山に行って海で泳いで焼き肉を食べて盆踊り、それだけ聞くとまるでチャラいサークルの『夏合宿』みたいだ」などと話すのも、なんとも合宿の終わりという感じがする。残りの5人は翌日伊藤さんの青春18きっぷを使って帰るため、泊まる所に悩んだ末、駅からすこし歩いたネットカフェに泊まった。翌日の電車は景色を楽しむつもりだったが、私はすっかり眠りこけてしまった。ネットカフェで漫画など読みふけってしまったのが良くなかったのであろう。

サンダルに触れかねてをる秋の波


まとめ
長過ぎてまとめられない。Lとしての夏合宿は、それまでと異なるものだったように思う。個人的にはその時々で大変楽しい思いをしたし、この上ない自然を楽しんだ。しかし何より嬉しかったのはメンバーの人々に「お疲れ様」と言われた時であるとか、電話で「とても楽しかったよ」と人に話しているのが聞こえてきた時であるとか、SNSに「楽しかった」と書き込んであるのを見た時であるとか、そういう場面である。別に隊の中で特別な働きをした訳でもないし、Lというのは言わば「入れ物」みたいなものだと思うけれども、それでもその入れ物の中での喜びを見出せたのは、この上ない幸いである。とにかく人に支えられた合宿であった。そういう支えに恵まれた幸運に、何より感謝したい。ありがとうございました。

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