一年冬山 木曽御嶽山

一年冬山・御嶽山FB(山行No.52 企画:長谷川)
○ メンバー: 3木村、塚越、白濱、L長谷川、2藤井、1伊佐(E)、大城(W)、高橋(F)、広瀬(H)
○ 1/25000地形図:「御嶽山」「御岳高原」





1月12日(土)東京では一日中雨
当初の計画では12日早朝に東京を出発、木曽福島までアプローチし、その日のうちに入山するはずだった。しかし予報によると12日には本州南岸を低気圧が通過し、全国的に悪天となりそうである。13日には寒気が入りこみ、冬型の気圧配置となるとのこと。御嶽山では相当の風が吹くことが予想されたが、13日に入山し、14日にピークアタックすることにする。
高尾駅に18時集合、18:31発甲府行きに乗り込む。甲府、塩尻で乗り換え、23時過ぎに木曽福島駅着。塩尻辺りでは積雪があったが、木曽福島の町中にはわずかに雪のかけらが残るのみ。木曽福島の駅前で寝る。
1月13日(日)晴、日中は猛烈な強風、夜更けになると風も収まる
7:05木曽福島駅-(タクシー)-7:55御岳ロープウェイスキー場(準備)8:20出発-(途中アイピケ装着約10分)-9:45第三リフト下(標高1900付近)(タルミ)9:55-10:40飯森高原駅-11:00七合目行場山荘(タルミ)11:20-12:50女人堂着(テント設営)16:30テント設営終了▲1
7:05に事前に予約してあったジャンボタクシーに乗り込む。運転手さんの話によると、先月故障した王滝側のゴンドラリフトは、まだ運転が再開されていないらしい。三岳の集落を過ぎる辺りから積雪が見られるようになる。スキー場に至る道中、青空の下御嶽山が神々しくそびえているのが見えた。しかし時々風の音が車内まで聞こえ、外では強い風が吹いていることが伺える。下界でこれだけの風があるのだから、御嶽山の森林限界上では、さぞかしすごい風が吹いているのだろう。
木曽福島駅から50分程で御岳ロープウェイスキー場に着く。タクシー代はジャンボ一台で14080円。駐車場には中京圏と関西圏ナンバーの車ばかり。ロープウェイのチケットを買おうと、受付に行ったところ、上部では風速25m/sを越える風が吹いているためロープウェイは運転を見合わせており、いつ運転するかも分からないとのこと。御岳ロープウェイスキー場に設置されているロープウェイ、第一リフト、第二リフト、第三リフトのうち、このとき動いていたのは第一リフトのみだった。
強風がかなり気になるが、とりあえず今日はスキー場を歩いて登り、女人堂まで行くことにする。歩き始めてすぐにスキー場のパトロール員の人に呼び止められ、スキー場内のコースや、女人堂までの所要時間について説明を受ける。その人によると昨日土砂降りの雨が降り、スキー場上部はクラストしているそうだ。最後に「やばいと思ったら必ず引き返してきてくださいね。」と言われた。こんな強風の中出発するなんて、無謀な連中だと思われていたのだろう。
このスキー場は大雑把に言うと、下から見て左側が林間コースとなっており、右側は第一リフト・第三リフト沿いは緩斜だが、第二リフト沿いが一部上級者向きの急斜となっている。今回はだいたいリフトに沿って登った。第一リフト降り場より少し手前でアイゼンを装着。第一リフトの上から急斜が始まる。雪は固く、しっかりアイピケ歩行を行わないと危ない。時々突風が上から吹いてくるので、耐風姿勢をとりながら進む。ここで高橋が50m程滑落する。急斜が終わり、緊張が緩んだところ突風によってバランスを崩して滑落したらしい。この斜面の上にもう一つ比較的急な斜面があり、そちらも気を使う。伊佐のペースが遅いので、第三リフトの下でたるんだ際荷物を少し抜く。
第三リフト沿いの緩やかな斜面を登ると、ロープウェイ飯森高原駅に着く。建物内に登山計画書提出ボックスがある。駅の少し上に鳥居と四阿がある。その下部を左に進むと「登山口」の標識があり、亜高山帯針葉樹林内に薄いトレースらしきものが続いている。樹林帯内に入っても雪はしまっているので、アイピケを付けたまま歩く。さすがに針葉樹林内は風が遮られ、少しほっとする。
20分程斜面をトラバるように進むと七合目行場山荘に着く。山荘は厳重に施錠されており、入り込む術はない。
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七合目行者山荘の脇でタルミ
この先もだいたい夏道沿いに進む。少し急なところを登った後、小さな沢状地形を横切る箇所があるが、特に危険はない。左手に別の小さな沢状地形が見られるようになると、亜高山帯針葉樹林は終わり、ダケカンバの疎林となる。この疎林は女人堂まで続いているが、あまり防風効果はなく、もろに風が吹き付けてくる。左側の沢状地形の対岸には、わずかなクラックが走っているのが見える。そしてこちら側にも木と木を結ぶようにして同じようなものが見受けられたが、雪崩が起きる程亀裂が深くはないので、そこまで心配する必要はないだろう。
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女人堂から望む御嶽山
女人堂より上は本当の限界上となる。乗鞍や中央アルプスがくっきり見えるが、その眺望を楽しむ余裕がない程風が強い。小屋の左脇に雪のブロックで防風壁をつくり、そこでテントを張る。雪が固くブロックはつくりやすかった。しかし横の斜面にスノーソーを落としてしまったため、固い雪に切れ込みを入れるのに苦労した。なんやかんや言って、設営に時間がかかり全員が無事テントに潜り込むのは日暮れ近くとなった。
今日の一年生の歩きと限界上の様子を考慮し、明日は無風かそれに準ずるそよ風でない限り進まないとの方針を立てる。
食事が終わった後は、皆すぐに寝た。最初のうちは強風がすごい音を立ててフライを揺らすことがあったが、夜が深まるにつれてその頻度も小さくなった。
1月14日(月)薄曇り、合間に晴れ間、眺望良好、ほとんど無風たまに微風
6:55女人堂発-(途中伊佐のアイゼン装着直しに10分程度)-7:45標高2750付近の急斜にさしかかるところ(弱層テスト&タルミ)8:10-8:55覚明堂(上部を偵察)9:05引き返し始め-9:15石室山荘(タルミ)9:30-10:10女人堂(テント撤収)11:00-11:40飯森高原駅-(スキー場の林間コース)-12:30鹿の瀬
5:00起床。昨日とは打って変わり、ほぼ無風状態で時々微風が吹く程度。サブ装で頂上を目指すことにする。準備中、大城がゾンデと間違えてもってきたツェルトポールを斜面に落とし、白濱と木村が回収に行くも見つからなかった。かわりに昨日なくしたスノーソーが見つかった。
6:55出発。夏道は、女人堂から斜面をトラばり御嶽教の霊神碑群(金剛童子)を経由してから、小さな沢沿いに登っていくようである。しかし今回は斜面を斜めに登り、小尾根上を進む。小尾根上を進んでいるときに日の出。日は中央アルプスの宝剣岳と空木岳の間から昇る。
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中央アルプスからの日の出
今回のコース全体を通し、雪庇が発達しているような箇所はなかったが、限界上でも小さなクラックをいくつか見かけた。明治不動の前には小さな鐘が設置してあり、皆思い思いに叩く。雪は固いが、アイゼンはしっかりと効く。
標高2750m辺りから始まる急な登りの下部で弱層テスト。深さ約30cmのところに肩の力の弱層があった。ここから主稜線まで急斜が続き、その脇に石室山荘と覚明堂が建っている。
覚明堂まで登ると主稜線はすぐそこなのだが、これ以上進むには、岩場っぽくなった急斜を直上するか、左側の鳥居(覚明霊神社)の方にトラバースするしかない。自分はトラバースルートを偵察したが、下は滑落したらどこまでも落ちていってしまいそうな急斜で、例の如く雪面はクラストしている。もし皆を通すとしたらFIXが必要なところだ。直上ルートを見ていた木村も諦めて引き返してきた。非常に残念ではあったが、一年生が四人いることも考え、ここで引き返すことにする。
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覚明堂からのトラバースルート
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覚明堂からの直上ルート
下りは、往きに設置した竹竿を追って進む。しかしこの辺りからでも女人堂は見えている。北には笠ヶ岳、乗鞍、穂高連峰、真ん前には中央アルプス連山と左端に甲斐駒ケ岳が雲に浮かんでいる。風は穏やかで、絶好の冬山日和である。ただ南の恵那山には雲が被っていた。また主稜線に立つことができなかったので西側にそびえる白山や伊吹山の姿を拝めなかったのは残念であった。
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これぞ御嶽山的光景、女人堂裏の霊神碑群と乗鞍・北ア連山
女人堂にて携帯が通じる(docomoとau)ので13時30分にタクシーの予約を入れる。女人堂からの下りは、一年生はアイピケ、二三年生はグリセードで下ったが、完全にアイスバーン化している部分もあり、アイピケで行くのが正解。実際樹林帯の中でもアイゼンがよく効く。
飯森高原駅まで行くと、今日はロープウェイが動いていた。しかしケチな三年の進言によりロープウェイを使わずゲレンデを歩いて下る。今日はスキーヤーやボーダーがおり、昨日の急斜をアイピケで歩く気には到底なれず、右側の林間コースの右端を一列になって歩く。それでも途中コースの幅が狭い部分があり、ボーダーが来るたびにヒヤヒヤした。
センターハウス(鹿の瀬)手前でふと振り返ると、青空の下継子岳から剣ケ峰まで連なってそびえ立っているのが見えた。やっぱり御嶽山は雄大な山である。
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御岳ロープウェイスキー場より
予約したジャンボタクシーに乗り込み、木曽福島駅へ。駅前の「かわい」というそば&定食屋で打ち上げ。木曽福島での打ち上げは毎回こことなっている。一年は新宿行きの高速バスで、二三年は18きっぷで帰京。
○まとめ
今まで、冬の御嶽山は部内で何度か企画されているが、全て田の原(王滝口)からのスキー山行(二年冬山)として出されていた。今回は新しいルートで、歩き山行の一年冬山として企画したのであるが、危険箇所に阻まれ山頂に立つことはできなかった。強風、クラストした急斜、視界不良時の迷いやすさといったこの山の特色を考慮すると、やはり厳冬期に一年冬山として出すのは無理があると思う。今回はスキー場の下部から山頂付近までずっとアイピケを装着したままだった。行く前は、前日(12日)の悪天により新雪が積もり、樹林帯内はラッセルになるだろうと予想していたのだが、新雪は全くなかった。11月~12月の初冬の時期は、また事情が変わってくるのであろうが。
気象に関してコメントすると、かなりはっきりとした冬型であっても御嶽山は晴れる。しかしその際の強風を侮ってはならない。今回は結果的に無事終えることができたが、13日の入山の際に、入山を見合わせるという選択肢も考えるべきであったと今にして思う。

4 件のコメント:

  1. F (twvob,komaba,M3)2010年10月20日 15:23

    OBの駒場7年生Fです。
    つぎの記述は、気になりました。
    「左側の沢状地形の対岸には、わずかなクラックが走っているのが見える。そしてこちら側にも木と木を結ぶようにして同じようなものが見受けられたが、雪崩が起きる程亀裂が深くはないので、そこまで心配する必要はないだろう。」
    「雪崩が起きる程亀裂が深くはない」とは過大評価です。
    この場面では、雪崩が起こる可能性は少しはあるとみられるため、ルート取りを工夫する、など、気の利いた判断をするほうが適切であると思う。
    ちなみに、ウインドクラストの雪崩は、最近、事例として紹介されることが増えている。自分はくわしくはよくわからないが。
     F

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  2. きのう、連絡会で話を聞きましたが、
    雪崩うんぬんの話は、記述として、「雪崩が起きる程亀裂が深くはない」を削るとだいたいのニュアンスになると思いました。
    クラックといっても、たいしたものではない、という意見が部員のなかで大勢でした。
    思いもかけない出来事がいろいろとあり、充実した山行といえます。
    この点の価値が記録として残るような記述をさらに心がけるといっそう引き立つと思います。
    そもそも、わたしの三年のときは、このルートは、ワンゲル記録がなく、資料が少なく、審議を通すのが面倒だ、という理由で、ワンゲルでよく行かれている御岳ルートを選択しました。
    そのような態度とくらべれば、ぜんぜん、貴重な体験をしたと言えます。
     F

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  3. 情報を集めるという行為について
    この山行について議論にもなりましたが、
    情報を集めることが、やっかいな行為であることに、今更ながら気づきました。
    思いもかけないいろいろな出来事が山行であると、「もっと情報を集めればよかった」とよく言われます。
    このとき、意外にも、
    「情報を集めることをしつつ、情報の余白をどうとらえるのか」という視点が欠落しているように思います。
    「情報の余白」はそもそも、当事者自身、自覚していないことが多く、
    自分たちの活動にひきよせて、解釈していく作業が、大きなポイントになります。
    この作業がどんなものなのか、その社会的制約をどうとらえるのか、これから、わたしもじっくりと考えていきたいです。
    この点は、ひとりで山に踏み入れるとき、生きて帰ってくる、大きなポイントになると思われます。
    部員のみなさんは、今後、できるだけ情報を集めても、自分たちが行動するのに心配になる、といった場面に、何度も直面するでしょう。
    そのあとの一歩をどう踏み出すのか、このことこそ、成長のかぎを握ります。
     F

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  4. どうやって「情報の余白」を埋めるのか。
    考えてみました。
    ��.ワンゲル活動の歴史をとらえておくこと
    現場で思いもかけなかった出来事が、わが部でどのように起きてきたのか、これをとらえておく。
    そこから、あてはめて、今後、計画する山行について、どのような出来事が起こりうるのか、考える。
    このひとつの試みとして、
    この前、部員には、「ワンゲル活動においてどのようなトラブルが起きやすいのか」という問いで示しておきました。
    この発想は、あまり言われたことがないので、オリジナリティが高いと思っています。
    ��.部外のひとに聞くときには、書かれていない情報を引き出せるように、聞く内容をよく練り上げる。
    これには経験と工夫がいる。
    わたしは自信がない。
    ひとつ効果的な問いとして、
    「自分たちが行くときの時期と、記録の時期とのちがいとしてどのようなことを気をつければよいと考えるのか」
    「記録には書かれていない気をつけるべき点があれば教えてほしい」
    などがあると思う。
    以上、何らかの意義があると信じて。
     F

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